み~んみ~んみんみんみんみんみ~……じじじじじ。
あっ、どうもこんばんは、そうだいです。なんかまだちゃんとセミの声を聴いていないような気がしましたので、かわりにやらせていただきました。
もう7月も終わりなんですけどねぇ。これからうるさくなるのかしら。
そんなに重大なことではないのですが、最近わたくし、ある計画を進めております。
いや、ほんとにたいしたことじゃないんですけど、少なくともある1人の方には秘密にしておきたいので、具体的にどんなことなのかをここでつまびらかにすることができないのね。
ワクワクしますねぇ~、こういうのって。ふだんの私とはまったく接点のない世界をのぞいてみて、
「うわっ、意外とたのし~。」
という気分になることはいいことですな。
いつかはこのへんの経緯もぜ~んぶ説明できることになるかと思います。その時になったらぺろ~んとつつみかすさずお話しいたしますので、もうちっとだけお待ちくださ~い。
長かった……この計画、なんだかんだいって今年のはじめくらいからいろんな偶然が重なりあって動き出してましたからね。やっぱり人生はおもしろいわ。
さてさて! んだったらもう、こんだもえっつらおっつらどおっぱずめでいぐがしたん。
ほ~ら、よっこらしぇ~のSyedd。
2005年の暮れに東京・秋葉原の専用劇場でうぶごえをあげることとなったアイドルグループ・AKB48。
その初期における実態が、かっちりしたチーム分けと楽曲CDの「選抜メンバー制度」によるサラリーマン顔負けの峻烈な競争社会だったことは、この前の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」第34回でも触れさせていただきました。
そのへんの「ガチ感」は、第3回選抜総選挙が盛大に実施された2011年にも彼女たちにしっかり継承されているわけなのですが、私は2008~09年のある出来事をきっかけに、AKB48の内部に、きたるべき全国的ブレイクに向けての重大な改革がなされていたのではないかと見ました。
その出来事とは、2009年8月に開催された日本武道館コンサート「AKB104 選抜メンバー組閣祭り」でおこなわれた人気メンバーのチームがえ(シャッフル)だったのではないかと。
これは、その時点までに発足していたAKB48を構成する3チーム「A」「K」「B」で、これまでの楽曲で選抜メンバーの常連となっていた人々が所属チームを変えたり、研修生がいずれかのチームの正規メンバーに昇格するといった人事が発表されたもので、はっきりいってAKB48のチーム分けの意味がわからない2009年当時の私のような門外漢にとっては、
「ッど~でもいいじゃない、そんなこまけぇこと!!」
というレベルのささいな改編にしか見えませんでした。まぁ、別に誰かがグループそのものを卒業するとか脱退するとかいう話じゃなかったわけですしね。
しっかし! 今になってやっとわかる。これはかぁ~んなり重大な方針転換でした。
つまり、「ほんの一部の変更人事」とはいえ、結成以来ながらくメンバーとファンにとって非常におも~い意味を持ってきていた各チームの違いというものを、ある程度破壊する効果を生んだのがこの「組閣」だったんじゃないかと思うんですね。それまで各チームがはぐくんでいた独自の気風というものがうすまり、全体的に雰囲気が統一される動きとなったのです。
チームAは「伝説の結成メンバー」、チームKは「団結力の強い努力家」、チームBは「愛される妹」。
それまではAKB48劇場という共通の戦場でしのぎを削って戦ってきたこの3つのアイドルグループが、この時にいたってついに1つの「AKB48」という集団になったんじゃないでしょうか。
そういう見方でいいますと、今現在、テレビの中で引っぱりだこになっているAKB48が誕生した瞬間というものがこの2009年8月の武道館コンサートであり、それまでの約4年という歳月は、すべてこの時をむかえるための「トレーニング期間」だったんじゃないか、とも思えてきます。なげぇ準備期間だなぁ……
「海の殺し屋」ホオジロザメは、生まれた直後から兄弟、姉妹どうしで闘いあい、生き残った者だけが卵の入れ物から外に出てくる権利を手にするのだという。
サメや……AKB48はアイドルグループ界のサメや、百戦錬磨のキラーコンテンツなのや……
