んまぁ~ものすごい作品でしたよね。
みなさま、暑い日が続きますがご機嫌いかがでございますでしょうか? そうだいでございます~。山形もぜんっぜん暑いです。東北地方だな~、と感じられるのは朝方の涼しさだけです、ハイ。
さっそく本題! 昨日7月30日はわたくし土曜出勤だったのですが、夜8時30分に仕事が終わった後、上映時間も確かめないで思い立つままにあちこちの映画館を駆けずり回り、その日の最終上映回だった9時40分開始の「4D」版のこの作品を勢いで観てしまいました。
もォ~ほんとに思い立って観に行っちゃった! のんびり寝て翌日の日曜日にでも観りゃいいのに、それも我慢できなかったという!
しかも、仕事の関係で浴衣を着たまんま観ちゃったよ! よりにもよって4D版を浴衣で観るとは、どんだけおのぼりさんなのでありましょうか。しかもそれなのに男1人という不可解な状況……もうこれは完全に、「内容は知らないけど、『野村萬斎さんが主人公らしい』という情報だけを頼りに来てしまったにわか古典芸能ファン気取り」としか解釈しようのない有様であります。こうなったらもう、上映終了後には「萬斎さま、どこに出てらしたのかしらねェ~。」とかつぶやきながら扇子片手に映画館を後にせねばなるまいて!!
というわけで、突発的に『夏ダカラ!』(Buono!12thシングル)の精神でわたくしが観に行った作品は、こちら。
映画『シン・ゴジラ』(2016年7月29日公開 119分 東宝)
『シン・ゴジラ』は、映画『ゴジラ』シリーズ第29作である。前作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)以来12年ぶりの日本製作によるゴジラ作品となる。
2014年公開のハリウッド版『GODZILLA』(ギャレス=エドワーズ監督)の世界的な大ヒットを受け、日本でもゴジラ最新作の製作が決定した。総監督・脚本には庵野秀明、監督・特技監督には樋口真嗣がそれぞれ起用され、彼らがタッグを組んだ短編映画『巨神兵東京に現わる』(2012年)が起用の決め手になったという。当初、庵野は自身が総監督を務めるアニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)の制作後から精神的に不安定な状況におちいっていたために一度は断ったが、東宝の誠意と樋口の説得を受けて「一度きりの挑戦」として承諾した。
日本の『ゴジラ』シリーズでは初となるフルCG で制作されるゴジラのデザインには、『巨神兵東京に現わる』で巨神兵の造型を担当した竹谷隆之が起用された。デザインの詳細は前田真宏のコンセプトスケッチを基に庵野、樋口、竹谷、尾上克郎が打ち合わせを行い、「完全生物」、「生物として突き抜けた存在」という方針が決まった。また、庵野の命名したタイトルである『シン・ゴジラ』には、「新」、「真」、「神」などの意味が含まれているという。
庵野は脚本の執筆段階から防衛省・自衛隊に協力を依頼し、「実際にゴジラが現れた場合、自衛隊はどのように対処するのか」、「ゴジラに対して武器の使用が認められるのか」などミーティングを繰り返し行い、事実に即した脚本に仕上げていった。ちなみに机上研究では、ゴジラが出現した場合には「災害派遣を根拠とした出動及び有害鳥獣駆除による武器使用が可能」という結論が出されているという。
音楽には、庵野が監督を務めた『ふしぎの海のナディア』(1990~91年)、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(1995年~)で音楽を担当した鷺巣詩郎が起用された。劇中では『エヴァンゲリオン』の使用音楽が使用された他に、伊福部昭の音楽も使用されている。庵野は脚本執筆の段階で伊福部音楽を使用することを決めており、オリジナルのモノラル音源が使用された。
