人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(インタビュー編)2019年 ホセ・クーラ、上海でオペラアリア・コンサート

2019-11-02 | コンサート ②

 

 

2019年10月20日に上海で行われた、ホセ・クーラのオペラアリアコンサート。無事に大成功しました。

今回のクーラの上海滞在はとても短い期間でしたが、クーラの到着やリハーサルの様子、インタビューなどが、写真や動画で現地メディアに掲載されましたので、そこからいくつか、抜粋して紹介したいと思います。

 → なお、コンサートの内容は(当日編)(告知編)をご覧ください。

 いつものように、誤訳直訳、ご容赦ください。文末や画像に元記事のリンクがありますので、そちらからご覧ください。

 


 

≪上海に到着≫ 

現地のネットニュースに掲載された写真です。1人で、カジュアルすぎる姿で、上海の空港に到着、花束で迎えられたクーラ。マドリードから上海まで、十数時間、いつにも増して飾らず、リラックスして、ちょっとそこまで散歩・・という雰囲気(笑)ですが、今回は中国上海国際芸術祭の招聘であり、もちろんVIPとして歓迎されたようです。


●空港で

 

●送迎の車の中

 

 

≪報道より≫

ーーホセ・クーラ、上海の眠れない夜

 

光に満ちた夜の外灘を背に、手すりに寄り掛かったアルゼンチンの有名なテノール歌手、ホセ・クーラ。彼の顔はまだ、10時間以上の長距離飛行と数杯の赤ワインでも色あせることなく、このなじみのない街の素晴らしい夜景を大変興味深く楽しんだ。

旅の初日は1日中、上海フィルハーモニー管弦楽団のリハーサル室でのリハーサル。翌日の夜は、ホセ・クーラのコンサート「誰も寝てはならぬ」の公演。その翌日に帰国するクーラは、昨夜が外灘の美しさに会う唯一のチャンスだったかもしれない。夕食会後、クーラはサラ・ブライトマンの歌「Time To Say Goodbye」を歌った。彼がまた来たいと願っている上海のために。

マドリードから上海に到着した航空機は、予想より1時間早く到着した。昨夜6時、クーラはカジュアルなTシャツとスウェットパンツで、1人で浦東空港を出て、笑顔で歓迎の花束を取った。迎えのバスに乗るとすぐに、クーラはチケット販売のことを気にして、宣伝に協力する必要があるかどうか尋ねた。ブローカー(仲介者?)について、クーラは、ブローカーはおらず、適切なプロジェクトに応じた契約のみを持っていると述べた。彼は寛大に自分のメールアドレスを渡し、微笑んで言ったーー「次回は直接連絡ができ、仲介が違いを生むことはない」。


オールラウンドなミュージシャン、非常に包括的な音楽的才能

彼の声のパフォーマンスは、非常に包括的だ。指揮し、プロの作曲家をめざして学び、舞台デザイン、演出をした。彼が指揮をしたオーケストラのリストには、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団とロンドン交響楽団も含まれている。

明日の夜のロマンチックなオペラの夕べは、いくつかの古典的な西洋オペラからの抜粋で構成されている。クーラは、トゥーランドットやオテロなどの古典的なオペラの有名なアリアを歌うだけでなく、ヴェルディの「ナブッコ」から刺激的なオーケストラ序曲と、「イタリアの第2国歌」として知られている有名な合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って(Va, pensiero)」を指揮する。クーラは、コンサートがカラフルであることを望んでいる。彼が指揮することは、間違いなく多くの可視性をもたらす。


良き家庭人として

かつてハンサムで、現在もハンサムなアルゼンチン人は、今日では「幸せな脂肪」をもっている。送迎のための広々としたメルセデス・ベンツのビジネスカーに座って、ゆっくりとリラックスして、2つの席を占有して寄りかかった。彼は、この車は家族と一緒に休暇を過ごしたり、フルーツやステーキのグリルでピクニックに行ったりするのに本当に適していると感じたようだ。

