めてを~!! どうもこんばんは、そうだいでございます。みなさま、今日も一日お疲れさまでした~。そこのあなたさま、土曜日といえども、実は働いてたでしょ!? 私もそうだったんですよ~。お互いがんばっとりますなぁ! ガハハ!!
いや~、隕石こわいね……生半可なハリウッドの CG映画なんか余裕で吹き飛んでしまう、現実の撮影映像のものすごさ! 衝撃波(ソニック・ブーム)ってほんとにとてつもないんですな。あんな音響効果、東宝の怪獣映画にも出てこなかったっすよ!? 空の大怪獣ラドンもびっくり。
っていうか、「またロシアか!」って感じですよね。確か、我が『長岡京エイリアン』の「エヴァンゲリオン使徒検証シリーズ」の第10使徒サハクィエルのくだりでもちょっと触れたかと思うのですが、超常現象ファンならば知らない者はいないといわれる、1908年6月30日にロシアの中央シベリアで発生した「ツングースカ大爆発」とそっくりじゃあーりませんか。あのときのロシアは帝国でしたけど。
今回の隕石墜落現象は、ツングースカ大爆発よりもだいぶ西の人里に近い地点で発生したということで人的被害も大きかったわけなのですが、それだけにさまざまな動画が記録されたことは非常に意義深かったと思います。死者の発生が今のところ確認されていないことも不幸中の幸いといいますか。あと、ゾンビの発生が確認されてないこともなによりだね!
21世紀を生きる私たちだってこんだけ動揺するんですからね……いにしえの人々がこういった天体現象に遭遇して、なにかしらの人智を超えた存在の意志なり、時代が変わる予兆のようなものを感じとるのも無理からぬことですわな~。畏ろしなんどもおろかなり。
さてさて、今回もだらだらとくっちゃべっていく駄文のお題はタイトルの通り。いささか過激なあおり文句になりましたが、内容はもうまったくそのまんま! 最近ずっと読んでいた、今をときめく人気小説家の道尾秀介さんについてのつれづれでございます。
あの~、振り返ってみれば昨年2012年の5月から、100万部超えのベストセラー『向日葵(ひまわり)の咲かない季節』を皮切りに、今をときめく直木賞作家の道尾秀介さんの単行本化された作品をざーっと読んでみようというこころみを続けていたのですが、今月になって自分の中である程度の区切りがつきましたので、ここらで一回まとめさせてもらおうと思いました。
売れっ子作家・道尾秀介さんの諸作品(単行本12作)を約1年間かけて読んだ、私なりの結論。
世間の「~賞受賞!」とか「この~がすごい!」にだまされるな!! 私そうだいは道尾秀介さんの作品はもう読みません
はい~、こういうことに落ち着いたんですねェ~。これ、「落ち着いた」って言えるのか?
みなさんもしかしたら、こういうことを言い放っている私がなんか、ビッキビキに青筋をおったてながら道尾さんの単行本を残らず全部ビリッビリにやぶり裂いて粉々にして、水に溶かしてまた固めて千代紙にして折鶴をおって心をしずめようとしている、超荒ブルな姿を思い描いてしまうのではないのでしょうか。
いやいや、そんなことはないんですよ。なんだか私はここにきて、自分でもビックリするくらいに心おだやかに、実にすがすがしい思いで道尾さんの著作活動にさよならを告げておるのであります。
「うん……なんか、ありがとう! 正直いって感謝はしてないけど、ありがとう……お逝きなさい!」
みたいな。ヘンにすっきりした気分なんですよねぇ。
私が読んだ道尾作品というのは、つい昨年に刊行された連作短編集『光』をのぞけば、だいたい初期から刊行された順番に沿っている道尾さん単独名義の単行本12作で、すべてが文庫本になっているものばかりでした。
リストにまとめてみれば、以下のようになります。ついでになんで、たぶん読むことはないんでしょうが、私が読まなかった道尾さんの最近の著作もそのあとにまとめてみました。ちなみに、2013年2月の時点では道尾さん唯一のエッセイ単行本となっている『プロムナード』(2010年5月 ポプラ社)は、フィクション作品ではないので除外しています。読む義理なかりけりとぞ。
もう読んだ道尾秀介の単行本作品
『背の眼(上・下)』(2005年1月 幻冬舎文庫)
「霊現象探求所」を構える真備(まきび)庄介とホラー小説作家の道尾秀介が活躍するシリーズの長編第1作
2004年の第5回ホラーサスペンス大賞特別賞受賞
2012年3月に BS日本テレビでスペシャルドラマ化(監督・小松隆志、主演・渡部篤郎)
『向日葵の咲かない夏』(2005年11月 新潮文庫)
2006年の第6回本格ミステリ大賞・小説部門候補
『花と流れ星』(2009年8月 幻冬舎文庫)
真備庄介シリーズの短編集
・『流れ星のつくり方』(2005年3月)
2006年の第59回日本推理作家協会賞・短編部門候補
・『モルグ街の奇術』(2005年8~9月)
・『オディ&デコ』(2009年5月)
