おこんばんは~。そうだいです。結局、今日も天気はよかった。雲ひとつない晴天でしたね。そんなには寒くない日が続いております。
さて~、今日はなんの話をしましょうかね。久しぶりにホラー映画の話でも。
じゃあ今日はアレだ、クリスマスも近いし、恐いというよりもファンタジックな感じの強いホラー映画にしましょう。
ということで、今回はこれ。『カリガリ博士』(ロベルト=ヴィーネ監督 1920年ドイツ)~!
はい~、1920年の映画でございますよ。90年前! バリバリのモノクロ&サイレント映画ですね。
『カリガリ博士』。どのくらいの方がごらんになったことがあるんでしょうか。モノクロでサイレントなわけで、地上波のTVで放送されることはまずないですからねぇ。
ただ現在、DVDの形ではパブリックドメイン作品であることもあってかなり手軽に入手することができます。本屋さんの片隅で売っている500円くらいのクラシック映画シリーズの中にもあるのでは?
この作品は、映画の内容のおもしろさよりも、1910~20年代にアート界で流行した「ドイツ表現主義」を舞台セットや俳優のメイクなどの映画美術に全面的に導入したことで有名な作品です。
『カリガリ博士』……タイトルからして正体不明なこの映画。初めて観た時、まだ中学生だった私は脳に直接バゴーンとくる衝撃をうけ、完全に心を奪われてしまいました。
ある夜、なにげなくTVのチャンネルを変えると、NHK衛星放送第2の「衛星映画劇場」が大変なことになっていた!
とにかくヘンなんです! だいぶボンヤリしたピントの白黒画面。作品の内容にあわせた「ギゴォ~……ギィィ、ギギョキョォ~。ぽろぽろぽろ……」というヴァイオリンとピアノによる前衛すぎる不条理音楽(サイレント映画なので、この時の放送のためにつけ加えられたもの)。そして、ハリボテ感まるだしで、まるでバットを額にあてて20回くるくるまわった直後の人が描いたようなゆがみまくり遠近感ブッこわれまくりのセット美術。登場人物のメイクもみんな白塗り厚化粧。演技の調子も「歌舞伎か?」とみまごうばかりのオーバーアクション。さすがはサイレント。言葉がなくてもズバズバ話が伝わってきます。
サイレント映画で俳優のメイクと演技法が多少オーバーになるのは、「フィルムがボンヤリしているので細かい演技をやっても伝わらない」「セリフに頼ることができない」などの条件から当然のことだったのですが、『カリガリ博士』ではさらに意図的に強調されています。
『カリガリ博士』はジャンル分けで言うと……なんだろう。サイコホラー?
正直なところ、現在のホラー映画で楽しめるような「バーン!」で「ギャー!」みたいなダイレクトな怖さを期待すると肩すかしをくらうかも知れないですが、そこはそれ、90年前の映画ですから。
そういう意味のモダンな怖さがないことから、『カリガリ博士』を「ホラー映画」と見ない人もいるようなのですが、この作品はそれをおぎなってあまりある別の怖さに満ち満ちています。
ストーリーはこんな感じ。
ドイツのある町に毎年恒例の祭の季節がおとずれ、いつものように町には多くの行商人や大道芸人がやってくる。
その中に、ふだんは病気のためにこんこんと眠り続けているが、一瞬だけ目覚めて他人の運命の予言をするという「眠り男ツェザーレ」を連れた謎の老人「カリガリ博士」がいた。
町に住んでいた学生フランシスはカリガリ博士の意思にしたがって目覚めるツェザーレに興味を持つが、博士が来た日から、町では謎の連続殺人事件が発生しはじめる……
まぁ、むやみにネタばらしをするつもりはないのですが……殺人事件の犯人は、どう見ても博士とツェザーレだよね!
