人はなぜ、わたぼこりなしでは生きていけないのだろうか……
どうもこんにちは、久しぶりの部屋大掃除で、想像を絶する量のほこりごみの発覚に唖然としているそうだいです。すごいもんですねぇ~。よくもまぁ、知らんぷりして生活してこられてたな、わたくし。
でも、そういった掃除も苦にならないようないいお天気が続いてるんですよねぇ、ここ数日。ありがたいことですよぉ。
まして、去年の3月にくらべたら、なんとこの日常の幸せなことか。まだ苦労している地域も多いだろうし、問題も山積のまま1年がたってしまっているわけなのですが、それでも普通に24時間電気が通っている私の町のありがたみに大いに感謝したいことです。
さて先日! ついに「最後の桜木町散歩」に行ってまいりました。もう、いい加減におしまい!!
当初は「知らないがゆえに道に迷うことが多く、なんとなく苦手な街」になってしまっていた横浜・桜木町界隈を克服するために、周囲半径20キロほどの地点から散歩して桜木町に向かい、そこにあるシネコン「ブルク13」でジェラートを食べながら映画を観て帰るという気ままなそぞろ歩きだったのですが、最初こそ新鮮な感覚はあったものの、1年くらい続けたらだいたい道すじが把握できるようになり、そもそもよく考えてみたら、千葉からわざわざ東京を通り越して神奈川に向かう電車賃がバカにならないということで、いよいよこの放蕩も今回がラストということになったのであります。次からは、近場の千葉か東京に行って映画を楽しむことにしよう。
今回の記事は、「ブルク13」でいちおう最後に観ることとなった映画の感想を中心にしたいので、ちょっとそこはおいときまして、先にこっちも最後になった散歩のほうをしたためておきたいと思います。
今まではだいたい、昼間に桜木町周辺のどこかの駅で下車してから歩いていき、浅い夜に桜木町に到着して映画鑑賞、そして終電近くの千葉行きに乗って帰るという進行になっていたのですが、今回はちょっと、日中に部屋を掃除するための備品を買うという予定があったため、いささか順番が変わって夕方に出発して桜木町までズドバビューンと直行し、そこで映画を観たあとに桜木町周辺の駅まで歩いていってそこから千葉に帰るというあべこべのスケジュールとあいなりました。なにやってんでしょうか。もはや目的も手段もあったもんじゃありません。
で、私が選んだ最後の桜木町周辺の駅というのが、「東急東横線 反町(たんまち)駅」(横浜市神奈川区上反町)。
桜木町駅からはだいたい5キロくらいの距離にあるのですが、今回観た映画の上映終了時刻が「23時ちょうど」で、ケータイのアプリで調べてみたら、反町駅から出る千葉行き最後の電車が「23時35分」ということでね。
余裕があるように見えながら、実際に歩いてみたら意外とぎりぎりだったりしてねぇ~。走った走った。
そして、道に迷って、「23時35分」発の電車、とりのがしたね……笑ってくれよ。
いや、途中までは順調に反町に向かっているはずだったんですけど、終盤になっていきなり人通りの少ない標高100メートルくらいの高台にあれよあれよという間に登っていっちゃって! なんか頂上にあった数棟のマンションがまるで山城の天守閣みたいな威容をほこるいい場所でしたね。
「こんなところに駅があったら、ふもとの横浜駅まで登山列車みたいな角度になっちゃうなぁ。」とハッと気がついて振り向いたら、また、そこから見おろす夜の横浜のビル街と、そこのてっぺんに並ぶように顔を出しているまるいお月様がとにかく絶景で!! ほんとに息を呑むような美しさだったんですよ。
高台から見下ろす大都市の夜景とくると、私はいやおうなしにあの『攻殻機動隊』の印象的なラストシーンを連想してしまいます。
「ネットは広大だわ……」
じゃねぇ!! 早く下山しないと始発まで秋葉原か津田沼の道端でガタガタ震えることになるぞ!
と、急いだわけなのですが時すでに遅し。例の「23時35分」発の電車は反町駅を出たあと。私が乗ったのはその次の電車でした。投了です。
んだが、しかし!! 天は我を見捨ててはおられなかった。
なんと、秋葉原で走って乗り換えたら、千葉行きの各駅停車最終に間に合うことができたのです。や、やった!? 奇跡?
おそらくケータイのあのアプリは、「急いで移動しないと間に合わない乗り継ぎ」はあえて掲示していなかったのでしょう。
ともあれ、どこかの途中の駅で下車して始発を待つ、あるいは津田沼くらいだったら歩いて帰宅できないこともないから、重い足をひきずって真夜中をさまようという末路を覚悟していた私にとってはまさしく、
「た、助かった。おれは生き残ったんだ……家が、(誰もいないけど)あたたかい家が待っている。」
という感慨に浸る幸せをもたらしてくれる天佑となった、その日の千葉行き最終電車だったのでした。
あ、あれ? この「生き残った……」という感覚、さっき観た映画でも主人公が味わってたぞ。
なんということでしょう。私の最後の桜木町散歩は、私に映画の主人公の心境を身をもって追体験させるという、「いき」というよりは限りなく「ドS」に近いはからいを贈ってくれたのです。心臓に悪い。
桜木町。今まで本当にありがとう。しばらくはもう行かねぇよ、コノヤロー!!
