どわ~いっと! どうもこんばんは、そうだいでございます~。みなさま、土曜日の今日も働いてたよね、よね!? まぁ大きく考えれば、生きてるということそのものが、仕事とか遊びとかいう境界線なんかあんまり意味のない真剣勝負の連続なんですからね、お疲れさまでございました~。
ということもへったくれもないんですけどね、やっぱり忙しいの、今月も! 明日ももちのろんでお仕事なのよ~。
そんな中なんですが、昨日がお休みだったので、そうとう久しぶりに映画を観てきました。今回はそれについてちょちょっと。
観てきたのは、これ!
映画『ヒッチコック』(2012年アメリカ 上映時間98分)
監督 …… サーシャ=ガヴァシ(46歳)『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』(2009年)
脚本 …… ジョン=マクラフリン 『ブラック・スワン』(2010年)
原作 …… スティーヴン=レベロ『アルフレッド=ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』(1990年 白夜書房刊)
音楽 …… ダニー=エルフマン(59歳) ティム=バートンの映画音楽とかいっぱい
おもな出演(役名の年齢は『サイコ』撮影当時のもの)
アルフレッド=ヒッチコック(60歳)…… アンソニー=ホプキンス(74歳)『世界最速のインディアン』(2005年)
アルマ=レヴィル(60歳) …… ヘレン=ミレン(67歳)『クィーン』(2006年)
ジャネット=リー(32歳) …… スカーレット=ヨハンソン(27歳)『ゴーストワールド』(2001年)
ヴェラ=マイルズ(30歳) …… ジェシカ=ビール(30歳)『テキサス・チェーンソー』(2003年)
アンソニー=パーキンス(28歳) …… ジェームズ=ダーシー(37歳)『クラウドアトラス』(2012年)
ウィットフィールド=クック …… ダニー=ヒューストン(50歳)『タイタンの戦い』(2010年)
ペギー=ロバートソン …… トニ=コレット(39歳)『ミュリエルの結婚』(1994年)
ルー=ワッサーマン(47歳) …… マイケル=スタールバーグ(44歳)『シリアスマン』(2009年)
ジェフリー=シャーロック …… カートウッド=スミス(69歳)『ロボコップ』(1987年)
バーニー=バラバン …… リチャード=ポートナウ(65歳)
ジョセフ=ステファノ(38歳) …… ラルフ=マッチオ(50歳)『ベスト・キッド』(1984年)の主演!
バーナード=ハーマン(48歳) …… ポール=シャックマン(?歳)
ソウル=バス(40歳) …… ウォレス=ランガム(47歳)←出てた? ぜんぜん気がつかなかった……
エド=ゲイン(53歳) …… マイケル=ウィンコット(54歳)
『ヒッチコック』は、サーシャ=ガヴァシが監督し、スティーヴン=レベロのノンフィクション作品『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』を原作とした2012年のアメリカ合衆国の映画である。2012年11月にアメリカで公開。日本では2013年4月5日の公開。上映時間98分。20世紀フォックスのインディペンデント系子会社「フォックス・サーチライト・ピクチャーズ」他の製作。
アルフレッド=ヒッチコック監督による映画『サイコ』(1960年)の製作舞台裏を描く作品である。撮影期間は2012年4月13日~5月31日。
音楽を担当したダニー=エルフマンは、ガス=ヴァン=サント監督によるリメイク版『サイコ』(1998年)でも、バーナード=ハーマンの作曲作品を再構成していた。
あらすじ(パンフレット本文より)
世界で最も有名なフィルムメイカーで、没後30年を超えた今もなお、「サスペンスの神」と称えられるアルフレッド=ヒッチコック。彼を叱咤激励し、新作製作のたびに立ちはだかる幾多の逆境を共に乗り越えた女性がいる。優れた映画編集者にして、ひらめきに満ちた脚本家であり、常に厳しいアドバイザー、ヒッチコックが唯一人信頼するパートナーでもある、妻のアルマだ。ノークレジットで脚本を書き直すなど、ヒッチコックとアルマのコラボレーションを知るごく一部の関係者と評論家たちが、彼女なくしては数々の傑作は生まれなかったとまで断言する存在なのだ。神と、その神を創った妻と……二人の天才の知られざる物語が今、明かされる!
1959年。それまでに46本の作品を世に出し、60歳になってもなお、ヒッチコックは唯一無二の映画を作りたかったが、作品の高評価とは裏腹にアカデミー賞には縁遠かった。そんな彼が次に目をつけたのは、実在の猟奇殺人犯エド=ゲインをヒントに書かれた小説『サイコ』。ところが、内容を知った映画会社には出資を断られ、アメリカ映画協会(MPAA )には殺人シーンの公開は許可できないと突っぱねられる。ヒッチコックは、自己資金で製作を開始するが、映画史上かつてないシーンの撮影にトラブルは山積み。最強の味方のはずのアルマは魅力的な脚本家クックとの共同執筆に熱中し、夫婦の絆まで揺らぎ始める。ヒッチコックは過労とプレッシャーから倒れ、アルマの助けで何とか撮影は完了するが、第1回の試写の評判は最悪。だが、互いの関係を見つめなおした二人の鮮やかな逆転劇が始まった!
いや~、これはやっぱり観ないわけにはいきませんでしたねぇ、私といたしましては。
映画『サイコ』とか、その周辺についてはいつだったか昔に我が『長岡京エイリアン』でも取りあげたことがあったのですが、この『ヒッチコック』はなんと、その『サイコ』の製作舞台裏を描く「ノンフィクション風味」のフィクション作品なのだそうで!
まさか、映画監督ヒッチコックその人が作中の登場人物、しかも主人公となる映画が世に出るとは……いや、ヒッチコックさん本人の「出演」経験はいうまでもなく無数にあるわけなのですが、こうやって物語の渦中の人物として作品製作に苦心惨憺する姿は、本人の自己演出もあいまってほとんど映像化されることはなかったのです。そこに今スポットライトが!
そんなワクワク感を胸に、若干ハードルを上めにしながら映画館に向かったのですが……作品が始まる前に、まずひとつビックリ。お客さんが少なすぎるよ!! 金曜日の夜の最終回に行ったら、私も含めてお客さん3名! それも私がたぶん最年少の、おじさん3人が座席にパラ、パラ……ちょっと待ってよ、グッバイやさしいこ~え~で~!!
