長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

なんの根拠もない直感  Berryz工房・徳永千奈美とビートたけしは似ている

2013年02月24日 13時47分09秒 | 日記
 ハイッ! どうもこんにちは、そうだいでございます~。最近はもう、あったかい日と寒い日が入れ違いに続いて体調管理も大変ですな~。でも、なんとな~く少しずつ春が近づいてきているような気はしますね。

 相変わらずわたくしめは忙しい盛りなんですけれどもね。

 いや~、次の火曜日の TBSラジオ『JUNK 爆笑問題カーボーイ』が聴きたくってしょうがねぇよ!!
 でも、私はそのオンエア時は夜勤の予定が入っておりまして……リアルタイムでは聴けないですね。

 非常に古色蒼然としたおもむきのある、浅草キッドから爆笑問題への「漫才挑戦状」だったわけなのですが、間髪いれずに「ひねりつぶしてやるよ!!」と応ずる太田さんの返事に、大衆もアツくならないわけにはいかないでしょう。おもしろいなぁ~、ほんと。

 さて、そもそもこの活劇の直接の起因となったのは、同じ TBSラジオの平日帯番組『たまむすび』の22日金曜日放送分で、レギュラー出演している浅草キッドの玉袋筋太郎さんの発言だったわけなのですが、これにたいする爆笑問題は本日・日曜日放送の TBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』で「受けて立つ!!」と返しました。
 ところが、私はその『日曜サンデー』を聴いてはいなかった……

 なぜならば! そのド裏番組のニッポン放送『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴いていたのだから!! そして、そこにはアシスタントとして、くだんの浅草キッドが出演!! っていうか、正午から『オールナイトニッポン』!?


 タネを明かせば、この『ビートたけしのオールナイトニッポン』は今月2月22日の夜22時から開始された、ニッポン放送の看板番組枠『オールナイトニッポン』の開始45周年を記念した超大型企画『伝説のパーソナリティが今を語る オールナイトニッポン45時間スペシャル』の目玉スペシャル番組のひとつとして放送されたものなのでした。22日から24日の夜22時まで(途中で東京マラソン2013の中継を3時間はさむ)、この45時間スペシャルの各時間帯にパーソナリティとして出演したみなさんは、笑福亭鶴光、中島みゆき、南こうせつ、谷山浩子といった伝説の顔ぶれから今のオードリーにいたるまで、総勢22組!!

 そういった中で正午12時から14時までの2時間を担当した『ビートたけしのオールナイトニッポン』は、先日21日の日中に前もって収録された録音番組ではあったものの、裏の TBSラジオで生放送されていた『爆笑問題の日曜サンデー』(13~17時放送)を完全に意識したパーソナリティ人選になっていたわけだったのです! こいつぁ本気でつぶしにかかっとるねぇ~。
 これにたいして、『日曜サンデー』側はスペシャルウィーク企画として、ダイオウイカ撮影に成功した国立科学博物館の窪寺恒己博士、カルビーの大人気野菜チップス「ベジップス」の開発担当者の柚木英明氏、アベノミクス政策をわかりやすく分析する政治評論家・宮崎哲弥、現在の日本のポップス業界の趨勢について音楽プロデューサー・小室哲哉らを特別ゲストに招くという、こと文化的な内容に特化した『爆問!トークスタジアム』を開催。番組の豪華さでいえば文句なしにスッペシャルなものにはなっていたものの、こと「お笑い」という点に関しては爽やかなまでに「逃げをうった」構成になっていたわけだったのです。相手がたけしじゃあ、ね……

 つまり、今回の浅草キッドによる「漫才挑戦状」騒動は、1度きりのこととはいえ真正面からぶつかることとなった、レギュラー番組も持っている TBSラジオ、ならびに愛憎半ばする因縁を持った好敵手・爆笑問題にたいして、浅草キッドが実に彼ららしい「仁義の切り方」をしたという、友情と熱情にあふれた話題づくりでもあったのではないでしょうか。やっぱり浅草キッドのあんちゃんたちは「粋」だねェ!