・『箱の中の隼』(2006年10~11月)
・『花と氷』(2008年5月)
『骸(むくろ)の爪』(2006年3月 幻冬舎文庫)
真備庄介シリーズの長編第2作
『片眼の猿』(2006年3~9月 新潮文庫)
『シャドウ』(2006年9月 東京創元社創元推理文庫)
2007年の第7回本格ミステリ大賞・小説部門受賞
『ソロモンの犬』(2006年12月~07年8月 文藝春秋文春文庫)
『ラットマン』(2007年6~9月 光文社文庫)
2008年の第21回山本周五郎賞候補
『カラスの親指』(2007年8月~08年4月 講談社文庫)
2009年の第140回直木賞候補、第30回吉川英治文学新人賞候補、第62回日本推理作家協会賞・長編部門受賞
2012年11月に映画化(監督・伊藤匡史、主演・阿部寛)
『鬼の跫音(あしおと)』(2009年1月 角川文庫)
短編集
2009年の第141回直木賞候補、第22回山本周五郎賞候補
・『鈴虫』(2007年8月)
・『犭(ケモノ)』(2008年4月)
2009年の第62回日本推理作家協会賞・短編部門候補となるが、長編及び連作短編集部門との同時候補は認められていないので辞退
・『よいぎつね』(2007年4月)
・『箱詰めの文字』(2006年11月)
・『冬の鬼』(2008年3月)
・『悪意の顔』(2007年10月)
『龍神の雨』(2009年5月 新潮文庫)
2010年の第12回大藪春彦賞受賞、第31回吉川英治文学新人賞候補
『光』(2009年12月~12年4月 光文社)
連作短編集
読んでいない道尾秀介の単行本作品
『光媒の花』(2007年3月~09年2月 集英社文庫)
連作短編集
2010年の第23回山本周五郎賞受賞、第143回直木賞候補
『カササギたちの四季』(2008年4月~09年12月 光文社)
連作短編集
『ノエル a story of stories』(2008年4月~12年4月 新潮社)
連作短編集
『球体の蛇』(2009年2~7月 角川書店角川文庫)
2010年の第142回直木賞候補
『月と蟹』(2009年10月~10年6月 文藝春秋)
2011年の第144回直木賞受賞
『月の恋人 Moon Lovers』(2010年5月 新潮社)
2010年5~7月にフジテレビ月曜夜9時枠で放送された連続ドラマ(主演・木村拓哉)の原作
『水の柩』(2010年10月~11年6月 講談社)
『笑うハーレキン』(2012年1~10月 中央公論新社)
こんな感じなんですけどね。
道尾さんは、書籍のかたちで読める小説家デビューは2002年(講談社『ショートショートの広場 第13巻』収録作)なのだそうですが、単独名義で最初に単行本を刊行したのが2005年ということで、知名度の高さの割には、思ったよりも著作の数が多くはないんですよね。だいたいの人気作家さんのパターンにおいて、はじめハードカヴァーか新書版ノベルスの形で刊行された単行本は2~3年後に文庫本になって再発売される流れになっているのですが、道尾さんの場合はここ最近になってようやく文庫版の数が未文庫化の単行本の数を上回るようになったばかりという日の浅さなんですよね。若々しいね~。
私はいちおう、基本的にはそのキャリアに沿って作品を読んできたわけなのですが、最後に読んだ『光』だけが飛びぬけて直木賞受賞後の最新作になっているのは、この『長岡京エイリアン』でも当時つづったかと思うのですが、昨年の6月15日に JR東京駅近くの丸善書店でおこなわれた『光』の刊行記念サイン会にミーハー面をぶら下げて参加したからだったのであります……その当時には、まだ道尾さんの作品は2作くらいしか読んでなかったのにね。女性ファン多かったな~! 確かに、実物の道尾さんは非常に男前でしたわ。
このサイン会参加からもおわかりのように、なにかと気の早い私はすでにその時点で道尾さんの文庫本をほぼすべて買い揃えて家の片隅に山積みにしていたのですが、それらも消化して、最後にとっておいたハードカヴァーの『光』も読み終えたのが、今月2月の初旬ごろ。つまり、道尾さんの作品に関しては、最長で実に「8ヶ月」寝かせたまんまだった、ってことになんのね……読書ペースが遅すぎるよ~!!
でも、上には上がある。現在の私の家にはさらに、買ったは買ったのに「4年」読まないままになろうかとしている村上春樹の『1Q84 BOOK1』と『 BOOK2』が!! もちろんハードカヴァーのやつ。だって、めんどくせぇんだもん!! さすがに今年中には読むと思いますけど……
さて本題に戻りますが、私がことここにいたって道尾秀介の作品を読まないと宣言したのは、いくつかの要因からじょじょに累積してきつつあった、私なりの「もう道尾秀介はたくさん!」という満腹感がピークに達したからなのでありました。いや、満腹感っていうよりは……膨満感? 飽和感? 倦怠感?