どうやら、今月4月の第2週までの時点での映画ランキングは春休み・新学期の勢いもあってかアニメ作品の伸びに著しいものがあり、『ドラゴンボールZ 神と神』、ディズニーの『シュガー・ラッシュ』、『ドラえもん のび太のひみつ道具ミュージアム』、『プリキュアオールスターズ・ニューステージ2 こころのともだち』といった顔ぶれがこぞってそれ以降の新作を押しのけて上位陣を守り続けているという異常事態になっているのです。いや、今現在の日本ならば、これが「常態」なのでありましょうか……
実写作品をみても、同じくちょい前から始まった邦画の『プラチナデータ』と『相棒 Xデイ』が気を吐いているくらいで、洋画にいたっては『オズ はじまりの戦い』のみのベスト10入り。
こんなわけで、『ヒッチコック』はなかなか地味目なスタートにあまんじているのでした……でも、アンソニー=ホプキンスとヘレン=ミレンの夫婦なのよ!? おもしろくないわけがないんだけどなぁ!
そんじゃま、前置きはここまでにしておきまして単刀直入に、私が映画館に行って観てきた、『ヒッチコック』の感想をば。
出演陣、やっぱり「さすが」の豪華共演!! でも、脚本の創作部分がにんともかんとも凡庸……なぜ『サイコ』に集中しない!?
こういうことでしたねぇ~、わたくしといたしましては。ともあれ、よく思った部分にしろよくないと思った部分にしろ、考えごとの材料を数多く提供してくれるとっても楽しい映画ですね。
まず、なにはなくとも第一に語らなければならないのは、前代未聞の「主にふとってハゲるだけ」という、聞いただけでは恐ろしく夢のない特殊メイクをほどこされた主演のアンソニー=ホプキンスの存在感ですよね。このメイクは撮影前にできあがるまでに毎回90分かかっていたというのですが、相変わらずファンキーでセクシーながらもいちおう70代なかばの高齢者であるホプキンスへの肉体的負担を考慮して、可能なかぎり時間を短縮した成果なのだそうです。確かに、あれで2時間かからないっていうのはものすごいですね……
ところが、映画本編をご覧になった方ならおわかりかと思うのですが、ホプキンスのヒッチコックは非常にリアルに肥満してはいるものの、どのアングルから彼をとらえてもヒッチコック本人に見える、という域には達していません。むしろ、多少ふとめではあっても、「どこからどう見てもホプキンス」な角度があらゆるシーンで満載になっているのです。
ただし、どうやらこれは「単なるそっくりショーではなく、ホプキンスの演技をより強く活かすための助けにとどめたい」というサーシャ=ガヴァシ監督の演出意図があったため、上の時間短縮もさることながら、ホプキンスの表情を覆い隠すメイクはなるべく避けるという判断がとられた結果のようです。なるほど。
そうした上でヒッチコックにふんしたホプキンスを観た私の印象なんですが、やっぱりアンソニー=ホプキンスはとにかく「眼」が個性的なんですよね~!! どんな役をやっていても、その瞳に浮かぶ「人生の説得力」がおそろしくかっこよくて魅力的。かなり反則的な強力さで、その眼がホプキンスの演じる役それぞれに生命力を持たせているのです。そりゃあもう、『世界最速のインディアン』を観ればよくおわかりでしょう。これさえあれば、どんな荒唐無稽な役柄をやっても大丈夫! ただし、ちょっとやそっとのヘンな役はホプキンスはなかなかやりませんけど。
ハリウッドスター総出演で『おそ松くん』をやるとしたら、ホプキンスにはぜひとも「デカパン先生」をやってほしいなぁ。ぜったいに戦闘指揮経験のあるデカパン先生ですよ。バカボンはやっぱりマット=デイモンだろうなぁ。
話を戻しますと、その眼力ゆえに、その目が見えるカットのホプキンスは、もれなくホプキンスその人にしか見えません。ところが、目のよく見えない後ろ向きとか横顔とか、暗がりでのカットはヒッチコックそのものなんですよね~。その特徴的な体型のシルエットがいろんなシーンで活用されたりもしてて。
そういうわけで、冒頭にホプキンスが出てきてとうとうと語り始めたときに、私は瞬間的に思ったよりもホプキンスなヒッチコックに多少の違和感をおぼえてしまったのですが、これは時間を追うごとに氷解していき、「あぁ、これはホプキンスでいいんだ。ホプキンスを隠すなんて、キャビアを昨日のすき焼きにぶちこむようなもんだ。」という思いにいたったわけなのです。
この『ヒッチコック』でのホプキンスの演技は、周囲の期待値のハードルが高すぎる中で、誰も予想することができない、いまだかつてないサスペンス映画『サイコ』を自費制作でつくりあげるという、とてつもないプレッシャーにさいなまれながらも奮闘するヒッチコックの姿を、「なるべく最小限の感情のゆれ」におさえつつ、非常に精巧に形にしているといった印象でした。
ヒッチコックは、その当時1955~65年に自身が監修を務めていた TVのミステリードラマシリーズ『ヒッチコック劇場』のストーリーテラー(『世にも奇妙な物語』のタモリさんの超先輩)としても有名になっていたのですが、仕事中はパブリックでも舞台裏でも、必ずその巨体を特注スーツに首元までキュキュッと黒ネクタイ姿でビシッときめるというポリシーを、その持ち前のロンドンっ子魂で貫き通しており、それは今回の『ヒッチコック』でもおなじこと。つまり、どんなに精神的にギリギリの状態に追い詰められても、どんなに撮影スケジュールがのっぴきならないことになっても、どんなにまわりの偉い人たちから「こんな映画、公開できるか! ヒッチコックオワタ。」とののしられても、基本的にまったく動じていないていで表情ひとつ変えず、いつものスーツ姿で特製のでかいディレクターズチェアにふんぞりかえっているのです。
そんな感じなので、ホプキンスの顔は劇中ではよっぽどのことがないかぎり、その叫びだしたい逆境地獄の苦しみを正直に吐露することはなく、むしろ冷徹無比な演出家としてスタッフや俳優たちの才能を見極める、その機械か爬虫類のような温度のない目の動きだけに演技を集中させているかのような省エネ感があります。でも、この視線がいかにもホプキンスの専売特許なんだよなぁ! ヒッチコックに似ていないのに、その存在に説得力がある。これぞまさしくアンソニー=ホプキンスの「乗っ取り芸」であります。