 こういうあれこれで周辺をいろどった、『ビートたけしのオールナイトニッポン』2013年エディションだったのですが、実際に聴いてみた内容としましては……まぁ、「ふつうに」おもしろかった?

 1981~90年のレギュラー本放送ののちは、翌1991年、97、2008、そして今回の13年と都合4回単発復活した『ビートたけしのオールナイトニッポン』も、番組のもうひとつの顔だった放送作家の高田文夫が収録当日に疲労でダウンし出演できず(4日後の25日に復帰)、天下のたけしも御歳66ということで、あくまでもたけしが気心の知れた若手のお笑い芸人を相手に呼んで、昔の TVバラエティ全盛期を回顧したり現在の映画監督としての活動の充実ぶりをアピールしたり、昨今の漫才界についての雑感を語ったりするフリートークに終始していました。

 実は、恥ずかしながら……これ、ホントにラジオ好きを標榜している私としましては、特に上の世代の方々にとってはあきれ返られるくらいに恥ずかしい話なんでしょうが、ビートたけしというお人の声をラジオで聴くのは、今回が生まれて初めてだったんですよね、私! 遅い! 遅すぎる~。
 そういう私にとっては、爆笑問題なり浅草キッドなり伊集院光さんなり、私が中高生時代に愛聴していた松村邦洋さんなりがひとつの神話としてことあるごとに語っていた『ビートたけしのオールナイトニッポン』についに出逢えるんだ! と鼻息を荒くしてのぞんだ今回の復活放送ではありましたが、「まぁ、そういう感じよね。」という感想が残った2時間だったのでした。全然それを悲観するつもりはないのですが、往年のビートたけしはやっぱり現在の世界にはいないんですよね。
 私はむしろ、たけしよりも気を吐いていたアシスタントの松村邦洋さんに感動してしまいましたね! 物まねの恐ろしいまでのレベルの高さもさることながら、今なお人類に聴き取れるギリギリの最高速度で突っ走るたけしのトークスピードに笑顔でついていってフォローする、その腕の確かさにあらためて驚いてしまいました。松ちゃんはこと「対ビートたけし局地戦仕様」に関しては、昔から今にいたるまで最高級の信頼度を誇り続けている名機ですよ。同じアシスタントとして出演していた浅草キッドだって、トークについていって話を補足するのに手一杯だったんですから。いや、そりゃあ水道橋博士の正確無比な情報説明も必要ではあるんですけど、それって芸人さんとしてどうなんでしょうか? というくらいの身の引き方でしたよね、浅草キッドのお2人は。
 そういえば、私がリアルタイムで聴いていたパーソナリティで今回の45周年企画に参加したのも、松村さんただ一人だったなぁ。福山雅治と松任谷由実はあんまり聴いてなかったから。今回もお約束で、旬な東京マラソン心停止事故ネタを出していたけれど、松ちゃんには長生きしてほしいです、ホントに!


 さて、今回の初めての出逢いによって、逆に「『ビートたけしのオールナイトニッポン』は遠くになりにけり」という想いを勝手に新たにした私だったのですが、だからといって「お笑い芸人としてのたけしはすでに終わっている」とかいう、後ろ向きにもほどがあることを言いたいのでは決してありません。
 むしろ、かつての「毒舌」「下品」「不謹慎」といったドギツい部分をマイルドにしつつ、人間としての「器のでかさ」のようなところをむき出しにしている現在のオールドたけしの語り口は、異様なまでに世間の耳を飽きさせない説明不可能な絶対的魅力を持っている! この事実に私は心を奪われてしまったのです。
 別におもしろいことをしょっちゅう言っているわけでもないし、何かしらとりたてて目新しいことを語っているわけでもない66歳のおじいちゃんの早口語りであるはずなのに、そこに2時間くらいは余裕でもたせられる「何か」があるのは、すでにはるか昔にお笑い芸人という枠を超越してしまっている、ビートたけしの人生がかもし出す代替不能の話芸なのではないのでしょうか。これはもう……ものすごい。

