《前回までのあらすじ》
今週で最終回になる深夜アニメ『屍鬼』(フジテレビ毎週木曜日)の前期オープニング主題歌だったBUCK-TICKの『くちづけ』はいいですよ~!!
ということで、なぜそんなに『くちづけ』が気になったのか? いろいろ考えてみましょう。
まずはやっぱり、ホラーアニメのオープニングを飾るにふさわしい、その「ゾクゾク感」、「ワクワク感」ですよね!
ホラー、特に「吸血鬼」をあつかうとしたら、イメージとしてどうしても「背徳感」「お耽美感」というあたりが切りはなせない要素になっている昨今なんですが、『くちづけ』というかアニメ版『屍鬼』は、もちろんそのへんもしっかりおさえています。
全体的に「闇」「血」「骸骨」といったキーワードを取り入れた映像の中、藤崎竜による「とても日本の田舎にいるとは思えない美形」キャラクターの面々がズラズラとフラッシュバックのように顔を見せていきます。
いったいどんなものを食べて育ったら、あんなに軒並みモデルみたいな体型で目がぱっちりしてて髪の毛の色が真ピンクだったりする美少女・美男子ばっかりになるんだろう!?
なにか、村人しか口にしない特産の食い物でもあるんだろうか、スイスかどっかの長生き村みたいな……うーん、吸血鬼なんかよりもよっぽど気になる。あっ、でも、よそから来た人たちもみんな美形だしな。
それはさておき、これらのレギュラー登場人物たち中で、果たして誰が吸血鬼なのか? そして誰がその犠牲者となっていくのか? とてもスリリングでワクワクするオープニング映像です。
それにあわせて流れる肝心の『くちづけ』がまた、『屍鬼』の雰囲気にピッタリ寄り添っていながら、しっかり独自の「色」を出していてすばらしいんですね。
私は別にロックに詳しいわけでもないし、ましてやバンドの演奏のどんなものが理想の形なのかもよくわかんない人間なのですが、『くちづけ』の音楽的なバランスはかなり理想的なんじゃないでしょうか?
ギター、ベース、ドラム。それぞれがそれぞれ主張していながら、バランスがちゃんととれている。ベースとドラムのきざむ短いスパンのリズムが緊張感をかきたてます。
あと、オルゴールのような音色でか細く響く「ポーン、ポーン……」という音もいい味だしてます。この曲の内容上、だんだんと人間の脈のように聞こえてくるのが不思議。
しかし、BUCK-TICKの『くちづけ』である以上、もっとも重要な要素となってくるのが、なんといってもヴォーカルをつとめる櫻井敦司さまの歌声。
吸血鬼っぽい、まるで聴く相手を誘惑するかのように甘く響きわたる声!
これまた、私はちゃんとBUCK-TICKを聴いてきた人間ではないので『くちづけ』だけを聴いた印象しか言えないのですが、櫻井さんの声は本当に甘い。ともするとポップ歌手?と勘違いしてしまいそうな明瞭でのびのある高音なんですが、そこを踏みとどまって25年間日本のロックシーンの最先端を走り続けることを可能にしてきたのは、やはりその一貫した作品世界の美学と常に新しい音楽性を求道し続けるロック魂でしょう。
また、サビの部分での叫びに近いフレーズの呼びかけも、「誘惑」があり「渇望」があり、そして「哀しみ」があるという味わい深さ。モノホンの吸血鬼か?
あと、発音の実にはっきりした歌声なのに、おそらく自分の歌唱哲学にのっとってのものなのでしょう、かなりの自信をもって意図的に歌詞の母音を変えて唄っているのが非常に興味深いです。
「おいで」が「あーいで~」になって、「狂わせる」が「くーるーわっせーろ~」になるんですね。OがAになったり、UがOになったり。
でも、確かにそっちのほうが聴いたときの音の感触がいいんだなぁ。さっすがぁ!
この『くちづけ』の作詞をしているのもまた櫻井さんなんですが、その歌詞もいいんですねぇ。
私がもっとも気になったのは、やはりサビの部分です。
おいで この腕の中 「あっちの闇はにがいぞ」
君は 惑い ゆらめく
やがて 永遠になる 「こっちの闇はあまいぞ」
僕は 深く 突き刺す
吸血鬼ものの歌がつくられる場合、歌い手さんが「吸血鬼」になって聴き手が「犠牲者」になるというのはよくある定型ですし、吸血鬼の「突き刺す」牙というものがたぶんにセクシャルな意味を含んでくるのもさもありなんな感じなのですが、気になるのは、そういった「吸血鬼」と「犠牲者」のほかに、この作詞世界のなかに第三者の影があることなんです。どこにいるのかな?
