長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

高速回転する鏡体によく似た家族と、となりの美人さん  ~城山羊の会『水仙の花』~

2015年12月13日 22時55分46秒 | 日記
 うわ~、気がつけば、もう師走! どうもこんばんは、そうだいでございます。クリスマスも年末もさしせまった今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
 いちおう、私の勤め先は1年の中で11月が最も忙しいということになっておりまして、それもどうにかこうにかしのいで12月に入りおおせているのですが、今月は今月でやるこたいっぱいあるわけなんですよ。なんてったってクリスマス、なんてったって年の瀬! 気は抜けるはずがないですよね。何事も新人なりに全力投球でやってかないとねぇ。優しい先輩からは「力抜いたら?」なんても言われちゃうんですが、力を抜いたらすぐばれるんだなぁ、そこらへんのカモフラージュ術がてんでへったくそなのです。

 さて今週の土日は、そんなヒーコラヒーコラバヒンバヒンな私にとりましては滅多にない贅沢となる2連休だったのですが、そこで家でのんびりといかないのが、わたくしなのでありまして!
 入れたよね~、東京行きの強行スケジュール。そしてさらに強行なことに、東京に行くことにした12日土曜日は、早朝に健康診断を受けるという重大な予定が入っていたのだ!

 健康診断……いや、そりゃふつうの健康診断なんですけれどもね、ここで私にとってバカにできなかったのは、その健康診断の項目の中に「バリウム胃検診」という新機軸が加わっていたことだったのです。

 うわ~、生まれて初めてのバリウムだよ! しかも、バリウム飲んだあとは下剤飲まなきゃいけないんでしょ!? 私、下剤のむのも生まれて初めてなんだよぉ! 健康な胃腸を持って生きてこられた、このしあわせ。

 大丈夫なのだろうか……下剤が効いたとして、いや、そりゃ下剤がちゃんと効いてくれなきゃ困るわけなのだが、そうなると山形新幹線の中で過ごす3時間、東京で過ごす半日、そして今回も例によってホテルは使わないので深夜高速バス内で過ごす6時間というスケジュールは、果たしてこの私に耐えられるものなのだろうか。大東京のどこかで、まさかの「三十路スプラッシュ」という惨状を呈することになるのではなかろうかと夜も眠れない日々を送っておりました。怖い! それだけはなんとしても回避したい!!

 でも、この記事のタイトルでもう言っちゃってるんですが、今回の用事は東京で上演されている大好きな演劇を観ることなのでありまして、この土曜日を逃しては絶対にいけないものだったのよね。それでもう、やむなく「下剤を飲んで遠出する」という、いかがわしいマンガの美少女ヒロインでもなかなかさせられないような苦行を強いられ……いや、勝手に自分に強いる仕儀とあいなったのです。どこまでおのれを痛めつければ気が済むのだ! な~んてかっこいい言い方したって、バカはバカですよ~だ。

 そんな、他人様にとっては甚だどうでもいい煩悶をかかえつつ運命の土曜日当日となったのですが、まぁ日本の医療技術は着実に日進月歩しとるんだなぁといいますか、問題のバリウムも、牛乳やらヨーグルト飲料やらが大好きな私にとってはそんなに苦になるものでもなく、機械にしがみついてぐ~るぐる回る初体験も、けっこう楽しく過ごすことができました。よかったぁ、私、バリウムについての知識が映画『病院へ行こう』(四半世紀前)で真田広之さんがかなり苦しんでたっていうやつしかなかったから、怖くてしょうがなかったのよ! あの JAC出身の真田さんをしてああだったんだから、私なんかおっ死んじゃうんじゃなかろうかと。

 まぁともかく健診は無事に終わりました。これでヘンな結果でも出なけりゃいいんですけど。血圧もその他もいたって問題はなかったですね。「え、ウエスト? しまった、腹筋してくりゃよかった!」などと無意味この上ない自意識を働かせてしまいました。だれも気にしてねぇから!! 身長がなぜか微妙に伸びていたのが地味にショックだった……自分ではいっぱしに仕事でそうとう疲弊してると思い込んでたのに、のうのうと成長してるよ、コイツ! むしろ身長が削れるくらいの勢いで働けって話ですよね。ヤだけど。