毎日自宅で料理をしているトップレベルのテノール歌手?これは事実だ。クーラは料理が好きなだけでなく、ガーデニングも大好きだという。毎朝、家族のためにパンを焼き、夕食にサラダを作ったり、家族とバーベキューに出かけたりする。


中国のクラシック音楽の未来

ホセ・クーラは何度か上海に来た。夕食の席で、彼は箸を巧みに使い、「美味しい」と「乾杯」と言うことを学んだ。次の機会に、彼は公演で中国の歌を歌いたいと言った。上海訪問の際、いつも急ぎの旅で、上海の街を訪れる時間がない。 機会があれば、彼は本当に上海に1か月住んで、もっとパフォーマンスをし、いくつかのマスタークラスを行い、若い人たちと音楽を演奏し、楽しくて面白い作品をやりたいと思っている。

また、クーラは記者に、中国人に対する観察を明らかにした。生活のなかで中国人は、しばしば真面目で恥ずかしがり屋に見えるが、コンサートホールに入ると、コントラストが現れる。津波のような拍手と「ブラボー」は、彼に中国のファンの激しい熱気を感じさせた。いわゆる内気さは、彼らの保護色にすぎない。今日、中国は、さらなる研究のために、ますます多くの才能をヨーロッパと米国に派遣している。しかし、西洋の音楽産業による中国の理解は、中国の西洋に対する理解ほど深くはない。クーラは次のように述べたーー「文化の発展は1、2年では成功しないが、50年、100年...最終的な勝者は中国になるだろう」。

 

●簡単なQ&A 


Q、24時間はどのように調整される?

A(クーラ)、仕事でいっぱい

Q、好きな中華料理は?

A、ローストダック

Q、上海の印象は?

A、整然として、近代性に満ちている

Q、このパフォーマンスに期待することは何?

A、上海フィルハーモニー管弦楽団の専門レベルも非常に高い。私たちは良好な協力関係を持ち、2人の中国の歌手と協力し、新しい火花を放つと信じている。

Q、ファンに一言!

A、Carpe diem!(ラテン語:今を楽しめ)

(「new.qq.com」)

 

●上海の高層ビル群と、対岸の外灘のイギリス租界時代の歴史的建造物を背景に。上海には実質2日ほどの滞在のみ

 

●画質が良くないですが、こちらは動画。空港到着から、若手バリトン歌手の共演者とバスの中で語っている様子などがあります。

 

  

 

 

テノール、ホセ・クーラが上海を再訪ーー今夜は誰も眠らない...

 

「ただ歌手としてだけでなく、歌える俳優」ーー-批評家は、アルゼンチンの有名なテノール歌手、ホセ・クーラについてこう説明する。 いつでもどこでも、魅力的な容姿、背が高く、力強い声のこの歌手は、容易に注目の的となる。

18日の夕方6時に浦東国際空港に到着、20日夕方の上海オリエンタルアートセンターで「誰も寝てはならぬ」と題したクラシックオペラコンサートを行うため、ホセ・クーラは上海国際芸術祭を訪れた。旅行は大急ぎで、上海に滞在した時間はわずか2日だった。

「初めて上海に来たのは10年以上前。当時の上海は非常に騒がしく、スピード違反のバイクが飛び回る蚊のようだった。しかし今ではまったく違う」
上海シンフォニー交響楽団のリハーサルホールで、上海のメディアからインタビューを受けたとき、ホセ・クーラは窓を指し、「非常に静かで、人々に非常に良い体験を与える。上海の都市オペレーティングシステムは大きな変化を遂げている」と語った。この2日間、彼は「空港、ホテル、コンサートホール」のほぼ3点のライン上にいたが、上海の街を垣間見ることは彼に深い印象を残した。