ハイそうです。「あっちの闇はにがいぞ」の、「あっちの闇」という存在が『くちづけ』の世界にはあるんですね。
吸血鬼である歌い手が「こっちの闇はあまいぞ」と誘う以上、「こっちの闇」は、吸血鬼になって夜の住人となる選択肢でしょう。ということは、吸血鬼がごく普通の人間である聴き手に向かって「あっちの闇はにがいぞ」と言う「あっちの闇」とは?
これはもう、平穏無事に荼毘に付されて灰になるか、土深く埋められた棺の中でみずからも大地の一部となって朽ちていく「永遠の死」の世界ということになるでしょう。
つまり、この『くちづけ』の世界での吸血鬼は、「おだやかな何もない死」から見放された場所でずっと生き続けなければならない人たちなんですね。なんかかわいそう!
そう考えると、「あっちはにがい、こっちはあまい。」という誘いかたも実に幼稚でせつないものだし、だいたい「人の血を吸って同じ吸血鬼にする」という行為も、自分の栄養補給よりも「仲間がほしい!」というねがいの方にウェイトがあるように思えて仕方ありません。
吸血鬼ってのは、夜になると空は飛ぶは血は吸うはいろんな動物に化けるはで実におそろしい存在なんですが、いったん陽が昇ってしまうと、陽が沈みきるまでの半日まるまる外に出られないダメオヤジと化してしまいます。この激しすぎるギャップがまた吸血鬼の病気っぽいイメージを助長しているんでしょうね。
血の気のない真っ青な顔、なんだかわかんないけど高貴な格好と態度、血を吸う相手はだいたい顔で選ぶ、にんにくキライ、さんさんたる日光ダイキライ……
な、なんて繊細っちゅうか神経質なモンスターなんだ! 体育会系のフランケンや狼男とか、半魚人には見られないキャラクター性ですね。
だいたい、西洋の吸血鬼ヴァンパイアは「人はいつかかならず死ぬ」という神様の創ったルールから逸脱している種族だと解釈されています。ここでいう「神様」というのは当然ながらキリスト教の神様のことで、だからこそ、キリスト教の聖なる象徴である十字架をあれほどまでに極端に嫌うんですね。
西洋の吸血鬼はたぶん、十字架の形とか聖なる力が苦手なんじゃなくて、神様の創った常識的な世界に対してハンパじゃなく「やましい気持ち」、「ああ、おれ間違った生き方してるなぁ。」という背徳感があるからこそ、あんなに律儀に「十字架を嫌うことにする。」というポリシーをみずからに課してしているんじゃないでしょうか?
だからって、さわったらヤケドしちゃうまで嫌いにならなくてもいいのに……実に愛らしい、どこまでも神経質でまじめで生きるのがヘタな種族です。肩身がせまいモンスターだねぇ。
だったらさっさと日光にあたっちゃって、灰になって成仏すればいいのに?
いやいや、そんなことを吸血鬼のみなさんに言うのは酷ってもんでしょう。吸血鬼だって、「ほんとに死んだらどうなるのか」がわからないからこそ、「あっちの闇はにがいんだろうな……」とビクビクしながらこつこつと仲間を増やしているんです。
「死ぬのはこわい!」と思うのは、吸血鬼も人間もおなじことなんですね。ただライフスタイルが違うだけですよ。
小野不由美の『屍鬼』もBUCK-TICKの『くちづけ』も、ちゃんとそういった「吸血鬼の哀しみ」をくみ取ってるから素晴らしいんですよねぇ! ただのモンスター界のアイドルってだけにしていない厚みがあるから味があるんだなぁ。
私はどうも、吸血鬼がど真ん中の主人公、ヒーローとして活躍する物語は好きじゃないんだなぁ。今が旬の『トワイライト』シリーズとか、ひとむかし前にはやった『インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア』の『吸血鬼レスタト』シリーズとかね、吸血鬼がかっこよすぎるのは、ちょっとねぇ。
やっぱり、ベタですがイギリスの名門ハマープロの作品でのクリストファー=リー演ずる吸血鬼ドラキュラ伯爵がいいんだよなぁ。
なにがいいって、伯爵本人は大まじめなのに、その「吸血鬼」という生き方の不器用さがどうしようもなくマヌケなの!