乗っ取り芸! そうなのよ、ホプキンスは今までいろんな「先行イメージのある有名人物」の役を演じてきましたが、彼は物まねが天才的にうまいわけではないのです。ただ、本人に匹敵する「本物らしさ」を芯に持っているだけ。でも、これだけで最強なんですよね。
ここでちょっと、ホプキンスの偉大なる経歴の「ほんの一端」をまとめてみましょう。
もはや「ひとり世界史」!! アンソニー=ホプキンスが演じたいろんなお偉いさん&名キャラクターたち
1968年『冬のライオン』(30歳、映画デビュー作)
イングランド国王リチャード1世獅子心王(1157~99年)
1976年『エンテベの勝利』(38歳)
イツハク=ラビン首相(1922~95年 イスラエルの指導者)
1977年『遠すぎた橋』(39歳)
ジョン=フロスト中佐(1912~93年 イギリス陸軍第1空挺師団第1空挺旅団第2大隊長)
1981年『地下壕 ヒトラー最期の日』(43歳 TV 映画)
アドルフ=ヒトラー(1889~1945年 ドイツ第三帝国総統)
1984年『バウンティ 愛と反乱の航海』(46歳)
ウィリアム=ブライ(1754~1817年 イギリス海軍中将)
1991年『羊たちの沈黙』(53歳 アカデミー主演男優賞受賞)
ハンニバル=レクター(1938年~? いわずと知れた人食い大先生)
1992年『ドラキュラ』(54歳)
エイブラハム=ヴァン=ヘルシング教授(60歳前後 泣く子もだまる吸血鬼ハンター)
1993年『永遠の愛に生きて』(55歳)
クライヴ=ステープルス=ルイス(1898~1963年 『ナルニア国物語』シリーズの作者)
1994年『ケロッグ博士』(56歳)
ジョン=ハーヴェイ=ケロッグ博士(1852~1943年 ケロッグコーンフレークの創始者)
1995年『ニクソン』(57歳)
リチャード=ニクソン(1913~94年 アメリカ合衆国第37代大統領)
1996年『サバイビング・ピカソ』(58歳)
パブロ=ピカソ(1881~1973年)
1997年『アミスタッド』(59歳)
ジョン=クィンシー=アダムズ(1767~1848年 アメリカ合衆国第6代大統領)
1998年『マスク・オブ・ゾロ』(60歳)
ドン=ディエゴ=デラベガ(初代ゾロ)
2004年『アレキサンダー』(66歳)
プトレマイオス1世(紀元前367~紀元前282年 プトレマイオス朝エジプト王国初代国王)
う~ん、紀元前から現代まで! 世界最速で時をかけるファンキーじいちゃん、それがアンソニー=ホプキンス卿(大英帝国勲章第3位コマンダー)なんでありますなぁ~。ちなみに、アルフレッド=ヒッチコック卿はホプキンスの1階上の大英帝国勲章第2位ナイトコマンダーであらせられます。ヒッチコック卿の同位にはビル=ゲイツ、ホプキンス卿の同位には日本の蜷川幸雄がいるぞ! 見上げたもんだよ屋根屋のふんどし!!
話を『ヒッチコック』に戻しますが、こういった最低限の動きしか見せない演技によって心憎いまでに効いてくるのが、後半にいくにつれてチラチラと漏れてくるヒッチコックの「本音」の爆発で、妻アルマとのうまくいかない関係や『サイコ』撮影中に次々と生じるトラブル、そしてそれらを乗り越えたクライマックスに訪れる世紀の大傑作映画の誕生……この流れの中でちょっとずつだけホプキンスが見せる「いかにもホプキンスらしいダイナミックな動き」が、ほんとに「待ってました!」という感じでいいんですよねぇ。抑制と爆発。これぞ、己の持ち味を熟知している者のみが生み出せる名人芸であります。
クライマックス、怖いもの見たさの紳士淑女で満員御礼となった『サイコ』公開初日のロビーでホプキンスが見せた「狂喜乱舞のてい」は、単に成功を確信したヒッチコックが喜びました、という通りいっぺんの枠には当然おさまりきっておらず、不安と緊張にさいなまれ続けた日々が一瞬にしてチャラになる驚くべき芸術の奇跡と、そこに人生の全てを賭けるというヒッチコックの「業」を見事にホプキンスが体現してみせた、名優ならではの真骨頂だったと思います。ここでのホプキンスの身体のかろやかさといったら、もう!! これこそが、年齢も体力も容姿も性別も関係ない「まことの花」ですよね。
さて、字数が例によってかさんできたので、映画『ヒッチコック』のほめどころは、ここまでにしておきましょうか……
え? ホプキンスのことしか話してないって? そうなんですよ、それでいいんです。
この映画、手ばなしでほめられるのはアンソニー=ホプキンスの演技だけなんです。
まぁ、すべての元凶は脚本ですよね、やっぱ。
この『ヒッチコック』は、物語を必要以上にわかりやすいものにしているというか、せっかくの天才夫婦のお話であるはずなのに、その2人に襲いかかる数多くのトラブルの中でも最大のものをなんと、「お互いの不倫疑惑」にしてしまっているのです。くだらねぇ~!
しかも、その疑惑だって妻アルマと親友の脚本家クックとのくだりはどうやら原作ルポにもない映画オリジナルの創作であるらしいし、ヒッチコックと出演女優とのほうもまぁあるにはあったのかも知れないのだとしても、それを35年も連れ添っておいて今さら『サイコ』の撮影時にアルマがかぎつけて乙女のように憤慨するという必然性がどこにも説明されていないのです。そりゃまぁ、旦那とハリウッドの美人女優とが仲良く仕事をしているのを見ていい気分になる女房はいないと思いますが、それにしてもそのフラストレーションが爆発するきっかけになった創作エピソードがあまりにも貧弱、貧弱ゥウ!!
要するに、『ヒッチコック』は原作のとおりに『サイコ』の撮影舞台裏の精確な記録ドキュメントにしておいたほうがよっぽどましだったんじゃなかろうかと思わせるほど、フィクション作品としての脚本の創作部分がいちいちヒッチコックとアルマの天才性を否定するものであり、邪魔で邪魔でしかたがないんです。
あれですか、製作サイドは熟年夫婦の客層を獲得するために、こんなくだらないレベルの夫婦ゲンカを天下のヒッチコック監督とアルマにさせようとしたんですかね。脚本家はどっかのド田舎の全寮制の女子中学校の文芸部員か!? あんなことで夫婦の関係に亀裂の入る還暦カップルがいるかァア!!
