人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2021年 ホセ・クーラ、マノン・レスコーを指揮 プロヴディフ国立歌劇場

2021-10-22 | オペラの指揮

 

 

ホセ・クーラは2021年4月17日、ブルガリア第2の都市プロヴディフで、プッチーニのオペラ、マノン・レスコーを指揮しました。

コンサート形式でしたが、クーラにとっては、コロナ禍で1年近く公演キャンセルが続いた後、はじめて観客の前に立って行うことができた公演でした。

*無観客では2月にスイスのヴィンタートゥールでアルゼンチン歌曲のコンサートをおこない、こちらが長いコロナ禍後の初出演。現在も録画を視聴できます!

 

実はこの公演は、ブルガリアのオペラ・テノールのカーメン・チャネフさんが2020年11月にコロナ禍のために56歳で亡くなったことをうけ、彼を偲んで開かれたものでした。

クーラは、その前年の2019年の7月、プロヴディフ野外劇場でオテロに出演していますが、その時のデズデモーナは、チャネフさんのパートナーであるソプラノのターニャ・イワノワさんでした。オテロのリハーサルにチャネフさんも来て、クーラに、「いつかオテロを歌いたい。いま勉強中だが、あなたを見ることができて2倍学んでいる」と語りかけたそうです。

夢をめざす途上で、パンデミックのため若くして亡くなったことは本当に残念ですし、痛ましいことです。このマノン・レスコーでは、彼の追悼のためにクーラが招かれ、そしてターニャさんはクーラの指揮で、マノンのロールデビューを果たしました。

今回の記事では、その公演の様子や現地でのクーラのインタビューなどを紹介したいと思います。

 

 


 

 

 

State opera - Plovdiv presents:
MANON LESCAUT - Puccini (concert performance)
In memory of Kamen Chanev

Conductor Jose Cura
Soloist Leonardo Caimi and Tanya Ivanova
Soloists and Orchestra of Opera Plovdiv

 

 

●プロヴディフ国立歌劇場の告知画像

 

 

 

 

≪ 当日の舞台写真ーー劇場のFBより ≫

 

 

 

 

≪ ニュース動画などから ≫

 

●カーメン・チャネフさんの生前の姿、クーラと出演者のインタビュー、本番の舞台の様子などを紹介したニュース動画(約30分)

 

02.05.2021 по БНТ

 

 

●観客がアップした動画よりーー第2幕「あなたなの、あなたなの、愛する人」

Tanya Ivanova & Leonardo Caimi | "Tu, tu, amore? Tu" | Manon Lescaut

 

 

●観客がアップした動画よりーー第4幕「捨てられて、ひとり寂しく」~最後

Tanya Ivanova | Manon Lescaut | "Sola, perduta, abbandonata" + final

 

 

 

 

≪ バックステージ、リハーサルの様子 ≫

 

●デ・グリュー役のレオナルド・カイミさんのFBより

 

 

●リハーサルで指揮をするクーラーー劇場FBより

 

 

 

 

 

●リハーサル中の表情豊かなクーラの様子、ソプラノ歌手ターニャ・イヴァノヴァと劇場のディレクターとの対談などのニュース動画

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

≪ クーラのインタビュー、会見での発言より ≫

 

●劇場の再建は挑戦。手助けが必要なら電話を

 

多くの都市、ヨーロッパの都市には素晴らしい劇場があるが、閉鎖されたり、ほとんどが使えなくなっている。また、プロブディフのように、独自の劇場を持ちたいという願望と資源を持っている都市もあるが、それもないところもある。イタリアには、閉鎖された、あるいは完全に放置された空の劇場を持つ町がどれほどあるか知らないだろう。

ここでは、プロジェクトがあれば、ヨーロッパの現代的な要件を満たす素晴らしい建物を作ることができる。しかし、現時点ではほとんど不可能であり、今あるもので満足するしかない。少なくとも、プロヴディフに古代劇場があるのは幸運なことで、それも夢見ることしかできない都市もある。