 思い返せば、1980年代初頭生まれの私は、1990年に終了した『ビートたけしのオールナイトニッポン』レギュラー放送に間に合うことはできず(確か、いちばん最初に聴いたオールナイトニッポンは1995年ごろのウッチャンナンチャンの末期だったかと記憶しています)、そこで存分に発揮されていたというたけしの「毒」を100% 純正で継承した深夜バラエティ番組『北野ファンクラブ』(1991~96年 フジテレビ)も山形にいた身では視聴できるはずもなく、ビートたけしみずからが軍団をさしおいて第一線で活躍していた「黄金期」を体験することはかなわなかったのでした。
 そういう私が少年時代に TVで観ていたビートたけしという存在は、過激な番組にメインで出演していても基本的にはスタジオ後方の司会席にふんぞり返って座りながら、若手のアクション芸やおもしろVTR にツッコミを入れていた『スーパージョッキー』(1983~99年 日本テレビ)と『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(1985~96年 日本テレビ)といったものや、序盤にちょっとおもしろい出し物をして後は番組のコメンテイターに徹する形式の『世界まる見え!テレビ特捜部』(1990年~ 日本テレビ)。そしてすでにお笑い芸人というよりは文化人としての北野武の面が強調されていた『ビートたけしの TVタックル』(1989年~ テレビ朝日)と『平成教育委員会』(1991年~ フジテレビ)といったものがその基本となっていて、そういう意味では10代そこらのガキンチョが心酔するカリスマというよりは、毎日TV に映っていることが当たり前の日常的な風景の一部となっていたのでした。
 そういえば、当時のたけしについては「全然笑えない怖すぎる俳優」としてのイメージも私は強烈にあって、フジテレビのスペシャルドラマ『実録犯罪史シリーズ 金の戦争・ライフル魔殺人事件』(1991年4月放送)だとか TBSのスペシャルドラマ『ビートたけしの実録シリーズ 説得・エホバの証人と輸血拒否事件』(1993年3月放送)、映画の『教祖誕生』(1993年11月公開 監督・天間敏宏)や『JM 』(1995年4月公開 つまんないから気をつけろ!)などでの冷たい演技に戦慄していたもんでしたね~。『金の戦争』なんて、VHS ビデオ買っちゃってたもんね!

 ちなみに、私がそのころ放送されていたたけし番組の中でも特に大好きだったコンテンツの BIG3は、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(1989~2007年に不定期スペシャル放送 日本テレビ)と『たけし・さんまの世界超偉人伝説』(1992~98年に不定期スペシャル放送 日本テレビ)、そして『たけし・所のドラキュラが狙ってる』(1992~95年 TBS)でしたね~。ネーポン! ネーポン!!
 『ドラキュラが狙ってる』は本当に好きでした……当時の私はこの番組を観るために、毎週日曜日の夜22時には必ず TVのある親父の部屋にお邪魔していたのですが、私はよわい30をすぎた今でも、親父が晩酌に飲んでいたロックウィスキーのかおりがただよう電気の消された暗い部屋と、明るい TV画面の中で展開される楽しい「ドラキュラ裁判コーナー」、そして2人そろって笑い声をあげていたあのひとときを瞬時に思い出すことができます。ありゃ~もう、翌日の月曜日に対する憂鬱な気分も絶妙にあいまって、なんともいえない芳醇な時間帯になっていましたね! 「大人の笑いって、こんなのなのかな~。学校行きたくねぇな~。」なんてボンヤリ感じていたもんです。

 ところが、そんなビートたけしの「円熟期」も、1994年8月2日に突如として発生した「たけし、バイク事故で重傷&芸能活動休止!」という大事件によって転機を迎えることとなります。
 いろんな意見があるのでしょうが、当時まだ中学生だった私にとっては、やっぱり「たけしもここまでか。」と強く感じさせる大ニュースであったことは間違いありませんでした。その後の私は、ちょうどそのころ急速に台頭して日本お笑い界の覇権を掌握しつつあった「ダウンタウン松本人志」という強大勢力におよそ5年間にわたって魂を奪われることとなります。まぁ、そっちについてはまたの講釈!