『ドラキュラ’72』って作品の伯爵なんて、もう涙、涙ですよ。
「私と闘おうというのか、夜の支配者である私と!」
とドドーンとのたまっておきながら、数分後には小学生でもひっかからないような仕掛けにひっかかって灰になっちゃうの。は、伯爵~!!
いや~、そういった吸血鬼の奥深さを見事に自分達のサウンドで表現しきったBUCK-TICK。さすがはその道25年、熟練の腕。ほれました。
そういや10年くらい前、日本のロックスター2人が香港ロケだったかなんかを敢行してつくった珍吸血鬼映画があったような、なかったような。
櫻井さんをさしおいて吸血鬼の役を演じるとは……だいそれたことをしたもんだねぇ。
25年もロックをやってるんだからご本人は健康そのものなんでしょうが、映像の中での櫻井さんの「寝不足感」「不健康感」は、すごいですね。あの眼力にはやられちゃうなぁ。
アニメの『屍鬼』のクライマックスを観るのはもうちょっと後のことになりそうなんだけど、まずはBUCK-TICKの諸作品を聴いてみようかと思います。
BUCK-TICKはいいねぇ! なんてったって、ほんとに今も現役なんだから。
調べてみると、最後にリリースしたベスト盤アルバムは2005年の『カタログ2005』なんだそうですけど、もうベスト盤としての用はなさなくなっちゃってるからね!
だって、そのベスト盤のリリース後から2010年までの5年間に、過去にならぶかそれ以上の名曲をバンバン出してるんだもの。
『くちづけ』もそうだし、『Alice in Wonder Underground』とか『かげろう』とか『GALAXY』とか。
私はちょっとだけ聴いてみて、特に『独壇場BEAUTY』にメロメロになってしまいました。もうノリノリ。若いな~!
まさに信頼と実績に裏打ちされたサウンド。BUCK-TICKさん、来年もがんばってくださいね~!!
今週で最終回になる深夜アニメ『屍鬼』(フジテレビ毎週木曜日)の前期オープニング主題歌だったBUCK-TICKの『くちづけ』はいいですよ~!!
ということで、なぜそんなに『くちづけ』が気になったのか? いろいろ考えてみましょう。
まずはやっぱり、ホラーアニメのオープニングを飾るにふさわしい、その「ゾクゾク感」、「ワクワク感」ですよね!
ホラー、特に「吸血鬼」をあつかうとしたら、イメージとしてどうしても「背徳感」「お耽美感」というあたりが切りはなせない要素になっている昨今なんですが、『くちづけ』というかアニメ版『屍鬼』は、もちろんそのへんもしっかりおさえています。
全体的に「闇」「血」「骸骨」といったキーワードを取り入れた映像の中、藤崎竜による「とても日本の田舎にいるとは思えない美形」キャラクターの面々がズラズラとフラッシュバックのように顔を見せていきます。
いったいどんなものを食べて育ったら、あんなに軒並みモデルみたいな体型で目がぱっちりしてて髪の毛の色が真ピンクだったりする美少女・美男子ばっかりになるんだろう!?
なにか、村人しか口にしない特産の食い物でもあるんだろうか、スイスかどっかの長生き村みたいな……うーん、吸血鬼なんかよりもよっぽど気になる。あっ、でも、よそから来た人たちもみんな美形だしな。
それはさておき、これらのレギュラー登場人物たち中で、果たして誰が吸血鬼なのか? そして誰がその犠牲者となっていくのか? とてもスリリングでワクワクするオープニング映像です。
それにあわせて流れる肝心の『くちづけ』がまた、『屍鬼』の雰囲気にピッタリ寄り添っていながら、しっかり独自の「色」を出していてすばらしいんですね。
私は別にロックに詳しいわけでもないし、ましてやバンドの演奏のどんなものが理想の形なのかもよくわかんない人間なのですが、『くちづけ』の音楽的なバランスはかなり理想的なんじゃないでしょうか?