物語の中で親友まで殺されてしまった主人公フランシスは当然のように2人を疑うのですが、犯行時間の2人には鉄壁のアリバイが。
え~、このアリバイっていうのがね、また「この映画でしか成立しねぇよ!」といったもので、まじめな人は怒っちゃうかも知れないんですがそのへんは別に作品の魅力には影響しません。
というか、先ほど申し上げた『カリガリ博士』のあらすじは、実は私が心酔した『カリガリ博士』の良さにはあんまり関係してこないのです! 謎の連続殺人事件の真犯人なんか、ほんとはどうでもいいの。
で、だったら何が本当の意味での『カリガリ博士』全体の魅力の核心になるかというと、やっぱり、ラストのどんでん返しなんですよねぇ! ラスト5分もないくらいに突如として巻き起こる急展開で、私は初めて観た時に文字通りひっくり返ってしまったものです。
まったく、これがほんとの「どんでん返し」! 作品を観ていて知らず知らずのうちに作り上げていた世界観がガラガラッと崩壊しちゃうんですねぇ。
『カリガリ博士』が製作されてから90年の月日がたち、「ラストにどんでん返し」というしめかたもいろんな作品で使われる1つの定型となってしまった感があるのですが、そんな中でも『カリガリ博士』はかなりスマートでキレのいい最上の部類に入ると思います。ほら、いくらビックリさせられても、後味もへったくれもなくただ「ポカ~ン」とさせられるだけのラストになっちゃってるやつもあるじゃないですか。それはいかん。
ほんとのところ、「『カリガリ博士』のラストにはどんでん返しがあります。」と言ってしまうのも、これから『カリガリ博士』を観る人がいるとしたらやめるべきかと思ったのですが、この作品に限っていうとラストのどんでん返しはすでに世界的に有名なものになっていますし、作品の魅力がどこにあるかと考えた時に欠かすことのできない部分になっていると判断しまして、触れることにしました。でも、具体的にどんなオチなのかは言わな~い! まだ観ていない方は、前もって知ってしまうことだけは絶対に避けて、必ず作品そのものを観てその驚きを楽しむようにしてください。
中学生だったころの私、ラストでの主人公とヒロインのセリフのやりとりを聞いてたまげました。
「えっ、えっ、なにソレ? ってことは、エ~ッ!?」
まだまだピュアだったんだねい……でもこのオチ、予想できる人っているのかな。作品中にヒントはほとんど出てこないんですが、別にズルいとかいう印象はないんだよなぁ。これも、『カリガリ博士』がああいう雰囲気の世界だからこそ許される終わり方なんでしょうねぇ。
とにかく印象的なラストの展開なんですが、なんとこのオチができた背景にもウソみたいな実話エピソードが。
実はこの『カリガリ博士』は、さっき言った「町に起こった連続殺人事件を解決する」だけの犯罪サスペンス映画としてひとまずは完成したのですが、公開前にこれを観た映画会社が「いまいち!」と判断したため、それまでの製作には関わっていなかったものの企画を高く評価していたドイツ映画界の名匠・フリッツ=ラング監督(『メトロポリス』や『M』など)が急遽助太刀に入り、脚本を書き足してあのどんでん返しオチをつけたんだそうです。
つまり、あの衝撃のラストシーンはとってつけたものだった! でも、おかげで『カリガリ博士』がただの犯罪ものにおさまりきらない大傑作になっちゃったんだからおもしろい。世の中なにがどう転ぶもんなのか、わかんないもんですね!
さて、ここまでは『カリガリ博士』の展開についてのことを言ってきました。たかだか50分ほどのこの映画(今の映画の常識からすると短いようですが、サイレント映画としては普通のボリューム)を観終わったあと、人は何を信じたらいいのかわからなくなるような不気味な無重力感におそわれるはずです。おおげさな言い方ですが、ここが『カリガリ博士』最大の魔力であり怖さでもあるわけなんです。
私としては、この無重力感を味わえるという点だけで充分に『カリガリ博士』はホラー映画になっていると言いたいんですが、さらにもうひとつ、『カリガリ博士』イコール「ホラー映画の原点」にならしむる要因があります。
それはもうなんといっても、「眠り男ツェザーレ」を演じた俳優コンラート=ファイトの不気味すぎる名演。90年たってもこわいよ~。
『カリガリ博士』の出演者がみんなオーバーなメイクと演技をしているということはもう言ったんですが、「1日中ほとんどの時間寝ているという奇病にかかっている男」というシュールすぎる役柄を演じたこのお方の存在感は、ご主人様であるカリガリ博士を軽く超えたインパクトをもって観客に迫ってきます。
ガリガリに痩せた体型、全身黒タイツとしか言いようのない真っ黒ピッタリの服装、ワカメのように額にくっついている独特のヘアスタイル、BUCK-TICKの人かとみまごうばかりの白塗り&眼のまわりとくちびるだけ真っ黒メイク。こっちのほうが半世紀以上先輩ですけど。
また、笑った時の表情がこわいこわい。あんな笑い方をする人がいたらちょっと友人としてはつきあえないなぁ。
深夜、カリガリ博士の指示にしたがって眠りながら町をさまようツェザーレの歩き方もこわいんだよなぁ。寝てるから基本的に町並みの壁に身をもたせかけながら進むんですね。ズルズル、ズルズル。実際にそんな人がいたら笑っちゃうかも知れませんが、本来、恐怖と笑いは紙一重のもの。まさに悪夢の世界です。
悪夢というのなら、自分の部屋で何も知らずに眠っているヒロインをツェザーレがさらいに来るシーンの作り方も悪夢的です。
画面の手前にヒロインがすやすや眠っているベッドがあり、奥に窓があるという構成。
カメラはずっと1カット長まわしのままで、奥の窓にツェザーレが現れ、そこから部屋の中に入ってきて、ゆっくりと画面こちら側のベッドに近づいてくるのです……
これって、誰かが近づいてくるのに寝ている自分は身動きがとれないっていう「金縛り」の感覚っぽくないですか?