この『ヒッチコック』は、ホプキンスは言うまでもなく、主要なキャストのほとんどが非常にいいお仕事をしています。アルマ役のヘレン=ミレンの頼りがいのある賢妻ぶりもりりしいですし、若い美人女優ながらも同時に母親でもあり、さっぱりした性格で年上のヒッチコックに的確なアドヴァイスを送るジャネット=リー役のスカーレット=ヨハンソンも非常にいい味を出しています。他にはヒッチコックに愛憎半ばする視線を送る専属契約女優のヴェラ=マイルズ役のジェシカ=ビールや、有能な秘書でありプライヴェートでも陰ながらヒッチコックとアルマとの関係を気づかうペギー役のトニ=コレットも良かったですねぇ。でも、私としてはやっぱり、その演技を見たホプキンスが笑いすぎて椅子からころげ落ちたという、神がかったくりそつっぷりを発揮したアンソニー=パーキンス役のジェームズ=ダーシーの「名人芸」が最高でしたね。これはもう、物まねでいいだろ! ほんとに似てんのよ、パーキンスに!! この人がスクリーンに出てくるたびに、もうおもしろくっておもしろくって。残念なのはダーシーさんが30代中盤なので『サイコ』のパーキンスほど若い青年には見えないという点なのですが、まぁ~似てる似てる。この人がガス=ヴァン=サント版の『サイコ』に出たらよかったんじゃね!?
ところが、非常に悲しいことに、『ヒッチコック』は驚くほどに『サイコ』撮影スタジオのシーンが少ないため、これらの輝ける個性がまったく効いてこないのです。これほどおもしろいのに『サイコ』役者陣は残念すぎる出番の少なさだし、例の「シャワーシーン」の1週間以上にわたったという執念の撮影風景だって、ほんのちょっとしか再現されません。ある程度ヒッチコックのテンパリ具合を説明するためのワンシーンとして利用されるくらいのあつかいで、気がつけば「撮影終了いたしました~、撤収で~す。」といった感じ。要するに、あれほどまでに前半にあおられた『サイコ』の難産ぐあいが、後半にメインにすえられた不倫疑惑うんぬんの創作部分に押しのけられてちゃんと描写されないままでクライマックスにひた走ってしまうのです。もったいないにもほどがあるよ!!
結局、このアホらしい低次元脚本のとばっちりをくってしまった最大の被害者はアカデミー女優のヘレン=ミレンさんで、どんなに彼女ががんばってアルマ役を演じてみても、なんだか『サイコ』の製作とあまりにも関係のない擬似ロマンスなエピソードが多すぎて、なに考えてんだかよくわかんない「自分勝手なよろめきおばさん」に見えちゃうんですよね。いや、あんな旦那に愛想を尽かしたくなる気持ちもわからんことはないんですけど、だからといってあんな方向に逃避しますかね……いちおう、映画監督のサポートにかけては世界第一級のプロフェッショナルなんですからね。
あと、こんなブログなんでこれだけは言っておかなくてはならないかと思うんですが、あのエド=ゲインのあつかい、なにアレ。
映画を観たあとで、脚本を書いた人があの『ブラック・スワン』の共同脚本にもかかわっていたという事実を知って納得がいきました。ここでのエド=ゲインみたいな役は、『ブラック・スワン』みたいな変態監督が撮影するから成立するんであって、今回のガヴァシ監督みたいな、フィクションの映画に関してはほぼ新人みたいな元気ハツラツなルーキーが撮ったってダメだって! じぇんじぇん怖くないし、じぇんっじぇん笑えないし!! のこのこ出てくる意味も価値もないごみくずでしたね。あんなんで心の闇が説明されるほど、ヒッチコックは単細胞じゃな~いの!!
映画を観ている途中から、私の中にはこういう確信に似た想いが強くわだかまっていました。
「あぁ、この映画にティム=バートンの『エド・ウッド』(1994年)の100分の1ほどでも、作り手の作品に対する愛が込められていれば!!」
今回の『ヒッチコック』と『エド・ウッド』は、主人公が映画監督とそのパートナーであること、だいたいそれぞれの活躍した時代が近いこと(厳密には『エド・ウッド』のほうが『ヒッチコック』よりも約5年ほど古い)、事実の記録に脚本の創作部分がいくつか足されて作品になっていることなどで共通するポイントがある映画だと私は見ているのですが、とにかく違うのは、やっぱり「この物語を1人でも多くの人に知ってほしい」という作り手側の想いの強さだと思うんです。それはやっぱり、生み出す者が生まれる者にかける、自然界ではあってごく当たり前の「愛」ですよね。
それが『ヒッチコック』には、なかった。あんなくだらない話をガヴァシ監督が本当に撮影したかったのかどうかに、まずものすごく疑問が残るし、そもそもガヴァシ監督がヒッチコックのことを愛しているのかどうかにさえ「?」がついてしまう出来になっていると言わざるをえません。もちろん、こんな映画でガヴァシ監督の才能をおしはかることは不可能です。
『エド・ウッド』の、おそらく現実にはなかったと思われる脚本創作シーンの中でも特に強烈なものに、あまりにも厳しい現実の連続に絶望し、いったん映画の制作を放棄しかけたエドが、押しかけたバーで偶然に、あの「世界最高の映画監督」ともたたえられるオーソン=ウェルズに出くわすというくだりがありました。
「エド。夢のためなら、闘え。」
このオーソンの熱すぎる一言によってエドは再び立ち上がるわけなのですが、『ヒッチコック』の脚本創作部分に、このやりとりの千分の一ほどでも作品の展開に有機的につながる要素があったかね!?
『ヒッチコック』と『エド・ウッド』は、どちらもそれぞれの新作映画の公開初日、上映終了後の映画館前での監督とパートナーとの笑顔で物語が締めくくられます。もちろんどちらのお2人の表情もステキなのですが、後世の人物評や作られた映画の評価などはまったく関係ないものとして、果たしてどちらのほうが観る者に深い感動をもたらす祝福性をたたえているのか……そりゃあもう、歴然としてるよねぇ。そのいかんともしがたい差こそが、映画の「格の違い」というものだと思うんです。
『ヒッチコック』。非常に残念な作品です。老人が若者を搾取する世の中もあってはいけませんが、若者たち(製作スタッフ)が老人の才能をムダ使いする映画だってあっちゃあなんねぇだろう!! 若手ったってそんなに若くもねぇんだから、がんばってきましょうや!