と、いうことでありまして、今回、私が観た「ブルク13」最後(?)の映画は、これでした~。
『戦火の馬』(2011年 監督・スティーヴン=スピルバーグ、主演・ジェレミー=アーヴァイン)
久しぶりの王道エンタテインメントの選択となりましたね~。
ただし、この作品は「スピルバーグ監督にしては」規模の小さい制作費7千万ドルでつくられており(たとえば、2008年に監督した『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』は制作費約1億9千万ドル!!)、今月始まった日本上映も、興行収入ランキングでは『ヒューゴの不思議な発明』や『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』におさえられてちょっとパッとしない印象になってしまっているようです。確かに、私も『ヒューゴ』と『ホームズ』は観たい!
『戦火の馬』は先日の「第84回アカデミー賞」でも作品賞、撮影賞などの6部門にノミネートされたのですが、惜しくも受賞は逃がしてしまいました。
実際、この作品は「CG 技術フル活用!」や「超有名豪華スターたちの競演!」といったケレン味は意図的にかなり抑えられたシックなつくりになっており、第一次世界大戦という大変な規模の戦争を舞台にした物語でありながらもスペクタクルシーンはきめどころの数箇所だけに集中されていて、主要な出演者もイギリス、ドイツ、フランスといった「現地」の俳優さんがたで固められていて地味めな顔ぶれになっています。
まぁ、全体的にシブい出来なんですよね。まさしく、他ならぬスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』や彼の製作した『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(言わずと知れたクリント=イーストウッド監督)など、名作や名戦闘シーンが目白押しの「第二次世界大戦もの」にたいして、あまりにも地味な「第一次世界大戦もの」にふさわしい雰囲気になっているわけなんです。
この『戦火の馬』は、なんとスピルバーグ監督がよわい65歳にして初めて手がけた「第一次世界大戦もの」だったのです。
そうだったんだ……「第二次世界大戦もの」は1979年の『1941』以来6作も監督しているお方だったので、もうやったことあったのかと思ってたんですけど、意外でしたねぇ。
映画の原作は、1982年にイギリスの作家マイケル=モーパーゴが発表した児童向け小説で、これが2007年に舞台化されてロンドンの演劇界で評判になっていたところを、スピルバーグ側が映画化権取得に乗り出したのだそうです。
物語の筋はまさに子ども向けらしいシンプルなもので、イギリスで生まれたサラブレッドの名馬「ジョーイ」がひょんなことから貧しい小作農民の家にひき取られ、なぜか農耕馬として育てられながらも、おりしもヨーロッパ大陸で勃発してしまった「第一次世界大戦」のために軍馬として徴用され、非情な運命に翻弄されて戦場のイギリス人、フランス人、そして敵側のドイツ人と、さまざまな人の手にわたっていくという激動の半生を丁寧にえがく流れになっています。
こういった感じなので、この映画の主人公はまごうかたなく「名馬ジョーイ」なんですけど、人間側の主人公は最初にジョーイを育てた農家の1人息子「アルバート」(演・ジェレミー=アーヴァイン)ということになっていまして、生まれた瞬間からジョーイに惚れこんでいたアルバートは命を賭ける情熱でジョーイの教育にあたり、ジョーイが軍馬に徴用されたあとはなんと自ら従軍を志願して、ドンパチのあいまをぬってジョーイを捜し求めるというド根性を見せてくれます。見た目はいかにも純朴そうな青年なのに、なかなかクレイジーな道を選択してくれますね。
ここまで来てしまったら、もうこの映画のクライマックスは「涙、涙の再会!!」ということで決まりですよねぇ。
そうなんです。この『戦火の馬』は、枝葉がいかにアレンジされていたとしても、「世界的な規模の大戦争に消えていった馬と、それを捜しに戦場に飛び込んでいった青年とが再び出逢う」といった「児童向け小説ならではの奇跡としか言いようのない奇跡」がガッチーンと結末に用意されているのです。これ、ネタばれにはなってませんよね!? そこをゴリ押しに押してる感動ものなんですから。
つまり、最悪の場合「そんなのありえな~い!」とシラけられかねない展開が最後にひかえている以上、そこにいくまでの雰囲気づくりというか、道すじづくりといったものには細心の注意を払わなければいけないはずなのです。
で、今回の場合、私が最後の感動のクライマックスを前にしてどういった感情にひたることになったのかと言いますと……
シラけちゃった~!! 私、見方がスレているんでしょうか? もう夢みる子どもじゃいられないんでしょうか!?