俳優の役作りについては、ミーティングの際に実際の政治家や官僚の会話の録音を俳優に聞かせたうえで、「早口で、普段は使わない専門用語の多い言葉を流暢にかつ説得力を持って喋る」政治家や官僚のイメージを作るようにしたという。
あらすじ
東京湾羽田沖で漂流中のプレジャーボートが発見されるが生存者は確認されず、残されたのはわずかな遺留品だけであった。その直後、海面が変色すると同時に激しい揺れが発生、大量の水蒸気が噴出する。直下の東京湾アクアラインの海底トンネルにて崩落事故が発生し、数台の車が巻き込まれた事態を受け、大河内清次内閣総理大臣以下、閣僚と関連省庁関係者が招集され、緊急会議が開かれた。会議参加者の多くは海底火山の噴火か熱水の噴出によるものとの仮説を支持し、その方向で対応を協議しようとする。しかし矢口蘭堂内閣官房副長官はこの仮説に疑問を呈したうえで、「海底に未知の巨大生物が潜んでいるのではないか」と主張。赤坂秀樹総理大臣補佐官らはそんなものがいるはずはないと矢口の主張を一笑に付すが、その直後、長大な尻尾を持つ巨大生物が海面に浮上し、陸地に向けて移動を開始する。
想定外の事態に混乱する日本政府は有効な対策を打ち出せない。そうこうする内に巨大生物は東京湾から呑川に入って遡上、さらに水中生物だと思われた怪物は大田区の蒲田に上陸し、地面を這いながら内陸に侵攻する。やがて巨大生物は市街地に突入、建物が破壊され、市民に犠牲者が続出する。今まで決断を先延ばしにしていた大河内総理も、花森麗子防衛大臣に促されて「巨大生物の駆除」を自衛隊に命令し、対戦車ヘリコプターの編隊が飛び立つ。しかし近隣住民の避難が完全に行われておらず攻撃は中止され、その隙に巨大生物は海に戻っていった。
海上自衛隊が捜索を行うが巨大生物の位置はつかめず、矢口率いる対策チームの調べで巨大生物はまだ進化する兆候を見せていることが分かる。その巨大さからどうやってエネルギーを得ているのかという疑問に対して、巨大生物の通った地域の放射線量が増加していることから核物質による核分裂をエネルギーにしているという推測がなされ、海に戻ったのは自身を冷却するためであるという仮説がなされる。そこにアメリカ合衆国大統領特使である日系アメリカ人のカヨコが来日し、ある生物学者を捜索してほしいという依頼をする。その学者は巨大生物事件の直前に発見されたプレジャーボートの持ち主・牧悟郎であった。牧は古代生物の研究を行っており、アメリカはその古代生物がかつて海底に投棄した核廃棄物を吸収して未知の新生物に進化したという見立てを行っていた。牧がそれを自身の故郷・大戸島に伝わる海の神「呉爾羅」と呼称していたことから、政府は以後、巨大生物を「ゴジラ」と呼称するようになる。
『シン・ゴジラ』におけるゴジラ
身長 …… 118.5メートル
総監督の庵野秀明からは「完全生物」という指示を受け、地球上の生態系の頂点として造形された。初代ゴジラをリスペクトした造形を主軸に、「生態系の頂点に位置する生物であるため警戒する必要がない」として瞼や耳介がなく、何かを捕食して生きるわけでもないため歯の噛み合わせは乱杭歯である。小さい目は「生き物の中で一番恐い」人間の眼を参考にした他、皮膚の質感はゴーヤ、頭部はキノコ雲をイメージして造形されている。さらに「自己分裂を繰り返す」、「すべての生物の要素が入った完全生物」といったコンセプトから、尻尾の先端には形成が不完全な人の歯や肋骨といったパーツが埋め込まれた。
プロポーションとしては皮膚が垂れ下がっているどっしりとした下半身と、体高を軽く上回るほど長大かつ強靭な尻尾を特徴としたシルエットが特徴。瞼がなく見開いた小さい眼球と、無数の細い牙が不揃いに並んだ頭部に加え、全身は膠原線維束が縦横に錯綜したような黒い外皮と、心臓部の生体原子炉のエネルギーで各部が真っ赤に発光(熱線放射時は紫に変わる)する内皮、さらに両腕は極端に小さく、長大な尻尾の先端には肋骨、歯、頭、腕といった生き物のパーツが生えているなど、不気味さを前面に押し出した禍々しいデザインとなっている。尻尾は操演でも動かせないというほどの長さで、腕も着ぐるみにするには大人が腕を通せないほど細く、足もかかとが浮いており爪の先端も体重を支える角度をなしていない。