アンソニー=ホプキンスさん、さっさと気を取り直して次なる傑作を世に出していってくださいね~。大いに期待しております!!
ということもへったくれもないんですけどね、やっぱり忙しいの、今月も! 明日ももちのろんでお仕事なのよ~。
そんな中なんですが、昨日がお休みだったので、そうとう久しぶりに映画を観てきました。今回はそれについてちょちょっと。
観てきたのは、これ!
映画『ヒッチコック』(2012年アメリカ 上映時間98分)
監督 …… サーシャ=ガヴァシ(46歳)『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』(2009年)
脚本 …… ジョン=マクラフリン 『ブラック・スワン』(2010年)
原作 …… スティーヴン=レベロ『アルフレッド=ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』(1990年 白夜書房刊)
音楽 …… ダニー=エルフマン(59歳) ティム=バートンの映画音楽とかいっぱい
おもな出演(役名の年齢は『サイコ』撮影当時のもの)
アルフレッド=ヒッチコック(60歳)…… アンソニー=ホプキンス(74歳)『世界最速のインディアン』(2005年)
アルマ=レヴィル(60歳) …… ヘレン=ミレン(67歳)『クィーン』(2006年)
ジャネット=リー(32歳) …… スカーレット=ヨハンソン(27歳)『ゴーストワールド』(2001年)
ヴェラ=マイルズ(30歳) …… ジェシカ=ビール(30歳)『テキサス・チェーンソー』(2003年)
アンソニー=パーキンス(28歳) …… ジェームズ=ダーシー(37歳)『クラウドアトラス』(2012年)
ウィットフィールド=クック …… ダニー=ヒューストン(50歳)『タイタンの戦い』(2010年)
ペギー=ロバートソン …… トニ=コレット(39歳)『ミュリエルの結婚』(1994年)
ルー=ワッサーマン(47歳) …… マイケル=スタールバーグ(44歳)『シリアスマン』(2009年)
ジェフリー=シャーロック …… カートウッド=スミス(69歳)『ロボコップ』(1987年)
バーニー=バラバン …… リチャード=ポートナウ(65歳)
ジョセフ=ステファノ(38歳) …… ラルフ=マッチオ(50歳)『ベスト・キッド』(1984年)の主演!
バーナード=ハーマン(48歳) …… ポール=シャックマン(?歳)
ソウル=バス(40歳) …… ウォレス=ランガム(47歳)←出てた? ぜんぜん気がつかなかった……
エド=ゲイン(53歳) …… マイケル=ウィンコット(54歳)
『ヒッチコック』は、サーシャ=ガヴァシが監督し、スティーヴン=レベロのノンフィクション作品『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』を原作とした2012年のアメリカ合衆国の映画である。2012年11月にアメリカで公開。日本では2013年4月5日の公開。上映時間98分。20世紀フォックスのインディペンデント系子会社「フォックス・サーチライト・ピクチャーズ」他の製作。
アルフレッド=ヒッチコック監督による映画『サイコ』(1960年)の製作舞台裏を描く作品である。撮影期間は2012年4月13日~5月31日。
音楽を担当したダニー=エルフマンは、ガス=ヴァン=サント監督によるリメイク版『サイコ』(1998年)でも、バーナード=ハーマンの作曲作品を再構成していた。
あらすじ(パンフレット本文より)
世界で最も有名なフィルムメイカーで、没後30年を超えた今もなお、「サスペンスの神」と称えられるアルフレッド=ヒッチコック。彼を叱咤激励し、新作製作のたびに立ちはだかる幾多の逆境を共に乗り越えた女性がいる。優れた映画編集者にして、ひらめきに満ちた脚本家であり、常に厳しいアドバイザー、ヒッチコックが唯一人信頼するパートナーでもある、妻のアルマだ。ノークレジットで脚本を書き直すなど、ヒッチコックとアルマのコラボレーションを知るごく一部の関係者と評論家たちが、彼女なくしては数々の傑作は生まれなかったとまで断言する存在なのだ。神と、その神を創った妻と……二人の天才の知られざる物語が今、明かされる!
1959年。それまでに46本の作品を世に出し、60歳になってもなお、ヒッチコックは唯一無二の映画を作りたかったが、作品の高評価とは裏腹にアカデミー賞には縁遠かった。そんな彼が次に目をつけたのは、実在の猟奇殺人犯エド=ゲインをヒントに書かれた小説『サイコ』。ところが、内容を知った映画会社には出資を断られ、アメリカ映画協会(MPAA )には殺人シーンの公開は許可できないと突っぱねられる。ヒッチコックは、自己資金で製作を開始するが、映画史上かつてないシーンの撮影にトラブルは山積み。最強の味方のはずのアルマは魅力的な脚本家クックとの共同執筆に熱中し、夫婦の絆まで揺らぎ始める。ヒッチコックは過労とプレッシャーから倒れ、アルマの助けで何とか撮影は完了するが、第1回の試写の評判は最悪。だが、互いの関係を見つめなおした二人の鮮やかな逆転劇が始まった!
いや~、これはやっぱり観ないわけにはいきませんでしたねぇ、私といたしましては。
映画『サイコ』とか、その周辺についてはいつだったか昔に我が『長岡京エイリアン』でも取りあげたことがあったのですが、この『ヒッチコック』はなんと、その『サイコ』の製作舞台裏を描く「ノンフィクション風味」のフィクション作品なのだそうで!
まさか、映画監督ヒッチコックその人が作中の登場人物、しかも主人公となる映画が世に出るとは……いや、ヒッチコックさん本人の「出演」経験はいうまでもなく無数にあるわけなのですが、こうやって物語の渦中の人物として作品製作に苦心惨憺する姿は、本人の自己演出もあいまってほとんど映像化されることはなかったのです。そこに今スポットライトが!
そんなワクワク感を胸に、若干ハードルを上めにしながら映画館に向かったのですが……作品が始まる前に、まずひとつビックリ。お客さんが少なすぎるよ!! 金曜日の夜の最終回に行ったら、私も含めてお客さん3名! それも私がたぶん最年少の、おじさん3人が座席にパラ、パラ……ちょっと待ってよ、グッバイやさしいこ~え~で~!!