なんといいますか、最後の最後に来て展開されたクライマックスの「ジョーイとアルバートの再会」のシーンと、そこまでに展開された第一次世界大戦の「屍山血河」「阿鼻叫喚」の惨状とで、な~んかつながりようのない温度差が生じてしまっているような気がして、
「え、ええ~……あんなに何千何万何十万という人や馬が無駄死にしていったシーンを撮っておいて、ジョーイとアルバートだけにこういう奇跡が起こるんだ。重要な脇役もけっこうバタバタ死んでるのにねぇ……」
という違和感が先に立っちゃってたんですね、私。
いや、そりゃあ奇跡は起きていいですよ!? ましてや子どもに夢をあたえるお話なんですから、主人公ペアが無事に戦場から生還してきても一向にかまわないんです。ハッピーエンド最高じゃないですかぁ。
じゃあ私は何が不満なのかといいますと、やっぱりそれは、原作『戦火の馬』という食材と、それを調理するスピルバーグ監督の「作り方」とに大きな齟齬が生じていたのではないかと思うんですね。松阪牛で牛丼を作るみたいな。そりゃおいしいだろうけど!
極端な話、『戦火の馬』でジョーイとアルバートがおもむいた戦場は、そこに奇跡が起こるという条件が満たされているのであれば「遠くの地で始まったいくさ」という童話的なくくりで充分だったはずです。そこで、味方のイギリス軍、現地のフランス人、敵方のドイツ軍といった各地を転々として、それぞれの場で人々に愛されながら最終的にアルバートと再会するジョーイという、「まんが日本昔話」にも匹敵するような「ありえなさ」を堂々とさらけ出して話を進めたほうが、観ている側もつられて牧歌的な気分になって「い~い話だねぇ~。」としみじみ感じ入ってしまう童話性にひたることができていたはずなのです。
なのですが……はっきり言って、スピルバーグ監督の視線は実際に歴史上に展開された「第一次世界大戦」というものの再現にとらわれすぎたきらいがあるんじゃあなかろうかと。自分が序盤と終盤とで丁寧にお膳立てしたジョーイとアルバートの物語を、中盤の戦争描写でみずから星一徹のごとくにドンガラガッシャ~ンと盛大にひっくり返す様相を呈していたんじゃないでしょうか。
戦争を徹底的にリアルに、無益に、汚く描く。それがスピルバーグの性(さが)!! ♪わぁかっちゃい~るけ~ど、やぁ~めらぁれな~い
1914年7月~18年11月という、実に「4年強」の長きにわたって繰り広げられた人類史上初の世界大戦「第一次世界大戦」のうち、『戦火の馬』が特にクローズアップしたのはジョーイが参戦した「イギリス軍騎兵隊130騎 VS ドイツ軍の機関銃部隊」と、大戦中最大規模の長期戦闘と言われた「ソンム河畔の会戦」です。
ソンム河畔の会戦。世界史でも有名な戦闘ですが、1916年7~11月にフランス北部で繰り広げられたここだけでもイギリス・フランス連合軍約70万、ドイツ軍約40万の戦死者が出たという酸鼻を極めた戦場で、過酷な塹壕戦や悪魔の毒ガス戦が展開された恐怖の地でもありました。
ここを『プライベート・ライアン』のスピルバーグ監督が描写してるんですから、もう……人がバタバタ、何の意味もなく死んでいく死んでいく。「軍人の美学」などといったものはそこにはなく、つい最近まで普通の一般市民だった青年たちが次々と無慈悲に、平等に命を奪われていくのです。
もちろん、こういったところに顕著に現れるスピルバーグ監督の「戦争批判」は大いに賛成なのですが、その姿勢が今回の『戦火の馬』のストーリーテリングにプラスに働いていたのかというと……どうもそうじゃないような。
また、もうひとつ言っておかなければならないのは、ここでのスピルバーグ監督の手腕も、「『戦火の馬』に観客年齢制限をかけないために血がいっさい流れない不思議な演出」になっているために実に違和感たっぷりでヘンな出来になっていることです。まぁ、これはディズニー配給の映画ですからねぇ……
ガタガタ震える兵士や汚れきった軍服などはリアルなのですが、どうも中途半端。か~なり目立たない感じで画面のすみっこに人の首が1コだけころがっていたのがなんかおかしかったです。『ウォーリーをさがせ』か!