おそろしなんどもおろかなり。ついに最強にして最凶の生物が野にはなたれてしまった!! いや、ほんとにサメが野にはなたれたら息ができなくなってすぐ死んじゃうんですけど……
まさにここで誕生した新生AKB48は、アキバでのチーム間の競争の次の局面へとうつっていく、日本全国の「えーけーびぃ? 何?」や「あぁ、あのおたくのメイドカフェみたいなやつ?」といった不特定多数の人々を相手にした「挙国一致内閣」となったわけだったのです。確かに「組閣」はダテではなかった。
もちろんそれまでの、劇場でのファンとの距離の近さを大事にしたライヴアイドルAKB48の過去をすべて「なかったことにする」というわけでもないのでしょうが、前回にもあげたようなテレビ番組にアニメにゲームにインターネット、グラビア雑誌に果ては納豆までといった膨大なタイアップ戦略も功を奏し、AKB48は秋葉原のライヴを観たこともない、観に行くことのできない人々にもその名前を訴えかけていくこととなりました。
当時、地上波テレビの看板番組だった『AKBINGO!』は関東ローカルでの放送にとどまっていたのですが、かつて同じ関東ローカルの看板番組という規制によって知名度が伸び悩んでしまった20世紀終盤の「チェキッ娘」とはもはや時代が違っており、ネット上での口コミや無料動画チャンネルの普及などによって、放送局の少なさもたいした支障にならず、「東京にAKB48あり。」の報はみるみるうちに日本全国に広がっていくこととなりました。
こういった戦略は、まず「AKB48という、やたら大人数でミニスカ制服のアイドルグループがいる。」という情報を広めていくこととなったのですが、それと同時に重要になってくるのが、
「じゃあ、具体的にどんなかわいいコがいるわけ?」
という次なる質問に雄弁に回答できるAKB48側のリアクションです。
私は、その「メンバー紹介」の役割をになったのが、AKB48の2008年ごろから演出の変わってきた高橋栄樹(えいき)監督による楽曲プロモーションビデオ諸作だと思うんですね。
高橋監督は1965年生まれの映像ディレクターで、1990年代ごろからTHE YELLOW MONKEY などの有名ミュージシャンのプロモーションビデオの監督をつとめてきたお方です。
AKB48の楽曲は、2007年4月の3rdシングル『軽蔑していた愛情』からプロモーションビデオの監督を担当しており、それ以降は全作品ではないものの『ポニーテールとシュシュ』まで9つの重要な作品を手がけてきています(2011年6月時点)。
そういった感じで、けっこう深めにAKB48のイメージづくりにかかわってきた高橋監督なのですが、特に私が注目したいのは、AKB48関連としては監督3作目となる8thシングル『桜の花びらたち2008』(2008年2月)からの「ドラマパート」の急増です。
それまでのAKB48のプロモーションビデオは、ふつうのミュージシャンやアイドルのほとんどのそれがそうであるように、楽曲が最初から流れていって、それにあわせたダンスやセリフのない物語が映像として映し出されていく形式となっていたのですが、この『桜の花びらたち2008』からは、ずいぶんと多めの割合で選抜メンバーがなにかしらの役をうけもってセリフのある芝居を演じるドラマパートが、楽曲の流れていない序盤や終盤に挿入されていくこととなります。
だいたいの場合、前田敦子さんが主役を演じているケースが多いこれらは、とりようによってはすべて「同じ学園で同一人物の学生たちが出ている」と解釈できなくもない連作となっており、学園祭やクラスメイトどうしのケンカやサプライズ誕生会、そして卒業後10年ほどたってからの同窓会といった、「あわ~い」&「あまずっぱ~い」物語が展開されていきます。時間は短いですがかなり本格的な撮り方がされている映像作品になっていますね。
たぶん、このへんのドラマパートの導入は、本人が本当にそういうキャラクターの人物なのかどうかは別の話としまして、初めてAKB48というものたちの存在に触れる世間の人々にとっては、「あぁ、AKB48にはこういう女の子たちがいるんだなぁ。」という個別認識をしてもらう手っとりばやい最初のとっかかりになったのではないでしょうか。そしていうまでもなく、この延長線上にあるのがその後の人気メタドラマ『マジすか学園』シリーズであるわけなのです。