多くの視聴者は、12年前のクーラのパフォーマンスを覚えている。2007年、彼は上海大劇院のプッチーニのオペラ「トゥーランドット」に出演し、「誰も寝てはならぬ」を歌った。12年後、再び訪れたホセ・クーラは、コンサートを「誰も寝てはならぬ」と名付け、プログラムには、「道化師」、「ナブッコ」、「オテロ」、「サムソンとダリラ」などのオペラの古典的な曲からの抜粋を含んでいる。「世界の各地で、『誰も寝てはならぬ』を歌った。プッチーニの音楽を愛さない人はいない」とクーラ。

 

 

コンサートの準備のため、クーラは、彼の古いパートナーである指揮者マリオ・デ・ローズに、上海フィルハーモニー管弦楽団と上海フィルハーモニー合唱団とのコンサートを一緒に行うよう招待した。マリオ・デ・ローズは、アルゼンチンの多くの主要なオーケストラ、室内楽オーケストラなどと取り組んでおり、アルゼンチンのラプラタのオペラ劇場の監督を務めた。2005年以来、この2人はイタリア、スペイン、ドイツ、チェコ、ロシアなどのヨーロッパ諸国で連続して公演している。「彼は常に私の最も信頼できる指揮者だ。今回の上海のようなコンサートでは、私たちに許されたリハーサル時間は非常に限られており、私はよく彼を招待する。彼は誰もが必要とするものを知っているからだ」とクーラは語った。

バリトン歌手の洪之光と上海大劇院のソプラノである徐小英もコンサートに参加し、クーラと同じステージに立った。「未来は私のものではなく、若い歌手のものだ」ーーホセ・クーラはインタビューで、才能のある若い歌手を常にサポートしたいと述べた。「上海シンフォニー管弦楽団の90%以上が若いことをとてもうれしく思う。彼らは非常に専門的で、高いレベルの音楽を持っている」と。

 

●リハーサル中

 

実際、優れたオペラスターであることに加えて、彼はよく訓練された作曲家、指揮者、オペラ監督、舞台デザイナーでもある。

クーラは、彼の芸術的経歴の思い出をこう語った。彼が7歳か8歳だったとき、彼の父親は彼にピアノを習うように言ったが、2か月後、教師はホセがピアノに興味がないと感じたため、彼は家に帰るように言われた。

「12、3歳のときに音楽に戻った。今回はギターを学んだ」、その後、彼は音と歌の才能を発見し、作曲と指揮を学び始めた。「幅広い芸術的背景は、私の歌手としてのキャリアを大きく助けてくれた。今まで、作曲の趣味をやめていない」。

その夜、「誰も寝てはならぬ」という最後の高音で、クーラは聴衆を魅了した。

「私は今年57歳だ。まだ年老いてはいないが、若いわけではない。若いとき、私たちはいつも、明日、明後日、そして来週を考える。今、私は、人生が非常に短いことを知り、すべてが『今日』始まることがわかっている。 」

(「jfdaily.com」)

  

 ●会場となった上海東方芸術中心のコンサートより

 

 

 

●動画 オケ、合唱団とともにリハーサル中のクーラ

 

 

 


 

クーラの人柄やライフスタイルも伝わってくるインタビュー記事でした。本当に、上海での長期滞在が実現し、マスタークラスや連続公演が可能になったら素晴らしいですね。

経済的に大きく発展し、変貌を続ける中国・上海。今回、クーラのコンサートを含む1か月間、開催される上海国際芸術祭の規模や内容を見ても、そのスケールの大きさ、招聘アーティストの国際的な水準の高さ、バラエティとも素晴らしいものです。数多くの才能が存在し、世界各地で活躍しつつあります。クーラの言うように、今後の世界を考えると、中国の文化的な地位と役割は、クラシック音楽の分野でもますます大きくなることと思われます。

長い歴史と豊かな文化とともに、急激な変貌と発展は刺激的であり、とても魅力的です。今後、さらなる経済的社会的な発展とともに、文化・芸術の発展とは切り離せない課題である、人権、民主主義や自由の問題をどう解決していくのか、それらを含め、私も中国への関心が深まりました。また機会があればぜひ訪問してみたいです。

 

*画像は、報道や劇場サイトなどからお借りしました。 


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