竹内香苗アナウンサーが、日本を発つ!? い、行かないでくれ……
どうもこんにちは! そうだいでございます~。
今日の千葉はねぇ、寒い。とにかく寒いです……まるで、TBSラジオきっての女神のブラジル行の悲報を哀しんでいるかのようです。でも、もともと日本にとどまるスケールのお方じゃなかったことは明らかでしたから、仕方ねぇか。
今週日曜日の『爆笑問題の日曜サンデー』、聴きのがすわけにはいかないんですけど、大事な用事が入っちゃってるんだよなぁ! リアルタイムで聴くのは難しいですが、あとでどうにかして楽しみたいと思います。
9月ももうおしまいに近づいてきたんですけど、この1週間でギュギュギュンと気温が下がっちゃいましたよ。夏が終わったかと思ったら、一気になにを着て出歩けばいいのか本当にこまる時期になってしまいました。みなさん、くれぐれもカゼには注意しましょう!
最近のわたくしは死ぬほど忙しいというわけでもなく、かといってヒマでしょうがないということもなく、ぼちぼちいろんなことに思いをはせながら生活しております。資格試験のことだけを考えていた季節はいったん去って、ふと周囲のことを見渡してみるタイミングが到来してきたという感じでしょうか。ま、たいして大それたことは考えてねぇけど!
なんとな~くここ数日は、昔の自分のことを思い出す機会が多いような気がします。そこから現在のことに目を向ける、みたいな?
今年の夏はバタバタしすぎで、あんまり東京に遊びに行くチャンスも少なかったんですけど、ここのところはたて続けに2回、お芝居を観に行っておりました。
サンドグラ公演 『4月のある晴れた朝に100% の女の子に出会うことについて』(演出・佐々木透、原作・村上春樹)
ブルーカバーアクターズ第5回公演 『アイスクリームマン』(演出・宇治川まさなり、作・岩松了)
サンドグラさんの公演は日曜日の最後の回を観に行ったんですけれど、ブルーカバーアクターズは初日を観まして、こちらは東京・下落合の劇場「TACCS1179」で次の日曜日まで上演しておられるそうです。
いや~、どっちもですね、それぞれ別の部分でなにかを思い出す要素があったんですわ、わたくしとしましては。
サンドグラさんの公演については、内容じゃなくて上演していた場所ね。
会場は、地下鉄東西線の茅場町駅を出て5分ほど歩いたところにあるシックなビルの5階、フリースペース「マレビト」。
実はここ、おんなじ佐々木透さん演出のお芝居を観るために、おととしの2010年10月に来たことがあった場所だったんです。ま、私も自分でこの『長岡京エイリアン』の昔の記事を読み返すまでは、正確にいつ行ったのかを忘れてたんですけどね……やっぱ日記はつけとくもんだねぇ!