そのへんの1人1人の全国向けの自己紹介のような作業は『AKBINGO!』でも毎週繰り広げられていたと思うのですが、バラエティ番組のようなあけすけなやり方よりももっとロマンティックで大人たちのノスタルジアをきゅっきゅきゅーきゅっきゅきゅーと刺激するプロモーションビデオは、より効果的にAKB48の存在を世に知らしめることになったんじゃなかろうかと私は思うわけなんですよ。
個人的な思い出とからめますと、私は『大声ダイヤモンド』のプロモーションビデオが正視できなくてねぇ……恥ずかしくって。私はれっきとした男子だったんですが、女子グループに1人だけまじって、文化祭であんなことやったのよ。まさしく「なかったことにしたい記憶」シリアルナンバー203番なのですが、これを捨てられずに生きているからヒューマンなんですよね……しみじみ。
ともあれ2008~09年のAKB48は、アイドルグループとしての音楽活動もさることながら、それよりももっと、「彼女たちはいかにしてAKB48に所属することとなったのか」「いかにしてその他大勢の中から選抜メンバーにえらばれることとなったのか」、そして「あなた(視聴者)のいちばん好きなメンバーは誰なのか」、という部分のアピールに力を入れて、日本全国の人々に「まず興味を持ってもらうこと」を目標にしていたといっても過言ではなかったんじゃないかと思います。徹底的な「お試し期間!」だったわけです。
ところで、私はこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の中で一貫して、あのモーニング娘。のことを、「看板は同じだがアトラクションが時期にあわせていろいろと変わっていく遊園地」というたとえをもって説明していたかと思うのですが、それに比較して言いあらわすのならば、AKB48は、
「どこからが敷地なのかさえはっきりせず、どこにどんなアトラクションがあるのかもわからない、ガイドブックのないパノラマ島」
ということになるのかしら。
要するに、遊園地1コにとどまらない膨大な広さの中でさまよい歩き、その途上で見つけたさまざまな楽しみをつなぎ合わせて自分なりの「地図」を作っていくこと、その作業そのものが最大のアトラクションになっている謎のアイランドなわけなんですな。
ちょ~っと、こわい! でも、どこに何があると入り口のパネルにちゃんとかいてある遊園地にはない、お客さんの脳みそに直接うったえかけるおもしろさがあるのよねぇ。わぁ、やっぱこえぇ~。
せっかくモーニング娘。との比較が出てきたのでついでに触れておきたいのですが、私は「グループと楽曲との関係」という点でも、両者はかなりわかりやすい違いがあるんじゃないかと思うんですね。
まずモーニング娘。をあげてみますと、彼女たちの歌唱も含めてのアピールスタイルは、
「いいからまずは、彼女たちのステージを観てみてちょーだい!」
というもので、いっぽうのAKB48はといいますと、
「いいからまずは、彼女たちがステージに上がるまでの話を聞いてちょーだい!」
というアピール法なんじゃないかと思うんですね。
ここの違いははっきり言って、実際にグループにいる女の子たちよりも、彼女たちをプロデュースしている人の資質の違いに起因しているんじゃないかと思うのですが、要するに、自身がまぎれもないミュージシャンでもあるつんく♂さんが守りたい「オンステージは魅せる!」と「オフステージは見せない!」の差をはっきりさせたモーニング娘。にたいして、作詞家ではあるものの楽曲全体を支配しているわけではない秋元康さんの、「歌もいいけど、それよりももっとおもしろい物語があるよ。」というステージ裏への手まねきがたまらない魅力となっているのがAKB48なんですね。
そう考えてみると、モーニング娘。が時期によってだいぶグループの性質が変化している、ということは前にも触れましたが、どの時期でも一貫しているのは「目をひいてナンボ!」「唄いあげてナンボ!」という個性重視体制であることです。歌がうまいのなら、もしくはダンスがうまいのならまじめにステージで輝くもよし。変声や変顔が好きなのならするもよし、お笑い芸人と互角に渡りあえるトーク力があるのならそれをいかんなく発揮するもよし、コントがうまいのならコントで大暴れするもよし、福井弁がなかなかなおらないのならテッテケテーとイジられるもよし。なつかし~!
