長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

なぜ今なんだろう!?  横溝正史 VS 吸血鬼ドラキュラ 小説『髑髏検校』を読む

2014年11月23日 23時32分44秒 | ホラー映画関係
 みなさま、どうにもこんばんは~! そうだいでございます。本日も一日、たいへんお疲れ様でございましたっ!!

 え~、今日はですね、とっとと本題に入りたいと思います。アイドルだなんだとぬかしておる最近のネタからはずいぶんと離れてしまいますが、我が『長岡京エイリアン』のおおもとを形成する大大大好きな2つのジャンルが悪魔合体しちゃった! っていうお話。
 なんとなんと、「推理小説の鬼」こと横溝正史ミーツ、「血を吸う鬼」の王ドラキュラ!! うきゃきゃ~♡


『髑髏検校(どくろけんぎょう)』(雑誌『奇譚』1939年1~7月号にて連載)とは
 『髑髏検校』は、推理小説作家の横溝正史(1902~81年)の中編時代小説。
 吸血鬼・髑髏検校と、学者の鳥居蘭渓たちとの戦いを描いた作品であり、ブラム=ストーカーの長編怪奇小説『ドラキュラ』(1897年)の翻案作品である。
 横溝は、1976年の雑誌企画での推理作家・都築道夫と対談において、雑誌『奇譚』編集長の水谷準から『ドラキュラ』原書を渡されて翻案を依頼され『髑髏検校』の連載が始まったと語っている。しかし『奇譚』の廃刊にともない展開を省略する形で完結させたと述懐し、また後年に原稿用紙450枚分程に改稿したが、そちらの原稿は紛失したという。『髑髏検校』の執筆当時、横溝は映画『魔人ドラキュラ』(1931年 主演ベラ=ルゴシ)を見ておらず、原書を3分の1程読んでから連載を開始したと語っている。
 横溝は1936年頃から時代小説を執筆するようになっており、本作を発表した1939年の秋に肺結核の悪化のため休筆した(活動再開は1946年から)。
 本作は角川書店角川文庫から1975年に出版、2008年に改版出版された。

 ノンフィクション作家の梯久美子は、棺やニンニクといった原作由来の要素に江戸風俗を加え、不気味ながらも痛快な怪異談に仕上げていると評価し、また「ヴァンパイア・クロニクルズ」で有名なアメリカのゴシックホラー小説家アン=ライスにも通じる美少年耽美趣味がちりばめられていると指摘している。

 1982年8月にフジテレビ系列『時代劇スペシャル』にて単発スペシャルドラマ化(監督・原田雄一、脚本・下飯坂菊馬)され、その他に横山まさみちによりコミカライズされている。

あらすじ
 文化八(1811)年、元旦。豊漁に沸く安房国白浜(現・千葉県南房総市)で、一頭のクジラの腹から書状が発見された。書状の主は、遥か遠く九州の肥前国長崎出島に留学中の蘭学生・鬼頭朱之助だった。その書状に書かれていた、朱之助が筑紫沖の孤島で遭遇したという怪人物・不知火検校(しらぬいけんぎょう)の行状は、後に大江戸を恐怖のどん底に陥れることになる大事件の前ぶれであった……
 吸血鬼・髑髏検校と、これに立ち向かう蘭学者・鳥居蘭渓(らんけい)と朱之助の師弟、江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の息女・陽炎姫(かげろうひめ)など、善魔入り乱れての戦いの結末は!?