あの時も秋だったんですが、前回とまったく変わらず、今回もよわ~い雨がそぼ降る肌寒い休日。日が落ちてうす暗くなり、歩く人も少ないビル街のなかを一人ゆくさみしさといったら。どこからかビリー=ジョエルの『ストレンジャー』のイントロが聴こえてきそ……って、このたとえ2年前にも言ってたわ! 感性がまるで成長しておりません。
5階のマレビトに行くためには、エレベーターがないのでしっかりオノレの脚で歩いてのぼっていかねばなりません。空間はほんとにビルの一室といった感じで、お客さんが20人も入ればギュウギュウ詰めといった部屋の中で役者さんがたがお話を始めていきます。
雨の降る夕暮れのさみしい街を歩いてビルに行き、ビルを5階までのぼって小さなスペースでお芝居を観る。そして窓の外にふと目をやれば、灯りも少ない昭和を残した東京の夜が広がる……
なんか、気持ちいいくらいに丸2年前の自分と今の自分とがオーバーラップしまして、非常にいい感じの寂寥感を味わっちゃったんですね。「さみしい」という感情はあんまり毎日たのしむもんじゃあないと思うんですが、たまにはね! たま~にはいいもんです。
2年前の秋っつったら私、まわりの方々に無理を言って演劇活動をやめさせてもらった直後でしたわ。正式に所属していた劇団を去ったのは半年後だったんですが、いろんな感情をいだきながら2年前の私がこのビルの5階にのぼってきたわけなのね。
それから時はたち、私もいちおう生きていく上でのいろんな収穫を手にして、いくぶん昔のことに思いをはせる余裕くらいを持てるようにはなって同じスペースにやってきました。階段をのぼっても息がきれなかったのが地味に安心。
年をとるごとに短く感じるようになるのが時の流れとはよくいいますが、私の場合のこの2年間は長く感じましたねぇ。成長したかどうかはわかりゃしませんが、少なくともいろんな面で変わることができたかと思います。そして、総じてその変化を私は楽しんでおります。それがなによりかね……
2年前、2010年の10月……亀井絵里さんはかろうじてまだ芸能活動を続けていたのに、その存在に気づいてさえいなかった当時の我が身を呪うほかありません。心残りなことは、それくらいかなぁ。
そんな感じに、実は肝心のお芝居はそっちのけでずっとボヤ~ンと考え事をしていたわたくし……失礼だねぇ~!!
お芝居はタイトルの通り、村上春樹が1981年に発表した数ページほどの超短編(講談社文庫『カンガルー日和』収録)を1時間ほどの内容に舞台化したものです。
原作を読んでもわかるように、実際に読んでも10分かからないようなお話なんですが、演出はそれにくわえて、出演している女優さんが出産準備のために活動をいったん休止するといった、俳優さんそれぞれにまつわる現実の出来事をいくつか内容に取り込んで作品にしていました。
観て感じたんですけど、村上春樹の小説は、今回のようなごくごく短い話にしても、舞台化するのはそうとうに難しいんですね……だって、その文章をセリフにして発声している俳優さんよりも、その文章そのものの「個性」が強くて、それをあえてお芝居にする意味みたいなものに小説じたいが猛然とケンカをふっかけてくるような怖さがあるんです。いや、文体や内容はなんてったって村上春樹なんですからいたって柔らかな物腰で、ど~でもいいことをぶつくさつぶやいている大学生のようなヒョロヒョロ感があるわけなんですが、ひとたびそれを小説でない形式に変換しようとすると、「え~っと……それは……どうかな……だって……」と、深夜のファミレスで否定の意味だけの言葉をたっぷり3分かけて話すような陰険な抵抗をしかけてくるのです。
要するに、生半可なやりかたではまったく折れてくれない「芯の頑固さ」がすごいんですよ、ハルキ・ムラカミは。外ふんわり、中ジュラルミンですよ。
しかも、はっきり言って1980年代初頭の作家の感覚は、2012年現在の日本人の肉体とはだいぶ違うわけですから、ただその文章を今の役者さんがしゃべっているだけでは違和感がクローズアップされてくるだけで、あんなに平易なはずの村上春樹の文体なのに意味が頭に入ってこなくなっちゃうのね。それだったらお客さんが自分で小説を読んだほうがいいという、決定的な残念感にさいなまれてしまうわけなのです。
そんなふうに感じてしまいまして、私個人の感覚としましては、ちょっと今回のお芝居はよくなかった。村上春樹の小説に自分たちの実体験をからめてふくらませるという演出は、原作側からすると小説から逃げているともとれる戦法になってしまうわけで、こうなったらもう、村上春樹は同じ「村上」でも、あの武田信玄を合戦で2度も敗走させたという信濃の猛将・村上周防守義清(1503~73)にも匹敵するかのような頑強な反抗をしかけてくるわけなのです。これでは、なまなかな俳優さんがたではひとたまりもありません。恐ろしいことですね。
またついでに言いますと、やっぱりお芝居の空気の中で「赤ちゃんができた。」などというような発言をするのは、それがホントだろうがセリフだろうがどっちにしても、発言者と周囲の人間とのあいだに「あぁ……そう。」という絶対的な温度の違いを生じさせてしまいます。上演中に言われても、聞いた側の役者が「おめでとう!」にしろ「So what? F**K!! 」にしろ、お客さんを代弁するちゃんとしたリアクションをしなければお客さんの頭に中に浮かんだいろんなモヤモヤを消化させられなくなってしまうわけなのですが、今回は聞いた役者さんがまったくの無言ノーリアクションという最悪の事態になってしまいました。それは「お客さんにいろんなことを感じてもらう」ということをゴリ押ししている気持ち悪さがなくはないかしら?