どうやら、今月4月の第2週までの時点での映画ランキングは春休み・新学期の勢いもあってかアニメ作品の伸びに著しいものがあり、『ドラゴンボールZ 神と神』、ディズニーの『シュガー・ラッシュ』、『ドラえもん のび太のひみつ道具ミュージアム』、『プリキュアオールスターズ・ニューステージ2 こころのともだち』といった顔ぶれがこぞってそれ以降の新作を押しのけて上位陣を守り続けているという異常事態になっているのです。いや、今現在の日本ならば、これが「常態」なのでありましょうか……
実写作品をみても、同じくちょい前から始まった邦画の『プラチナデータ』と『相棒 Xデイ』が気を吐いているくらいで、洋画にいたっては『オズ はじまりの戦い』のみのベスト10入り。
こんなわけで、『ヒッチコック』はなかなか地味目なスタートにあまんじているのでした……でも、アンソニー=ホプキンスとヘレン=ミレンの夫婦なのよ!? おもしろくないわけがないんだけどなぁ!
そんじゃま、前置きはここまでにしておきまして単刀直入に、私が映画館に行って観てきた、『ヒッチコック』の感想をば。
出演陣、やっぱり「さすが」の豪華共演!! でも、脚本の創作部分がにんともかんとも凡庸……なぜ『サイコ』に集中しない!?
こういうことでしたねぇ~、わたくしといたしましては。ともあれ、よく思った部分にしろよくないと思った部分にしろ、考えごとの材料を数多く提供してくれるとっても楽しい映画ですね。
まず、なにはなくとも第一に語らなければならないのは、前代未聞の「主にふとってハゲるだけ」という、聞いただけでは恐ろしく夢のない特殊メイクをほどこされた主演のアンソニー=ホプキンスの存在感ですよね。このメイクは撮影前にできあがるまでに毎回90分かかっていたというのですが、相変わらずファンキーでセクシーながらもいちおう70代なかばの高齢者であるホプキンスへの肉体的負担を考慮して、可能なかぎり時間を短縮した成果なのだそうです。確かに、あれで2時間かからないっていうのはものすごいですね……
ところが、映画本編をご覧になった方ならおわかりかと思うのですが、ホプキンスのヒッチコックは非常にリアルに肥満してはいるものの、どのアングルから彼をとらえてもヒッチコック本人に見える、という域には達していません。むしろ、多少ふとめではあっても、「どこからどう見てもホプキンス」な角度があらゆるシーンで満載になっているのです。
ただし、どうやらこれは「単なるそっくりショーではなく、ホプキンスの演技をより強く活かすための助けにとどめたい」というサーシャ=ガヴァシ監督の演出意図があったため、上の時間短縮もさることながら、ホプキンスの表情を覆い隠すメイクはなるべく避けるという判断がとられた結果のようです。なるほど。
そうした上でヒッチコックにふんしたホプキンスを観た私の印象なんですが、やっぱりアンソニー=ホプキンスはとにかく「眼」が個性的なんですよね~!! どんな役をやっていても、その瞳に浮かぶ「人生の説得力」がおそろしくかっこよくて魅力的。かなり反則的な強力さで、その眼がホプキンスの演じる役それぞれに生命力を持たせているのです。そりゃあもう、『世界最速のインディアン』を観ればよくおわかりでしょう。これさえあれば、どんな荒唐無稽な役柄をやっても大丈夫! ただし、ちょっとやそっとのヘンな役はホプキンスはなかなかやりませんけど。
ハリウッドスター総出演で『おそ松くん』をやるとしたら、ホプキンスにはぜひとも「デカパン先生」をやってほしいなぁ。ぜったいに戦闘指揮経験のあるデカパン先生ですよ。バカボンはやっぱりマット=デイモンだろうなぁ。
話を戻しますと、その眼力ゆえに、その目が見えるカットのホプキンスは、もれなくホプキンスその人にしか見えません。ところが、目のよく見えない後ろ向きとか横顔とか、暗がりでのカットはヒッチコックそのものなんですよね~。その特徴的な体型のシルエットがいろんなシーンで活用されたりもしてて。
そういうわけで、冒頭にホプキンスが出てきてとうとうと語り始めたときに、私は瞬間的に思ったよりもホプキンスなヒッチコックに多少の違和感をおぼえてしまったのですが、これは時間を追うごとに氷解していき、「あぁ、これはホプキンスでいいんだ。ホプキンスを隠すなんて、キャビアを昨日のすき焼きにぶちこむようなもんだ。」という思いにいたったわけなのです。
この『ヒッチコック』でのホプキンスの演技は、周囲の期待値のハードルが高すぎる中で、誰も予想することができない、いまだかつてないサスペンス映画『サイコ』を自費制作でつくりあげるという、とてつもないプレッシャーにさいなまれながらも奮闘するヒッチコックの姿を、「なるべく最小限の感情のゆれ」におさえつつ、非常に精巧に形にしているといった印象でした。
ヒッチコックは、その当時1955~65年に自身が監修を務めていた TVのミステリードラマシリーズ『ヒッチコック劇場』のストーリーテラー(『世にも奇妙な物語』のタモリさんの超先輩)としても有名になっていたのですが、仕事中はパブリックでも舞台裏でも、必ずその巨体を特注スーツに首元までキュキュッと黒ネクタイ姿でビシッときめるというポリシーを、その持ち前のロンドンっ子魂で貫き通しており、それは今回の『ヒッチコック』でもおなじこと。つまり、どんなに精神的にギリギリの状態に追い詰められても、どんなに撮影スケジュールがのっぴきならないことになっても、どんなにまわりの偉い人たちから「こんな映画、公開できるか! ヒッチコックオワタ。」とののしられても、基本的にまったく動じていないていで表情ひとつ変えず、いつものスーツ姿で特製のでかいディレクターズチェアにふんぞりかえっているのです。
そんな感じなので、ホプキンスの顔は劇中ではよっぽどのことがないかぎり、その叫びだしたい逆境地獄の苦しみを正直に吐露することはなく、むしろ冷徹無比な演出家としてスタッフや俳優たちの才能を見極める、その機械か爬虫類のような温度のない目の動きだけに演技を集中させているかのような省エネ感があります。でも、この視線がいかにもホプキンスの専売特許なんだよなぁ! ヒッチコックに似ていないのに、その存在に説得力がある。これぞまさしくアンソニー=ホプキンスの「乗っ取り芸」であります。