ギター、ベース、ドラム。それぞれがそれぞれ主張していながら、バランスがちゃんととれている。ベースとドラムのきざむ短いスパンのリズムが緊張感をかきたてます。
あと、オルゴールのような音色でか細く響く「ポーン、ポーン……」という音もいい味だしてます。この曲の内容上、だんだんと人間の脈のように聞こえてくるのが不思議。
しかし、BUCK-TICKの『くちづけ』である以上、もっとも重要な要素となってくるのが、なんといってもヴォーカルをつとめる櫻井敦司さまの歌声。
吸血鬼っぽい、まるで聴く相手を誘惑するかのように甘く響きわたる声!
これまた、私はちゃんとBUCK-TICKを聴いてきた人間ではないので『くちづけ』だけを聴いた印象しか言えないのですが、櫻井さんの声は本当に甘い。ともするとポップ歌手?と勘違いしてしまいそうな明瞭でのびのある高音なんですが、そこを踏みとどまって25年間日本のロックシーンの最先端を走り続けることを可能にしてきたのは、やはりその一貫した作品世界の美学と常に新しい音楽性を求道し続けるロック魂でしょう。
また、サビの部分での叫びに近いフレーズの呼びかけも、「誘惑」があり「渇望」があり、そして「哀しみ」があるという味わい深さ。モノホンの吸血鬼か?
あと、発音の実にはっきりした歌声なのに、おそらく自分の歌唱哲学にのっとってのものなのでしょう、かなりの自信をもって意図的に歌詞の母音を変えて唄っているのが非常に興味深いです。
「おいで」が「あーいで~」になって、「狂わせる」が「くーるーわっせーろ~」になるんですね。OがAになったり、UがOになったり。
でも、確かにそっちのほうが聴いたときの音の感触がいいんだなぁ。さっすがぁ!
この『くちづけ』の作詞をしているのもまた櫻井さんなんですが、その歌詞もいいんですねぇ。
私がもっとも気になったのは、やはりサビの部分です。
おいで この腕の中 「あっちの闇はにがいぞ」
君は 惑い ゆらめく
やがて 永遠になる 「こっちの闇はあまいぞ」
僕は 深く 突き刺す
吸血鬼ものの歌がつくられる場合、歌い手さんが「吸血鬼」になって聴き手が「犠牲者」になるというのはよくある定型ですし、吸血鬼の「突き刺す」牙というものがたぶんにセクシャルな意味を含んでくるのもさもありなんな感じなのですが、気になるのは、そういった「吸血鬼」と「犠牲者」のほかに、この作詞世界のなかに第三者の影があることなんです。どこにいるのかな?
ハイそうです。「あっちの闇はにがいぞ」の、「あっちの闇」という存在が『くちづけ』の世界にはあるんですね。
吸血鬼である歌い手が「こっちの闇はあまいぞ」と誘う以上、「こっちの闇」は、吸血鬼になって夜の住人となる選択肢でしょう。ということは、吸血鬼がごく普通の人間である聴き手に向かって「あっちの闇はにがいぞ」と言う「あっちの闇」とは?
これはもう、平穏無事に荼毘に付されて灰になるか、土深く埋められた棺の中でみずからも大地の一部となって朽ちていく「永遠の死」の世界ということになるでしょう。
つまり、この『くちづけ』の世界での吸血鬼は、「おだやかな何もない死」から見放された場所でずっと生き続けなければならない人たちなんですね。なんかかわいそう!
そう考えると、「あっちはにがい、こっちはあまい。」という誘いかたも実に幼稚でせつないものだし、だいたい「人の血を吸って同じ吸血鬼にする」という行為も、自分の栄養補給よりも「仲間がほしい!」というねがいの方にウェイトがあるように思えて仕方ありません。
吸血鬼ってのは、夜になると空は飛ぶは血は吸うはいろんな動物に化けるはで実におそろしい存在なんですが、いったん陽が昇ってしまうと、陽が沈みきるまでの半日まるまる外に出られないダメオヤジと化してしまいます。この激しすぎるギャップがまた吸血鬼の病気っぽいイメージを助長しているんでしょうね。
血の気のない真っ青な顔、なんだかわかんないけど高貴な格好と態度、血を吸う相手はだいたい顔で選ぶ、にんにくキライ、さんさんたる日光ダイキライ……
な、なんて繊細っちゅうか神経質なモンスターなんだ! 体育会系のフランケンや狼男とか、半魚人には見られないキャラクター性ですね。
だいたい、西洋の吸血鬼ヴァンパイアは「人はいつかかならず死ぬ」という神様の創ったルールから逸脱している種族だと解釈されています。ここでいう「神様」というのは当然ながらキリスト教の神様のことで、だからこそ、キリスト教の聖なる象徴である十字架をあれほどまでに極端に嫌うんですね。
西洋の吸血鬼はたぶん、十字架の形とか聖なる力が苦手なんじゃなくて、神様の創った常識的な世界に対してハンパじゃなく「やましい気持ち」、「ああ、おれ間違った生き方してるなぁ。」という背徳感があるからこそ、あんなに律儀に「十字架を嫌うことにする。」というポリシーをみずからに課してしているんじゃないでしょうか?