だって、お芝居を観たあとにふつうにお話をしたほうが、その女優さんにたいする「おめでとう!! がんばってね!」という気持ちが素直に生まれたし、現にしっかり私の言葉で伝えられましたしね。
小説にしろふだんの会話にしろ、なにかしらそれなりに成立しているものをど~してあえて「演劇」という別の形に変換するのか? そこらへんをいろいろ考えてしまうお芝居でしたね、サンドグラさんの公演は。別にいいんですけど、もっと単純におもしろく楽しめるやつが観たかったな~、なんて思っちゃったりなんかしちゃったりして、チョンチョン!
さて、お次のお芝居はブルーカバーアクターズの『アイスクリームマン』。
こっちで私が昔のことを思い出すきっかけになったのは、お話が岩松了の戯曲『アイスクリームマン』(1992年初演)だったことと、出演している役者さんがほんとに若かったことですね!
『アイスクリームマン』は実になんちゅうか、恐ろしいったらありゃしない作品なんですね。もちろん、「村上春樹の小説を演劇化する」ということとはまったく別物の恐ろしさです。
物語の舞台は、地方の人里はなれた山奥にある自動車教習所。セリフの中に「ゆざわ」という地名が出てくるため、おそらく新潟県のどこかに設定されているかと思います。新潟県湯沢町は長野県と接している県中南部の町で、もよりの主要な城郭は長野県飯山市の飯山城(跡)です。ど~でもいいですよ~だ。
その教習所には、2週間の免許合宿のためにさまざまな顔ぶれが出入りするわけなのですが、そこで、おもに恋愛のドロドロを起因とした人間性まるだしの事件が次々に発生して……というのが『アイスクリームマン』の流れです。
この作品はまぁ~戯曲がよくできあがってるんですよね。セリフの一言一言にこめられた情報の密度は高いし、それらの伏線がある瞬間でパッと結びついてまた新たなアクションが発生するというつながりは、お客さんに集中力を落としているヒマをあたえません。そしてまた、どうしようもなく残酷で底意地の悪いラストシーンね。観終わった後にスッキリするといった種類のお芝居ではないと思うのですが、とにかくとてつもないお話を観てしまった、という余韻は強く残ります。
ただその、台本の段階でおもしろさがだいたい確約されている作品を上演することの恐ろしさね。
要するに、私はこの『アイスクリームマン』が非常におもしろい作品であることは今回のブルーカバーアクターズさんの公演でもよくわかったんですが、出演している役者さんのよさは、ちょっとわからなかったんだなぁ。公演初日ですから多少は緊張していたのかも知れませんが、聞きのがせないセリフがどうこうでなく、それをしゃべっている役者さんの魅力が観たかったっちゅうか。
そういう意味では、出演している役者さんの多くは若々しく、見た目もいかにもイケメンに美女ぞろいという陣容でよかったのですが、「こいつは……いったい何者なんだ!?」と、思わず物語の筋をおうことさえ忘れて見入ってしまうような俳優さんはいなかったような気がします。いや、たぶん回をこなすごとに余裕が出てきて、さらにおもしろくなっていくメンバーなんじゃないかとは思うんですけど。
役者さんの若さが悪く出ているのって、やっぱり「演技やセリフを言うテンポが無意識に似てきちゃう」ってことが最たるものなんじゃないでしょうか。悪い意味で欲がないというか、「私ならこうするけどな。」という、他人との違いを見せたい野心が少ないような気がしたんですね。
特に、女性が本心をあらわにして思いをぶちまける局面が多い『アイスクリームマン』なんですが、ヒステリックな演技が全員おんなじタイプで連続するっていうのは観ていて飽きるというか、必然的に最後の順番でその演技をする女優さんが大損こいちゃうわけなんですよね。そこはずるがしこい俳優さんだったら別のやり方を選択するべきだし、それがプロなんじゃなかろうかと。
まぁ、若い役者さんっていうことでも、上演中にその中の1人がやっちゃったハプニングという点でも、むか~しむかし(2年前)までに俳優をやっていたわたくし自身の大バカタリンコなあれこれを思い出してしまいました。ああいうミスする人、やっぱりいるのね……もう2度としちゃいかんぜ!