乗っ取り芸! そうなのよ、ホプキンスは今までいろんな「先行イメージのある有名人物」の役を演じてきましたが、彼は物まねが天才的にうまいわけではないのです。ただ、本人に匹敵する「本物らしさ」を芯に持っているだけ。でも、これだけで最強なんですよね。
ここでちょっと、ホプキンスの偉大なる経歴の「ほんの一端」をまとめてみましょう。
もはや「ひとり世界史」!! アンソニー=ホプキンスが演じたいろんなお偉いさん&名キャラクターたち
1968年『冬のライオン』(30歳、映画デビュー作)
イングランド国王リチャード1世獅子心王(1157~99年)
1976年『エンテベの勝利』(38歳)
イツハク=ラビン首相(1922~95年 イスラエルの指導者)
1977年『遠すぎた橋』(39歳)
ジョン=フロスト中佐(1912~93年 イギリス陸軍第1空挺師団第1空挺旅団第2大隊長)
1981年『地下壕 ヒトラー最期の日』(43歳 TV 映画)
アドルフ=ヒトラー(1889~1945年 ドイツ第三帝国総統)
1984年『バウンティ 愛と反乱の航海』(46歳)
ウィリアム=ブライ(1754~1817年 イギリス海軍中将)
1991年『羊たちの沈黙』(53歳 アカデミー主演男優賞受賞)
ハンニバル=レクター(1938年~? いわずと知れた人食い大先生)
1992年『ドラキュラ』(54歳)
エイブラハム=ヴァン=ヘルシング教授(60歳前後 泣く子もだまる吸血鬼ハンター)
1993年『永遠の愛に生きて』(55歳)
クライヴ=ステープルス=ルイス(1898~1963年 『ナルニア国物語』シリーズの作者)
1994年『ケロッグ博士』(56歳)
ジョン=ハーヴェイ=ケロッグ博士(1852~1943年 ケロッグコーンフレークの創始者)
1995年『ニクソン』(57歳)
リチャード=ニクソン(1913~94年 アメリカ合衆国第37代大統領)
1996年『サバイビング・ピカソ』(58歳)
パブロ=ピカソ(1881~1973年)
1997年『アミスタッド』(59歳)
ジョン=クィンシー=アダムズ(1767~1848年 アメリカ合衆国第6代大統領)
1998年『マスク・オブ・ゾロ』(60歳)
ドン=ディエゴ=デラベガ(初代ゾロ)
2004年『アレキサンダー』(66歳)
プトレマイオス1世(紀元前367~紀元前282年 プトレマイオス朝エジプト王国初代国王)
う~ん、紀元前から現代まで! 世界最速で時をかけるファンキーじいちゃん、それがアンソニー=ホプキンス卿(大英帝国勲章第3位コマンダー)なんでありますなぁ~。ちなみに、アルフレッド=ヒッチコック卿はホプキンスの1階上の大英帝国勲章第2位ナイトコマンダーであらせられます。ヒッチコック卿の同位にはビル=ゲイツ、ホプキンス卿の同位には日本の蜷川幸雄がいるぞ! 見上げたもんだよ屋根屋のふんどし!!
話を『ヒッチコック』に戻しますが、こういった最低限の動きしか見せない演技によって心憎いまでに効いてくるのが、後半にいくにつれてチラチラと漏れてくるヒッチコックの「本音」の爆発で、妻アルマとのうまくいかない関係や『サイコ』撮影中に次々と生じるトラブル、そしてそれらを乗り越えたクライマックスに訪れる世紀の大傑作映画の誕生……この流れの中でちょっとずつだけホプキンスが見せる「いかにもホプキンスらしいダイナミックな動き」が、ほんとに「待ってました!」という感じでいいんですよねぇ。抑制と爆発。これぞ、己の持ち味を熟知している者のみが生み出せる名人芸であります。
クライマックス、怖いもの見たさの紳士淑女で満員御礼となった『サイコ』公開初日のロビーでホプキンスが見せた「狂喜乱舞のてい」は、単に成功を確信したヒッチコックが喜びました、という通りいっぺんの枠には当然おさまりきっておらず、不安と緊張にさいなまれ続けた日々が一瞬にしてチャラになる驚くべき芸術の奇跡と、そこに人生の全てを賭けるというヒッチコックの「業」を見事にホプキンスが体現してみせた、名優ならではの真骨頂だったと思います。ここでのホプキンスの身体のかろやかさといったら、もう!! これこそが、年齢も体力も容姿も性別も関係ない「まことの花」ですよね。
さて、字数が例によってかさんできたので、映画『ヒッチコック』のほめどころは、ここまでにしておきましょうか……
え? ホプキンスのことしか話してないって? そうなんですよ、それでいいんです。
この映画、手ばなしでほめられるのはアンソニー=ホプキンスの演技だけなんです。
まぁ、すべての元凶は脚本ですよね、やっぱ。
この『ヒッチコック』は、物語を必要以上にわかりやすいものにしているというか、せっかくの天才夫婦のお話であるはずなのに、その2人に襲いかかる数多くのトラブルの中でも最大のものをなんと、「お互いの不倫疑惑」にしてしまっているのです。くだらねぇ~!
しかも、その疑惑だって妻アルマと親友の脚本家クックとのくだりはどうやら原作ルポにもない映画オリジナルの創作であるらしいし、ヒッチコックと出演女優とのほうもまぁあるにはあったのかも知れないのだとしても、それを35年も連れ添っておいて今さら『サイコ』の撮影時にアルマがかぎつけて乙女のように憤慨するという必然性がどこにも説明されていないのです。そりゃまぁ、旦那とハリウッドの美人女優とが仲良く仕事をしているのを見ていい気分になる女房はいないと思いますが、それにしてもそのフラストレーションが爆発するきっかけになった創作エピソードがあまりにも貧弱、貧弱ゥウ!!
要するに、『ヒッチコック』は原作のとおりに『サイコ』の撮影舞台裏の精確な記録ドキュメントにしておいたほうがよっぽどましだったんじゃなかろうかと思わせるほど、フィクション作品としての脚本の創作部分がいちいちヒッチコックとアルマの天才性を否定するものであり、邪魔で邪魔でしかたがないんです。
あれですか、製作サイドは熟年夫婦の客層を獲得するために、こんなくだらないレベルの夫婦ゲンカを天下のヒッチコック監督とアルマにさせようとしたんですかね。脚本家はどっかのド田舎の全寮制の女子中学校の文芸部員か!? あんなことで夫婦の関係に亀裂の入る還暦カップルがいるかァア!!