それにたいして、AKB48のステージには、ど~にも「規制」がよく似合う。「規制」というよりも「理性」と言ったほうがいいでしょうか。
そういえば、いくらかわいくアレンジされているといっても、AKB48の衣装は「学生服」です。学生服というものは、着ている人の事情を基本的に考えてくれない規制ですよね。
もひとつ規制というか、メンバーをいまひとつハッチャケさせなくする「安全弁」となっているのが秋元さんの歌詞でして、だいたいのAKB48楽曲って、つんく♂さんや普通のアイドルグループの唄う楽曲の歌詞に比べると、ずいぶんとカタいというか、「言いたいメッセージがギッチギチにしっぽまで詰まっている」内容になっていますよね? 『軽蔑していた愛情』なんかは、もはやアイドルの唄う楽曲ではないような重さの作品になっています。それに少なくない数、歌詞の内容が「男性から目線」になっているととったほうが自然な楽曲もありますね。
つまり、こういう歌詞の楽曲は、唄っている人の「個性」はあまり必要ありません。というか、唄い手さんがなるべく透明な存在にならなければ、歌詞の良さや「かわいい女子が男子の気持ちを唄っている」ということのあやうい距離感が伝わってこないわけなのです。
ダメおしで言うのならば、その楽曲を唄う「選抜メンバー」がはっきり確定していない、だいたいのメンツは決まっているにしても確定していないことが建て前になっているAKB48においては、「ここは低音の響くあの子に唄ってもらって、ここらへんは高音が得意なあの子のコーラスで……」という作戦づくりが成立しないということになるし、だとするのならば、「ある一定のレベル以上の人なら誰でも唄える楽曲」ということがAKB48の楽曲の条件ということになるのではないでしょうか。
これをもって、なにも私は「AKB48がアイドルグループとして劣っている」ということを主張したいのでは決してありません。だいいち、「歌のうまいへた」がアイドルグループの実力を指し示す基準に「ならない」ことは、今までこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」におつきあいいただいてこられた方ならばおわかりのことかと思います。歌がヘタでもビッグアーティストに成長したグループもあったし、いくらうまくてもまったくブレイクできなかったグループもありました……
要は、AKB48は「理性的で個性をおさえられた楽曲」とコミで、自分の個性をフルに発揮する「それ以外の自分の姿」も提供している戦法をとっている、ということなんですな。まさに24時間ガチ。
モーニング娘。を含めたハロー!プロジェクト陣営が、素の自分をさらけ出しているかのようなバラエティ番組でのフリートークを得意としていながらも、恋愛関係などでの「本当の素」をかたくなに見せようとしなかったこととは実に好対照な戦い方だと思うのですが、どうでしょうか。
まぁとにかくこんな感じで、「使える物は机の上に置いてあるエンピツでも武器にする」という『ボーン・アルティメイタム』もビックリのフルコンタクトアイドル戦士集団・AKB48だったのですが、彼女たちのまなざしには、目の前に広がる日本全国民の「好奇の視線」はどれほど恐ろしいものに見えたのでしょうか。
いろいろと年表にもあらわしましたが、2007~08年のAKB48への風当たりは、彼女たちにはなかなかキツいものがあったかと思います。そして、そのころから現在の栄華を想像することはむずかしい。2009年の「組閣祭り」以前に、それぞれの判断でグループを去っていった当時の人気メンバー、大島麻衣さんや中西里菜さんの決断も無理からぬことではあります。
劇場に足繁く通っていたコアなファンの方々との結びつきは強いようなのですが、第3回選抜総選挙での選挙後の前田さんや大島優子さんらのコメントには、まだまだ顔の見えない「世間」という巨大な存在への微妙な距離感、緊張関係が見てとれましたよね。
そこが魅力でもあるのでしょうが、AKB48はどこか、大変な盛況ぶりとなっている現状に「戸惑い」を隠せない表情を浮かべているような気がします。まぁ、戸惑って当たり前なバブルっぷりであるわけなんですけど。今あえてAKB48をやめるのは、そうとうな勇気がいるぞ~!
私は、2005~08年の苦労を知らない、あの前期のモーニング娘。におけるごっちんのような「空気を読まないスター」が登場して、「神7」と呼ばれているメンバーたちに伍する人気を得た時。その時こそ、AKB48はさらに次のステップに進むグループになれるのではないかと思うのですが……ど~でしょうかねェ!?
ともあれ、2009年最後のシングル『RIVER』の大ヒットをもって、ついに本格的な全国的ブレイクに乗り出すこととなったAKB48なのですが、その次の2010年から現在にいたるまでの趨勢はまた、ということで。
次回は2010~11年の、AKB48やハロプロ陣営「以外」のアイドルグループについてくっちゃべっていきたいと思いま~す。
ギャー!! 2011年って今じゃ~ねぇか!