もうひとつ、私はさらに大昔の大学生時代、演劇サークルにいたころに上演する台本の候補として『アイスクリームマン』をみんなで読み合わせたことがあって、それも思い出したんでしたっけ。
そのときは結局、「いや、これはムリだわ……重い。」ということで『アイスクリームマン』は選ばれませんでした。うん、正しい判断かな!? あと、出てくる人数も多かったし。
そんなこんなで今回の『アイスクリームマン』。もちろん楽しんだことは楽しんだのですが、出てくる役者さんで楽しみたい私にとってはちょっと物足りなかったかしら?
まぁ、言いたい放題言いましたけど、役者じゃない人間はテキトーなことをずらずら言うよね~!! 現代日本のこの状況下で演劇の世界を生きている方々に惜しみない感謝と応援の念を送って、今日も私は働きに行きたいと思います。
♪ホントにホントにホントにホントに ごっくっろうさん、ハイッ!!
どうもこんにちは! そうだいでございます~。
今日の千葉はねぇ、寒い。とにかく寒いです……まるで、TBSラジオきっての女神のブラジル行の悲報を哀しんでいるかのようです。でも、もともと日本にとどまるスケールのお方じゃなかったことは明らかでしたから、仕方ねぇか。
今週日曜日の『爆笑問題の日曜サンデー』、聴きのがすわけにはいかないんですけど、大事な用事が入っちゃってるんだよなぁ! リアルタイムで聴くのは難しいですが、あとでどうにかして楽しみたいと思います。
9月ももうおしまいに近づいてきたんですけど、この1週間でギュギュギュンと気温が下がっちゃいましたよ。夏が終わったかと思ったら、一気になにを着て出歩けばいいのか本当にこまる時期になってしまいました。みなさん、くれぐれもカゼには注意しましょう!
最近のわたくしは死ぬほど忙しいというわけでもなく、かといってヒマでしょうがないということもなく、ぼちぼちいろんなことに思いをはせながら生活しております。資格試験のことだけを考えていた季節はいったん去って、ふと周囲のことを見渡してみるタイミングが到来してきたという感じでしょうか。ま、たいして大それたことは考えてねぇけど!
なんとな~くここ数日は、昔の自分のことを思い出す機会が多いような気がします。そこから現在のことに目を向ける、みたいな?