おそろしい……このように、『カリガリ博士』は博士と眠り男ツェザーレの犯罪を通じて、「悪夢をフィルムに焼きつける」ことに初めて成功したホラー映画だったんですね。
舞台セットもまぁ悪夢的です。ドイツ表現主義をとりいれたとにかくムチャクチャな町の建物、内装、家具、衣裳。
「悪夢を再現する」。私は、その手段はどうであれ、ホラー映画というものは最終的にはそこを目指すべきものだと思っているので、『カリガリ博士』はその100年におよぼうとする歴史の記念すべき第1作目にふさわしい名作だと確信しています。
ところで、初めて『カリガリ博士』を目の当たりにしたあの時、私がそんな調子でTV画面を食い入るようにみつめていると、ふらっと居間に入ってきた父がこうつぶやきました。
「ずいぶん安っぽいセットだな。ドイツの映画? カネじゃあハリウッドに勝てないから芸術っぽくしたんだろ。(私に)早く寝ろよ。」
な、なんとマテリアルな物言い……マドンナもビックリよ。
現実に負けるな! がんばれ、悪夢~!!
さて~、今日はなんの話をしましょうかね。久しぶりにホラー映画の話でも。
じゃあ今日はアレだ、クリスマスも近いし、恐いというよりもファンタジックな感じの強いホラー映画にしましょう。
ということで、今回はこれ。『カリガリ博士』(ロベルト=ヴィーネ監督 1920年ドイツ)~!
はい~、1920年の映画でございますよ。90年前! バリバリのモノクロ&サイレント映画ですね。
『カリガリ博士』。どのくらいの方がごらんになったことがあるんでしょうか。モノクロでサイレントなわけで、地上波のTVで放送されることはまずないですからねぇ。
ただ現在、DVDの形ではパブリックドメイン作品であることもあってかなり手軽に入手することができます。本屋さんの片隅で売っている500円くらいのクラシック映画シリーズの中にもあるのでは?
この作品は、映画の内容のおもしろさよりも、1910~20年代にアート界で流行した「ドイツ表現主義」を舞台セットや俳優のメイクなどの映画美術に全面的に導入したことで有名な作品です。
『カリガリ博士』……タイトルからして正体不明なこの映画。初めて観た時、まだ中学生だった私は脳に直接バゴーンとくる衝撃をうけ、完全に心を奪われてしまいました。
ある夜、なにげなくTVのチャンネルを変えると、NHK衛星放送第2の「衛星映画劇場」が大変なことになっていた!
とにかくヘンなんです! だいぶボンヤリしたピントの白黒画面。作品の内容にあわせた「ギゴォ~……ギィィ、ギギョキョォ~。ぽろぽろぽろ……」というヴァイオリンとピアノによる前衛すぎる不条理音楽(サイレント映画なので、この時の放送のためにつけ加えられたもの)。そして、ハリボテ感まるだしで、まるでバットを額にあてて20回くるくるまわった直後の人が描いたようなゆがみまくり遠近感ブッこわれまくりのセット美術。登場人物のメイクもみんな白塗り厚化粧。演技の調子も「歌舞伎か?」とみまごうばかりのオーバーアクション。さすがはサイレント。言葉がなくてもズバズバ話が伝わってきます。
サイレント映画で俳優のメイクと演技法が多少オーバーになるのは、「フィルムがボンヤリしているので細かい演技をやっても伝わらない」「セリフに頼ることができない」などの条件から当然のことだったのですが、『カリガリ博士』ではさらに意図的に強調されています。
『カリガリ博士』はジャンル分けで言うと……なんだろう。サイコホラー?