 それはさておき、健診後に問題の下剤をしっかりのんだ私はさっさと準備を済ませまして、昼前の11時に山形新幹線で出発しました。ドッキドキのひとり旅ですよね。
 それでまぁ、下剤はちゃんと効いてくれたわけなんですけれども、そこらへんの詳細はここに記録したってしょうがないもんね。テキトーにカットしまして、とにかく結果だけ、「スプラッシュは(ちょいちょいギリギリだったけど)回避された」ということと、やたら「白い! 白い!」とテンションの上がる私がいた、という2点だけを記しまして、本題に移りたいと思います。いやぁとにかくね、都会はあちこちにきれいなトイレがあるのがステキですよね! 本当に助かりました~。

 というわけで、今回は「下剤のんでる」という新要素は入っていたのですが、新幹線で東京に行って、お芝居を観て深夜バスで帰るという、いたっていつも通りなスケジュールとなりました。午後2時前に東京に着いて、ちょっとふらふらしてから夜7時半開演のお芝居を観て11時半発のバスに乗る、いい感じの流れでしたね。

 あ、そうそう、なもんで今回は映画を観るまでの時間はなかったのですが、トイザらスに寄って甥にプレゼントするおもちゃを買いましたね。ちょっと早いんですがクリスマスってことで。
 それで買ったのは、仮面ライダーゴーストの可動フィギュアだったんですが、じみ~に高いよね。「買えないほどじゃない」ってレベル内で高いよね。
 私自身はあくまで「昭和の仮面ライダー」にしか興味がないので、「まぁ、甥が好きなんだから。」という程度のビジネスライクな感じで購入したのですが、仮面ライダーに限らず、「必ず1年で放送が終了する」っていうサイクルって、世の大人のみなさまがたにとってはむなしい限りですよね……最近はどこの人気シリーズもそうとは明言しないでしょうが、2年以上放送が継続される可能性って、話題性のあるシリーズほどゼロに近くなるじゃない!? 2017年に『Yes!仮面ライダーゴースト GoGo!』は放送されないだろう。幽霊に GoGoされる1年間なんてヤだし。なんか、山村貞子大師匠と佐伯伽椰子師匠は来年ハデに GoGoするみたいですけどね、年甲斐もなく。
 となると、よっぽど好きにならない限り、このフィギュアも来年はお払い箱になるわけでねぇ。しみじみ「おまえも大変だなぁ。」なんて思いながら買っちゃいましたよ。でも実際、来年のクリスマスにはまた新しいプレゼントが必要になるわけでね。確かに、1年で役目を終えるというおもちゃのサイクルは正しいのかも知れませんけど。子どもが遊ぶんだから、そりゃ壊れることもあるだろうしねぇ。

 ただ、そうやってガンラガンラと強制的に放送スケジュールに合わせて店頭から処分されていく前シリーズのおもちゃの在庫は、悲しいよね……それこそまさに「悲しき玩具」ですよ。本人たちの商品としての「質」はまったく劣化していないのに、勝手に激減する「価値」によって無理矢理退場させられてしまうという。そういうの、いくら割引してもしょがないもんねぇ。トイザらスではそういうのはやってないかもしんないけど、スーパーとか100円ショップとかで「半額」とか「1コ10円」とかの屈辱的な値段でたたき売りされてる『ハピネスチャージプリキュア!』関係の食玩とかを見かけちゃうと、お焼香のひとつでもやりたい気分になりますよね。そして、その順番は確実に次のみなさんに迫っているという諸行無常感……栄枯盛衰、げによのならひなりけり!!

 とまぁ、そんなことを考えつつ、クリスマス商戦で大にぎわいのトイザらスをあとにして私が向かったのが、東京は三鷹の「三鷹市芸術文化センター」。そして観たお芝居は、何と言いましてもこれ!