今年の夏はバタバタしすぎで、あんまり東京に遊びに行くチャンスも少なかったんですけど、ここのところはたて続けに2回、お芝居を観に行っておりました。
サンドグラ公演 『4月のある晴れた朝に100% の女の子に出会うことについて』(演出・佐々木透、原作・村上春樹)
ブルーカバーアクターズ第5回公演 『アイスクリームマン』(演出・宇治川まさなり、作・岩松了)
サンドグラさんの公演は日曜日の最後の回を観に行ったんですけれど、ブルーカバーアクターズは初日を観まして、こちらは東京・下落合の劇場「TACCS1179」で次の日曜日まで上演しておられるそうです。
いや~、どっちもですね、それぞれ別の部分でなにかを思い出す要素があったんですわ、わたくしとしましては。
サンドグラさんの公演については、内容じゃなくて上演していた場所ね。
会場は、地下鉄東西線の茅場町駅を出て5分ほど歩いたところにあるシックなビルの5階、フリースペース「マレビト」。
実はここ、おんなじ佐々木透さん演出のお芝居を観るために、おととしの2010年10月に来たことがあった場所だったんです。ま、私も自分でこの『長岡京エイリアン』の昔の記事を読み返すまでは、正確にいつ行ったのかを忘れてたんですけどね……やっぱ日記はつけとくもんだねぇ!
あの時も秋だったんですが、前回とまったく変わらず、今回もよわ~い雨がそぼ降る肌寒い休日。日が落ちてうす暗くなり、歩く人も少ないビル街のなかを一人ゆくさみしさといったら。どこからかビリー=ジョエルの『ストレンジャー』のイントロが聴こえてきそ……って、このたとえ2年前にも言ってたわ! 感性がまるで成長しておりません。
5階のマレビトに行くためには、エレベーターがないのでしっかりオノレの脚で歩いてのぼっていかねばなりません。空間はほんとにビルの一室といった感じで、お客さんが20人も入ればギュウギュウ詰めといった部屋の中で役者さんがたがお話を始めていきます。
雨の降る夕暮れのさみしい街を歩いてビルに行き、ビルを5階までのぼって小さなスペースでお芝居を観る。そして窓の外にふと目をやれば、灯りも少ない昭和を残した東京の夜が広がる……
なんか、気持ちいいくらいに丸2年前の自分と今の自分とがオーバーラップしまして、非常にいい感じの寂寥感を味わっちゃったんですね。「さみしい」という感情はあんまり毎日たのしむもんじゃあないと思うんですが、たまにはね! たま~にはいいもんです。
2年前の秋っつったら私、まわりの方々に無理を言って演劇活動をやめさせてもらった直後でしたわ。正式に所属していた劇団を去ったのは半年後だったんですが、いろんな感情をいだきながら2年前の私がこのビルの5階にのぼってきたわけなのね。
それから時はたち、私もいちおう生きていく上でのいろんな収穫を手にして、いくぶん昔のことに思いをはせる余裕くらいを持てるようにはなって同じスペースにやってきました。階段をのぼっても息がきれなかったのが地味に安心。
年をとるごとに短く感じるようになるのが時の流れとはよくいいますが、私の場合のこの2年間は長く感じましたねぇ。成長したかどうかはわかりゃしませんが、少なくともいろんな面で変わることができたかと思います。そして、総じてその変化を私は楽しんでおります。それがなによりかね……
2年前、2010年の10月……亀井絵里さんはかろうじてまだ芸能活動を続けていたのに、その存在に気づいてさえいなかった当時の我が身を呪うほかありません。心残りなことは、それくらいかなぁ。
そんな感じに、実は肝心のお芝居はそっちのけでずっとボヤ~ンと考え事をしていたわたくし……失礼だねぇ~!!
