長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

日本映画界の至宝たちが贈る!!「出てくる男みんなアホ」物語 ~映画『箱男』~

2024年09月20日 23時47分53秒 | ふつうじゃない映画
 どどどど~もこんばんは! そうだいでございます。
 いや~、今週末は山形も雨がひどくなるみたいで! 来週まで引っ張らないといいんですけどねぇ。やっぱり、最近の雨はいったん降り出すと時間自体はそう長くはないのですが降雨量がものすごいですよね。怖いんだよなぁ、アンダーパスとかあっという間に水浸しになっちゃいますから。

 今年もねぇ、秋は忙しくなるんですよ! それはもう、仕事もエンタメも。
 仕事はもう、毎年恒例の忙しさなので今さらなんでもないのですが、自分なりの楽しみという点では、去年の初夏に初チャレンジして満喫した山形~山梨片道500km の往復自動車旅を、来月初めにまたやる予定です。去年は山梨県の長野寄りにある北杜市内の名所をめぐって増富ラジウム温泉というそうとうな秘湯を堪能してきたのですが、今年はもうちょっと範囲を広げて秋の観光を楽しみたいと企てております。泊まる温泉も、たぶん去年に劣らない秘湯になるはずよ! まぁともかく、今回もくれぐれも事故らないように充分な休息を忘れず行って参る所存であります。
 その他の楽しみといえば映画と TVドラマなのですが、ついに来週27日から辻村深月先生原作の映画『傲慢と善良』(監督・萩原健太郎)が公開されますし、29日にはスペシャルドラマ『黒蜥蜴』( BS-TBS)が放送され、来月10月11日には映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(監督・トッド=フィリップス)が、25日には映画『八犬伝』(監督・曽利文彦)が公開されるといった活況となっております。来月4日から公開される映画『ゲゲゲの謎 真正版』も、余裕があったら!

 そいでま、こういった秋のエンタメラッシュのトップバッターといたしまして、今日は東京公開から遅れること1ヶ月、ついに山形市でも公開される運びとなった、この作品を観た感想をつづりたいと思います! 楽しみにしてたのよぉ~、これ。


映画『箱男 The Box Man』(2024年8月23日公開 120分 コギトワークス)
 『箱男 The Box Man』は、小説家・安部公房(1924~93年)の長編小説『箱男』を原作とする映画作品。
 小説『箱男』は、「人間が自己の存在証明を放棄した先にあるものとは何か」をテーマとし、その幻惑的な手法と難解な内容のため映像化は困難と言われており、海外の映画界も映画化をこころみたが安部の許可が下りず、企画が持ち上がっては立ち消えの繰り返しとなっていた。
 最終的に1992年、安部から映画化を許可されたのは、1976年に8mm 映画『高校大パニック』でデビューし日本のインディペンデント映画界で活躍していた石井聰互(現・岳龍)だった。安部の没後、1997年に日本ドイツ合作映画としての製作が決定し、石井はドイツ北部の都市ハンブルクに安部医院の巨大セットを組んで撮影に臨んだ。しかしクランクインの前日に、日本側の撮影資金に問題が生じて撮影は突如頓挫し、撮影スタッフと永瀬正敏や佐藤浩市ら出演予定だった俳優たちは失意のまま帰国することとなり、1997年の映画化は幻の企画となった。
 それから27年の歳月が経ち、安部公房生誕100周年にあたる2024年。映画化を諦めずに2010年代から脚本家いながききよたかと共に脚本の制作に取り掛かっていた石井監督は、改めて『箱男』の映画化を実現させた。主演は1997年版と同じく永瀬となり、同じく97年版に出演する予定だった佐藤浩市も再参加し、その他に浅野忠信や、200名近いオーディションから抜擢された白本彩奈が参加した。
 本作は、2024年2月に開催された第74回ベルリン国際映画祭にてプレミア上映された。