あとさぁ、私も前回言ったとおりにけっこう期待していたんですけど、「ソンム河畔の会戦」で1916年9月に世界で初めて実戦投入された戦車「大英帝国マークⅠ戦車」ね! その装備や動きのよさから見ても、どうやら登場したのは最初の「マークⅠ」ではなくて、それが改良された「マークⅣ」か「マークⅤ」だったみたいですけど。
これが『戦火の馬』にちゃんと駆動したかたちで登場すると聞いてものすんごく楽しみにしていたのですが、まぁ~出る意味なかったなかった。あんなの、ただの「友情出演」じゃないの! あんなおためごかしの扱いだったら、むしろ出さないでほしかった……複雑な戦車ファンの心情です。
まさか、ね……だって、『プライベート・ライアン』でドイツ軍のティーガー戦車をあれほどまでに恐ろしげに描ききった監督がよ? そのご先祖様をあんなにお粗末に遇するとは。非常に残念なひとこまでした。
いろいろ言ってきましたが、原作者のモーバーゴの研究によりますと、第一次世界大戦ではイギリス側だけで実に100万頭の馬が軍馬として徴用されたとされておりまして、そのうち終戦後に母国に帰ってきたのはわずか6万頭! この惨状は人間も同じようなもので、イギリスの男性は約89万人が戦死し、これは戦争に行ったうちの8人に1人、国全体の人口の2%に当たるのだといいます。もうなんと言いますか……さだまさしの『防人の歌』しか頭に浮かんできません。
このへんの現実を、どのくらいフィクションの『戦火の馬』に組み入れるのかというところで、スピルバーグ監督は多少見誤ったところがあったのではないかと思うのですが……どうでしょうか。でも、監督がおのれの哲学に忠実になりすぎた結果というのならばそれはそれで天晴れだったのですが、それにしても中途半端な出来になっちゃったし。むずかしいもんですね。
ただ、そういったストーリーそっちのけでも、全編にわたる撮影監督ヤヌス=カミンスキーの手腕は「美麗!」の一言に尽きておりまして、イギリスやフランスの自然やジョーイの筋肉美を眺めるだけで、上映時間の146分はあっという間に過ぎ去っていきました。まったく退屈しなかったことも確かなので、そういった画面の美しさを楽しむだけでも、大スクリーンで観る価値は十二分にあったと思います。
中盤の「騎兵隊 VS 機関銃部隊」の大迫力の決戦シーンは黒澤明監督の『影武者』を意識してましたねぇ~!! ただ、そこに漂うのがリスペクトだけで、先人を超えようという気概のようなものがさほど感じられなかったのが気になりました。天才も老いたり?
それにしても、『戦火の馬』を観てしみじみ思ったんですけど、「良き俳優」って、なんなんでしょうかねぇ。
この作品に出演した俳優たちは、そろって天下のスピルバーグ監督の目に留まった名優ばかりで、それぞれ「貧しい農民の青年」や「誇り高い将校」や「戦争を憎む老人」といった役どころを100点の演技でになっているのですが、「この俳優さんの出演作をこれからもチェックしていきた~い!」と、思わず両目に「♡」が浮かんでしまうような方はついにお1人もおられなかったのです。
教科書どおりの雑味のない演技。若者は若者らしい演技、悪人は悪人らしい演技、ねぇ……なぁにがおもしろいんだか。
ただちょっとだけ不思議なことがありまして、序盤で1カットだけ、アルバートをいじめる地主のボンクラ息子(演・ロバート=エムズ)の演技で、彼の眼に「あれっ、もしかしたらこの人、重要な役なのかな?」とにおわせる確かな光があったのですが、結局は最後までスネ夫くんな役回りで終わってしまいました。
あれ~? と思いながら家に帰って、この記事のために『戦火の馬』のあれこれを調べてみたところ、なんとボンクラ息子役のロバートさんは、ロンドンで上演された舞台版『戦火の馬』で他ならぬ主人公アルバート役を演じた俳優さんだったのだそうです。
久しぶりに自分の目が確かだったことに感心してしまいました。はいはい、えらいえらい。
あと、これは私が観た映画館の中での出来事だったのですが、私の隣の席にすわっていたのがゴキゲンに酔っ払ったおじさんとおばさんとのご夫婦らしいカップルだったんですが。
映画が始まって、劇中で農民の青年アルバートの両親の会話があり、みずからの失敗で家の破産の危機をまねいてしまいすっかり打ちひしがれた親父が、がっくりとうなだれながら「おれはもうだめだ……今度こそお前も失望しただろう? おれへの愛もすっかりなくなっちまっただろうな……」と話しかけたところ、それを受けて妻が「憎しみがいくら増えたって、愛は減りゃしないわよ。」と親父にお茶をさし出すというなかなかのシーンがあった時に、観客のほうのおじさんがガクンガクンと首を上下させてはげしくうなずき、隣の奥方に向かって、
おじさん 「聞いた? 聞いた?」
奥方 「ちょっと、しずかにしてよ……」
というやりとりをやっているのを見たのには、映画本編以上に深く感じ入ってしまいました。もう、この体験だけでわざわざ桜木町にまで来て『戦火の馬』を観た意義はありあまるほどにありましたね。グッジョブ!
最後にじぇんじぇん『戦火の馬』とは関係がないのですが、今回、この作品のオーディションで人間の主人公アルバート役をみごと獲得したイギリスの舞台俳優ジェレミー=アーヴァインくんは1990年生まれの21歳だそうです。
なぬ? イギリスの俳優で「ジェレミー」とは。
さては、ジェレミーくんのご両親は「ジェレミー=ブレット」からご子息の名前を頂戴したのではなかろうか。なんかそんな気がする!
これは要するに、日本に置き換えていえば、「ユウサク」という名前の20代の俳優が今ブレイクするようなものなのではなかろうかと……ちょっとちがう?
まぁ、言うまでもなく、これは100% 根拠の無い極東のいち変人の妄想なのですが、これで今回の『戦火の馬』、感想を総括する言葉は決まりました。
「はやく『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』がみたい。」
ズコー!!!! ってコケてくれたら、うれしいです、ハイ……
桜木町! ブルク13さん! 今までどうもありがとう。そしてこれからも、よろしくね~!!