そして、直木賞まで獲得したこの人気作家のどこにそんなに飽きがきてしまったのかといいますと、それは一言でいいあらわすのならば、
「作品世界のカメラピントのガッチャガチャ感」
ここよね。これについてけなくなっちゃったの。
私は中学生時代から非常に視力が悪くて、メガネなりコンタクトレンズなりを手ばなせない生活をもうかれこれ20年ちかく続けてきております。
こういう両目と長年連れ添ってきますと、もはや遠くの文字が読めないとか物の輪郭がボンヤリしているとかいった問題はどうでもよくなってきてしまうのですが、それは見える風景全体が共通のピントでボヤ~ッとしているから慣れることができるのでありまして、たまにメガネを新調したりすると初日によく生じることなのですが、近くの物体と遠くの物体での見え方に大きな差ができてしまうと、私はすぐに酔って気持ち悪くなってしまい、そうそう長時間は新しいメガネをかけ続けられないという状態になってしまいます。そこからじょじょに目を慣れさせていくわけなんですが、目の悪い方にはこの感じ、わかりますかね?
メガネいらずの視力のいい方ならば、暗いところから明るいところにパッと移動させたとき、またはその逆をしたときに、なかなかレンズのピントが合わなくなっていつまでも写っている対象がボンヤリしたりはっきり見えたりの繰り返しを続けているカメラを想像していただければわかりやすいかと思われます。こういうのは見ていて気持ちが悪いというか、どこを見ればいいのかがわからなくて瞬時にストレスがたまってしまいますよね?
これなんですよ。私が多くの道尾作品について感じるストレスは、これと感覚がまったくいっしょなんです。要するに、道尾さんが物語の中でクローズアップさせる事象とクローズアップさせない事象とのバランスが、私の感覚とかなりズレているから疲れていたんですね。
たぶん、道尾さんの諸作品を絶賛する方は、そこらへんのリズムが道尾さんと似通っているのでしょうが……12作品読んで私は確信したわけです。「あぁ、これはお金を払っているんだから、無理して私が合わせようとすることもないんじゃなかろうか。」と。おれは降りるゼ!
はっきり言わせていただきますと、道尾さんは物語の中に登場する「子ども」にピントを合わせすぎ。しかも、その「子ども」というのも、どうやら道尾さんの実体験から類推した種類の子どもしか出てこないんだから、2~3冊くらい読んだら「あぁこの子、前にも出てたよね。」って感じになってしまうのです。
道尾さんの作品を読んでいると、あまり物語の筋とは関係のない部分、特に男子から見た女子へのアプローチや男子同士の他愛のない遊びに関するエピソードでかなり詳細な描写が出てきて、「そういや、そんなこともしてたなぁ~。」なんて気分になるのですが、読者の多くの方々は、それが意外と物語全体の雰囲気づくりにも、それをやっている登場人物のキャラクターにもさほど影響を与えてこないことに気づかれるかと思います。そこから感じられるのは、単に「この作者、そんなことよく憶えてたな~。」くらいのフ~ン感だけなんですよね。
そしてそれとはまったく逆に、道尾さんのピントの合わせなさ加減がテキトーにも程があるのが「大人」なんじゃないかと思うんです。
たとえば『シャドウ』とか『龍神の雨』の真犯人なんかは、ほんとに「読者をビックリさせるためだけにしか物語に呼ばれてきてないお人形さん」ですよね。いや、そりゃあ世界は広いからそんな人もこの世のどこかにはいるのかも知れませんが、いくら道尾さんが矛盾のない真相の説明をしたところで、真犯人がそういうことする人間に育ってしまった経緯というか、人生の存在がまったく信じられないのです。どんなに予想だにしなかった怪事件だったのだとしても、「読者にわかろうとする興味を持たせない問題」なんだったら全然驚く気にもなれないんですよね。それは、伏線がちゃんと張られているとかいうルール上のことじゃなくて、まず最初にその問題に読者が参加する気になるかどうかの話なんですよ。
つまるところ、道尾秀介の小説世界にはカメラピントの均等な距離感というか、世界を公平に見渡す遠距離からの視点がない。自分の語りたいこと、見たいことは克明に描写しますが、興味のない物事は「それがないと物語が進まない or 終わらないから仕方なく出してやってる」というくらいのそっけなさで処理しているのです。道尾作品に登場する道尾さんの実年齢より上の世代の登場人物たちの魅力のなさといったら、もう……『ラットマン』なんか、感動とは真逆の涙があふれてきますよ、「あの中高年の無残な扱われかたは何だ!」と。
現在30代前半の、道尾さんよりも年下の私がそう感じるんですからね。道尾ワールドの「年上蔑視観」は筋金入りですよ~。
いや、「蔑視」というのは違うか。道尾さんは年上の人々が自分と同じ幼少時代と青春時代を通りすぎてきた、同じように血のかよった人間であることを「無視」しているんです。そして、そこは無視しているくせに物語の歯車には、そのように活きることさえも許されていない哀れな大人たちをバンッバン投入してこき使っているのです。悪代官だ……道尾秀介は、ピーターパンの格好をした悪代官だ!!