おもな登場人物(同時に翻案元の『ドラキュラ』で対応しているキャラクターと、1982年ドラマ版で演じた俳優も併記する)
不知火検校 / 髑髏検校(ドラキュラ伯爵)…… 田村 正和(39歳)
 吸血鬼。白絹の小袖に緋の袴、金襴の長羽織といういで立ちをしている。家紋は髑髏。
鳥居 蘭渓(エイブラハム=ヴァン・ヘルシング教授)…… 左右田 一平(52歳)
 52、3歳。一刀流の達人であることに加え、国学や蘭学、さらには医学にも通じる学者。江戸・麻布狸穴町(現・東京都港区内)の書院は西洋風になっている。
鬼頭 朱之助(ジョナサン=ハーカー)…… 伊吹 剛(33歳)
 24歳。蘭渓の弟子の蘭学者で、師匠の勧めで長崎出島に留学する。
次郎吉 …… 阿波地 大輔(50歳)
 朱之助の従者。
秋月 数馬(ゴダルミング卿アーサー=ホルムウッド)…… 石倉 英彦(35歳)
 24、5歳。安房国鯨奉行の勤番。もとは江戸城将軍家小姓頭だった。
陽炎姫(ルーシー=ウェステンラ)…… 笠間 一寿美(?歳)
 18歳。将軍・徳川家斉の三女。病弱で夢遊病の発作を患い、静養のため江戸・鮫洲(現・東京都品川区東大井)の通称お浜御殿に住んでいる。ひそかに数馬に思いを寄せる。
芹沢 琴絵(ミナ=マリー)…… 由美 かおる(31歳)
 陽炎姫の御付女中。
鈴虫(ドラキュラ城の女吸血鬼)…… 芦川 よしみ(23歳)
松虫(ドラキュラ城の女吸血鬼)…… 竹井 みどり(23歳)
 不知火検校に仕える妖艶な侍女たち。瓜二つの容姿をしている。
鳥居 大膳(レンフィールド)…… ドラマ版には登場せず
 27、8歳。蘭渓が、狂死した先妻との間にもうけた長男。粗暴で精神に異常をきたし、蜘蛛の飼育を趣味としている。
鳥居 縫之助(クィンシー=モリス) …… ドラマ版には登場せず
 16歳。蘭渓と後妻の子。異母兄の大膳とは対照的に勇敢な若者。
中村 富五郎 …… 五世 坂東 竹三郎(50歳)
 大坂・天王寺屋の歌舞伎俳優。江戸の市村座にやって来て髑髏検校の噂を元にした芝居を上演する。