城山羊の会プロデュース第18回公演 『水仙の花 narcissus』(2015年12月4~13日 三鷹市芸術文化センター星のホール)


 きたきた~! 毎年恒例の必須行事になってきましたでしょうか、「歳末・城山羊ワールド展覧会」! 本当にこの日を心待ちにして働いてまいりました……
 例によって、会場はもう入場順番待ちで押すな押すなの大盛況! 客層も、いい感じの紳士淑女のつどいのサロンといった品格を感じさせる雰囲気になっておりました。どうでもいいけど、カップル率が高いと見た!

 そんな空気の中、「お客さんはかようにいっぱいおれども、トイザらスのロゴのプリントされた袋をぶら下げてるのはオレだけだろうて……」という、全く意味のないほくそ笑みを浮かべながら入場した私は、迷わず舞台かぶりつきの最前列ほぼど真ん中に陣取りました。やった!
 そして開演を今か今かとわくわくしながら待っていたのですが、ここでお話が始まる前にちょっとした大事件が。他人様にとっては「ちょっとした」どころか、ひたすら無に等しいことかもしれませんが、私にとっては大事件なの!

 私は早めに入場できたので、まだまだ座席が埋まらない状態の中で最前列に腰かけたのですが、最前列は小劇場の常といいますか、感覚でいうとクッションを置いただけの床に座る形式となっていまして、やっぱり上演時間2時間を過ごすとなると、おしりが痛くなりやすい最前列よりも、ちゃんと椅子がある2列目以降の座席が早々にお客さんで埋まっていくわけなんですね。
 それで、私は開演までヒマだったので後ろの埋まり具合をちらちら振り返りながら座っていました。すると、何列か後ろに、ちょっと不思議な印象を持たせる鼻筋のすらっと通った美人さんがいらしったのです。線の細さからして女優さんらしくはないのですが、そのまなざしのするどさはただの素人さんではないな、と。そうとうな城山羊の会さんファンか、批評っぽいことをされている方なのでは?
 ……とかなんとか思ってたら、他ならぬその美人さんが、すっと立ち上がってトントンと降りてきて、最前列、しかも私の隣に座ったわけよ!!

 とまぁ、それだけなんですけれどもね。なんにもないっすよ。知り合いでもなかったし。

 あのひと、なんで私の隣に座ったんだろう……いや、最終的には開演までにもちろん最前列もぜんぶ埋まったわけなんですけど、あの時点では最前列に座ろうとしても女性のお客さんの隣とか、なんだったら両隣どっちも人がいない場所に座ることもできたはずなんだぜ!? なのに、なぜ男で、しかも私の隣に……世紀の謎だ。
 結局かといってそれで鼻息をフハッと荒げるわけにもいかず、私も表向きは紳士然とした態度ですましながら観劇しおおせたのですが、あの名も知れぬ美人さん、どうもありがとうございました! なんだかよくわかんないけど、ありがとう!!
 いちいち挙げてると頭がおかしくなったと思われるので省略しますが、実は今回の東京行きって、随所でちょいちょい「ラッキーなこと」が多かったのよね……ともあれ、それらのもろもろに合わせての「となりの美人さん」襲来に、私の観劇ボルテージは否が応にも上がりっぱなしになるのでありました。

 ……そして、本題のお芝居の中身に入るまでに、以上の狂おしいほどにどうでもいい話題の羅列で4600文字あまりも費やしてしまったという、この恐怖ね。
 気分としては1文字目から感想に入りたいくらいなのに、なにがこうさせてしまうのであろうか……いやそれはもう、ひとえに観たお芝居がおもしろかったからに尽きるんですよ。


《私なりにまとめたあらすじ》
 亡くなった妻・仙子の四十九日法要を済ませた晩。中年男のイズミタカシ(演・吹越満)は、自宅の前の路上に倒れていた女性・舟木映子(演・松本まりか)を介抱する。意識を取り戻した映子に献身的な態度を見せるタカシの姿に、タカシの娘・百子(演・安藤輪子)は一抹の不安を感じるが、百子の予感は的中し、映子とタカシは一夜にして互いの肉体を激しく求めあう関係におちいってしまうのであった……
 果たして百子は、妖花・映子の虜となった父タカシを取り戻すことができるのであろうか!?