ついた! 現在についたよ、おっかさ~ん。約60年の時間旅行にも、ゴールがやってきたんだねェ。3ヶ月かかったねェ。
よ~あ~けはァちかい~、よ~あ~ァけはァちかい~……
あっ、どうもこんばんは、そうだいです。なんかまだちゃんとセミの声を聴いていないような気がしましたので、かわりにやらせていただきました。
もう7月も終わりなんですけどねぇ。これからうるさくなるのかしら。
そんなに重大なことではないのですが、最近わたくし、ある計画を進めております。
いや、ほんとにたいしたことじゃないんですけど、少なくともある1人の方には秘密にしておきたいので、具体的にどんなことなのかをここでつまびらかにすることができないのね。
ワクワクしますねぇ~、こういうのって。ふだんの私とはまったく接点のない世界をのぞいてみて、
「うわっ、意外とたのし~。」
という気分になることはいいことですな。
いつかはこのへんの経緯もぜ~んぶ説明できることになるかと思います。その時になったらぺろ~んとつつみかすさずお話しいたしますので、もうちっとだけお待ちくださ~い。
長かった……この計画、なんだかんだいって今年のはじめくらいからいろんな偶然が重なりあって動き出してましたからね。やっぱり人生はおもしろいわ。
さてさて! んだったらもう、こんだもえっつらおっつらどおっぱずめでいぐがしたん。
ほ~ら、よっこらしぇ~のSyedd。
2005年の暮れに東京・秋葉原の専用劇場でうぶごえをあげることとなったアイドルグループ・AKB48。
その初期における実態が、かっちりしたチーム分けと楽曲CDの「選抜メンバー制度」によるサラリーマン顔負けの峻烈な競争社会だったことは、この前の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」第34回でも触れさせていただきました。
そのへんの「ガチ感」は、第3回選抜総選挙が盛大に実施された2011年にも彼女たちにしっかり継承されているわけなのですが、私は2008~09年のある出来事をきっかけに、AKB48の内部に、きたるべき全国的ブレイクに向けての重大な改革がなされていたのではないかと見ました。
その出来事とは、2009年8月に開催された日本武道館コンサート「AKB104 選抜メンバー組閣祭り」でおこなわれた人気メンバーのチームがえ(シャッフル)だったのではないかと。
これは、その時点までに発足していたAKB48を構成する3チーム「A」「K」「B」で、これまでの楽曲で選抜メンバーの常連となっていた人々が所属チームを変えたり、研修生がいずれかのチームの正規メンバーに昇格するといった人事が発表されたもので、はっきりいってAKB48のチーム分けの意味がわからない2009年当時の私のような門外漢にとっては、
「ッど~でもいいじゃない、そんなこまけぇこと!!」
というレベルのささいな改編にしか見えませんでした。まぁ、別に誰かがグループそのものを卒業するとか脱退するとかいう話じゃなかったわけですしね。
しっかし! 今になってやっとわかる。これはかぁ~んなり重大な方針転換でした。
つまり、「ほんの一部の変更人事」とはいえ、結成以来ながらくメンバーとファンにとって非常におも~い意味を持ってきていた各チームの違いというものを、ある程度破壊する効果を生んだのがこの「組閣」だったんじゃないかと思うんですね。それまで各チームがはぐくんでいた独自の気風というものがうすまり、全体的に雰囲気が統一される動きとなったのです。
チームAは「伝説の結成メンバー」、チームKは「団結力の強い努力家」、チームBは「愛される妹」。
それまではAKB48劇場という共通の戦場でしのぎを削って戦ってきたこの3つのアイドルグループが、この時にいたってついに1つの「AKB48」という集団になったんじゃないでしょうか。
そういう見方でいいますと、今現在、テレビの中で引っぱりだこになっているAKB48が誕生した瞬間というものがこの2009年8月の武道館コンサートであり、それまでの約4年という歳月は、すべてこの時をむかえるための「トレーニング期間」だったんじゃないか、とも思えてきます。なげぇ準備期間だなぁ……
「海の殺し屋」ホオジロザメは、生まれた直後から兄弟、姉妹どうしで闘いあい、生き残った者だけが卵の入れ物から外に出てくる権利を手にするのだという。