横溝正史について
 本名は同字で「よこみぞ・まさし」。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした。兵庫県神戸市中央区東川崎町生まれ。
 大正九(1920)年3月に神戸第二中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)を卒業し、第一銀行神戸支店に勤務する。翌1921年に月刊文芸雑誌『新青年』(博文館)の懸賞に応募した『恐ろしき四月馬鹿(エイプリルフール)』が入選作となり、これが横溝の処女作とみなされている。
 1924年に大阪薬学専門学校(現・大阪大学薬学部)を卒業して薬剤師免許を取得し、実家の生薬屋「春秋堂」に従事していたが、1926年に江戸川乱歩の招きに応じて上京し、博文館に入社する。1927年に『新青年』編集長に就任。その後も『文芸倶楽部』、『探偵小説』などの編集長を歴任しながら自身の創作・翻訳活動を継続したが、1932年に博文館を退社し、専業作家となる。
 昭和九(1934)年7月、肺結核の悪化により長野県八ヶ岳山麓の富士見高原療養所での療養生活を余儀なくされ、執筆もままならない状態が続く。また、この時期に執筆された渾身の一作『鬼火』(1935年)が、政府当局の検閲により一部削除を命じられる。さらに戦時中は探偵小説の発表が困難になったことにより、時代小説の捕物帖などを中心とした執筆に重点を移さざるを得ないなど、不遇な時代が続いた。作家活動が制限されたために経済的にも困窮し、一時は本人も死を覚悟するほど病状が悪化したが、終戦後、治療薬の急激な値下げにより快方に向かう。
 昭和二十(1945)年4月より3年間、岡山県吉備郡真備町岡田(現・倉敷市真備町)に疎開。太平洋戦争の終戦後に推理小説が自由に発表できるようになると本領を発揮し、翌昭和二十一(1946)年から本格推理小説を続々と発表する。1948年、『本陣殺人事件』により第1回日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。同作はデビュー後25年目、長編としても8作目にあたるが、自選も含めて一般的に横溝の代表作と呼ばれる作品のほとんどは、これ以降の数年以内に発表されており、小説業界でも異例の遅咲き現象であった。この期間を経て、やや地味なベテランといったイメージから一挙に、乱歩に代わる日本探偵小説界のエース的存在となった。
 一時は4誌同時連載を抱えるほどの売れっぷりだったが、1960年代に入って始まった社会派ミステリーの台頭とともに急速に執筆量が激減。まもなく筆を折ったが、1968年にマンガ雑誌『週刊少年マガジン』(講談社)で『八つ墓村』がマンガ化連載(作画・影丸穣也)されたことを契機として再び注目が集まる。1970年代にはオカルトブームもあり、横溝の人気復活も作品にミステリーとホラーを融合させた側面があったためであったが、おりしも映画産業への参入を狙っていた角川書店社長・角川春樹はこのインパクトの強さを買い、自ら陣頭指揮をとって横溝作品を角川映画の柱とした。
 その結果、『犬神家の一族』(1976年)を皮切りとした一連の映画化や、毎日放送(TBS 系列)での連続ドラマシリーズ化により、推理小説ファン以外にも広くその名を知られるようになる。横溝作品のほぼ全てを文庫化した角川書店は、この空前のブームに飽き足らず、当時70歳の坂を越していた横溝もその要請に応えて驚異的な仕事量をこなし、70代にして4作の大長編小説を発表している(『仮面舞踏会』、『迷路荘の惨劇』、『病院坂の首縊りの家』、『悪霊島』)。ここでも横溝は、社会派ミステリー風の抑制されたリアルなタッチ、怪奇色、現代風アレンジといった作風の変換に余念がなかった。
 昭和五十六(1981)年12月28日、結腸ガンのため死去した。享年79歳。