別に私は、小説家たるもの年上の人々を尊敬すべしとか、登場人物全員を平等に扱うべしとか、すべての情景の描写に全力を注ぐべしとか、そんな画一的で優等生的なことを要求しているのではありません。
ただ、それでごはんを食べて家族をやしなっているプロフェッショナルであるのならば、「自分がつまらない気分でおざなりに書いているもの」を堂々と商品の大事なところに組み入れるなと言いたいんです。直木賞作家だかなんだか知りませんが、あんたが力を抜いてる仕事をお金を払ってでも読もうとするような人間ばっかりの世の中だと思うなよ、と!
あともうひとつ、たとえ自分の創造したキャラクターだったのだとしても、ミステリー物の真犯人とかハードボイルド物のやくざ者みたいな「汚れ役を引き受けてくれる役」には、それがどんなに下劣な人物だったのだとしても、それなりの礼と愛を尽くすべきだと思うんです。そうしないとキャラクターは必ずうすっぺらくなり、そのうすっぺらさで、作品全体も安っぽい底が知れたものになってしまうんですよ。「鎖の強さはいちばん弱い輪っかの部分で決まる」とはよく言ったものです。
それらの点もかんがみますと、私が読んだ12の道尾作品のランキングは以下のようになるわけです。
1位 『光』
2位 『向日葵の咲かない夏』
3位 『龍神の雨』の本文じゃなくて新潮文庫版の橋本満輝さんによる解説
4位 『カラスの親指』
……それ以外の作品は、さしあたって読む必要なし
こういう感じ。
つまるところ、私が最後に読んだ比較的最新作の『光』は、主人公がモロに道尾さんの投影としか思えない少年になっていたために道尾さん特有の「視界のゆがみ」がうまく少年に重なりあって違和感が薄くなっていたことと、物語の悪役に当たる人物がそれまでの作品に比べればだいぶ人間らしく描かれていたことが決め手になりました。エピローグで判明するちょっとしたサプライズが、果たして読者をびっくりさせる以外にどんな意味があるのかはわかりませんが。
ベストセラーの『向日葵の咲かない夏』もまた、少年が主人公になっているお得意のパターンであるのですが、「物語の世界がゆがみまくっているのは作者の力量不足じゃなくてこいつのせいです。」という前代未聞の責任転嫁がなされているため、感動からは程遠いものの、その道尾さんの尋常でない度胸のすわり方にミョ~に感心してしまいました。おもしろい人だな~と。こんな作品を読んでバカ正直に陰鬱な気分になる人って、いるんですかね? これは100% 笑いとばしながら読み進められるコメディ小説ですよ。
3位はほんとにおもしろかった! 『龍神の雨』本編はまさしく箸にも棒にもひっかからない内容なんですが、この解説の良さを知るために必要だった何百ページ分かの状況説明だったんだな、と自分に言い聞かせて心を落ち着けました。
この橋本さんって、どうやら道尾さんの飲み友達のライターさんらしいんですが、橋本さんにこの解説文の執筆を依頼したというだけで、この『龍神の雨』にかんする道尾さんの仕事は終わっていたと思います。道尾さんは本当にいい交友関係をお持ちですね!
4位はラスト50ページくらいまでは楽しく読めていたのですが、最後になってどたばたと詰め込まれてきたどんでん返しの結末にもんのすごく納得のいかない点がありましたので、「まぁ時間つぶしにはなるんじゃないっすか。」くらいの評価に落ち着きました。私はつい数年前まである道を目指しておりましたものでね……その展開にはまるでリアリティが感じられない!! どんだけ才能があるんだって話ですよ。そんな奴はそんな感じにうらぶれてはいない。
ちなみに、私は昨年に公開された映画版の『カラスの親指』は観ておりません。どうやら原作を忠実に映像化したとは言いがたい結末の展開の変更があったらしいのですが、「上映時間160分」じゃあ確かめる気にもなりませんわな。なに、この映画の監督は自分が黒澤明なみの巨匠だとでも思ってるんですか?
まぁ、結局はいつもどおり、鼻息荒くいろんなことを言わせていただきましたけどね……
とにかく、いちばんおもしろいと感じた作品がごく最近の『光』だったということもあるし、道尾秀介という小説家が現在進行形で成長しつつある才能であることはわかっています。だから、かなり高い確率で、私がまだ読んでいない最近作のほうに良作がいっぱい隠れていることも充分に考えられます。直木賞受賞作もそこにあるわけですしね。
そこは私もじゅうじゅうに承知しているつもりなのですが、同時に10作前後も辛抱しながらさほどおもしろくも感じない諸作を読んできたという疲労感もある今現在の実感としては……あんたとはも~付き合っとれんわ! なんですよね。
まぁ、誰に頼まれたでもなく、私が勝手に読み続けてきただけなんですけれども、いちおうは書店の立ち読みで済ませず、ブックオフも使わずにぜ~んぶ新品で買い揃えたこともありますし、いち消費者として言いたいことは言わせていただこうかな、と思った次第だったのでした。完全に個人的なストレス発散企画になっちったね、コレ。
道尾秀介先生のこれからのさらなるご活躍を、謙譲の表現ではなく正真正銘、心の底からの実感で「かげながら」応援させていただきます! フレ~、フレ~、み・ち・を~。
今回の教訓
特別賞あつかいだったホラーサスペンス大賞は別としても、私の読んだこれらの作品に本賞をあたえた「本格ミステリ大賞」と「日本推理作家協会賞」と「大藪春彦賞」は、だいたいその程度の賞だと理解しておこう☆
いや~、隕石こわいね……生半可なハリウッドの CG映画なんか余裕で吹き飛んでしまう、現実の撮影映像のものすごさ! 衝撃波(ソニック・ブーム)ってほんとにとてつもないんですな。あんな音響効果、東宝の怪獣映画にも出てこなかったっすよ!? 空の大怪獣ラドンもびっくり。
っていうか、「またロシアか!」って感じですよね。確か、我が『長岡京エイリアン』の「エヴァンゲリオン使徒検証シリーズ」の第10使徒サハクィエルのくだりでもちょっと触れたかと思うのですが、超常現象ファンならば知らない者はいないといわれる、1908年6月30日にロシアの中央シベリアで発生した「ツングースカ大爆発」とそっくりじゃあーりませんか。あのときのロシアは帝国でしたけど。
今回の隕石墜落現象は、ツングースカ大爆発よりもだいぶ西の人里に近い地点で発生したということで人的被害も大きかったわけなのですが、それだけにさまざまな動画が記録されたことは非常に意義深かったと思います。死者の発生が今のところ確認されていないことも不幸中の幸いといいますか。あと、ゾンビの発生が確認されてないこともなによりだね!