お芝居はタイトルの通り、村上春樹が1981年に発表した数ページほどの超短編(講談社文庫『カンガルー日和』収録)を1時間ほどの内容に舞台化したものです。
原作を読んでもわかるように、実際に読んでも10分かからないようなお話なんですが、演出はそれにくわえて、出演している女優さんが出産準備のために活動をいったん休止するといった、俳優さんそれぞれにまつわる現実の出来事をいくつか内容に取り込んで作品にしていました。
観て感じたんですけど、村上春樹の小説は、今回のようなごくごく短い話にしても、舞台化するのはそうとうに難しいんですね……だって、その文章をセリフにして発声している俳優さんよりも、その文章そのものの「個性」が強くて、それをあえてお芝居にする意味みたいなものに小説じたいが猛然とケンカをふっかけてくるような怖さがあるんです。いや、文体や内容はなんてったって村上春樹なんですからいたって柔らかな物腰で、ど~でもいいことをぶつくさつぶやいている大学生のようなヒョロヒョロ感があるわけなんですが、ひとたびそれを小説でない形式に変換しようとすると、「え~っと……それは……どうかな……だって……」と、深夜のファミレスで否定の意味だけの言葉をたっぷり3分かけて話すような陰険な抵抗をしかけてくるのです。
要するに、生半可なやりかたではまったく折れてくれない「芯の頑固さ」がすごいんですよ、ハルキ・ムラカミは。外ふんわり、中ジュラルミンですよ。
しかも、はっきり言って1980年代初頭の作家の感覚は、2012年現在の日本人の肉体とはだいぶ違うわけですから、ただその文章を今の役者さんがしゃべっているだけでは違和感がクローズアップされてくるだけで、あんなに平易なはずの村上春樹の文体なのに意味が頭に入ってこなくなっちゃうのね。それだったらお客さんが自分で小説を読んだほうがいいという、決定的な残念感にさいなまれてしまうわけなのです。
そんなふうに感じてしまいまして、私個人の感覚としましては、ちょっと今回のお芝居はよくなかった。村上春樹の小説に自分たちの実体験をからめてふくらませるという演出は、原作側からすると小説から逃げているともとれる戦法になってしまうわけで、こうなったらもう、村上春樹は同じ「村上」でも、あの武田信玄を合戦で2度も敗走させたという信濃の猛将・村上周防守義清(1503~73)にも匹敵するかのような頑強な反抗をしかけてくるわけなのです。これでは、なまなかな俳優さんがたではひとたまりもありません。恐ろしいことですね。
またついでに言いますと、やっぱりお芝居の空気の中で「赤ちゃんができた。」などというような発言をするのは、それがホントだろうがセリフだろうがどっちにしても、発言者と周囲の人間とのあいだに「あぁ……そう。」という絶対的な温度の違いを生じさせてしまいます。上演中に言われても、聞いた側の役者が「おめでとう!」にしろ「So what? F**K!! 」にしろ、お客さんを代弁するちゃんとしたリアクションをしなければお客さんの頭に中に浮かんだいろんなモヤモヤを消化させられなくなってしまうわけなのですが、今回は聞いた役者さんがまったくの無言ノーリアクションという最悪の事態になってしまいました。それは「お客さんにいろんなことを感じてもらう」ということをゴリ押ししている気持ち悪さがなくはないかしら?
だって、お芝居を観たあとにふつうにお話をしたほうが、その女優さんにたいする「おめでとう!! がんばってね!」という気持ちが素直に生まれたし、現にしっかり私の言葉で伝えられましたしね。
小説にしろふだんの会話にしろ、なにかしらそれなりに成立しているものをど~してあえて「演劇」という別の形に変換するのか? そこらへんをいろいろ考えてしまうお芝居でしたね、サンドグラさんの公演は。別にいいんですけど、もっと単純におもしろく楽しめるやつが観たかったな~、なんて思っちゃったりなんかしちゃったりして、チョンチョン!
さて、お次のお芝居はブルーカバーアクターズの『アイスクリームマン』。
こっちで私が昔のことを思い出すきっかけになったのは、お話が岩松了の戯曲『アイスクリームマン』(1992年初演)だったことと、出演している役者さんがほんとに若かったことですね!