小説『ドラキュラ』とは……
 『ドラキュラ(Dracula)』は、アイルランド人作家ブラム(エイブラハム)=ストーカー(1847~1912年)が1897年に発表した長編怪奇小説。タイトルの「ドラキュラ」は、作中に登場する男性の吸血鬼の名前。この小説があまりにも有名になったため、ドラキュラは日本も含めて世界的に「吸血鬼」を意味する普通名詞として誤用されることが多いが、あくまでも小説の登場キャラクターの固有名詞であり、吸血鬼全般をドラキュラと呼ぶのは間違いで、吸血鬼を表す英語は「ヴァンパイア(Vampire)」である。ドラキュラはルーマニア語で、「ドラゴン(悪魔)の息子」を意味する。小説執筆時は『不死者(The Un-Dead)』という題名だった。
 ドラキュラのモデルは、15世紀のワラキア公国(現在のルーマニア共和国南部)の君主ヴラド3世(1431~76年 通称ヴラド・ツェペシュ、ヴラド・ドラキュラ)とされているが、設定として使われているのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。ストーカー自身は終生アイルランドから出ることは無かったが、この地域について地図や文献で詳細に調査して執筆している。
 なお、ヴラド3世がドラキュラと自称したのは、ヴラドの父である先代ヴラド2世(1384~1447年)が「ドラクル(ドラゴン公・悪魔公)」と呼ばれていたことに起因する(語尾に「a」がつくことで息子という意味になる)。だが、ドラクルという語の原義はドラゴンで、父ヴラド2世がドラクルと呼ばれたのは「十字軍ドラゴン騎士団」に所属していたためであり、ヴラド・ドラキュラも在世時は「悪魔の子」ではなく「小竜公」というような意味合いで呼ばれていた。
 小説『ドラキュラ』がルーマニア語に初めて翻訳されたのは、1989年12月のルーマニア革命によって共産主義政権が終焉した直後の1990年であり、それまで『ドラキュラ』はルーマニアでは発禁書であった。
 ヴラド一族の居城があったトランシルヴァニア地方(ルーマニア中・北西部)には、吸血鬼伝承は存在していない。ヴラド3世は領内統治のために、裏切りを行った貴族階級の家臣を、見せしめとして本来は貴族階級には適用されることのなかった串刺し刑に処したことから、「串刺し公(ツェペシュ)」と呼ばれた領主ではあった。しかし当時の社会情勢を考えれば、ヴラド3世が他の君主に比べて格別に残忍だったということでもない。ヴラド3世を吸血鬼と関連づける記録や伝承は皆無であり、ドラキュラのモデルがヴラド3世だとされていることについては、地元では観光に利用できるとして喜ぶ反面、郷土の英雄を怪物扱いすることに対して複雑な気持ちも抱いている。
 小説の舞台は1885年のイギリス帝国首都ロンドンで、小説が執筆された当時の価値観から見た近代科学技術が巧みに織り交ぜられた現代劇となっている。物語は全編にわたって三人称で語られ、複数の登場人物たちによる日記や手紙、電報、新聞記事、蝋管式蓄音機などといった記述で構成されており、それぞれの記述者や叙述者の発言によって、徐々にドラキュラの企みの全貌が浮上してくるという内容になっている。
 小説中には、アイルランドの吸血鬼伝承や、ストーカーと同じアイルランド人作家でダブリン大学(トリニティカレッジ)の先輩でもあったジョゼフ=シェリダン=レ・ファニュ(1814~73年)の短編怪奇小説『カーミラ』(1872年)の影響が強く見られる。実際に、『ドラキュラ』の初稿では物語の発端の舞台はトランシルヴァニアではなく、『カーミラ』と同じオーストリアに設定されていた。棺で眠るなどといった吸血鬼の特徴も『カーミラ』と共通で、それ以降の吸血鬼ものフィクション作品の定型となった。
 ストーカーの小説『ドラキュラ』は、出版されるとほぼ同時に、親友でストーカーが秘書も務めていた名優ヘンリー=アーヴィング(1838~1905年)の主演で舞台化され、小説も舞台も大ヒットした。
 ちなみに、アーヴィングの風貌はストーカーによるドラキュラ創造のヒントになったとされ、舞台版『ドラキュラ』におけるアーヴィングの演技・性格づけもまた、後世の舞台版・映画版の双方に大きな影響を与えたという。
 一方、本作の中盤以降の主要登場人物となるエイブラハム=ヴァン・ヘルシング教授については、1890年ごろにストーカーがアーヴィングの邸宅で知己を得た、オーストリア=ハンガリー帝国の旅行家でブダペスト大学(現在のエトヴェシュ・ロラーンド大学)の東洋言語学教授だったヴァーンベーリ=アールミン(1832~1913年)をモデルにして創造したといわれている。
 オーストリア=ハンガリー北部の都市ドゥナイスカーストレダ(現在のスロヴァキア共和国西部)に生まれたアールミン教授は、青年時代をオスマン=トルコ帝国首都イスタンブールで過ごしトルコ語やペルシア語をマスターし、1863年にはイスラム教徒の托鉢巡礼者に変装してキャラバンに加わり、ペルシアとウズベキスタンを横断する大旅行を行った。この際に記された旅行記は、ロシア帝国の進出以前の中央アジア西トルキスタン地方の文化を伝える貴重な史料となっている。