どうもこんにちは、久しぶりの部屋大掃除で、想像を絶する量のほこりごみの発覚に唖然としているそうだいです。すごいもんですねぇ~。よくもまぁ、知らんぷりして生活してこられてたな、わたくし。
でも、そういった掃除も苦にならないようないいお天気が続いてるんですよねぇ、ここ数日。ありがたいことですよぉ。
まして、去年の3月にくらべたら、なんとこの日常の幸せなことか。まだ苦労している地域も多いだろうし、問題も山積のまま1年がたってしまっているわけなのですが、それでも普通に24時間電気が通っている私の町のありがたみに大いに感謝したいことです。
さて先日! ついに「最後の桜木町散歩」に行ってまいりました。もう、いい加減におしまい!!
当初は「知らないがゆえに道に迷うことが多く、なんとなく苦手な街」になってしまっていた横浜・桜木町界隈を克服するために、周囲半径20キロほどの地点から散歩して桜木町に向かい、そこにあるシネコン「ブルク13」でジェラートを食べながら映画を観て帰るという気ままなそぞろ歩きだったのですが、最初こそ新鮮な感覚はあったものの、1年くらい続けたらだいたい道すじが把握できるようになり、そもそもよく考えてみたら、千葉からわざわざ東京を通り越して神奈川に向かう電車賃がバカにならないということで、いよいよこの放蕩も今回がラストということになったのであります。次からは、近場の千葉か東京に行って映画を楽しむことにしよう。
今回の記事は、「ブルク13」でいちおう最後に観ることとなった映画の感想を中心にしたいので、ちょっとそこはおいときまして、先にこっちも最後になった散歩のほうをしたためておきたいと思います。
今まではだいたい、昼間に桜木町周辺のどこかの駅で下車してから歩いていき、浅い夜に桜木町に到着して映画鑑賞、そして終電近くの千葉行きに乗って帰るという進行になっていたのですが、今回はちょっと、日中に部屋を掃除するための備品を買うという予定があったため、いささか順番が変わって夕方に出発して桜木町までズドバビューンと直行し、そこで映画を観たあとに桜木町周辺の駅まで歩いていってそこから千葉に帰るというあべこべのスケジュールとあいなりました。なにやってんでしょうか。もはや目的も手段もあったもんじゃありません。
で、私が選んだ最後の桜木町周辺の駅というのが、「東急東横線 反町(たんまち)駅」(横浜市神奈川区上反町)。
桜木町駅からはだいたい5キロくらいの距離にあるのですが、今回観た映画の上映終了時刻が「23時ちょうど」で、ケータイのアプリで調べてみたら、反町駅から出る千葉行き最後の電車が「23時35分」ということでね。
余裕があるように見えながら、実際に歩いてみたら意外とぎりぎりだったりしてねぇ~。走った走った。
そして、道に迷って、「23時35分」発の電車、とりのがしたね……笑ってくれよ。
いや、途中までは順調に反町に向かっているはずだったんですけど、終盤になっていきなり人通りの少ない標高100メートルくらいの高台にあれよあれよという間に登っていっちゃって! なんか頂上にあった数棟のマンションがまるで山城の天守閣みたいな威容をほこるいい場所でしたね。
「こんなところに駅があったら、ふもとの横浜駅まで登山列車みたいな角度になっちゃうなぁ。」とハッと気がついて振り向いたら、また、そこから見おろす夜の横浜のビル街と、そこのてっぺんに並ぶように顔を出しているまるいお月様がとにかく絶景で!! ほんとに息を呑むような美しさだったんですよ。
高台から見下ろす大都市の夜景とくると、私はいやおうなしにあの『攻殻機動隊』の印象的なラストシーンを連想してしまいます。
「ネットは広大だわ……」
じゃねぇ!! 早く下山しないと始発まで秋葉原か津田沼の道端でガタガタ震えることになるぞ!
と、急いだわけなのですが時すでに遅し。例の「23時35分」発の電車は反町駅を出たあと。私が乗ったのはその次の電車でした。投了です。
んだが、しかし!! 天は我を見捨ててはおられなかった。
なんと、秋葉原で走って乗り換えたら、千葉行きの各駅停車最終に間に合うことができたのです。や、やった!? 奇跡?
おそらくケータイのあのアプリは、「急いで移動しないと間に合わない乗り継ぎ」はあえて掲示していなかったのでしょう。
ともあれ、どこかの途中の駅で下車して始発を待つ、あるいは津田沼くらいだったら歩いて帰宅できないこともないから、重い足をひきずって真夜中をさまようという末路を覚悟していた私にとってはまさしく、
「た、助かった。おれは生き残ったんだ……家が、(誰もいないけど)あたたかい家が待っている。」
という感慨に浸る幸せをもたらしてくれる天佑となった、その日の千葉行き最終電車だったのでした。
あ、あれ? この「生き残った……」という感覚、さっき観た映画でも主人公が味わってたぞ。
なんということでしょう。私の最後の桜木町散歩は、私に映画の主人公の心境を身をもって追体験させるという、「いき」というよりは限りなく「ドS」に近いはからいを贈ってくれたのです。心臓に悪い。
桜木町。今まで本当にありがとう。しばらくはもう行かねぇよ、コノヤロー!!