 それからのたけしについては、私はもう映画監督としての存在感しか認知することができず、本当にこの『オールナイトニッポン』復活の報を聴いて気になってみるまで、20年ちかくものあいだ意識することがとんとなかったのでした。

 しかし、やっぱり今回の『オールナイトニッポン』は聴いてよかった。他ならぬご本人がそのことを強く胸に秘めていることは放送を聴いてよくわかったのですが、今なお人々の心に残り続けている「昔のヤングたけし」にたいして、「現在のオールドたけし」がどのような闘いをいどみ、その結果どのような勝利をおさめたのかという経緯をじっくり聴くことができたのですから。

 やっぱり体力が衰えていくのは老いの宿命というものなのでしょうが、歳をとればとるほど強くなるのは「縁」と「愛」なんじゃないのかしら。

 つまり、現在のたけしは、身内話の気持ち悪さという部分を微塵も感じさせずに「同期や後輩への愛」をおもしろおかしく堂々と語るスキルがあるのです。この、愛のあふれる「バカヤロー」「コノヤロー」「どうしようもねぇな!」の温かみというか、パワーといったらないですよ。
 番組内での、松村邦洋への「お前もちゃんと番組の尺を考えながら物まねができるようになったんだな!」というコメントや、相方のビートキヨシにたいする「あいつは泥まみれのでっかいダイヤモンドの原石なんだよな。泥にまみれすぎだけど。」という言葉は、大爆笑できるものではないのだとしても、やっぱりなんというか、「耳がうれしくなる温度」を持った言葉なんですよねぇ。

 そういえば、確か何年か前に観たたけし軍団総出演の深夜バラエティ番組(テレビ朝日の『朝までたけし軍団』?)でも、たけしが井手らっきょさんにぶつけていた、

「お前はそうやって序盤ではりきりすぎるから、いっつも『お笑いウルトラクイズ』の2日目で熱が出てへたばってたんじゃねぇか! 少しはもてバカ!!」

 という爆笑しながらのツッコミが妙に心に残ったんだよなぁ。これぞ師弟愛。


 ともあれ、こういった感じで特にラジオパーソナリティや司会者としてのビートたけしの健在ぶり、というか今現在を最高地点とする意気軒昂振りを思い知らされた2013年『ビートたけしのオールナイトニッポン』だったのですが、これを聴きながら、

「う~ん、なんか、大しておもしろいわけでもないのに、こういう種類の楽しさでなんとなく聴けちゃってるラジオ番組があったよなぁ。なんだっけなぁ~?」

 というフシギな既視感……じゃなくて「既聴感」にとらわれ、思いをめぐらしてハタとたどり着いたのが、最近忙しい忙しいと言いながらも、なぜかこれだけは疲れて眠ることもなく毎週かかさず聴き続けているという、ラジオ番組のタイトルなのでした。


『BZS1422』(べりーずすてーしょんいちよんにーにー 2012年7月~ ラジオ日本)
・Berryz工房のメンバー・徳永千奈美がパーソナリティを務め、同メンバーの熊井友理奈をレギュラーコメンテイターとするトーク番組


 これこれ、これとおんなじなのよ、聴くこちら側の「ぬるさ」の感じが!
 これはたぶんねぇ、パーソナリティの「語り口」に共通点があるんじゃなかろうかと思うんだ、あたしゃ!!