 うん、話の筋は、それだけですよね! なんというシンプルさ。シンプルにしてドロドロ! クノールのコーンスープみたい。信頼の味わいです。

 お話が進むにしたがって、登場人物はタカシの義理の妹夫婦にあたる丸山夫妻(演・島田桃依&岩谷健司)、映子に関係の深い男・舟木(演・金子岳憲)、百子のボーイフレンドの中村ヒロ(演・重岡漠)、映子の懐刀のような謎の男・高崎馬(演・岡部たかし)と増えていくのですが、おもしろいように物語はタカシをめぐる映子と百子の「をんなのはないくさ」に終始しているわけなのです。タカシはもう、全編これモテモテ!!

 ここで気になるのが、タカシの愛情が映子に傾くことを異常に嫌う百子が、なにをかくそうタカシの娘であるという事実なのですが、これは単なるファザコンなのか、それとも父であるということを度外視した異性への恋愛感情なのか、はたまた母・仙子が亡くなったばかりだというのに不実な所業におよぶ父親への激しい憎悪のあらわれなのか。
 そのあたりについての百子自身の告白はなされないのですが、百子は常にタカシに対して「一定の距離をおきながら」強い執着心を燃やしており、シックなブラウスにスカート姿、ヘアスタイルも黒い長髪を後ろに流しているだけ、眉毛もナチュラルに太く黒い感じという少女然とした外見からも、さらにはボーイフレンドの中村くんも彼氏というよりは従僕のように冷たく扱っている態度からも察せられるように、全体的に他人との親密な、もっと露骨に言えば性的な接触を好んで行うような人物にはちょっと見えないキャラクター造形になっています。もちろん、それをもって百子が「清純な」ヒロインであるとは口が裂けても言えないことは、物語の中での中村くんに対する残虐きわまりない対応や、映子を捕まえた際に異常に手際よくソッチ系の「後ろ手縛り」の餌食にしている緊縛テクニック、はたまたタカシに襲いかかる舟木を数秒で沈黙させてしまうムチさばきからも明らかです。今回の物語で最強なのは、まずこの百子であるとみて間違いありません。

 ただし、そんなマンガチックに唯我独尊な百子でもまったく歯が立たないのがタカシと映子の濃密な恋愛関係なのでありまして、たまたま家に招き入れただけの縁もゆかりもない映子を自分の邸宅のメイドにしてしまうという強引すぎるタカシの裁定にも唯々諾々と従い、人目もはばからずむつみ合いを始めてしまう2人にも、せいぜい近くの床に倒れ込んで絶叫するくらいの抵抗しかできない非力さを露呈してしまっているのです。

 結局、百子は自分の従順なロボットである中村くんや、映子を取り戻そうと乗り込んできた舟木、妻が死んで間もない時期に正体のよくわからない映子を家に引き入れたことに不信感をあらわにする義弟の丸山を味方に取り込んで、あの手この手で映子を家から追い出そうと画策するのですが、それらは逆効果にタカシと映子の愛を燃え上がらせる結果しか生み出さず……百子の努力は悲しいくらいにことごとく失敗に終わるのでした。

 というわけで今回の作品は、おもしろいくらいに相性よくくっつくタカシと映子の愛の巣を、百子の嫉妬という動力が、あたかもかつて全国の小学校の校庭に配置されていた遊具「かいせんとう(回旋塔)」に勢いよく食いついたガキ大将のように尋常でない速度でグングンブンブン回転させていき、その結果、「おまえもまざれよ!」と強引に参加させられた周囲の無辜の人々が触れようとした瞬間に跳ね飛ばされて歯を折ったり鎖骨を骨折したりする惨劇が発生してしまうという、すがすがしいまでに「人災」な物語になっているのでした。理屈もなにもなく、ただ人間がその生を謳歌していること、それがひたすらトラブルの原因になっているのです。