と、いうことでありまして、今回、私が観た「ブルク13」最後(?)の映画は、これでした~。
『戦火の馬』(2011年 監督・スティーヴン=スピルバーグ、主演・ジェレミー=アーヴァイン)
久しぶりの王道エンタテインメントの選択となりましたね~。
ただし、この作品は「スピルバーグ監督にしては」規模の小さい制作費7千万ドルでつくられており(たとえば、2008年に監督した『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』は制作費約1億9千万ドル!!)、今月始まった日本上映も、興行収入ランキングでは『ヒューゴの不思議な発明』や『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』におさえられてちょっとパッとしない印象になってしまっているようです。確かに、私も『ヒューゴ』と『ホームズ』は観たい!
『戦火の馬』は先日の「第84回アカデミー賞」でも作品賞、撮影賞などの6部門にノミネートされたのですが、惜しくも受賞は逃がしてしまいました。
実際、この作品は「CG 技術フル活用!」や「超有名豪華スターたちの競演!」といったケレン味は意図的にかなり抑えられたシックなつくりになっており、第一次世界大戦という大変な規模の戦争を舞台にした物語でありながらもスペクタクルシーンはきめどころの数箇所だけに集中されていて、主要な出演者もイギリス、ドイツ、フランスといった「現地」の俳優さんがたで固められていて地味めな顔ぶれになっています。
まぁ、全体的にシブい出来なんですよね。まさしく、他ならぬスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』や彼の製作した『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(言わずと知れたクリント=イーストウッド監督)など、名作や名戦闘シーンが目白押しの「第二次世界大戦もの」にたいして、あまりにも地味な「第一次世界大戦もの」にふさわしい雰囲気になっているわけなんです。
この『戦火の馬』は、なんとスピルバーグ監督がよわい65歳にして初めて手がけた「第一次世界大戦もの」だったのです。
そうだったんだ……「第二次世界大戦もの」は1979年の『1941』以来6作も監督しているお方だったので、もうやったことあったのかと思ってたんですけど、意外でしたねぇ。
映画の原作は、1982年にイギリスの作家マイケル=モーパーゴが発表した児童向け小説で、これが2007年に舞台化されてロンドンの演劇界で評判になっていたところを、スピルバーグ側が映画化権取得に乗り出したのだそうです。
物語の筋はまさに子ども向けらしいシンプルなもので、イギリスで生まれたサラブレッドの名馬「ジョーイ」がひょんなことから貧しい小作農民の家にひき取られ、なぜか農耕馬として育てられながらも、おりしもヨーロッパ大陸で勃発してしまった「第一次世界大戦」のために軍馬として徴用され、非情な運命に翻弄されて戦場のイギリス人、フランス人、そして敵側のドイツ人と、さまざまな人の手にわたっていくという激動の半生を丁寧にえがく流れになっています。
こういった感じなので、この映画の主人公はまごうかたなく「名馬ジョーイ」なんですけど、人間側の主人公は最初にジョーイを育てた農家の1人息子「アルバート」(演・ジェレミー=アーヴァイン)ということになっていまして、生まれた瞬間からジョーイに惚れこんでいたアルバートは命を賭ける情熱でジョーイの教育にあたり、ジョーイが軍馬に徴用されたあとはなんと自ら従軍を志願して、ドンパチのあいまをぬってジョーイを捜し求めるというド根性を見せてくれます。見た目はいかにも純朴そうな青年なのに、なかなかクレイジーな道を選択してくれますね。
ここまで来てしまったら、もうこの映画のクライマックスは「涙、涙の再会!!」ということで決まりですよねぇ。
そうなんです。この『戦火の馬』は、枝葉がいかにアレンジされていたとしても、「世界的な規模の大戦争に消えていった馬と、それを捜しに戦場に飛び込んでいった青年とが再び出逢う」といった「児童向け小説ならではの奇跡としか言いようのない奇跡」がガッチーンと結末に用意されているのです。これ、ネタばれにはなってませんよね!? そこをゴリ押しに押してる感動ものなんですから。
つまり、最悪の場合「そんなのありえな~い!」とシラけられかねない展開が最後にひかえている以上、そこにいくまでの雰囲気づくりというか、道すじづくりといったものには細心の注意を払わなければいけないはずなのです。
で、今回の場合、私が最後の感動のクライマックスを前にしてどういった感情にひたることになったのかと言いますと……
シラけちゃった~!! 私、見方がスレているんでしょうか? もう夢みる子どもじゃいられないんでしょうか!?