 1920年代には、原作者の未亡人であるフローレンス=ストーカーから正式に版権を取得した、ハミルトン=ディーンによる舞台版がアメリカで上演される。当時の舞台劇の主流は「室内劇」であり、舞台台本も原作を大幅に改編せざるを得ず、原作における冒頭のドラキュラ城のシークエンスをはじめとする見せ場がことごとくカットされ、舞台はセワード博士の病院と、カーファックス修道院の納骨堂の2場で進行した。このため、ドラキュラ伯爵は、上流階級の邸宅に招かれる際の容姿と礼儀作法を備えて登場し、漆黒の夜会服を着こなす貴公子然としたイメージが確立された。ちなみに、この舞台版ではドラキュラが観客に背を向けて一瞬にして消滅するイリュージョン演出があり、そのために首と後頭部が隠れる大きな襟の立ったマントが必要となった。ドラキュラの着ているマントの襟が大きく立っているのは、この舞台版の名残である(マントの正式な着方は襟を寝かせる)。

 原作小説でのドラキュラ伯爵は、「背の高い痩せた男」、「燃えるような赤い目」というイメージで繰り返し描かれる。登場当初は白髪の老人で、中盤から血を吸って30代ほどの外見になるまで若返り、髪も黒髪になる。猛禽類を思わせる精悍な顔つきで、口髭を生やし、蒼白い肌とは不釣り合いに毒々しく赤い唇からは尖った犬歯が覗いている。服装は黒ずくめであるという他は特に記述されていない。
 それに対して性格や趣味趣向は細かく設定されており、饒舌で読書好きであり、来客の給仕や城に囲っている女吸血鬼たちの世話といった家事もまめにこなす。活動時間は日没から日の出までで、夜が明けるとともに死体に戻るため、本来ならば自分の墓の土の中に戻らなければならないが、通常は城内の納骨堂に設えられている石棺の中に墓の土を敷き詰め、日中はそこに目を開けて横たわっている。十字架をはじめとする神の息のかかっている聖物と、ニンニクを忌避する。怪力、変幻自在、神出鬼没でネズミ、フクロウ、コウモリ、蛾、キツネ、オオカミなどを操り、嵐や雷を呼び、壁をトカゲのように這うことができる。影が無く、鏡に映らない。他人の家には、その家の家人に招かれなければ入ることができないが、一度招かれるとそれ以後は自由に出入りができる。
 一般的にドラキュラの所有する称号は伯爵(Count)ということになっているが、ルーマニアの貴族階級にはこの称号はなく、ドラキュラが確かに貴族であるとしても「伯爵」は単なる僭称に過ぎない可能性が高い。実際に、原作小説でドラキュラ本人がこの称号を用いている場面はない。


 いや~、どうだい、このロマンあふるる組み合わせ!
 横溝先生と『ドラキュラ』の解説だけで何千字もかかってしまいましたが、それだけ私が大好きってことなんですよ~、このおふたり。

 あの「名探偵・金田一耕助シリーズ」を生んだ横溝先生も、文学・映像・音楽・絵画とあらゆる文化を侵食する夜の恐怖の象徴・吸血鬼の中でもズバ抜けて有名なキャラクター・ドラキュラ伯爵も、どちらもおのおののジャンルを代表する知名度を誇っているわけなのですが、まさかその2つがあたかもカレーうどんの如くドッキングしていたとは! 知らない方も多いのではないでしょうか。
 実は、恥ずかしながら私も、横溝先生の時代小説に『髑髏検校』という、いかにもおどろおどろしいものがあるというのは、中坊時代に古本屋をまわって昭和の角川文庫版をかき集めていた時から裏表紙の既刊リストを見て知ってはいたのですが、まさかそれが、あの『ドラキュラ』の翻案だったとはつゆ知らず……おまけに、金田一ものはうちの地元の古本屋でもけっこう出回っていたのですが、さすがに時代小説は「人形佐七捕物帳」ものも含めて見当たらず。ず~っと『髑髏検校』そのものを読む機会は無かったのです。

 それがあーた、最近の角川文庫レーベルでの横溝リバイバルはすばらしいですね! 少しずつではあるのですが、金田一ものでないタイトルも復刊されつつあり、そこにあの『髑髏検校』も入っていたと! なに、いったい何が起きるんです!? 第三次横溝ブーム!?
 そんなんでまぁ、復刊自体は2008年なので、けっこう経った先日にやっと『髑髏検校』を購入しまして、喜び勇んで読んだというわけなのでした。ファンという割に気づくのが遅い! ほんとにファンなのか!? あいすみませぬ。