 その点、私が思い起こさざるを得なかったのは、城山羊の会さんの前回公演『仲直りするために果物を』(2015年6月)が「人間が人間を超えたどうにもならない力に巻き込まれて破滅する」もようを冷徹につづった物語であると感じたことで、つまり今回は、「そうは言いつつも、どっこい人間だってそうとうにどうしようもねぇんだぜ!」という、前回公演と鏡写しの表裏一体になった返歌であると強く感じたのでした。

 実際に、わたくし自慢の牽強付会もいいところな解釈で申し上げさせていただけるのならば、今回の作品は随所で前回公演を想起させる設定や登場人物たちの言動がちらほらと顔をのぞかせておりまして、パッといま思いつく限りを挙げただけでも、

・序盤の「映子の夢」における「岡部さんが演じる役以外全員が死亡」の光景
・「仲直りのために用意された果物」がなんの役にも立たない
・百子がかつて交際していた「大学の社会学教授」

 といったあたりが、「あれ、それどっかで見たような or 聞いたような……?」と前回公演も観たお客さんの心をザワつかせるスパイスとなっているのです。
 また、物語の後半で百子が閉塞した状況を打開するために自らの身を挺した「色じかけ」で叔父の丸山から睡眠薬を得ようとする起死回生の策も、2013年冬に今回と同じ三鷹市芸術文化センターで上演された『ピカレスクロマン 身の引きしまる思い』を想起させるものがありました。もちろん、それぞれ違う展開につながっていくわけなのですが。

 ただ、いろいろあると思った前回公演とのリンクポイントの中でも、特に私が注目したいのは、


・前回公演のクライマックスでほとばしった石橋けいさんの「母性」が不在になり、その「娘」が主人公になったのが今回の公演


 という、連続していると思えなくもない関係なのでした。

 いや、もちろん前回公演と今回の公演とで直接物語が地続きになっていると言及される点はどこにもないですし、前回公演の石橋けいさん演じた女性が今回の吹越さん演じる役の亡妻であると解釈するのはまったく無理があるのですが、前回のあれほどショッキングな逆境の中で、それでも母になることを高らかに宣言する役を演じた石橋さんが、今回に限ってそうとう珍しく出演されていないというのは、それだけ重大な意味のあることだと思わざるを得ないのです。
 つまりこれは、前回の物語のラストに屹立した「母」が反転ぽっかりと空洞化して、その代わりに前回いなかった「娘」が中心に躍り出るという「どんでん返し」を意味しているのではないのでしょうか。

 石橋けいさんがいない! この事実を私が知ったのは、なんと劇場の客席に座ってボンヤリと公演のチラシを眺めていた時点というギリギリもいいところな遅さだったのですが、これには私もビックラこいてしまいました。
 なんということか……今年も冬にさしかかってから、「水木しげるロス」「野坂昭如ロス」と立て続けに巨大すぎる喪失感を味わされていた私にさらに追い打ちをかけるかのような、「けいロス」!! おぉ、神は私を見放したもうたか。

 ところが、これは出演していないということに「出演している以上」の意味があるはずなのです。だってけいさんなんだぜ!?

 城山羊の会さんの諸作品における石橋けいさんの役割……これは、私が観た限りはひと言で表すのならば、すなはち「静物になりたいけどなれない動物」ということに尽きるのではないのでしょうか。外交的にどんなに淑女たらんと努力しても、結局はどこかにほころびが出て、どうしようもなく生々しいけものくささが露呈してしまう性(さが)、その色っぽさ!

 そのけいさんがいないのですから、今回の公演はまさにそのタイトルが指し示す通り、動物ではなく「植物」をその中心に配置した物語であることは火を見るよりも明らかであるわけなのです。

 うん、色っぽいです。今回の公演におけるヒロインを演じた松本さんも、とってもエロかった! ふともももおなじみの暗転ギリギリのタイミングでばっちり露出してた!
 しかし……今回の松本さん演じる映子というキャラクターは、どことなくエロさに主体性がない。動脈がたぎってつい……という動物っぽい愚かさがないのです。どこかロボット的な所作、人工物的なドライさ。映子がエロいのは、どうにも周囲にいるタカシや百子あたりのひた隠しにするエロさを本人に代わって「反射して映している」にすぎないようなよそよそしさがあるんですね。他人のエロさがその鏡体に映っているだけという、つまりは映子自身の正体は一向に見えてこないつかめなさがあるわけです。だからあなたは何なんだ!?という、磨き抜かれた鏡のような空虚感。