なんといいますか、最後の最後に来て展開されたクライマックスの「ジョーイとアルバートの再会」のシーンと、そこまでに展開された第一次世界大戦の「屍山血河」「阿鼻叫喚」の惨状とで、な~んかつながりようのない温度差が生じてしまっているような気がして、
「え、ええ~……あんなに何千何万何十万という人や馬が無駄死にしていったシーンを撮っておいて、ジョーイとアルバートだけにこういう奇跡が起こるんだ。重要な脇役もけっこうバタバタ死んでるのにねぇ……」
という違和感が先に立っちゃってたんですね、私。
いや、そりゃあ奇跡は起きていいですよ!? ましてや子どもに夢をあたえるお話なんですから、主人公ペアが無事に戦場から生還してきても一向にかまわないんです。ハッピーエンド最高じゃないですかぁ。
じゃあ私は何が不満なのかといいますと、やっぱりそれは、原作『戦火の馬』という食材と、それを調理するスピルバーグ監督の「作り方」とに大きな齟齬が生じていたのではないかと思うんですね。松阪牛で牛丼を作るみたいな。そりゃおいしいだろうけど!
極端な話、『戦火の馬』でジョーイとアルバートがおもむいた戦場は、そこに奇跡が起こるという条件が満たされているのであれば「遠くの地で始まったいくさ」という童話的なくくりで充分だったはずです。そこで、味方のイギリス軍、現地のフランス人、敵方のドイツ軍といった各地を転々として、それぞれの場で人々に愛されながら最終的にアルバートと再会するジョーイという、「まんが日本昔話」にも匹敵するような「ありえなさ」を堂々とさらけ出して話を進めたほうが、観ている側もつられて牧歌的な気分になって「い~い話だねぇ~。」としみじみ感じ入ってしまう童話性にひたることができていたはずなのです。
なのですが……はっきり言って、スピルバーグ監督の視線は実際に歴史上に展開された「第一次世界大戦」というものの再現にとらわれすぎたきらいがあるんじゃあなかろうかと。自分が序盤と終盤とで丁寧にお膳立てしたジョーイとアルバートの物語を、中盤の戦争描写でみずから星一徹のごとくにドンガラガッシャ~ンと盛大にひっくり返す様相を呈していたんじゃないでしょうか。
戦争を徹底的にリアルに、無益に、汚く描く。それがスピルバーグの性(さが)!! ♪わぁかっちゃい~るけ~ど、やぁ~めらぁれな~い
1914年7月~18年11月という、実に「4年強」の長きにわたって繰り広げられた人類史上初の世界大戦「第一次世界大戦」のうち、『戦火の馬』が特にクローズアップしたのはジョーイが参戦した「イギリス軍騎兵隊130騎 VS ドイツ軍の機関銃部隊」と、大戦中最大規模の長期戦闘と言われた「ソンム河畔の会戦」です。
ソンム河畔の会戦。世界史でも有名な戦闘ですが、1916年7~11月にフランス北部で繰り広げられたここだけでもイギリス・フランス連合軍約70万、ドイツ軍約40万の戦死者が出たという酸鼻を極めた戦場で、過酷な塹壕戦や悪魔の毒ガス戦が展開された恐怖の地でもありました。
ここを『プライベート・ライアン』のスピルバーグ監督が描写してるんですから、もう……人がバタバタ、何の意味もなく死んでいく死んでいく。「軍人の美学」などといったものはそこにはなく、つい最近まで普通の一般市民だった青年たちが次々と無慈悲に、平等に命を奪われていくのです。
もちろん、こういったところに顕著に現れるスピルバーグ監督の「戦争批判」は大いに賛成なのですが、その姿勢が今回の『戦火の馬』のストーリーテリングにプラスに働いていたのかというと……どうもそうじゃないような。
また、もうひとつ言っておかなければならないのは、ここでのスピルバーグ監督の手腕も、「『戦火の馬』に観客年齢制限をかけないために血がいっさい流れない不思議な演出」になっているために実に違和感たっぷりでヘンな出来になっていることです。まぁ、これはディズニー配給の映画ですからねぇ……
ガタガタ震える兵士や汚れきった軍服などはリアルなのですが、どうも中途半端。か~なり目立たない感じで画面のすみっこに人の首が1コだけころがっていたのがなんかおかしかったです。『ウォーリーをさがせ』か!