若い世代がやらなければならないし、それが人生における挑戦だ。私に電話を。手助けできるだろう。

(「mediacafe.bg」)

 

 

●彼らは私のクレイジーさを気に入ってくれた

 

マエストロ・ホセ・クーラは、アルゼンチンを代表するアーティストの1人。音楽に対する情熱と細部までへの眼力で世界的に有名。オペラ歌手、指揮者、舞台美術家、写真家として活躍している。フランス、イタリア、オランダ、スペイン、アルゼンチン、オーストリアなどで数十の賞を受賞している。

プロヴディフ国立歌劇場の招待で来訪し、テノール歌手カーメン・チャネフ氏の追悼公演「マノン・レスコー」を指揮する。

 

Q、プロヴディフでの印象は?

A(クーラ)、非常に快適だ。いつも劇場で仕事をしているので、この街のことは知らないが、次に来るときはもっと時間をかけたいと思っている。旧市街、古代遺跡、ネベト・テペ(岩の丘)......街全体を上から見て歩いたが、まだプロブディフをよくわかったとは言えない。

 

Q、ここで生活することは?

A、ここに住むことができれば幸せだが、深刻なコミュニケーションの問題を抱える。ここの言語はとても複雑だ。私は外向的なタイプで、常にコミュニケーションを求めているので、どこに行くにも通訳を連れ歩かなければならない。

 

Q、この劇場で働くうえで最も気に入っていることは?

A、残念ながら今回はコーラスと一緒に仕事ができなかったが、オペラハウスのコーラスは非常に重要な役割を担っている。オーケストラとは非常に気持ちよく仕事ができているし、コミュニケーションも非常に良好だ。彼らは私が完全に熱中していることを理解し、それを気に入ってくれたようだ。

 

Q、あなたの写真を拝見したが、とても美しい。プロブディフはどのように見える? 

A、残念ながら、これまでは観光客が来るような場所しか見ていない。私のレンズで、もっと身近なディテールを見てみたいが、そのためには街を知る人に案内してもらう必要がある。

 

Q、あなたは歌手であり、指揮者であり、演出家であり、写真家でもある。舞台デザイナーとして舞台に立つことになったきっかけは?

A、それはとても複雑で、すぐには答えられない。私がショーをするときは、まずストーリーを伝えるために何が必要かを考える。それから、キャラクター自身が必要とする生息地、生き生きと動くための空間を作る。だから、自分の頭の中にあるものはすべて作りたいと思う。また、協力者である建築家と一緒に仕事をしているので、基本的なことは私が行い、細部は彼女が担当する。私はスケッチをして、彼女が絵を描く。

 

Q、今でもギターを弾く?どんな曲を?

A、少しだけ。アコースティック・ギターには長い指の爪が必要で、ステージ上のアーティストにとってはきれいとはいえない。それでパンデミックの時には、それを利用して爪を長く伸ばし、再びギターを弾けるようになり、1年間、弾いていた。曲も書いている。長い間、本当は作りたかったが時間がなかったギター協奏曲を書くことができた。いつかここで発表できるようにしたいと思う。

 

Q、沢山の先生たちの教訓を次の世代に伝えていく?

A、もちろん、それは私たちの主な任務。言葉だけでなく、手本となるものを伝えないアーティストは、空虚だ。多くのアーティストが、「彼が最後だった」と言われるために、知識を伝えたくないと思っていることも知っている。私には、それは利己的なことに思える。 自分が教わったこと、学んだことを新しい世代に伝えていかなければならない。そして、若い世代がそれを経験として受け止め、真似するのではなく、自分なりの何かを加えて、それを伝えていくことで、すべてが成長していくことを願っている。それがなかったら、私たちはまだ先史時代の洞窟の中にいただろう。

 

Q、大事にしている教訓は?