だからって、さわったらヤケドしちゃうまで嫌いにならなくてもいいのに……実に愛らしい、どこまでも神経質でまじめで生きるのがヘタな種族です。肩身がせまいモンスターだねぇ。
だったらさっさと日光にあたっちゃって、灰になって成仏すればいいのに?
いやいや、そんなことを吸血鬼のみなさんに言うのは酷ってもんでしょう。吸血鬼だって、「ほんとに死んだらどうなるのか」がわからないからこそ、「あっちの闇はにがいんだろうな……」とビクビクしながらこつこつと仲間を増やしているんです。
「死ぬのはこわい!」と思うのは、吸血鬼も人間もおなじことなんですね。ただライフスタイルが違うだけですよ。
小野不由美の『屍鬼』もBUCK-TICKの『くちづけ』も、ちゃんとそういった「吸血鬼の哀しみ」をくみ取ってるから素晴らしいんですよねぇ! ただのモンスター界のアイドルってだけにしていない厚みがあるから味があるんだなぁ。
私はどうも、吸血鬼がど真ん中の主人公、ヒーローとして活躍する物語は好きじゃないんだなぁ。今が旬の『トワイライト』シリーズとか、ひとむかし前にはやった『インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア』の『吸血鬼レスタト』シリーズとかね、吸血鬼がかっこよすぎるのは、ちょっとねぇ。
やっぱり、ベタですがイギリスの名門ハマープロの作品でのクリストファー=リー演ずる吸血鬼ドラキュラ伯爵がいいんだよなぁ。
なにがいいって、伯爵本人は大まじめなのに、その「吸血鬼」という生き方の不器用さがどうしようもなくマヌケなの!
『ドラキュラ’72』って作品の伯爵なんて、もう涙、涙ですよ。
「私と闘おうというのか、夜の支配者である私と!」
とドドーンとのたまっておきながら、数分後には小学生でもひっかからないような仕掛けにひっかかって灰になっちゃうの。は、伯爵~!!
いや~、そういった吸血鬼の奥深さを見事に自分達のサウンドで表現しきったBUCK-TICK。さすがはその道25年、熟練の腕。ほれました。
そういや10年くらい前、日本のロックスター2人が香港ロケだったかなんかを敢行してつくった珍吸血鬼映画があったような、なかったような。
櫻井さんをさしおいて吸血鬼の役を演じるとは……だいそれたことをしたもんだねぇ。
25年もロックをやってるんだからご本人は健康そのものなんでしょうが、映像の中での櫻井さんの「寝不足感」「不健康感」は、すごいですね。あの眼力にはやられちゃうなぁ。
アニメの『屍鬼』のクライマックスを観るのはもうちょっと後のことになりそうなんだけど、まずはBUCK-TICKの諸作品を聴いてみようかと思います。
BUCK-TICKはいいねぇ! なんてったって、ほんとに今も現役なんだから。
調べてみると、最後にリリースしたベスト盤アルバムは2005年の『カタログ2005』なんだそうですけど、もうベスト盤としての用はなさなくなっちゃってるからね!
だって、そのベスト盤のリリース後から2010年までの5年間に、過去にならぶかそれ以上の名曲をバンバン出してるんだもの。
『くちづけ』もそうだし、『Alice in Wonder Underground』とか『かげろう』とか『GALAXY』とか。
私はちょっとだけ聴いてみて、特に『独壇場BEAUTY』にメロメロになってしまいました。もうノリノリ。若いな~!
まさに信頼と実績に裏打ちされたサウンド。BUCK-TICKさん、来年もがんばってくださいね~!!
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