 ここで、今回のタイトルである『水仙の花 narcissus』というところに思いをはせてみましょう。

 水仙というのは、言うまでもなく水辺に咲くヒガンバナ科の球根植物のスイセンのことで、作中でもタカシの家には白い花びらのスイセンが花瓶に活けられていました。
 このスイセンの学名がまんまサブタイトルの「narcissus(ナルキッソス)」であるわけなのですが、このナルキッソスというのは、ギリシア神話に登場する美少年ナルキッソスに由来するのだそうです。

 むかしむかし、少年ナルキッソスはその類まれなる容姿の美しさから、人間・妖精・神・性別を問わずありとあらゆる者から求愛されていましたが、その高慢さからすべての申し出をはねつけて多くの者たちを悲しませ、恨みを買っていました。
 あるとき、森の妖精エコーがナルキッソスに恋をしましたが、エコーはかつて大神ゼウスの不倫の手助けをした罪で、ゼウスの怖い嫁ヘラから、相手の言ったことを繰り返す以外に話せなくなる呪いをかけられていました。そのため、ナルキッソスは自分の言ったことしか話せないエコーを「退屈だ。」と退けたため、エコーは悲しみのあまり肉体を失い、声だけしかない森のこだまになってしまいました。
 これを知った罰の女神ネメシスは怒り、ナルキッソスにただ自分だけしか愛せないようにする呪いをかけました。呪いのかかったナルキッソスは、水を飲もうと泉のほとりにひざまずいたときに水面に映った自分の顔にひとめぼれし、そのまま水辺から離れることができなくなり、やせ細って死んでしまいました。

 このナルキッソスの最期が「水辺にうつむきがちに咲く」スイセンに重なるということで学名になったのだそうですが、このつながりからなのか、スイセンの花言葉は「自己愛」「うぬぼれ」「気高い」ということで、ちょっと不名誉な雰囲気にいろどられているのです。加えてスイセンが強い食中毒を引き起こす毒草であることもイメージダウンにつながっているでしょうか。


 こういういわくありげな美のかおりのただよう水仙がタイトルで前面に押し出されていることから、一見すると物語の中でいちばん妖しい魅力に満ちた映子がナルキッソスなのかと思ってしまうのですが、松本さんが演じた、他人の言い分によって「タカシの亡妻」にも「舟木の逃げた妻」にも「舟木の妹」にも「薄気味の悪いメイド」にも「丸山キヨミの死んだ姉」にもなってしまうあの空虚な美女は、むしろ声の反復でしかその存在を主張できない妖精エコーなのではないのでしょうか。エコーだから「えいこ」だったのか! 勝手になっとく。

 つまり、この作品におけるナルキッソスはあくまでも、映子を愛するというよりは「映子や娘にこんなに愛されてるなんて、オレはどうしてこんなにモテモテなんだろう……」という状況にいることにひたすら悦に入っているタカシなのではないのでしょうか。あの、「モテる男はつらいぜ。」という苦笑いと遠い視線! 吹越さんはあんなにカッコいい中年男性なのに、どうしてこういう役をやるとひたすら違和感が前に出てきてしまうのだろう!? 物語が進んでいくにつれて、登場人物の中で最も異常なのが、正体不明な映子でもサディスティックきわまりない百子なのでもなく、彼女たちがものすごいスパークを起こしながら衝突し続ける状態をどっちもいいとこどりでなるべく長~く続けていこうと併呑して「日常化」してしまうタカシなのだということが明らかになったとき、ナルキッソスの神の怒りをも恐れない破滅一直線な日常とタカシの平然とした表情が、きれいに重なりあうのでした。怖い! このおじさんはひたすらに怖い!! 「家庭の父」としてどこかが確実に欠落しているんですよね。どこまでいってもあくまでも「個人」なのです。