『アイスクリームマン』は実になんちゅうか、恐ろしいったらありゃしない作品なんですね。もちろん、「村上春樹の小説を演劇化する」ということとはまったく別物の恐ろしさです。
物語の舞台は、地方の人里はなれた山奥にある自動車教習所。セリフの中に「ゆざわ」という地名が出てくるため、おそらく新潟県のどこかに設定されているかと思います。新潟県湯沢町は長野県と接している県中南部の町で、もよりの主要な城郭は長野県飯山市の飯山城(跡)です。ど~でもいいですよ~だ。
その教習所には、2週間の免許合宿のためにさまざまな顔ぶれが出入りするわけなのですが、そこで、おもに恋愛のドロドロを起因とした人間性まるだしの事件が次々に発生して……というのが『アイスクリームマン』の流れです。
この作品はまぁ~戯曲がよくできあがってるんですよね。セリフの一言一言にこめられた情報の密度は高いし、それらの伏線がある瞬間でパッと結びついてまた新たなアクションが発生するというつながりは、お客さんに集中力を落としているヒマをあたえません。そしてまた、どうしようもなく残酷で底意地の悪いラストシーンね。観終わった後にスッキリするといった種類のお芝居ではないと思うのですが、とにかくとてつもないお話を観てしまった、という余韻は強く残ります。
ただその、台本の段階でおもしろさがだいたい確約されている作品を上演することの恐ろしさね。
要するに、私はこの『アイスクリームマン』が非常におもしろい作品であることは今回のブルーカバーアクターズさんの公演でもよくわかったんですが、出演している役者さんのよさは、ちょっとわからなかったんだなぁ。公演初日ですから多少は緊張していたのかも知れませんが、聞きのがせないセリフがどうこうでなく、それをしゃべっている役者さんの魅力が観たかったっちゅうか。
そういう意味では、出演している役者さんの多くは若々しく、見た目もいかにもイケメンに美女ぞろいという陣容でよかったのですが、「こいつは……いったい何者なんだ!?」と、思わず物語の筋をおうことさえ忘れて見入ってしまうような俳優さんはいなかったような気がします。いや、たぶん回をこなすごとに余裕が出てきて、さらにおもしろくなっていくメンバーなんじゃないかとは思うんですけど。
役者さんの若さが悪く出ているのって、やっぱり「演技やセリフを言うテンポが無意識に似てきちゃう」ってことが最たるものなんじゃないでしょうか。悪い意味で欲がないというか、「私ならこうするけどな。」という、他人との違いを見せたい野心が少ないような気がしたんですね。
特に、女性が本心をあらわにして思いをぶちまける局面が多い『アイスクリームマン』なんですが、ヒステリックな演技が全員おんなじタイプで連続するっていうのは観ていて飽きるというか、必然的に最後の順番でその演技をする女優さんが大損こいちゃうわけなんですよね。そこはずるがしこい俳優さんだったら別のやり方を選択するべきだし、それがプロなんじゃなかろうかと。
まぁ、若い役者さんっていうことでも、上演中にその中の1人がやっちゃったハプニングという点でも、むか~しむかし(2年前)までに俳優をやっていたわたくし自身の大バカタリンコなあれこれを思い出してしまいました。ああいうミスする人、やっぱりいるのね……もう2度としちゃいかんぜ!
もうひとつ、私はさらに大昔の大学生時代、演劇サークルにいたころに上演する台本の候補として『アイスクリームマン』をみんなで読み合わせたことがあって、それも思い出したんでしたっけ。
そのときは結局、「いや、これはムリだわ……重い。」ということで『アイスクリームマン』は選ばれませんでした。うん、正しい判断かな!? あと、出てくる人数も多かったし。
そんなこんなで今回の『アイスクリームマン』。もちろん楽しんだことは楽しんだのですが、出てくる役者さんで楽しみたい私にとってはちょっと物足りなかったかしら?
まぁ、言いたい放題言いましたけど、役者じゃない人間はテキトーなことをずらずら言うよね~!! 現代日本のこの状況下で演劇の世界を生きている方々に惜しみない感謝と応援の念を送って、今日も私は働きに行きたいと思います。
♪ホントにホントにホントにホントに ごっくっろうさん、ハイッ!!
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