 とりあえず、この『BZS1422』のパーソナリティである徳永千奈美さんという方についての情報を軽くまとめてみましょう。


徳永千奈美(とくなが ちなみ 1992年5月22日~)は、神奈川県出身のアイドル、歌手。アイドルグループ・Berryz工房(べりーずこうぼう)メンバー。アップフロントプロモーション所属。身長164cm。血液型 O型。愛称は、ちな、ちぃ、ちーちゃんなど。
 Berryz工房やハロー!プロジェクト・キッズ全体では年中者の部類に入るが、年齢の割に素朴な外見であり、舌足らずな話し方でかなりの天然ボケのためか幼い印象を与える。メンバーカラーはオレンジ(公式には発表されていないが、ツアーグッズなどの色が毎回オレンジ)。
 メンバーの中では比較的浅黒い肌の色と、童顔にまったく見合わないスラリとしたモデル体型が特徴。
 9thシングル『ギャグ100回分愛してください』では印象的なフレーズ「のにゅ」を担当。
 ℃-uteのリーダー矢島舞美とは、オーディションの時に徳永から話しかけたのをきっかけに仲が良い。
 2012年10月28日から、他のBerryz工房メンバーと同時に公式ブログの掲載を開始している。
・趣味はネイル
・特技はバドミントン(小学校4年生の時に県大会3位になったらしい)、フラフープ。
・得意科目は学級活動
・好きな色はレッド、黄緑、オレンジ。
・好きな動物はサル。

参加するシャッフルユニット

ZYX-α(ジックスアルファ 2009年~)
 2009年7月に、ハロー!プロジェクトの先輩シャッフルユニット「ZYX 」(ジックス 2003~06年)の後継ユニットとして結成された「ZYX-α」のメンバーに徳永千奈美もエントリーされ、ZYX の楽曲や DREAMS CONE TRUEの『未来予想図Ⅱ』のカヴァーを披露している。
 ※ZYX-α のメンバー構成は、当時のモーニング娘。から新垣里沙と久住小春、Berryz工房から徳永と嗣永桃子と須藤茉麻、当時の℃-uteから梅田えりか、スマイレージから和田彩花と小川紗季(当時)の8名。
 ※梅田と嗣永は前身ユニットの ZYXにも参加していた。
 ※2009年の梅田と久住のハロー!プロジェクト卒業後は6人組体制となったが、2011年1月のコンサート出演以後は活動がとだえている(かといって正式な解散宣言も発表されていない)。
 ※2013年2月現在では小川と新垣もハロー!プロジェクトを卒業しているため、所属しているメンバーは4名ということになっている。

DIY♥(ディーアイワイ 2012年~)
 2012年10月に、ハロー!プロジェクトの自然派バラエティ番組『ハロー!SATOYAMA ライフ』(2012年6月からテレビ東京で放送中)の企画スペシャルユニットのひとつとして結成され、翌11月には別ユニット「 GREEN FIELDS」とのカップリングシングル『フォレフォレ Forest For Rest』(つんく♂プロデュース曲ではない)をリリースしている。
 ※DIY♥のメンバー構成は、Berryz工房から徳永と夏焼雅、℃-uteから矢島舞美と中島早貴、モーニング娘。から飯窪春菜の5名。
 ※ユニット名の「DIY 」は、自らの手で生活環境を快適にしていくという概念「Do It Yourself 」と、「Dance In Yourheart 」をかけたもの。
 ※現在はおもに、放送中の番組と連動したハロー!プロジェクトのライヴコンサートなどで活動している。



 はい、少し前に特集した「完熟アイドル界の覇王」こと菅谷梨沙子さんと同じBerryz工房に所属されておられるお方であります。Berryz工房、結成9周年&10年目突入、まことにおめでとうございま~す!!

 ここまでくるのにだいぶ字数をさいてしまいましたので、さっそく結論からいってしまうのですが、私の好きなビートたけしの語り口と、若干20歳をすぎたばかりのこの徳永千奈美というアイドルのパーソナリティぶりの共通点。それは、


「まったく板につかない標準語&敬語の違和感」!


 ここなんじゃないかと思うんだなぁ~。

 ビートたけしの語り口は早口でもあるし、音声自体はかすれ声で決して聞き取りやすいものではないはずなのですが、それでもプロのアナウンサーや声優がはだしで逃げ出す魅力を持っているのは、常に聴く者に「この人、次の瞬間になにを言い出すのかぜんぜん想像がつかない……」という後先の読めなさと頭の回転の速さ、そして、「この人の本質はどこにるんだろう?」と強い興味をいだかせる日本語の「非日常感」じゃないかと思うんですよね。