21世紀を生きる私たちだってこんだけ動揺するんですからね……いにしえの人々がこういった天体現象に遭遇して、なにかしらの人智を超えた存在の意志なり、時代が変わる予兆のようなものを感じとるのも無理からぬことですわな~。畏ろしなんどもおろかなり。
さてさて、今回もだらだらとくっちゃべっていく駄文のお題はタイトルの通り。いささか過激なあおり文句になりましたが、内容はもうまったくそのまんま! 最近ずっと読んでいた、今をときめく人気小説家の道尾秀介さんについてのつれづれでございます。
あの~、振り返ってみれば昨年2012年の5月から、100万部超えのベストセラー『向日葵(ひまわり)の咲かない季節』を皮切りに、今をときめく直木賞作家の道尾秀介さんの単行本化された作品をざーっと読んでみようというこころみを続けていたのですが、今月になって自分の中である程度の区切りがつきましたので、ここらで一回まとめさせてもらおうと思いました。
売れっ子作家・道尾秀介さんの諸作品(単行本12作)を約1年間かけて読んだ、私なりの結論。
世間の「~賞受賞!」とか「この~がすごい!」にだまされるな!! 私そうだいは道尾秀介さんの作品はもう読みません
はい~、こういうことに落ち着いたんですねェ~。これ、「落ち着いた」って言えるのか?
みなさんもしかしたら、こういうことを言い放っている私がなんか、ビッキビキに青筋をおったてながら道尾さんの単行本を残らず全部ビリッビリにやぶり裂いて粉々にして、水に溶かしてまた固めて千代紙にして折鶴をおって心をしずめようとしている、超荒ブルな姿を思い描いてしまうのではないのでしょうか。
いやいや、そんなことはないんですよ。なんだか私はここにきて、自分でもビックリするくらいに心おだやかに、実にすがすがしい思いで道尾さんの著作活動にさよならを告げておるのであります。
「うん……なんか、ありがとう! 正直いって感謝はしてないけど、ありがとう……お逝きなさい!」
みたいな。ヘンにすっきりした気分なんですよねぇ。
私が読んだ道尾作品というのは、つい昨年に刊行された連作短編集『光』をのぞけば、だいたい初期から刊行された順番に沿っている道尾さん単独名義の単行本12作で、すべてが文庫本になっているものばかりでした。
リストにまとめてみれば、以下のようになります。ついでになんで、たぶん読むことはないんでしょうが、私が読まなかった道尾さんの最近の著作もそのあとにまとめてみました。ちなみに、2013年2月の時点では道尾さん唯一のエッセイ単行本となっている『プロムナード』(2010年5月 ポプラ社)は、フィクション作品ではないので除外しています。読む義理なかりけりとぞ。
もう読んだ道尾秀介の単行本作品
『背の眼(上・下)』(2005年1月 幻冬舎文庫)
「霊現象探求所」を構える真備(まきび)庄介とホラー小説作家の道尾秀介が活躍するシリーズの長編第1作
2004年の第5回ホラーサスペンス大賞特別賞受賞
2012年3月に BS日本テレビでスペシャルドラマ化(監督・小松隆志、主演・渡部篤郎)
『向日葵の咲かない夏』(2005年11月 新潮文庫)
2006年の第6回本格ミステリ大賞・小説部門候補
『花と流れ星』(2009年8月 幻冬舎文庫)
真備庄介シリーズの短編集
・『流れ星のつくり方』(2005年3月)
2006年の第59回日本推理作家協会賞・短編部門候補
・『モルグ街の奇術』(2005年8~9月)
・『オディ&デコ』(2009年5月)
・『箱の中の隼』(2006年10~11月)
・『花と氷』(2008年5月)
『骸(むくろ)の爪』(2006年3月 幻冬舎文庫)
真備庄介シリーズの長編第2作
『片眼の猿』(2006年3~9月 新潮文庫)
『シャドウ』(2006年9月 東京創元社創元推理文庫)
2007年の第7回本格ミステリ大賞・小説部門受賞
『ソロモンの犬』(2006年12月~07年8月 文藝春秋文春文庫)
『ラットマン』(2007年6~9月 光文社文庫)
2008年の第21回山本周五郎賞候補
『カラスの親指』(2007年8月~08年4月 講談社文庫)