サメや……AKB48はアイドルグループ界のサメや、百戦錬磨のキラーコンテンツなのや……
おそろしなんどもおろかなり。ついに最強にして最凶の生物が野にはなたれてしまった!! いや、ほんとにサメが野にはなたれたら息ができなくなってすぐ死んじゃうんですけど……
まさにここで誕生した新生AKB48は、アキバでのチーム間の競争の次の局面へとうつっていく、日本全国の「えーけーびぃ? 何?」や「あぁ、あのおたくのメイドカフェみたいなやつ?」といった不特定多数の人々を相手にした「挙国一致内閣」となったわけだったのです。確かに「組閣」はダテではなかった。
もちろんそれまでの、劇場でのファンとの距離の近さを大事にしたライヴアイドルAKB48の過去をすべて「なかったことにする」というわけでもないのでしょうが、前回にもあげたようなテレビ番組にアニメにゲームにインターネット、グラビア雑誌に果ては納豆までといった膨大なタイアップ戦略も功を奏し、AKB48は秋葉原のライヴを観たこともない、観に行くことのできない人々にもその名前を訴えかけていくこととなりました。
当時、地上波テレビの看板番組だった『AKBINGO!』は関東ローカルでの放送にとどまっていたのですが、かつて同じ関東ローカルの看板番組という規制によって知名度が伸び悩んでしまった20世紀終盤の「チェキッ娘」とはもはや時代が違っており、ネット上での口コミや無料動画チャンネルの普及などによって、放送局の少なさもたいした支障にならず、「東京にAKB48あり。」の報はみるみるうちに日本全国に広がっていくこととなりました。
こういった戦略は、まず「AKB48という、やたら大人数でミニスカ制服のアイドルグループがいる。」という情報を広めていくこととなったのですが、それと同時に重要になってくるのが、
「じゃあ、具体的にどんなかわいいコがいるわけ?」
という次なる質問に雄弁に回答できるAKB48側のリアクションです。
私は、その「メンバー紹介」の役割をになったのが、AKB48の2008年ごろから演出の変わってきた高橋栄樹(えいき)監督による楽曲プロモーションビデオ諸作だと思うんですね。
高橋監督は1965年生まれの映像ディレクターで、1990年代ごろからTHE YELLOW MONKEY などの有名ミュージシャンのプロモーションビデオの監督をつとめてきたお方です。
AKB48の楽曲は、2007年4月の3rdシングル『軽蔑していた愛情』からプロモーションビデオの監督を担当しており、それ以降は全作品ではないものの『ポニーテールとシュシュ』まで9つの重要な作品を手がけてきています(2011年6月時点)。
そういった感じで、けっこう深めにAKB48のイメージづくりにかかわってきた高橋監督なのですが、特に私が注目したいのは、AKB48関連としては監督3作目となる8thシングル『桜の花びらたち2008』(2008年2月)からの「ドラマパート」の急増です。
それまでのAKB48のプロモーションビデオは、ふつうのミュージシャンやアイドルのほとんどのそれがそうであるように、楽曲が最初から流れていって、それにあわせたダンスやセリフのない物語が映像として映し出されていく形式となっていたのですが、この『桜の花びらたち2008』からは、ずいぶんと多めの割合で選抜メンバーがなにかしらの役をうけもってセリフのある芝居を演じるドラマパートが、楽曲の流れていない序盤や終盤に挿入されていくこととなります。
だいたいの場合、前田敦子さんが主役を演じているケースが多いこれらは、とりようによってはすべて「同じ学園で同一人物の学生たちが出ている」と解釈できなくもない連作となっており、学園祭やクラスメイトどうしのケンカやサプライズ誕生会、そして卒業後10年ほどたってからの同窓会といった、「あわ~い」&「あまずっぱ~い」物語が展開されていきます。時間は短いですがかなり本格的な撮り方がされている映像作品になっていますね。
たぶん、このへんのドラマパートの導入は、本人が本当にそういうキャラクターの人物なのかどうかは別の話としまして、初めてAKB48というものたちの存在に触れる世間の人々にとっては、「あぁ、AKB48にはこういう女の子たちがいるんだなぁ。」という個別認識をしてもらう手っとりばやい最初のとっかかりになったのではないでしょうか。そしていうまでもなく、この延長線上にあるのがその後の人気メタドラマ『マジすか学園』シリーズであるわけなのです。