 つまり、その圧倒的に特徴のあるしゃべり方から、国民的な規模でマネをされているビートたけしなのですが、そのほとんどのパターンでコピーされているのは「ダンカンバカヤロー」や「コマネチ!」や、最近はあんまり見られなくなったけどあの左肩と首をクイッとまわす動作であり、日本国民のほとんどが興味を持っている「ビートたけしの魅力の正体」にせまる部分を明らかにするものではまったくないのです。およそ40年ちかくの長きにわたって、ビートたけしは見事に自分に対する大衆の追跡を「表層どまり」でまき続けているのです! もちろん、ことあるごとに特集される映画監督としての作品分析も、物まねと同じ表層さぐりのひとつにすぎませんよね。
 そんな中でもただ一人、他の追随を許さない超高解像度の物まねを積み重ねてビートたけしの心のゲートの突破を試み続けているのが松村邦洋さんだと思うのですが、まぁそんな松ちゃんをたけしが嫌いになるはずがありませんやねぇ。愛されるはずですよ!


 そんなわけで、ビートたけしには語れば語るほどその本人の実像がわからなくなる、それでいて興味はまったく尽きることがないという驚くべき魔力があるわけなのですが、それに偶然なのか必然なのかまったく読めない脈絡のなさで急接近しているのが、くだんの『BZS1422』で徳永さんの駆使する日本語の「板についてなさ」なんですよね。ステルスジャパニーズ!!

 徳永さんは『BZS1422』ではメインパーソナリティということで、全編にわたって敬語の日本語を話しているのですが、その舌ったらずなしゃべりかたが、話せば話すほど「この人、プライベートではぜんぜん敬語を使う種類の人じゃないんだろうな」という、確信にも似た強迫観念を聴取者に植え付けるミラクルな逆効果を生んでいるのです。この違和感のすごさったらねぇよ!

 ただし、ここで釘を刺しておきたいのは、『BZS1422』の徳永さんが天然ボケ的に日本語のへたくそさをネタにしていくキャラクターを売りにしている、というわけではまるでないということです。よく我が『長岡京エイリアン』で話題にするアイドルの方々で言うのならば、おそらく『岡井ちゃん、寝る!』の岡井千聖さんや『モーニング女学院』の佐藤優樹さんあたりがそういう芸風をものにしているかと思われるのですが、そういう「日本語の危なっかしさ」を徳永さんが武器にしているわけでは決してありません。そういうのはコメンテイターの熊井友理奈さんが担当しています。うん、実は熊井さんの日本語のおかしさはもっと奥深い問題を持ってはいるんですけれども……

 少なくとも、『BZS1422』の徳永さんの司会術は非常に安定したものになっていて、若干のたどたどしさはあるにしても、大筋でそれ自体におもしろい要素があるわけではない、まったくごく普通の合格点ちょっと上のソツのなさになっています。
 だが、しかし!! それがなぜか違和感たっぷり! それがなぜかおもしろくてな~んか耳をそばだててしまう!

 この感じは明らかに、あの『天才・たけしの元気が出るテレビ』の中で唯一、お笑い芸人ビートたけしのネタ世界が楽しめる名物コーナー「たけしメモ」でたけしが無理矢理駆使していた、「これはイヤですねぇ~!」「これはまいっちゃいますねぇ~!」「なんなんでしょうかねぇ~、これは!」という敬語とまったく同じ「この人が敬語を使っていること自体のおかしさ」なのです。これは、日本語の使い方がうまくない人にはまずできないレベルの話だし、それ以上に声の質、たたずまいなどでなにかしらの「天性の違和感」がなければできない特殊技能の次元のものなのではないのでしょうか。
 おそらく、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の不世出の超絶コーナー「フリートーク・ハガキトーク」(2009年ごろを最後に休止中?)での、松本人志の駆使していた、異次元な内容の話を平然と標準語の敬語で話すテクニックもこれに通じるものがあったのではないのかと。断言しますが、松本人志のフリートークのおもしろさの本質は「使い慣れた関西弁を使わない違和感と緊張感」にあったと、私は意味もなく確信しております。