2009年の第140回直木賞候補、第30回吉川英治文学新人賞候補、第62回日本推理作家協会賞・長編部門受賞
2012年11月に映画化(監督・伊藤匡史、主演・阿部寛)
『鬼の跫音(あしおと)』(2009年1月 角川文庫)
短編集
2009年の第141回直木賞候補、第22回山本周五郎賞候補
・『鈴虫』(2007年8月)
・『犭(ケモノ)』(2008年4月)
2009年の第62回日本推理作家協会賞・短編部門候補となるが、長編及び連作短編集部門との同時候補は認められていないので辞退
・『よいぎつね』(2007年4月)
・『箱詰めの文字』(2006年11月)
・『冬の鬼』(2008年3月)
・『悪意の顔』(2007年10月)
『龍神の雨』(2009年5月 新潮文庫)
2010年の第12回大藪春彦賞受賞、第31回吉川英治文学新人賞候補
『光』(2009年12月~12年4月 光文社)
連作短編集
読んでいない道尾秀介の単行本作品
『光媒の花』(2007年3月~09年2月 集英社文庫)
連作短編集
2010年の第23回山本周五郎賞受賞、第143回直木賞候補
『カササギたちの四季』(2008年4月~09年12月 光文社)
連作短編集
『ノエル a story of stories』(2008年4月~12年4月 新潮社)
連作短編集
『球体の蛇』(2009年2~7月 角川書店角川文庫)
2010年の第142回直木賞候補
『月と蟹』(2009年10月~10年6月 文藝春秋)
2011年の第144回直木賞受賞
『月の恋人 Moon Lovers』(2010年5月 新潮社)
2010年5~7月にフジテレビ月曜夜9時枠で放送された連続ドラマ(主演・木村拓哉)の原作
『水の柩』(2010年10月~11年6月 講談社)
『笑うハーレキン』(2012年1~10月 中央公論新社)
こんな感じなんですけどね。
道尾さんは、書籍のかたちで読める小説家デビューは2002年(講談社『ショートショートの広場 第13巻』収録作)なのだそうですが、単独名義で最初に単行本を刊行したのが2005年ということで、知名度の高さの割には、思ったよりも著作の数が多くはないんですよね。だいたいの人気作家さんのパターンにおいて、はじめハードカヴァーか新書版ノベルスの形で刊行された単行本は2~3年後に文庫本になって再発売される流れになっているのですが、道尾さんの場合はここ最近になってようやく文庫版の数が未文庫化の単行本の数を上回るようになったばかりという日の浅さなんですよね。若々しいね~。
私はいちおう、基本的にはそのキャリアに沿って作品を読んできたわけなのですが、最後に読んだ『光』だけが飛びぬけて直木賞受賞後の最新作になっているのは、この『長岡京エイリアン』でも当時つづったかと思うのですが、昨年の6月15日に JR東京駅近くの丸善書店でおこなわれた『光』の刊行記念サイン会にミーハー面をぶら下げて参加したからだったのであります……その当時には、まだ道尾さんの作品は2作くらいしか読んでなかったのにね。女性ファン多かったな~! 確かに、実物の道尾さんは非常に男前でしたわ。
このサイン会参加からもおわかりのように、なにかと気の早い私はすでにその時点で道尾さんの文庫本をほぼすべて買い揃えて家の片隅に山積みにしていたのですが、それらも消化して、最後にとっておいたハードカヴァーの『光』も読み終えたのが、今月2月の初旬ごろ。つまり、道尾さんの作品に関しては、最長で実に「8ヶ月」寝かせたまんまだった、ってことになんのね……読書ペースが遅すぎるよ~!!
でも、上には上がある。現在の私の家にはさらに、買ったは買ったのに「4年」読まないままになろうかとしている村上春樹の『1Q84 BOOK1』と『 BOOK2』が!! もちろんハードカヴァーのやつ。だって、めんどくせぇんだもん!! さすがに今年中には読むと思いますけど……
さて本題に戻りますが、私がことここにいたって道尾秀介の作品を読まないと宣言したのは、いくつかの要因からじょじょに累積してきつつあった、私なりの「もう道尾秀介はたくさん!」という満腹感がピークに達したからなのでありました。いや、満腹感っていうよりは……膨満感? 飽和感? 倦怠感?