A、アーティストにとって最も重要なことは何だと思う?オスカー・ワイルドは "Be yourself; everyone else is already taken."(「自分らしくあれ。他の人の席はすでにうまっているのだから」)と言った。それはアーティストにとって最も重要なことだ。私の人生で受けた最高の批判は、私を傷つけるために「彼は、人から期待されることではなく、自分がやりたいことをやるという執念を持っている」と書いたことだったが、私にとっては最大の賛辞だった。

 

Q、前回と比べると今回は?

A、2019年(野外劇場でオテロに出演)は、料理がすでに用意されているレストランに客として参加した。今回は、キッチンで自分自身で調理できるようになった。そこが違う。

 

(「mediacafe.bg」)

 

 

 

 

 

 

●来年「マノン・レスコー」のプロダクションも?

 

私は58歳で、すでにほぼ40年のキャリアを経て、今は、心のレベルと感情でコミュニケーションできる人たちとの仕事だけを選ぶ余裕がある。私がプロブディフに来るとき、純粋に利己的な動機のために、自分自身のためにそうしている。それが私にとってうまくいくからだ。

私は旧市街の家に泊まっている。昨日は初めてのオフで、街を知らないままに歩き回り、古代劇場に着いた。この場所がどれほど美しいか、そしてそれがどれほど魅力的であるかを実感した。下に大通りが見えた。

プロヴディフの湿気の高さで、故郷のアルゼンチン・ロザリオを思い出した。私の街は世界で最も雨の多い街のひとつ。夕方のプロヴディフでは、湿度が高くてきれいに髪を保つのが非常に難しいことがわかった。もちろんこれは冗談。プロヴディフはとても忙しい街。ロザリオは約120年の歴史をもつが、プロヴディフに比べてれば小さな子どものようだ。遺跡の丘で何歳なのかわからない遺骨を見て、この街が歴史に完全に寄りそってきたことが印象的だった。プロヴディフを掘り始めると、ローマ人がスパゲッティを食べているのがわかるだろう(笑)。 

ある朝、目覚めた時、私たちの仕事がリセットされたことに気づいた。これは全世界に起こった。コロナは私たちを無力にした。その結果、大も小もなく、みんな同じ人間だということがわった。ショービジネスの世界では、私たちに非常に重要なことを理解させてくれた。苦痛な方法で発見したーー我々は必要だが、かけがえのないものではない。この発見はショービジネスのエゴを押しつぶした。ショービジネスがこの教訓をどう生かし、どのように変革していくのか、私たちはみていかなければならない。

7月に再びここに戻り、「トスカ」のプロダクションに参加する。その時には、来年の「マノン・レスコー」のプロダクションについて話し合う。今はまず、カーメン・チャネフを偲んで、この「マノン・レスコー」をつくろう。それからさらに考えていくだろう。

 

(「podtepeto.com」)

 

 

●記者会見の動画(ブルガリア語とクーラはイタリア語)

 

 

 

 


 

 

同じテノール歌手の追悼という悲しいきっかけの公演でした。この2年近くの間、本当に沢山の人々、アーティストも含めた多くの方々がパンデミックの犠牲になり、芸術関係者を含めくらしの困難が様々にひろがりました。何より、最優先で命が守られる世界になることをつよく願います。

クーラからは、来年2022年にもプロヴディフに戻り、マノン・レスコーのプロダクションについて交渉中のような話も出されました。報道によると演出のようですが、うまく契約まですすんで、詳細が発表されるのが楽しみです。

今回は指揮者でしたが、クーラ自身のマノン・レスコーのデ・グリュー役では、1998年、ミラノ・スカラ座のリッカルド・ムーティ指揮の舞台に出演しています。DVDにもなっているのでご存知の方もいらっしゃると思います。若々しく一途で切ない青年役を美しく張りのある声、歌唱で表現していました。

最後に、この舞台ではないのですが、99年にコンサートで歌ったクーラのデ・グリューの「なんとすばらしい美人」を最後にご紹介します。音声だけです。

 

Jose Cura "Tra voi belle" Manon Lescaut

 

*画像などは劇場と関係者のFB、報道からお借りしました。

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