 そんなこんなで、やっと伝説の怪奇時代小説『髑髏検校』を読んでみたわけだったのですが、小説の内容もさることながら、この作品の周辺情報に関しても驚くことはたくさんありました。世間に言う「隠れた名作」って、まぁ、隠れてしまうだけの理由はちゃんとあるんですが、さりとてそのまま埋もれてしまうのは実にもったいなく……とにかく愛すべき魅力があるんですよね。惜しい!と思わずうなってしまう悲運があるのです。

 まず小説『髑髏検校』の連載背景に関していいますと、まず『奇譚』という雑誌の創刊に際して、まさしく世界的に有名なイギリスの怪奇小説である『ドラキュラ』の日本時代小説への翻案を企画したという、水谷準編集長のものすごいアイデア力に驚嘆してしまいます。『奇譚』が創刊された1939年は、もちろん太平洋戦争の開戦自体はまだ先のこと(1941年)ではあるものの、すでに日中戦争が始まって3年目に入る時期であり、ソ連との間に、日本の行く末を予感させるノモンハン事件が勃発した年でもあります。ヨーロッパではすでにスペイン内戦、ドイツ第三帝国によるチェコスロバキア併合、ポーランド侵攻という火の手が上がっている中で、それでも日本の怪奇幻想小説界隈を盛り上げようという気概を持っていた水谷編集長の姿勢には感動してしまいます。小説家としての水谷さんの作品、なんか春陽堂文庫で読んだけど、覚えてない……
 いっぽう、この大企画の執筆を任されたのが、プロの作家になって8年目に入ろうとしていた水谷編集長の盟友・横溝先生だったわけなのですが、当時、イギリスを遠く離れた日本でも『ドラキュラ』という物語自体は映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)や『魔人ドラキュラ』(1931年)で知られてはいたものの、原作小説『ドラキュラ』の訳書自体はまだ出版されていない状況でした(平井呈一による抄訳は1956年で完訳は71年)。そんな中で、原書を読んでかみ砕いて執筆するという横溝先生の仕事が、『ドラキュラ』に対する日本人作家のファーストコンタクトとなったのは運命的なものを感じさせますね。
 ただ、これが連載当初の水谷編集長と横溝先生の構想通りに、2年くらいの連載期間を経ての「完全翻案」になったら最高だったのですが、結果は非常に口惜しいもので、『奇譚』は創刊した年の7月号でやむなく廃刊となり『髑髏検校』も文庫本にして170ページ余りの中編サイズでむりやり完結。当の横溝先生自身も持病の肺結核の悪化によってその年の秋に執筆活動を休止してしまうのでした。時局がらの不運もあるのでしょうが、そもそも親友の水谷編集長がわざわざ『ドラキュラ』の原書を持って行って翻案を頼んでいたことからも、お互いに完全新作の連載をやれるほど横溝先生の体調が万全でないことを理解していたのではないでしょうか。かと言って「休め!」と言わなかったあたりに、執筆の情熱に燃える横溝先生への、水谷さんなりの思慮を感じますね。水谷さんも、プロの小説家の業を知る人だったんだねい。

 さて、それで肝心かなめの『髑髏検校』の内容を見ていきますと、そういった「やむなく時代小説を書いている」という事情を全く感じさせないかのように、やたらと陽気なタッチで物語が進んでいくのが実に印象的です。原典『ドラキュラ』からは想像もつかないハイテンションさで、登場人物たちが活き活きと江戸の町を走り回るんですね。だいいち、一番陰気なキャラであってもおかしくないはずのラスボス髑髏検校からして、遭難して自分の島に漂着したばっかりの見ず知らずの客(ジョナサン朱之助)に対して、