あらすじ
 「箱男」のわたし自身が、箱の中で記録を書き始めることを表明する。
 運河をまたぐ県道の橋の下でわたしは、「箱を5万円で売ってほしい」と言った「彼女」を待ちながらノートをボールペンで書いている。万一わたしが殺されることがあった場合の安全装置のためである。一旦インク切れで中断し鉛筆で書き始めるが、字体は変わらない。わたしは「あいつ」と呼ぶ中年男に殺されるかもしれないと考え、ノートの表紙裏には、あいつが空気銃を小脇に隠しながら逃げて行った時の証拠のネガフィルムを貼りつけてある。
 1週間か10日ほど前、わたしは肩を空気銃で撃たれ、逃げる中年男の後ろ姿をフィルムに収めた。わたしは箱男になる前はカメラマンだったが、撮影の仕事を続けている内にずるずると箱男になってしまったのである。
 中年男が逃げていったその直後、傷口を押さえていたわたしの箱の覗き穴に、「坂の上に病院があるわ」と3千円が投げ込まれた。立ち去ったのは自転車に乗った足の美しい若い娘だった。その晩わたしが病院に行くと、ニセ医者(空気銃の男)と看護婦の葉子(自転車の娘)が待ち受けていた。看護婦に手当てをされながら麻酔薬を打たれ、いつの間にかわたしは箱を5万円で売る約束をしていた。看護婦は元モデルだという。
 自転車で来た彼女が、橋の上で1通の手紙と5万円を渡した。なぜ5万円も支払われるのかとわたしは訝り、箱を欲しがっているニセ医者がやってくるものと思っていたわたしはその真意が解せず、あれこれと考えを巡らす。
 夜中、わたしは病院へ向かった。病院の裏にまわって彼女の部屋の窓から話をしようと考えるが、部屋を鏡で反射させて覗くと、わたしとそっくりなニセ箱男の前で彼女は全裸になっていた。わたしはニセ箱男の出現を契機に、箱を捨てることを考え始めるが……

おもなスタッフ
監督 …… 石井 岳龍(67歳)
脚本 …… いながき きよたか(47歳)、石井岳龍
美術 …… 林田 裕至(63歳)
編集 …… 長瀬 万里(33歳)
音楽 …… 勝本 道哲(?歳)
特殊造形・特殊メイク …… 百武 朋(52歳)
エンディング曲『交響曲第五番 第四楽章』(作曲グスタフ=マーラー)


おもな登場人物とキャスティング(設定情報は原作小説に準拠)
わたし …… 永瀬 正敏(58歳)
 原作小説における表記は「ぼく」。
 箱男。元カメラマン。ダンボール箱をかぶって港に近いT市を放浪し、箱の中で記録をつけている。醤油工場の塀の近くで突然空気銃で肩を撃たれ怪我をする。戸籍の上では29歳だが本当は32、3歳らしい。3年間「箱男」を続けている。少年時代、わざわざ暗いところで活字の小さい本や雑誌を読み、自らすすんで近視眼になる。ストリップ小屋に通いつめて写真家に弟子入りし、カメラマンの仕事をしている内に「箱男」となった。

戸山 葉子  …… 白本 彩奈(22歳)
 看護婦見習い。貧しい画学生だが、個人経営の画塾やアマチュア画家クラブの連中を相手に絵画モデルをして生計を立てていた。2年前に中絶手術を受けるためにニセ医者の病院を訪れ、そのまま居ついた。その代わりにニセ医者と内縁関係にあった奈々は出ていった。

ニセ医者 …… 浅野 忠信(50歳)
 ニセの箱男。T市で病院を開業している中年男。昭和元(1927)年3月7日生まれ(誕生日の日付は原作者の安部公房の誕生日と同じだが昭和元年に3月7日という日付は存在しない)。独身。本来は医師見習いの看護師。太平洋戦争中は軍で衛生兵をしていた。昨年まで、医療行為のために名義を借用した軍医の正妻・奈々を看護婦として雇いながら同居し、内縁関係にあった。

軍医 …… 佐藤 浩市(63歳)
 太平洋戦争中に重病に倒れ、激しい筋肉痛を抑えるために麻薬を常用して中毒になっている。自分の名義をニセ医者に貸して病院を開設させ、自分の妻・奈々も内縁の妻にさせていた。常に目ヤニを硼酸水の脱脂綿で拭っている。映画版での苗字は「安部」。

ワッペン乞食 …… 渋川 清彦(50歳)
 箱男を目の敵にする老人の浮浪者。全身にウロコのようにワッペンやおもちゃの勲章をつけ、帽子にはケーキを飾るロウソクのようにぐるりと日の丸の小旗を立てている。投石と旗棹を武器として箱男を攻撃する。

刑事    …… 中村 優子(49歳)
刑事の上司 …… 川瀬 陽太(54歳)