この『ヒッチコック』は、ホプキンスは言うまでもなく、主要なキャストのほとんどが非常にいいお仕事をしています。アルマ役のヘレン=ミレンの頼りがいのある賢妻ぶりもりりしいですし、若い美人女優ながらも同時に母親でもあり、さっぱりした性格で年上のヒッチコックに的確なアドヴァイスを送るジャネット=リー役のスカーレット=ヨハンソンも非常にいい味を出しています。他にはヒッチコックに愛憎半ばする視線を送る専属契約女優のヴェラ=マイルズ役のジェシカ=ビールや、有能な秘書でありプライヴェートでも陰ながらヒッチコックとアルマとの関係を気づかうペギー役のトニ=コレットも良かったですねぇ。でも、私としてはやっぱり、その演技を見たホプキンスが笑いすぎて椅子からころげ落ちたという、神がかったくりそつっぷりを発揮したアンソニー=パーキンス役のジェームズ=ダーシーの「名人芸」が最高でしたね。これはもう、物まねでいいだろ! ほんとに似てんのよ、パーキンスに!! この人がスクリーンに出てくるたびに、もうおもしろくっておもしろくって。残念なのはダーシーさんが30代中盤なので『サイコ』のパーキンスほど若い青年には見えないという点なのですが、まぁ~似てる似てる。この人がガス=ヴァン=サント版の『サイコ』に出たらよかったんじゃね!?
ところが、非常に悲しいことに、『ヒッチコック』は驚くほどに『サイコ』撮影スタジオのシーンが少ないため、これらの輝ける個性がまったく効いてこないのです。これほどおもしろいのに『サイコ』役者陣は残念すぎる出番の少なさだし、例の「シャワーシーン」の1週間以上にわたったという執念の撮影風景だって、ほんのちょっとしか再現されません。ある程度ヒッチコックのテンパリ具合を説明するためのワンシーンとして利用されるくらいのあつかいで、気がつけば「撮影終了いたしました~、撤収で~す。」といった感じ。要するに、あれほどまでに前半にあおられた『サイコ』の難産ぐあいが、後半にメインにすえられた不倫疑惑うんぬんの創作部分に押しのけられてちゃんと描写されないままでクライマックスにひた走ってしまうのです。もったいないにもほどがあるよ!!
結局、このアホらしい低次元脚本のとばっちりをくってしまった最大の被害者はアカデミー女優のヘレン=ミレンさんで、どんなに彼女ががんばってアルマ役を演じてみても、なんだか『サイコ』の製作とあまりにも関係のない擬似ロマンスなエピソードが多すぎて、なに考えてんだかよくわかんない「自分勝手なよろめきおばさん」に見えちゃうんですよね。いや、あんな旦那に愛想を尽かしたくなる気持ちもわからんことはないんですけど、だからといってあんな方向に逃避しますかね……いちおう、映画監督のサポートにかけては世界第一級のプロフェッショナルなんですからね。
あと、こんなブログなんでこれだけは言っておかなくてはならないかと思うんですが、あのエド=ゲインのあつかい、なにアレ。
映画を観たあとで、脚本を書いた人があの『ブラック・スワン』の共同脚本にもかかわっていたという事実を知って納得がいきました。ここでのエド=ゲインみたいな役は、『ブラック・スワン』みたいな変態監督が撮影するから成立するんであって、今回のガヴァシ監督みたいな、フィクションの映画に関してはほぼ新人みたいな元気ハツラツなルーキーが撮ったってダメだって! じぇんじぇん怖くないし、じぇんっじぇん笑えないし!! のこのこ出てくる意味も価値もないごみくずでしたね。あんなんで心の闇が説明されるほど、ヒッチコックは単細胞じゃな~いの!!
映画を観ている途中から、私の中にはこういう確信に似た想いが強くわだかまっていました。
「あぁ、この映画にティム=バートンの『エド・ウッド』(1994年)の100分の1ほどでも、作り手の作品に対する愛が込められていれば!!」
今回の『ヒッチコック』と『エド・ウッド』は、主人公が映画監督とそのパートナーであること、だいたいそれぞれの活躍した時代が近いこと(厳密には『エド・ウッド』のほうが『ヒッチコック』よりも約5年ほど古い)、事実の記録に脚本の創作部分がいくつか足されて作品になっていることなどで共通するポイントがある映画だと私は見ているのですが、とにかく違うのは、やっぱり「この物語を1人でも多くの人に知ってほしい」という作り手側の想いの強さだと思うんです。それはやっぱり、生み出す者が生まれる者にかける、自然界ではあってごく当たり前の「愛」ですよね。
それが『ヒッチコック』には、なかった。あんなくだらない話をガヴァシ監督が本当に撮影したかったのかどうかに、まずものすごく疑問が残るし、そもそもガヴァシ監督がヒッチコックのことを愛しているのかどうかにさえ「?」がついてしまう出来になっていると言わざるをえません。もちろん、こんな映画でガヴァシ監督の才能をおしはかることは不可能です。
『エド・ウッド』の、おそらく現実にはなかったと思われる脚本創作シーンの中でも特に強烈なものに、あまりにも厳しい現実の連続に絶望し、いったん映画の制作を放棄しかけたエドが、押しかけたバーで偶然に、あの「世界最高の映画監督」ともたたえられるオーソン=ウェルズに出くわすというくだりがありました。
「エド。夢のためなら、闘え。」
このオーソンの熱すぎる一言によってエドは再び立ち上がるわけなのですが、『ヒッチコック』の脚本創作部分に、このやりとりの千分の一ほどでも作品の展開に有機的につながる要素があったかね!?
『ヒッチコック』と『エド・ウッド』は、どちらもそれぞれの新作映画の公開初日、上映終了後の映画館前での監督とパートナーとの笑顔で物語が締めくくられます。もちろんどちらのお2人の表情もステキなのですが、後世の人物評や作られた映画の評価などはまったく関係ないものとして、果たしてどちらのほうが観る者に深い感動をもたらす祝福性をたたえているのか……そりゃあもう、歴然としてるよねぇ。そのいかんともしがたい差こそが、映画の「格の違い」というものだと思うんです。
『ヒッチコック』。非常に残念な作品です。老人が若者を搾取する世の中もあってはいけませんが、若者たち(製作スタッフ)が老人の才能をムダ使いする映画だってあっちゃあなんねぇだろう!! 若手ったってそんなに若くもねぇんだから、がんばってきましょうや!
アンソニー=ホプキンスさん、さっさと気を取り直して次なる傑作を世に出していってくださいね~。大いに期待しております!!