そして、直木賞まで獲得したこの人気作家のどこにそんなに飽きがきてしまったのかといいますと、それは一言でいいあらわすのならば、
「作品世界のカメラピントのガッチャガチャ感」
ここよね。これについてけなくなっちゃったの。
私は中学生時代から非常に視力が悪くて、メガネなりコンタクトレンズなりを手ばなせない生活をもうかれこれ20年ちかく続けてきております。
こういう両目と長年連れ添ってきますと、もはや遠くの文字が読めないとか物の輪郭がボンヤリしているとかいった問題はどうでもよくなってきてしまうのですが、それは見える風景全体が共通のピントでボヤ~ッとしているから慣れることができるのでありまして、たまにメガネを新調したりすると初日によく生じることなのですが、近くの物体と遠くの物体での見え方に大きな差ができてしまうと、私はすぐに酔って気持ち悪くなってしまい、そうそう長時間は新しいメガネをかけ続けられないという状態になってしまいます。そこからじょじょに目を慣れさせていくわけなんですが、目の悪い方にはこの感じ、わかりますかね?
メガネいらずの視力のいい方ならば、暗いところから明るいところにパッと移動させたとき、またはその逆をしたときに、なかなかレンズのピントが合わなくなっていつまでも写っている対象がボンヤリしたりはっきり見えたりの繰り返しを続けているカメラを想像していただければわかりやすいかと思われます。こういうのは見ていて気持ちが悪いというか、どこを見ればいいのかがわからなくて瞬時にストレスがたまってしまいますよね?
これなんですよ。私が多くの道尾作品について感じるストレスは、これと感覚がまったくいっしょなんです。要するに、道尾さんが物語の中でクローズアップさせる事象とクローズアップさせない事象とのバランスが、私の感覚とかなりズレているから疲れていたんですね。
たぶん、道尾さんの諸作品を絶賛する方は、そこらへんのリズムが道尾さんと似通っているのでしょうが……12作品読んで私は確信したわけです。「あぁ、これはお金を払っているんだから、無理して私が合わせようとすることもないんじゃなかろうか。」と。おれは降りるゼ!
はっきり言わせていただきますと、道尾さんは物語の中に登場する「子ども」にピントを合わせすぎ。しかも、その「子ども」というのも、どうやら道尾さんの実体験から類推した種類の子どもしか出てこないんだから、2~3冊くらい読んだら「あぁこの子、前にも出てたよね。」って感じになってしまうのです。
道尾さんの作品を読んでいると、あまり物語の筋とは関係のない部分、特に男子から見た女子へのアプローチや男子同士の他愛のない遊びに関するエピソードでかなり詳細な描写が出てきて、「そういや、そんなこともしてたなぁ~。」なんて気分になるのですが、読者の多くの方々は、それが意外と物語全体の雰囲気づくりにも、それをやっている登場人物のキャラクターにもさほど影響を与えてこないことに気づかれるかと思います。そこから感じられるのは、単に「この作者、そんなことよく憶えてたな~。」くらいのフ~ン感だけなんですよね。
そしてそれとはまったく逆に、道尾さんのピントの合わせなさ加減がテキトーにも程があるのが「大人」なんじゃないかと思うんです。
たとえば『シャドウ』とか『龍神の雨』の真犯人なんかは、ほんとに「読者をビックリさせるためだけにしか物語に呼ばれてきてないお人形さん」ですよね。いや、そりゃあ世界は広いからそんな人もこの世のどこかにはいるのかも知れませんが、いくら道尾さんが矛盾のない真相の説明をしたところで、真犯人がそういうことする人間に育ってしまった経緯というか、人生の存在がまったく信じられないのです。どんなに予想だにしなかった怪事件だったのだとしても、「読者にわかろうとする興味を持たせない問題」なんだったら全然驚く気にもなれないんですよね。それは、伏線がちゃんと張られているとかいうルール上のことじゃなくて、まず最初にその問題に読者が参加する気になるかどうかの話なんですよ。
つまるところ、道尾秀介の小説世界にはカメラピントの均等な距離感というか、世界を公平に見渡す遠距離からの視点がない。自分の語りたいこと、見たいことは克明に描写しますが、興味のない物事は「それがないと物語が進まない or 終わらないから仕方なく出してやってる」というくらいのそっけなさで処理しているのです。道尾作品に登場する道尾さんの実年齢より上の世代の登場人物たちの魅力のなさといったら、もう……『ラットマン』なんか、感動とは真逆の涙があふれてきますよ、「あの中高年の無残な扱われかたは何だ!」と。
現在30代前半の、道尾さんよりも年下の私がそう感じるんですからね。道尾ワールドの「年上蔑視観」は筋金入りですよ~。
いや、「蔑視」というのは違うか。道尾さんは年上の人々が自分と同じ幼少時代と青春時代を通りすぎてきた、同じように血のかよった人間であることを「無視」しているんです。そして、そこは無視しているくせに物語の歯車には、そのように活きることさえも許されていない哀れな大人たちをバンッバン投入してこき使っているのです。悪代官だ……道尾秀介は、ピーターパンの格好をした悪代官だ!!
別に私は、小説家たるもの年上の人々を尊敬すべしとか、登場人物全員を平等に扱うべしとか、すべての情景の描写に全力を注ぐべしとか、そんな画一的で優等生的なことを要求しているのではありません。
ただ、それでごはんを食べて家族をやしなっているプロフェッショナルであるのならば、「自分がつまらない気分でおざなりに書いているもの」を堂々と商品の大事なところに組み入れるなと言いたいんです。直木賞作家だかなんだか知りませんが、あんたが力を抜いてる仕事をお金を払ってでも読もうとするような人間ばっかりの世の中だと思うなよ、と!