そのへんの1人1人の全国向けの自己紹介のような作業は『AKBINGO!』でも毎週繰り広げられていたと思うのですが、バラエティ番組のようなあけすけなやり方よりももっとロマンティックで大人たちのノスタルジアをきゅっきゅきゅーきゅっきゅきゅーと刺激するプロモーションビデオは、より効果的にAKB48の存在を世に知らしめることになったんじゃなかろうかと私は思うわけなんですよ。
個人的な思い出とからめますと、私は『大声ダイヤモンド』のプロモーションビデオが正視できなくてねぇ……恥ずかしくって。私はれっきとした男子だったんですが、女子グループに1人だけまじって、文化祭であんなことやったのよ。まさしく「なかったことにしたい記憶」シリアルナンバー203番なのですが、これを捨てられずに生きているからヒューマンなんですよね……しみじみ。
ともあれ2008~09年のAKB48は、アイドルグループとしての音楽活動もさることながら、それよりももっと、「彼女たちはいかにしてAKB48に所属することとなったのか」「いかにしてその他大勢の中から選抜メンバーにえらばれることとなったのか」、そして「あなた(視聴者)のいちばん好きなメンバーは誰なのか」、という部分のアピールに力を入れて、日本全国の人々に「まず興味を持ってもらうこと」を目標にしていたといっても過言ではなかったんじゃないかと思います。徹底的な「お試し期間!」だったわけです。
ところで、私はこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の中で一貫して、あのモーニング娘。のことを、「看板は同じだがアトラクションが時期にあわせていろいろと変わっていく遊園地」というたとえをもって説明していたかと思うのですが、それに比較して言いあらわすのならば、AKB48は、
「どこからが敷地なのかさえはっきりせず、どこにどんなアトラクションがあるのかもわからない、ガイドブックのないパノラマ島」
ということになるのかしら。
要するに、遊園地1コにとどまらない膨大な広さの中でさまよい歩き、その途上で見つけたさまざまな楽しみをつなぎ合わせて自分なりの「地図」を作っていくこと、その作業そのものが最大のアトラクションになっている謎のアイランドなわけなんですな。
ちょ~っと、こわい! でも、どこに何があると入り口のパネルにちゃんとかいてある遊園地にはない、お客さんの脳みそに直接うったえかけるおもしろさがあるのよねぇ。わぁ、やっぱこえぇ~。
せっかくモーニング娘。との比較が出てきたのでついでに触れておきたいのですが、私は「グループと楽曲との関係」という点でも、両者はかなりわかりやすい違いがあるんじゃないかと思うんですね。
まずモーニング娘。をあげてみますと、彼女たちの歌唱も含めてのアピールスタイルは、
「いいからまずは、彼女たちのステージを観てみてちょーだい!」
というもので、いっぽうのAKB48はといいますと、
「いいからまずは、彼女たちがステージに上がるまでの話を聞いてちょーだい!」
というアピール法なんじゃないかと思うんですね。
ここの違いははっきり言って、実際にグループにいる女の子たちよりも、彼女たちをプロデュースしている人の資質の違いに起因しているんじゃないかと思うのですが、要するに、自身がまぎれもないミュージシャンでもあるつんく♂さんが守りたい「オンステージは魅せる!」と「オフステージは見せない!」の差をはっきりさせたモーニング娘。にたいして、作詞家ではあるものの楽曲全体を支配しているわけではない秋元康さんの、「歌もいいけど、それよりももっとおもしろい物語があるよ。」というステージ裏への手まねきがたまらない魅力となっているのがAKB48なんですね。
そう考えてみると、モーニング娘。が時期によってだいぶグループの性質が変化している、ということは前にも触れましたが、どの時期でも一貫しているのは「目をひいてナンボ!」「唄いあげてナンボ!」という個性重視体制であることです。歌がうまいのなら、もしくはダンスがうまいのならまじめにステージで輝くもよし。変声や変顔が好きなのならするもよし、お笑い芸人と互角に渡りあえるトーク力があるのならそれをいかんなく発揮するもよし、コントがうまいのならコントで大暴れするもよし、福井弁がなかなかなおらないのならテッテケテーとイジられるもよし。なつかし~!