原作小説『箱男』とは
 『箱男(はこおとこ)』は、小説家・安部公房が1973年3月に発表した書き下ろし長編小説。ダンボール箱を頭から腰まですっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて都市を彷徨う「箱男」の記録の物語。箱男の書いた手記を軸に、他の人物が書いたらしい文章、突然挿入される寓話、新聞記事や詩、冒頭のネガフィルムの1コマ、写真8枚(撮影・安部公房)など、様々な時空間の断章から成る実験的な構成となっている。都市における匿名性や不在証明、見る・見られるという自他関係の認識、人間の帰属についての追求を試みると同時に、人間がものを書くということ自体への問い、従来の物語世界や小説構造への異化を試みたアンチ小説(反小説)の発展となっている。

 『箱男』は、『燃えつきた地図』(1967年9月発表)の次に書かれた長編小説であるが、安部公房はその構想を「逃げ出してしまった者の世界、失踪者の世界、ここに住んでいるという場所をもたなくなった者の世界を描こうとしています。」と語り、それから約5年半、書き直すたびに振り出しに戻っては手間がかかり、原稿用紙300枚の完成作に対して、書きつぶした量は3千枚を越えたという。「箱男」の発想のきっかけとしては、浮浪者の取り締まり現場に立ち会った際、上半身にダンボール箱をかぶった浮浪者に遭遇してショックを受け、小説のイマジネーションが膨らんだと語っている。
 作中に登場する「ニセ医者」の発想については、戦争中の医者不足の時代に医者としての心得や技術をかなり持っていた「衛生兵」がいたことに触れ、自分のように医学部を卒業している者より、そういった経験を積んだニセ医者の方が実質的技量が上だったとし、現在では国家登録か否かで本物か贋物かを判断し、一般的にはニセ医者をこの世の悪かのように決めつけられるが、本物の医師の間でも大変な技術差があり、素人と変わらないいい加減な医師も多く、そういう免状だけの医師の方が危険で怖いと語りつつ、ある意味で一切のものが登録されていないダンボールをかぶった乞食である「箱男」と「ニセ箱男」の関係について、「とにかく本物と贋物ということが、実際の内容であるよりも登録で決まる。そういうことから、全然登録を拒否した時点で、何でもないということは乞食になるわけです。これが乞食でない限りは全部贋物になる。その贋物がいっぱい登場してくる、贋物と箱男の関係で、とにかくイマジネーションとしては膨らんでいったわけです。」と説明している。

 マンガ家の手塚治虫が、長編青年マンガ『ばるぼら』(1973年7月~74年5月 小学館『ビッグコミック』連載)の第2話『女と犬』において、主人公の耽美小説家・美倉洋介と登場人物との会話で『箱男』に言及している。その中で美倉は、「不条理のパロディー」、「人間には誰でも狂った反面がある……それが文明社会に飼いならされてモラルとか法律にしばられる。(中略)だが芸術家はそれが我慢ならんのですよ。(原文ママ)」と語っている。


 ……というわけでございまして、なんと四半世紀ぶりの完全映画化となった『箱男』を観た感想記でございます。やっと観れたよ~!

 まず、何と言っても私が大好きな女優の白本彩奈さんが、なんとまぁ永瀬正敏と浅野忠信と佐藤浩市という、現在の日本映画界におけるゴジラとラドンとキングギドラみたいな3大名優を相手に単身でヒロインに挑むという、キャスティング上のものすんごい話題も魅力的ですよね。モスラ~や!!
 しかも、その彩奈さまがなんと本作では初の……キャ~!!ということで、私の期待値はいやがおうにも上がってしまいました。東京公開からの約1ヶ月の長いこと長いこと!
 そういえば、おそらくこの『箱男』公開と歩調を合わせる形で、白本さんはつい最近に放送された TVドラマ『 GO HOME 警視庁身元不明人相談室』の第6話(2024年8月24日放送 日本テレビ)にもゲスト出演していたんですよね。これもいちおう観たんだけど、今度、我が『長岡京エイリアン』で必ずやる予定の『黒蜥蜴2024』の感想の時にでも一緒に触れましょうかね。立場上(行旅死亡人……)そんなに活躍はしないものの、ミステリアスで重要な役割でしたね~。