あとさぁ、私も前回言ったとおりにけっこう期待していたんですけど、「ソンム河畔の会戦」で1916年9月に世界で初めて実戦投入された戦車「大英帝国マークⅠ戦車」ね! その装備や動きのよさから見ても、どうやら登場したのは最初の「マークⅠ」ではなくて、それが改良された「マークⅣ」か「マークⅤ」だったみたいですけど。
これが『戦火の馬』にちゃんと駆動したかたちで登場すると聞いてものすんごく楽しみにしていたのですが、まぁ~出る意味なかったなかった。あんなの、ただの「友情出演」じゃないの! あんなおためごかしの扱いだったら、むしろ出さないでほしかった……複雑な戦車ファンの心情です。
まさか、ね……だって、『プライベート・ライアン』でドイツ軍のティーガー戦車をあれほどまでに恐ろしげに描ききった監督がよ? そのご先祖様をあんなにお粗末に遇するとは。非常に残念なひとこまでした。
いろいろ言ってきましたが、原作者のモーバーゴの研究によりますと、第一次世界大戦ではイギリス側だけで実に100万頭の馬が軍馬として徴用されたとされておりまして、そのうち終戦後に母国に帰ってきたのはわずか6万頭! この惨状は人間も同じようなもので、イギリスの男性は約89万人が戦死し、これは戦争に行ったうちの8人に1人、国全体の人口の2%に当たるのだといいます。もうなんと言いますか……さだまさしの『防人の歌』しか頭に浮かんできません。
このへんの現実を、どのくらいフィクションの『戦火の馬』に組み入れるのかというところで、スピルバーグ監督は多少見誤ったところがあったのではないかと思うのですが……どうでしょうか。でも、監督がおのれの哲学に忠実になりすぎた結果というのならばそれはそれで天晴れだったのですが、それにしても中途半端な出来になっちゃったし。むずかしいもんですね。
ただ、そういったストーリーそっちのけでも、全編にわたる撮影監督ヤヌス=カミンスキーの手腕は「美麗!」の一言に尽きておりまして、イギリスやフランスの自然やジョーイの筋肉美を眺めるだけで、上映時間の146分はあっという間に過ぎ去っていきました。まったく退屈しなかったことも確かなので、そういった画面の美しさを楽しむだけでも、大スクリーンで観る価値は十二分にあったと思います。
中盤の「騎兵隊 VS 機関銃部隊」の大迫力の決戦シーンは黒澤明監督の『影武者』を意識してましたねぇ~!! ただ、そこに漂うのがリスペクトだけで、先人を超えようという気概のようなものがさほど感じられなかったのが気になりました。天才も老いたり?
それにしても、『戦火の馬』を観てしみじみ思ったんですけど、「良き俳優」って、なんなんでしょうかねぇ。
この作品に出演した俳優たちは、そろって天下のスピルバーグ監督の目に留まった名優ばかりで、それぞれ「貧しい農民の青年」や「誇り高い将校」や「戦争を憎む老人」といった役どころを100点の演技でになっているのですが、「この俳優さんの出演作をこれからもチェックしていきた~い!」と、思わず両目に「♡」が浮かんでしまうような方はついにお1人もおられなかったのです。
教科書どおりの雑味のない演技。若者は若者らしい演技、悪人は悪人らしい演技、ねぇ……なぁにがおもしろいんだか。
ただちょっとだけ不思議なことがありまして、序盤で1カットだけ、アルバートをいじめる地主のボンクラ息子(演・ロバート=エムズ)の演技で、彼の眼に「あれっ、もしかしたらこの人、重要な役なのかな?」とにおわせる確かな光があったのですが、結局は最後までスネ夫くんな役回りで終わってしまいました。
あれ~? と思いながら家に帰って、この記事のために『戦火の馬』のあれこれを調べてみたところ、なんとボンクラ息子役のロバートさんは、ロンドンで上演された舞台版『戦火の馬』で他ならぬ主人公アルバート役を演じた俳優さんだったのだそうです。
久しぶりに自分の目が確かだったことに感心してしまいました。はいはい、えらいえらい。
あと、これは私が観た映画館の中での出来事だったのですが、私の隣の席にすわっていたのがゴキゲンに酔っ払ったおじさんとおばさんとのご夫婦らしいカップルだったんですが。
映画が始まって、劇中で農民の青年アルバートの両親の会話があり、みずからの失敗で家の破産の危機をまねいてしまいすっかり打ちひしがれた親父が、がっくりとうなだれながら「おれはもうだめだ……今度こそお前も失望しただろう? おれへの愛もすっかりなくなっちまっただろうな……」と話しかけたところ、それを受けて妻が「憎しみがいくら増えたって、愛は減りゃしないわよ。」と親父にお茶をさし出すというなかなかのシーンがあった時に、観客のほうのおじさんがガクンガクンと首を上下させてはげしくうなずき、隣の奥方に向かって、
おじさん 「聞いた? 聞いた?」
奥方 「ちょっと、しずかにしてよ……」
というやりとりをやっているのを見たのには、映画本編以上に深く感じ入ってしまいました。もう、この体験だけでわざわざ桜木町にまで来て『戦火の馬』を観た意義はありあまるほどにありましたね。グッジョブ!
最後にじぇんじぇん『戦火の馬』とは関係がないのですが、今回、この作品のオーディションで人間の主人公アルバート役をみごと獲得したイギリスの舞台俳優ジェレミー=アーヴァインくんは1990年生まれの21歳だそうです。
なぬ? イギリスの俳優で「ジェレミー」とは。
さては、ジェレミーくんのご両親は「ジェレミー=ブレット」からご子息の名前を頂戴したのではなかろうか。なんかそんな気がする!
これは要するに、日本に置き換えていえば、「ユウサク」という名前の20代の俳優が今ブレイクするようなものなのではなかろうかと……ちょっとちがう?
まぁ、言うまでもなく、これは100% 根拠の無い極東のいち変人の妄想なのですが、これで今回の『戦火の馬』、感想を総括する言葉は決まりました。
「はやく『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』がみたい。」
ズコー!!!! ってコケてくれたら、うれしいです、ハイ……
桜木町! ブルク13さん! 今までどうもありがとう。そしてこれからも、よろしくね~!!
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