「おお、参る。江戸へ参る。ふふふ、わしが江戸へ参らば、どのような騒ぎが起こることじゃろう……おっと、口がすべった(笑)」

 なんてのたまうんですからね。なにはしゃいでんだコイツ!? 遠足前の小学生か!?
 あと、検校のファッションも白・赤・金というむっちゃくちゃ派手なカラーリングで、原典のドラキュラ伯爵のトレードマークたる「黒」をいっさい用いていない剛毅さも実にインパクト大です。陽気! 陽気な田舎のお金持ちって感じ。

 とにもかくにも、この『髑髏検校』の内容は、読んだ感覚で言うと原作『ドラキュラ』の「吸血鬼化したルーシーの退治」あたりまでを比較的詳細に展開させて、その後のドラキュラ発見からトランシルヴァニアまでの追跡行を思いっきりはしょって髑髏検校と双子の女吸血鬼の討滅につなげて終了、という流れになっています。確かに、原作ではヨーロッパの奥地のトランシルヴァニアとイギリスのロンドンという距離感が大切な味付けになっているのですが、『髑髏検校』では「筑紫沖の孤島・不知火島」と江戸という距離こそあるものの、検校たちはステイ先の江戸で仲良く調伏されます。そういえば、読んでいてずっと「検校、検校って言ってるけど、思いっきり目ェあいてるじゃん!」と思っていました。別に楽器も弾かないし歌も唄わないのに、なぜ検校……まさか先生、語呂だけで検校にしちゃった? ちなみに、あの勝新太郎の「座頭市」の原型になったというキャラクターも、髑髏検校の自称名と同じ「不知火検校」というのですが、こちらは宇野信夫の1960年の戯曲の主人公が元になっているので、横溝先生の髑髏検校とは全く無関係です。
 そういえば、横溝先生はほんとにネーミングに無頓着と言いますか、どっちもイイ感じなんだから、髑髏か不知火かどっちかにしてよ! と感じてしまいます。金田一ものの名作『夜の黒豹』に出てくる殺人鬼の名前が「青蜥蜴」、ほどじゃないですけどね。哺乳類か爬虫類かくらいは決めてくれ!!

 こうやって読んでみますと、横溝先生が「『ドラキュラ』を3分の1くらい読んでから連載を始めた」と語っている通り、この『髑髏検校』は確かに骨組みこそ『ドラキュラ』そのものではあるものの、登場人物たちのテンションや、ミナ琴絵の駕籠屋を使った拉致のくだり、また『ドラキュラ』にいないオリジナルキャラクターである血のつながっていない義母子のお角・小夜の活躍など、後半にいくにつれてかなり自由に物語が江戸伝奇小説ライズしていく面白さに満ちています。特に、髑髏検校の噂を聞いて無許可で歌舞伎の演目にした役者の富五郎が、検校にじきじきに呼び出しをくらって「めっ。」される流れは、完全に脱線ではあるものの横溝先生の楽しそうに執筆しているさまが見えるようで最高です。まぁそのおかげで、序盤からずっと失踪していたジョナサン朱之助の出番がそうとう後回しになってしまったため、クライマックスで登場した時に登場人物全員から本気で「誰……?」といぶかしがられていたのには涙を禁じ得ませんでした。婚約者のミナ琴絵も、そうそうに死んだものと諦めてたし……無惨!!
 あと、けっこう新鮮だったのが、作中に登場する吸血鬼たちが一様に「唇をすぼめて」人間の喉元に顔を当てるという吸血描写でしたね。そうそう、この時代って、1958年のクリストファー=リー主演の映画『吸血鬼ドラキュラ』で確立した、「口をカッと開いて長く伸びた犬歯を突き立てて吸血する」という様式が確立してなかったんですよね。『魔人ドラキュラ』でも、ベラ=ルゴシ演じるドラキュラ伯爵の顔が迫ってくるっていう表現のみで吸血描写自体は直接映されていなかったし、その『魔人ドラキュラ』自体、横溝先生は当時見ていなかったと。
 「唇をすぼめて吸血」って、どういうことなんだろ……やっぱり日本のコウモリ妖怪「山地乳(やまちち)」の『絵本百物語』の画像が影響しているんだろうか。でも、あれは「寝ている人間の口から精気を吸い取る」のであって血を吸うのではないし……それなのに、『髑髏検校』では吸血鬼のすぼめた口から歯が見えるっていうし、吸われた人間も喉元に「ふたつの傷口」があるっていうのよねぇ。やっぱ、映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』的に、前歯が2本ニュッと伸びるスタイルなのかな? なんかチュパカブラみたい。