 そこらへんの話題はまず置いときまして、そもそも原作の小説『箱男』に関して思い起こしますと、私は本当にこの作品が大好きでして、中学時代には安部公房作品の中でも最初くらいの勢いで読んで、そこに横溢する謎と空想の世界に手もなくイチコロになってしまいました。
 反小説としての内容のシュールさに関しては言うまでもないのですが、この『箱男』って、かなりエロい小説だな~というインパクトが、当時うら若き小中学生だった私にはまずズンッときまして、余談ですがその頃の思春期そうだいに人生レベルのエロ衝撃を与えた三大小説といたしましては、この安部公房の『箱男』と小松左京の『日本沈没』と野坂昭如の『てろてろ』が挙げられます。三作中二作が変態系という、この呪われた出逢い……

 ただここではっきり申し上げておきたいのは、私が原作小説『箱男』を読んで脳みそをショートさせてしまったエロ部分というのは、実は今回の映画化で白本さんが演じていた葉子があれこれされたりしたりするパートではなく、まるまる映像化されなかった「Dの場合」という章段での、少年D と体操の女教師とのやり取りだったのでした。この2人、別に肉体的にどうこうということはしないのですが、女教師のトイレを覗こうとしたD が未然に見つかってしまい、逆にD の全裸姿を女教師が覗く罰を受けてしまうという挿話がものすんごくエロかったんですよね! これたぶん、少年D と当時の私がほぼ同年代だったから余計にいやらしく感じてしまったと思うのですが、この「覗く・覗かれる」という関係に生じるエロさを端的に表したこの章は、『箱男』の物語の中で相当に重要なファクターだと思うんですけどね。ただ……映像化すると箱男と葉子の本筋を侵食しかねないインパクトがあるので、カットして正解だったかもしれませんが。

 とにもかくにも、この『箱男』という物語を、今回の映画版だけ観て原作小説を読まないのはかなりの大損だと思いますよ! 大して長い小説でもないので、是非とも新潮文庫から出ている原作も読まれることをお薦めいたします。他の安部公房作品の『砂の女』や『壁』とかよりも、よっぽど読みやすいと思います。

 さて、それで今回の映画版なのですが、まず四半世紀を超えて執念の完成を果たした石井岳龍監督に関して言いますと、私が石井監督の作品を観たのは『ユメノ銀河』(1997年)と『五条霊戦記』(2000年)に続いて3作目で、映画館で観るのは初めてとなります。
 こんなていたらくなので、はっきり申して石井監督に関してはほぼ知らないと言って差し支えない不勉強ぶりなのですが、昔から伝説の監督という印象で名前だけは知っていたんですよね。
 もちろん、1997年の日独合作版の『箱男』が、なんだかわかんないけど直前で制作中止になったというニュースも、当時聞いたことはありました。確か、たぶん今回のバージョンで白本さんが演じた葉子の役を、当時、思春期の私にとっては「出てくればなんかエロイことになる」というイメージで有名だった女優の夏生ゆうなさんが演じる予定だったという情報もあって内心ワクワクしていたのですが、それが2024年になってリベンジされるとはねぇ。長生きしてみるもんだねい。

 それで、今回この『箱男』を観た肝心カナメの感想はと言いますと……


ロマンというにはアホらしすぎて……出てくる名優たち、みんなアホ映画!!


 ということになるでしょうか。
 いや~、これ……『天才バカボン』的映画ですよね? 笑っちゃうしかないキャラ設定と展開しかないよ……あの日本映画界の至宝たちが真面目に演じれば演じるほど、アホらしい!! すっごく贅沢な長編コント作品だこれ!
 かつて、生前の安部公房は石井監督に本作を「娯楽にしてくれ。」とだけ注文をつけたそうですが、石井監督は、その言を忠実に守ったのだ!! 映画流にひねったラストも含めて、これはみ~んなツッコミ待ち系お笑い映画なのですよ!