 『BZS1422』の徳永さん、おもしろいんですよねぇ~、なんか。
 おもしろキャラという意味では明らかに熊井さんがその責を負っているのでしょうが、私がこの番組を欠かさず聴き続けている理由は明らかに徳永さんの日本語なんだよなぁ。

 徳永千奈美さん、願わくば、そのおかしさをもっと全面的に前に出せるチャンスがおとずれんことを! でも、それってなかなか現在のアイドルとしての活動では目立ちませんよねぇ~。

 でも、楽曲でセンターをとるでもメインヴォーカルになるでもない、ダンスが飛びぬけてうまいわけでもない。それなのに、今現在のBerryz工房ならびにハロー!プロジェクト全体にとって、徳永さんがまったく不可欠な存在であることは間違いがないのです!

 今回も長くなりましたが、最後に私がこういう話題を取り上げるときに必ずひもとくことにしている第一級史料たる、Berryz工房×℃-uteクロストークブック『RIVAL 12少女の10年物語』(2012年)の中から、徳永さんに関する数多くの証言を引用して終わりにいたしましょう。


「例えば普通、アイドルなんてステージ上で舌打ちとかありえないし、『はぁ?』とか普通は NGでしょう? (千奈美は)それが許されるばかりでなく、『そこが好き』って言われてプラスに作用してるのがすごい。そういうのが許されるアイドルって相当いないよ。」(Berryz工房・嗣永桃子)

「(2002年のハロー!プロジェクト・キッズのオーディションで)もうちょっとで出番っていう時にパネルの裏にいたら、どっかからちぃ(千奈美)が出てきて、『緊張するね~』ってぐるんぐるん腕を振り回されて。でも、緊張してた上に人見知りだったから、声をかけてくれて助かりました。」(℃-ute・矢島舞美)

「千奈美とは『一番』がすごい多いんですよ。たぶん一番いっぱい笑ってるし、一番ケンカもしたし。」(Berryz工房・夏焼雅)

「いっしょにいるとすごい助かるんですよ。いろいろズバッと言ってくれるから。例えば℃-uteだったら、仕事で説明がない状態で待たされて『今なんだろう、この時間?』ってときは、みんなモジモジしてるだけだけど、千奈美ちゃんはけっこう大きな声で『今って何の時間ですかね!?』って。」(℃-ute・岡井千聖)

「完全にじゃれ合いだよね。千奈美とのライヴでのコミュニケーションは殴り合いだったりするんですよ。」(Berryz工房・須藤茉麻)

「勉強とかじゃなくて、意外と頭いいんだなって。勘がいいし、あったかい人なんだなって思います。バカなんですけど、みんなをちゃんと見てるから、その余裕がどこからくるのかが本当にわからない。でもそういうところは素直に尊敬します。」(Berryz工房・菅谷梨沙子)

「ちぃはムードメーカーだよね。前に一回Berryz工房の移動バスに舞がひとりで乗ったことがあって、その時にちぃがみんなにからかわれたりしてて、おもしろいなって思った。」(℃-ute・萩原舞)

「千奈美はすっごいプラス思考なんですよ。ファンの人のお悩み相談があるんですけど、超プラスに答えるんです。私にはそんな発想がないと思って、いつも感心しているんですけど。」(Berryz工房・清水佐紀)

「(2002年の初対面のときの印象について)私は千奈美ちゃんは細いなっていうのと、あと、なんでバッグさげたまま唄ってるんだろうって。オーディションで、ショルダーバッグさげたまま唄ってたんですよ。何が入ってるのかな、途中でバッグから何か出すのかなって気になって。結果、何もなかったんですけど。」(℃-ute・鈴木愛理)

「千奈美ちゃんは食べても太らない体質だよね。食べてもつかなくて、肉が。」(℃-ute・中島早貴)

「私も食べること好きなので、(千奈美が)誘ってくれるとうれしくて。」(Berryz工房・熊井友理奈)



 「人間力」っつうもんは、ほんとにおもしろいですな~。
 なんかいい方法ありませんかね~、つんく♂さん!?
コメント (2)
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