正直なところ、現在のホラー映画で楽しめるような「バーン!」で「ギャー!」みたいなダイレクトな怖さを期待すると肩すかしをくらうかも知れないですが、そこはそれ、90年前の映画ですから。
そういう意味のモダンな怖さがないことから、『カリガリ博士』を「ホラー映画」と見ない人もいるようなのですが、この作品はそれをおぎなってあまりある別の怖さに満ち満ちています。
ストーリーはこんな感じ。
ドイツのある町に毎年恒例の祭の季節がおとずれ、いつものように町には多くの行商人や大道芸人がやってくる。
その中に、ふだんは病気のためにこんこんと眠り続けているが、一瞬だけ目覚めて他人の運命の予言をするという「眠り男ツェザーレ」を連れた謎の老人「カリガリ博士」がいた。
町に住んでいた学生フランシスはカリガリ博士の意思にしたがって目覚めるツェザーレに興味を持つが、博士が来た日から、町では謎の連続殺人事件が発生しはじめる……
まぁ、むやみにネタばらしをするつもりはないのですが……殺人事件の犯人は、どう見ても博士とツェザーレだよね!
物語の中で親友まで殺されてしまった主人公フランシスは当然のように2人を疑うのですが、犯行時間の2人には鉄壁のアリバイが。
え~、このアリバイっていうのがね、また「この映画でしか成立しねぇよ!」といったもので、まじめな人は怒っちゃうかも知れないんですがそのへんは別に作品の魅力には影響しません。
というか、先ほど申し上げた『カリガリ博士』のあらすじは、実は私が心酔した『カリガリ博士』の良さにはあんまり関係してこないのです! 謎の連続殺人事件の真犯人なんか、ほんとはどうでもいいの。
で、だったら何が本当の意味での『カリガリ博士』全体の魅力の核心になるかというと、やっぱり、ラストのどんでん返しなんですよねぇ! ラスト5分もないくらいに突如として巻き起こる急展開で、私は初めて観た時に文字通りひっくり返ってしまったものです。
まったく、これがほんとの「どんでん返し」! 作品を観ていて知らず知らずのうちに作り上げていた世界観がガラガラッと崩壊しちゃうんですねぇ。
『カリガリ博士』が製作されてから90年の月日がたち、「ラストにどんでん返し」というしめかたもいろんな作品で使われる1つの定型となってしまった感があるのですが、そんな中でも『カリガリ博士』はかなりスマートでキレのいい最上の部類に入ると思います。ほら、いくらビックリさせられても、後味もへったくれもなくただ「ポカ~ン」とさせられるだけのラストになっちゃってるやつもあるじゃないですか。それはいかん。
ほんとのところ、「『カリガリ博士』のラストにはどんでん返しがあります。」と言ってしまうのも、これから『カリガリ博士』を観る人がいるとしたらやめるべきかと思ったのですが、この作品に限っていうとラストのどんでん返しはすでに世界的に有名なものになっていますし、作品の魅力がどこにあるかと考えた時に欠かすことのできない部分になっていると判断しまして、触れることにしました。でも、具体的にどんなオチなのかは言わな~い! まだ観ていない方は、前もって知ってしまうことだけは絶対に避けて、必ず作品そのものを観てその驚きを楽しむようにしてください。
中学生だったころの私、ラストでの主人公とヒロインのセリフのやりとりを聞いてたまげました。
「えっ、えっ、なにソレ? ってことは、エ~ッ!?」
まだまだピュアだったんだねい……でもこのオチ、予想できる人っているのかな。作品中にヒントはほとんど出てこないんですが、別にズルいとかいう印象はないんだよなぁ。これも、『カリガリ博士』がああいう雰囲気の世界だからこそ許される終わり方なんでしょうねぇ。
とにかく印象的なラストの展開なんですが、なんとこのオチができた背景にもウソみたいな実話エピソードが。
実はこの『カリガリ博士』は、さっき言った「町に起こった連続殺人事件を解決する」だけの犯罪サスペンス映画としてひとまずは完成したのですが、公開前にこれを観た映画会社が「いまいち!」と判断したため、それまでの製作には関わっていなかったものの企画を高く評価していたドイツ映画界の名匠・フリッツ=ラング監督(『メトロポリス』や『M』など)が急遽助太刀に入り、脚本を書き足してあのどんでん返しオチをつけたんだそうです。
つまり、あの衝撃のラストシーンはとってつけたものだった! でも、おかげで『カリガリ博士』がただの犯罪ものにおさまりきらない大傑作になっちゃったんだからおもしろい。世の中なにがどう転ぶもんなのか、わかんないもんですね!