 原作小説の『箱男』は、まさしくこれ「実験小説」といったていで、主人公が箱男であるらしいことはわかるのですが、章段や挿話ごとに語り手や語り方もコロコロ変わりますし、意図的に登場人物たちの固有名詞である名前が使われないので( ABCD表記とか「彼女」とか)、一体その話をしている主体が誰なのか、いつの話をしているのかが曖昧模糊としてくる幻惑的な物語になっています。もちろん、それにしたって安部公房の世界は直接的に読者の五感に訴えかけてくる生々しい微細な描写が特徴的なので、物語への興味が薄れてしまうことはありません。お話の全体像はよくわからないものの、とりあえず目の前にある細部だけははっきりしているという近視眼的な世界は、まさしく安部公房ワールドの身上ですよね! 特に本作の場合は、箱男がいかにして、ごく普通の段ボール箱をカスタマイズして箱男の「肉体と内臓」にしていくのかを偏執的に解説する導入部の語り口が秀逸です。ほんとに箱男の箱を作ってみたくなっちゃう! 読んでいるだけなのに、箱男の汗まみれの肌と体臭がにおってくるような、絶妙にイヤな感覚に陥ってしまいますね。

 要するに、安部公房の迷宮的な世界は、確かに実験的ではあるのですが、その描写において実に映像的で理性的なカメラワークが機能しているので、決して「読みにくくはない」のです。そこが、現代でも彼の諸作がけっこう読み継がれているゆえんなのではないでしょうか。そして、とりわけこの小説『箱男』について言うと、文章の中にスライドショー的に挿入される安部公房自身が撮影した「街のスナップ写真」も、かの松本人志の創始した「写真で一言」に一脈通じるような、1990年代以降の「視覚イメージと言語のたはむれ」を先取りしている面白さに満ちています。内容的には小説にほとんどリンクしていないような写真ばかりなのですが、そのピンぼけ感が小説のシュールで幻想的な空気を100% 象徴しているんですよね。この戦場カメラ、もしくは盗撮カメラのような粗さがヤバいぞ!みたいな。この写真の一部は、映画版の冒頭でも使用されていますね。

 ここで小説版の魅力を語っているとキリがなくなってしまうのでここまでにしておきますが、今回の映画化で私が強く感じたのは、「小説」と「映画」との、あまりにも大きな「表現ジャンル」としての違いでした。本作は、一人の作者がつづる小説と、無数の人々が集まって作り上げる映画の違いがこれでもかというほどにはっきりした顕著な例になったと思います。でも、これは安部公房と石井岳龍というかなり個性的な才能が並び立ったからわかったことなのであって、どちらかがどちらかに呑まれる程度の能力しか持っていなかったら、成り立たない拮抗現象だったと思います。やっぱ、今回の映画化は幸せなことだったんですよ!

 具体的に見ていきますと、今回の映画版における100% オリジナルな要素は、物語の舞台が21世紀現代になっていることと、それにともない佐藤浩市が演じる軍医が旧日本陸軍でなく自衛隊の退役者で、海外に派遣されたときにハマったサボテン由来の麻薬成分の中毒者になっているというアレンジくらいだと思います。それ以外に関しては、ラストの箱男の導き出した実に映画的な「結論」を除いて、全体的にほぼ、原作小説の内容に即した流れやセリフを忠実になぞっています。

 それでも! 原作小説と映画版とでは、それぞれの印象がかなり違ったものになっているのです。
 それはすなはち、物語における主人公・箱男の占めるパーセンテージと言いますか、主観の割合の違いが原因だと思うんですよね。

 つまり、原作小説の主観視点は、コロコロ変わっているにしても三人称描写になるにしても、どうしても「一点から見た物語」であることに違いはありません。さらには安部公房一流の「感覚(特に嗅覚?)に訴えかける詳細な描写」が加わってくるので、つまるところ、「撮影者」がめまぐるしく交代していても、読者に提供されるカメラの性能はずっと変わらない安定感があるわけです。そこには、混迷を極める現代都市の中を段ボールひとつで生き抜く箱男のハードボイルド「でありたい」哲学に代表される、多分に格好の良い安部公房の語り口が通底しています。誰がその章段を語っているのだとしても、共通の匂いがあるんですよね。