 こんな感じで、オリジナリティは充分にありながらも諸事情により中編サイズとなってしまった『髑髏検校』だったのですが、序盤にけっこう意味ありげに伏線が張られた「不知火検校の本名」が、最後の最後に明かされたあたりの驚愕感からも、もしも横溝先生の体調が万全で『奇譚』も廃刊にならずに構想通りのボリュームの『髑髏検校』になっていたとしたら、いったいどんなスケールの一大スペクタクル伝奇巨編になっていたのだろうかとワクワクせずにはおかれません。正体がわかると、そんな彼がなぜ「十字架」をいっさい使わずに「髑髏」を定紋にしているのか、なんかいろいろ想像してしまいますね。あれ、これ、検校の生前のキャラクターがかなり原典のドラキュラ伯爵(ワラキア公ヴラド4世)に近くないか!? キリスト教を愛し命を捧げたからこそ、その反面としての恨みが強力になっているんですね! さすがは横溝大先生!! ざっと読みしかしていないようでいて、ドラキュラ伯爵の本質はしっかり射抜いていらっしゃる。

 最後に、私はまだ視聴していない1982年スペシャルドラマ版の『髑髏検校』について。
 いや~、まさかあの田村正和さんがジャパニーズヴァンパイアを演じておられたとは! 考えてみれば、これほどしっくりくるキャスティングもありませんよね。マサカズさんは、かつて NHK大河ドラマ『新・平家物語』(1972年)で、あの「日本一の大魔王」こと崇徳院(の生前)も演じておられたしねぇ! ちなみに、ドラマが放送された1982年8月には、「日本の吸血鬼と言えば、この人!」として有名な稀代の怪優・岸田森さんも「ギリギリ」ご存命だったのですが、周知のとおり同年の12月に亡くなっており、それ以前からお酒のせいでかなり体調がかんばしくなかったようでもありましたので、こと「髑髏検校(ドラキュラ)と琴絵(ミナ)の運命のめぐりあわせ」という原典『ドラキュラ』のロマン味を原作以上に強調したドラマ版においては、あまいマスクのマサカズさんが検校を演じるのが最適解だったかと思われますね。ていうか、原作では髑髏検校、琴絵を見てもいっさい無反応でしたからね! 横溝先生、そこは食指が動かなかったのね……
 あとドラマ版はまだソフト商品化はされていないようなのですが、原作では全くなかった「将軍・家斉と大奥の権力抗争」も大幅にからんでくるし、陽炎姫は家斉の娘じゃなくて不仲な正室になるし髑髏検校は超能力ぬきで謎に正々堂々日本刀チャンバラを繰り広げるしで、往年の「古谷一行金田一のドラマシリーズ」を彷彿とさせるアレンジ無法地帯っぷりがものすごい怪作になっているようですので、まぁ機会があれば時代劇チャンネルか youtubeの公式無料配信があったときに観てみたいなぁ、みたいな感じです。まさに、『〇界転生』の2時間ドラマ版って感じ……

 読みたかったなぁ、「完全版・髑髏検校」! 紛失したっていう450枚バージョン、発見されるといいなぁ。
 さすがは横溝大先生、死してもロマンは不滅だぜい!!

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