それにたいして、AKB48のステージには、ど~にも「規制」がよく似合う。「規制」というよりも「理性」と言ったほうがいいでしょうか。
そういえば、いくらかわいくアレンジされているといっても、AKB48の衣装は「学生服」です。学生服というものは、着ている人の事情を基本的に考えてくれない規制ですよね。
もひとつ規制というか、メンバーをいまひとつハッチャケさせなくする「安全弁」となっているのが秋元さんの歌詞でして、だいたいのAKB48楽曲って、つんく♂さんや普通のアイドルグループの唄う楽曲の歌詞に比べると、ずいぶんとカタいというか、「言いたいメッセージがギッチギチにしっぽまで詰まっている」内容になっていますよね? 『軽蔑していた愛情』なんかは、もはやアイドルの唄う楽曲ではないような重さの作品になっています。それに少なくない数、歌詞の内容が「男性から目線」になっているととったほうが自然な楽曲もありますね。
つまり、こういう歌詞の楽曲は、唄っている人の「個性」はあまり必要ありません。というか、唄い手さんがなるべく透明な存在にならなければ、歌詞の良さや「かわいい女子が男子の気持ちを唄っている」ということのあやうい距離感が伝わってこないわけなのです。
ダメおしで言うのならば、その楽曲を唄う「選抜メンバー」がはっきり確定していない、だいたいのメンツは決まっているにしても確定していないことが建て前になっているAKB48においては、「ここは低音の響くあの子に唄ってもらって、ここらへんは高音が得意なあの子のコーラスで……」という作戦づくりが成立しないということになるし、だとするのならば、「ある一定のレベル以上の人なら誰でも唄える楽曲」ということがAKB48の楽曲の条件ということになるのではないでしょうか。
これをもって、なにも私は「AKB48がアイドルグループとして劣っている」ということを主張したいのでは決してありません。だいいち、「歌のうまいへた」がアイドルグループの実力を指し示す基準に「ならない」ことは、今までこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」におつきあいいただいてこられた方ならばおわかりのことかと思います。歌がヘタでもビッグアーティストに成長したグループもあったし、いくらうまくてもまったくブレイクできなかったグループもありました……
要は、AKB48は「理性的で個性をおさえられた楽曲」とコミで、自分の個性をフルに発揮する「それ以外の自分の姿」も提供している戦法をとっている、ということなんですな。まさに24時間ガチ。
モーニング娘。を含めたハロー!プロジェクト陣営が、素の自分をさらけ出しているかのようなバラエティ番組でのフリートークを得意としていながらも、恋愛関係などでの「本当の素」をかたくなに見せようとしなかったこととは実に好対照な戦い方だと思うのですが、どうでしょうか。
まぁとにかくこんな感じで、「使える物は机の上に置いてあるエンピツでも武器にする」という『ボーン・アルティメイタム』もビックリのフルコンタクトアイドル戦士集団・AKB48だったのですが、彼女たちのまなざしには、目の前に広がる日本全国民の「好奇の視線」はどれほど恐ろしいものに見えたのでしょうか。
いろいろと年表にもあらわしましたが、2007~08年のAKB48への風当たりは、彼女たちにはなかなかキツいものがあったかと思います。そして、そのころから現在の栄華を想像することはむずかしい。2009年の「組閣祭り」以前に、それぞれの判断でグループを去っていった当時の人気メンバー、大島麻衣さんや中西里菜さんの決断も無理からぬことではあります。
劇場に足繁く通っていたコアなファンの方々との結びつきは強いようなのですが、第3回選抜総選挙での選挙後の前田さんや大島優子さんらのコメントには、まだまだ顔の見えない「世間」という巨大な存在への微妙な距離感、緊張関係が見てとれましたよね。
そこが魅力でもあるのでしょうが、AKB48はどこか、大変な盛況ぶりとなっている現状に「戸惑い」を隠せない表情を浮かべているような気がします。まぁ、戸惑って当たり前なバブルっぷりであるわけなんですけど。今あえてAKB48をやめるのは、そうとうな勇気がいるぞ~!
私は、2005~08年の苦労を知らない、あの前期のモーニング娘。におけるごっちんのような「空気を読まないスター」が登場して、「神7」と呼ばれているメンバーたちに伍する人気を得た時。その時こそ、AKB48はさらに次のステップに進むグループになれるのではないかと思うのですが……ど~でしょうかねェ!?
ともあれ、2009年最後のシングル『RIVER』の大ヒットをもって、ついに本格的な全国的ブレイクに乗り出すこととなったAKB48なのですが、その次の2010年から現在にいたるまでの趨勢はまた、ということで。
次回は2010~11年の、AKB48やハロプロ陣営「以外」のアイドルグループについてくっちゃべっていきたいと思いま~す。
ギャー!! 2011年って今じゃ~ねぇか!
ついた! 現在についたよ、おっかさ~ん。約60年の時間旅行にも、ゴールがやってきたんだねェ。3ヶ月かかったねェ。
よ~あ~けはァちかい~、よ~あ~ァけはァちかい~……
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