 ところが! 映画版はいくら個性的な永瀬さんが強烈に箱男を演じたのだとしても、それ以外の肉体を有した共演者は厳然としてちゃんと実在しているのです。しかも、今回の場合は佐藤浩市やら浅野忠信やらという、黙っててもハンパない存在感がビンビンに伝わってくる当代一の名優ぞろい!! そして、そこにはさらに白本彩奈さまという、別ベクトルで強烈な「他者」までもが……
 映画版は、それが複数の俳優たちによって実現する「視点の乱立した世界」であることをはっきりと、冷酷に明示します。つまり、いくら永瀬さんが、その魅力的な低音ボイスで箱男の孤高性を謳い上げたのだとしても、はたから見たらうす汚れた段ボールの中に引きこもって、たま~に下から足をニョキッとはやして、かなりぶざまにバタバタバタ……と街中を駆けずり回り、空き地で同じく頭のおかしなワッペン小僧と「宿命の対決ごっこ」を繰り広げる「ちょっとアレな名物おじさん」としか思われていないという厳然たる事実が、客観的に提示されてしまうのです。箱男が空気銃のスナイパーを恐れていくら必死に疾走しようが、それが街の人々にカッコよく見えることは金輪際ない、この哀しさ……冒頭で、箱男と目が合った瞬間に、知らないふりをして去ってしまうかわいい娘さんがいましたが、世間の大半の人は箱男のカモフラージュ術にだまされて箱男を認識できていないのではなく、いるのは百も承知で関わるのがめんどくさいのでスルーしているのです。

 映画版は、箱男の役に「独特の孤高性を持っている人物」としてこれ以上ない存在感をはなつ永瀬さんを起用していながらも、それを取り囲むカメラワークやキャスティングに、かなり辛辣な「なにやってんだ、こいつ……」な醒めた視点を配置していると言えます。

 まず、ニセ箱男を演じる浅野忠信さんからして、永瀬さんと親和性が高いようでいて、実はその属性が炎と氷ほどに違う両極端な関係にあると思います。それはもう、石井監督の本作における浅野さんの使い方からして明白なのですが、浅野さんが饒舌になればなるほど彼の一般的によく知られたダンディズムはガラガラと崩壊し、その異様に重力の無い軽快なトークには、周囲の全ての人々をへへへっと小バカにしたような「かわいい悪意」がむき出しになってくるのです。つまり、浅野さん演じるニセ箱男が「ぼくも箱男になりたいんだよぉ~。」と言えば言うほど永瀬さんの箱男はイラっときますし、医院を経営して社会人として成り立っている男が、ホームレスそのものの箱男を「見下している」という余裕しゃくしゃくな態度がありありと露わになってくるのです。

 ここでちょっと重要なのは、浅野さん演じる医院の実質的運営者が医師免許を持っておらず、院長である佐藤浩市の軍医殿の名義を「借りている」人物であるという点で、この「限りなく本物に近い偽物」というアイデンティティが原作小説ではかなりクローズアップされているのですが、映画版ではこの辺りはあまり強調されません。先に言及されていたような「元衛生兵」氾濫の時代ではもはやないから強調しなかったと言えばそこまでなのですが、軍医殿の正妻「奈々」をニセ箱男が寝取って内縁の妻にしているという設定が、白本さんの葉子に吸収合併されて消えてしまっているのも大きいような気がします。
 ただ、この省略によって、映画版における浅野さんのニセ箱男が本物の箱男をつけ狙う理由が、ニセ箱男本来のヤドカリのように他者の属性を奪う「本物でない存在」にあるのではなく、単に上司である軍医殿が箱男に興味があるからそれにつられて取り憑かれていったという、やや自律性の無い感じになっているのは、ちと残念な感じがします。なるほど~、だからニセ箱男が完全な箱男になるあたりの説得力が物足りなかったのか。

 余談ですが、このニセ箱男の「正妻を寝取るイケメン間男」という立場は、奇しくも1970年代のある超有名なミステリ映画において、他ならぬ佐藤浩市っつぁんのお父様・三国連太郎が演じた役柄の立場でもありました。親の因果が子に報いってやつぅ!?

 そしてそして、私がさらに声を大にして言いたいのは、この映画版において永瀬さんの箱男をさらにアホらしい現実的で弱々しい存在に「堕天」せしめている存在として、浅野さん以上に大きな役割を担っているのが、誰あろう白本彩奈さまであるということなのです! ギャー彩奈サマ~!! 「卑弥呼さま~」みたいなニュアンスで彩奈サマ~!!