あともうひとつ、たとえ自分の創造したキャラクターだったのだとしても、ミステリー物の真犯人とかハードボイルド物のやくざ者みたいな「汚れ役を引き受けてくれる役」には、それがどんなに下劣な人物だったのだとしても、それなりの礼と愛を尽くすべきだと思うんです。そうしないとキャラクターは必ずうすっぺらくなり、そのうすっぺらさで、作品全体も安っぽい底が知れたものになってしまうんですよ。「鎖の強さはいちばん弱い輪っかの部分で決まる」とはよく言ったものです。
それらの点もかんがみますと、私が読んだ12の道尾作品のランキングは以下のようになるわけです。
1位 『光』
2位 『向日葵の咲かない夏』
3位 『龍神の雨』の本文じゃなくて新潮文庫版の橋本満輝さんによる解説
4位 『カラスの親指』
……それ以外の作品は、さしあたって読む必要なし
こういう感じ。
つまるところ、私が最後に読んだ比較的最新作の『光』は、主人公がモロに道尾さんの投影としか思えない少年になっていたために道尾さん特有の「視界のゆがみ」がうまく少年に重なりあって違和感が薄くなっていたことと、物語の悪役に当たる人物がそれまでの作品に比べればだいぶ人間らしく描かれていたことが決め手になりました。エピローグで判明するちょっとしたサプライズが、果たして読者をびっくりさせる以外にどんな意味があるのかはわかりませんが。
ベストセラーの『向日葵の咲かない夏』もまた、少年が主人公になっているお得意のパターンであるのですが、「物語の世界がゆがみまくっているのは作者の力量不足じゃなくてこいつのせいです。」という前代未聞の責任転嫁がなされているため、感動からは程遠いものの、その道尾さんの尋常でない度胸のすわり方にミョ~に感心してしまいました。おもしろい人だな~と。こんな作品を読んでバカ正直に陰鬱な気分になる人って、いるんですかね? これは100% 笑いとばしながら読み進められるコメディ小説ですよ。
3位はほんとにおもしろかった! 『龍神の雨』本編はまさしく箸にも棒にもひっかからない内容なんですが、この解説の良さを知るために必要だった何百ページ分かの状況説明だったんだな、と自分に言い聞かせて心を落ち着けました。
この橋本さんって、どうやら道尾さんの飲み友達のライターさんらしいんですが、橋本さんにこの解説文の執筆を依頼したというだけで、この『龍神の雨』にかんする道尾さんの仕事は終わっていたと思います。道尾さんは本当にいい交友関係をお持ちですね!
4位はラスト50ページくらいまでは楽しく読めていたのですが、最後になってどたばたと詰め込まれてきたどんでん返しの結末にもんのすごく納得のいかない点がありましたので、「まぁ時間つぶしにはなるんじゃないっすか。」くらいの評価に落ち着きました。私はつい数年前まである道を目指しておりましたものでね……その展開にはまるでリアリティが感じられない!! どんだけ才能があるんだって話ですよ。そんな奴はそんな感じにうらぶれてはいない。
ちなみに、私は昨年に公開された映画版の『カラスの親指』は観ておりません。どうやら原作を忠実に映像化したとは言いがたい結末の展開の変更があったらしいのですが、「上映時間160分」じゃあ確かめる気にもなりませんわな。なに、この映画の監督は自分が黒澤明なみの巨匠だとでも思ってるんですか?
まぁ、結局はいつもどおり、鼻息荒くいろんなことを言わせていただきましたけどね……
とにかく、いちばんおもしろいと感じた作品がごく最近の『光』だったということもあるし、道尾秀介という小説家が現在進行形で成長しつつある才能であることはわかっています。だから、かなり高い確率で、私がまだ読んでいない最近作のほうに良作がいっぱい隠れていることも充分に考えられます。直木賞受賞作もそこにあるわけですしね。
そこは私もじゅうじゅうに承知しているつもりなのですが、同時に10作前後も辛抱しながらさほどおもしろくも感じない諸作を読んできたという疲労感もある今現在の実感としては……あんたとはも~付き合っとれんわ! なんですよね。
まぁ、誰に頼まれたでもなく、私が勝手に読み続けてきただけなんですけれども、いちおうは書店の立ち読みで済ませず、ブックオフも使わずにぜ~んぶ新品で買い揃えたこともありますし、いち消費者として言いたいことは言わせていただこうかな、と思った次第だったのでした。完全に個人的なストレス発散企画になっちったね、コレ。
道尾秀介先生のこれからのさらなるご活躍を、謙譲の表現ではなく正真正銘、心の底からの実感で「かげながら」応援させていただきます! フレ~、フレ~、み・ち・を~。
今回の教訓
特別賞あつかいだったホラーサスペンス大賞は別としても、私の読んだこれらの作品に本賞をあたえた「本格ミステリ大賞」と「日本推理作家協会賞」と「大藪春彦賞」は、だいたいその程度の賞だと理解しておこう☆