さて、ここまでは『カリガリ博士』の展開についてのことを言ってきました。たかだか50分ほどのこの映画(今の映画の常識からすると短いようですが、サイレント映画としては普通のボリューム)を観終わったあと、人は何を信じたらいいのかわからなくなるような不気味な無重力感におそわれるはずです。おおげさな言い方ですが、ここが『カリガリ博士』最大の魔力であり怖さでもあるわけなんです。
私としては、この無重力感を味わえるという点だけで充分に『カリガリ博士』はホラー映画になっていると言いたいんですが、さらにもうひとつ、『カリガリ博士』イコール「ホラー映画の原点」にならしむる要因があります。
それはもうなんといっても、「眠り男ツェザーレ」を演じた俳優コンラート=ファイトの不気味すぎる名演。90年たってもこわいよ~。
『カリガリ博士』の出演者がみんなオーバーなメイクと演技をしているということはもう言ったんですが、「1日中ほとんどの時間寝ているという奇病にかかっている男」というシュールすぎる役柄を演じたこのお方の存在感は、ご主人様であるカリガリ博士を軽く超えたインパクトをもって観客に迫ってきます。
ガリガリに痩せた体型、全身黒タイツとしか言いようのない真っ黒ピッタリの服装、ワカメのように額にくっついている独特のヘアスタイル、BUCK-TICKの人かとみまごうばかりの白塗り&眼のまわりとくちびるだけ真っ黒メイク。こっちのほうが半世紀以上先輩ですけど。
また、笑った時の表情がこわいこわい。あんな笑い方をする人がいたらちょっと友人としてはつきあえないなぁ。
深夜、カリガリ博士の指示にしたがって眠りながら町をさまようツェザーレの歩き方もこわいんだよなぁ。寝てるから基本的に町並みの壁に身をもたせかけながら進むんですね。ズルズル、ズルズル。実際にそんな人がいたら笑っちゃうかも知れませんが、本来、恐怖と笑いは紙一重のもの。まさに悪夢の世界です。
悪夢というのなら、自分の部屋で何も知らずに眠っているヒロインをツェザーレがさらいに来るシーンの作り方も悪夢的です。
画面の手前にヒロインがすやすや眠っているベッドがあり、奥に窓があるという構成。
カメラはずっと1カット長まわしのままで、奥の窓にツェザーレが現れ、そこから部屋の中に入ってきて、ゆっくりと画面こちら側のベッドに近づいてくるのです……
これって、誰かが近づいてくるのに寝ている自分は身動きがとれないっていう「金縛り」の感覚っぽくないですか?
おそろしい……このように、『カリガリ博士』は博士と眠り男ツェザーレの犯罪を通じて、「悪夢をフィルムに焼きつける」ことに初めて成功したホラー映画だったんですね。
舞台セットもまぁ悪夢的です。ドイツ表現主義をとりいれたとにかくムチャクチャな町の建物、内装、家具、衣裳。
「悪夢を再現する」。私は、その手段はどうであれ、ホラー映画というものは最終的にはそこを目指すべきものだと思っているので、『カリガリ博士』はその100年におよぼうとする歴史の記念すべき第1作目にふさわしい名作だと確信しています。
ところで、初めて『カリガリ博士』を目の当たりにしたあの時、私がそんな調子でTV画面を食い入るようにみつめていると、ふらっと居間に入ってきた父がこうつぶやきました。
「ずいぶん安っぽいセットだな。ドイツの映画? カネじゃあハリウッドに勝てないから芸術っぽくしたんだろ。(私に)早く寝ろよ。」
な、なんとマテリアルな物言い……マドンナもビックリよ。
現実に負けるな! がんばれ、悪夢~!!
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