 本作の制作にあたり、石井監督は200名近いオーディションの中からヒロインに白本さんを抜擢したというのですが、私が観るに、白本さんを選んだ最大の理由は、彼女が有するたぐいまれなる美貌でもスタイルでも演技力でもなく、その天上天下唯一無二なる「まゆげの左右の段差」にあるような気がしてなりません。

 そう、白本さんのまゆげ! よく見ればわかります、白本さんのまゆげって、右眉の眉がしらが、常に左眉よりも「一段高い」のですよ!! 正面から見るとカタカナの「ハ」みたいな感じになっているのです。所ジョージさんではないですが、こういうふうに片眉が上がる表情って、目の前の物事を一歩引いた目線から分析しているような印象になりますよね。常に一定の距離を置いて世界を見ているわけです。

 くを~!! 石井監督もお目が高い!! 白本さんはもともとクールな美貌の持ち主でもあるわけですが、この神のみわざとしか言いようのないまゆげの段差によって、常に世の中の万物の本質を「ふ~ん、そうなんだ。」と見透かしているかのような「冷徹さ」をたたえているのです!! 全ての美学・哲学を粉砕する白本さんのまゆげの、メデューサの石化能力の如き「なにそれ、アホらし。」化能力!! これには、さすがの永瀬さんもかたなしってわけよぉ!!

 映画版での箱男 VS ニセ箱男の医院地下での大乱戦において、永瀬さんは浅野さんに対して「葉ちゃんって呼ぶんじゃねぇ!!」みたいな絶叫をしていて、それは撮影現場で生まれたアドリブだったそうなのですが、これはもう永瀬さんにジェラシーを生ませる言葉を浅野さんに言わせた白本さんの功績だと思います。というか、原作小説での戸山葉子は、全体的にあっちにフラフラこっちにフラフラと、その時近くにいる男になんとなくついていくような存在感の薄いキャラでした。ところが、映画版の葉子は白本さんというかなりはっきりした「肉体」を得たことで、永瀬さん、浅野さん、浩市っつぁんという3大怪獣を向こうに回して、「男って、なんでこんなにアホばっかなのかしら……」と冷めた目つきとまゆげで観察しているような「真に孤高な存在」となりえているのです。

 つまり、なんだかんだ言っても箱男を含む「男ども」は何かと言い訳をつけて「対決する相手」を探し、「ゲットしたいかわいこちゃん」を追い求める集団性の生き物であるという真理を白日の下に曝すのが、映画版における白本さん起用の最大の目的だったのではないでしょうか。
 作中、白本さんは確かにヌードもいとわない体当たりの演技で男だらけの作品世界に身を投じますが、彼女が「本心」までをも丸裸にする瞬間は一秒たりともありません。むしろ、自分の美しい肢体を前に確実に幼児退行する男どもを観察して、イジるだけイジって、飽きたら去って行く絶対的頂点捕食者なのです。白本さん、こんな役よくやりおおせましたね……大物や!!


 この映画『箱男』は、安部公房の原作小説を可能な限り忠実に映像化した作品であり、現時点の日本映画界における最高の逸材をそろえて対決させた理想的な精華だと思います。
 しかし同時に、本作はこれが石井岳龍監督のトレードマークなのか、登場人物たち(男どもォ!)の生き方が非常に生々しく子どもっぽく、社会に向けて着飾った衣服をかなぐり捨てて裸同士の泥んこプロレスを繰り広げるような、原作小説には無い熱気とアホらしさをおびた、実にオリジナルな大乱闘アクション映画でもあるのです。そして、そんな愛すべき乱痴気騒ぎの中心に立つのは、美神・彩奈さま!!

 ただまぁ、そう考えちゃうと、本作において一番盛り上がったところって、原作の理屈から離れてかなり自由にやっていた、序盤の箱男 VS ワッペン小僧の子どもの怪獣ごっこみたいな荒唐無稽なアクションシーンだったりもするんですよね……あそこはほんとにアホらしくて最高でした。段ボールを貫通する槍をどうやってつかむんだよ! そしてそのまま槍ごと箱男を持ち上げるワッペン小僧の魂の咆哮!! ここ、私の心の母である、あの名前を言うのさえ畏れ多い伝説のギャグマンガ家さんの世界のかほりをかぎ取った瞬間でした。いいな~、このアホらしさ。

 結局、男子は永久に女子のたなごころの上で、ホウキやちりとりを武器にしてわちゃわちゃたはむれているしか能のない生き物であるのか……

 「男子、ちゃんとしなさい!!」の一喝を心のどこかで待ちわびながら、今日も男どもは都会のジャングルで闘いを繰り広げてゆくのであつた。チャンチャン♪

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