 また、思い起こせば一方の百子も、「ママ(映子)と私、どっちが好き?」という単刀直入な質問をしながらも、その質問がまったくタカシの心に届かず、タカシの目をそらしながらの全く心のこもっていない「……百子?」という答えしか返ってこないことに絶望します。しかし、その無意味極まりないこだまを無為に繰り返す以外に手の打ちようのない百子の慟哭には、映子以上にあのギリシア神話のエコーに近い哀しみを見たような気がしました。ナルキッソスの前では、全てが平等に埋まらない心の空虚を与えられるということなのか……ニクいぜこんちくしょう!!

 こういった、すぐにはわからないけど実はとんでもないキャラクターであるタカシという怪物を演じているのが吹越さんであるというところが今作の最大のミソで、怪物的な人物や状況がひたすら戦慄をもたらす存在であり続けた前回・前々回公演と違って、その怪物っぷりがおしみなく観客の爆笑を誘う違和感を常に帯びているというのが、私にとっては非常にうれしいキャスティングだと感じました。恐怖とおかしさとが、今までの公演よりもさらに高い次元で結合したという精華を見たような気がしたのです。

 さすがは吹越満よ……ただ山内ケンジさんの世界の住人になるだけではなく、ちゃんと「おれが、おれだけが吹越満なのだ!」というプロの俳優としてのナルシシズムを、スキさえあれば差し込んでくる異物感というか、反骨精神がハンパありません。やっぱりこのお方に足利義昭公を演じていただいてよかった!!
 あの、映子とまぐわった空気の残るソファから身を起こしてタバコを吸おうとしたとき、ちょっと表情をゆがめながら口の中に指をやって「なんか毛みたいなの」をつまんで灰皿に捨てた演技、観た!? 誤解を恐れずに最大限の賛辞として叫ばせていただきます、「こざかしい!!」 もう大爆笑してしまいました。いや、これが山内さんの脚本に書いてあるト書きの動きだったら私の単なる勘違いなのですが、なんかこれは吹越さんのアドリブのような気がするんだよなぁ。映子さんの存在ではフォローできない部分の「性の生々しさ」を見事にキャッチしたアクションであるといたく感激いたしました。プロフェッショナルな小芝居!


 この他にも、登場人物のみなさまに関しては、「異常にふつうな青年・中村くん」とか「丸山キヨミさんの明治チェルシーのヨーグルト味みたいな真緑のカーディガン」とか、「突然舟木がホテルマンのような格好になって映画『シャイニング』の中盤みたいになる展開」といった気になるポイントがいつものごとく目白押しだったのですが、ただただ一言、


「今年も城山羊ワールド、ごちそうさまでした!!」


 という御礼の気持ちを胸に、満足顔で高速バスに乗って東京を後にしたことをもって締めくくりたいと思います。山内ケンジさん、吹越満さん、城山羊の会さん、そして私の隣の座席に座っていただいた美人さん、どうにもこうにも本当にありがとうございました。みなさまのおかげで、今日も私は元気に働いております!


 ……と言いつつも、実は再来週、また東京に行くんですよね。
 またぞろ何のためにって、そりゃ親友の皆さんに年末に会いに行くって目的もあるんですが、なんつったって山内ケンジ監督作品、待望の第2弾となる映画『友だちのパパが好き』を観に行くために決まってるじゃないっすかぁ!!

 今回のお芝居だけでも無論のこと大満足だったんですが、吹越さん、安藤さん、金子さんに岡部さんといった面々に加えて、あの石橋けいさんも平岩さんも岸井さんも帰ってくるという、山内ワールド版『忠臣蔵』とでも言うべきほぼオールスター総登場の陣容に今から興奮が隠せませんね。

 楽しみだなぁ~! 城山羊の会さんの次回公演が約1年後の2016年暮れという辛さもあるだけに、再来週もウキウキワクワクで新幹線に揺られるぞ~!! そんなに揺れねぇけど。

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