フルCG とモーションキャプチャで描写されている。モーションアクターが狂言師の野村萬斎であることは劇場公開まで伏せられていた。野村は演じる際、実際にゴジラの面も着けて顎を動かす面の使い方を意識したという。
主なキャスティング
矢口 蘭堂(内閣官房副長官) …… 長谷川 博己(39歳)
赤坂 秀樹(内閣総理大臣補佐官) …… 竹野内 豊(45歳)
カヨコ=アン=パタースン(アメリカ合衆国大統領特使) …… 石原 さとみ(29歳)
志村 祐介(内閣官房副長官秘書官) …… 高良 健吾(28歳)
泉 修一(保守第一党政調副会長) …… 松尾 諭(40歳)
尾頭 ヒロミ(環境省自然環境局野生生物課課長補佐) …… 市川 実日子(38歳)
森 文哉(厚生労働省医政局研究開発振興課長) …… 津田 寛治(50歳)
安田 龍彦(文部科学省研究振興局基礎研究振興課長) …… 高橋 一生(35歳)
立川 始(資源エネルギー庁電力ガス事業部原子力政策課長)…… 野間口 徹(42歳)
間 邦夫(生物圏科学研究科准教授) …… 塚本 晋也(56歳)
根岸 達也(原子力規制庁監視情報課長) …… 黒田 大輔(38歳)
袖原 泰司(自衛隊統合幕僚運用第一課長)…… 谷口 翔太(30歳)
大河内 清次(内閣総理大臣) …… 大杉 漣(64歳)
東 竜太(内閣官房長官) …… 柄本 明(67歳)
花森 麗子(防衛大臣) …… 余 貴美子(60歳)
里見 祐介(農林水産大臣) …… 平泉 成(72歳)
財前 正夫(自衛隊統合幕僚長) …… 國村 隼(60歳)
西郷戦闘団長 …… ピエール瀧(49歳)
柳原国土交通大臣 …… 矢島 健一(60歳)
河野総務大臣 …… 浜田 晃(74歳)
関口文部科学大臣 …… 手塚 とおる(54歳)
郡山内閣危機管理監 …… 渡辺 哲(66歳)
金井防災大臣 …… 中村 育二(62歳)
片山臨時外務大臣 …… 嶋田 久作(61歳)
風越内閣総理大臣秘書官 …… 神尾 佑(46歳)
矢島統合幕僚副長 …… 鶴見 辰吾(51歳)
三木東部方面総監幹部幕僚長 …… 橋本 じゅん(52歳)
山岡統合部隊指揮官 …… 小林 隆(56歳)
官邸職員のおばさん …… 片桐 はいり(53歳)
早船(ジャーナリスト) …… 松尾 スズキ(53歳)
牧 悟郎 …… 岡本 喜八(写真出演)
ゴジラ(モーションキャプチャ) …… 二世 野村 萬斎(50歳)
主なスタッフ
総監督・脚本・編集 …… 庵野 秀明(56歳)
監督・特技監督 …… 樋口 真嗣(50歳)
※ゴジラシリーズでの「特技監督」という役職表記は、『ゴジラ VS デストロイア』(1995年)の川北紘一(2014年没)以来21年ぶりである。
准監督・特技総括 …… 尾上 克郎(56歳)
撮影 …… 山田 康介(40歳)
VFX スーパーバイザー …… 佐藤 敦紀(55歳)
音楽 …… 鷺巣 詩郎(59歳)、伊福部 昭
美術 …… 林田 裕至(55歳)、佐久嶋 依里(39歳)
ゴジライメージデザイン …… 前田 真宏(53歳)
キャラクターデザイン …… 竹谷 隆之(52歳)
特殊造型プロデューサー …… 西村 喜廣(49歳)
製作・配給 …… 東宝
うん。すごい作品でした、うん。
当初、私も公開からしばらく経って映画館の客席も落ち着いた頃にゆっくり観ようかなと思っていたのですが、公開初日からあふれ出た作品を観た方々の大絶賛や、「第一形態、第二形態!」とかいう気になりすぎるワードの噴出に、これはもういてもたつもたともたんまらず(剛州さん語録より)、公開2日目で観に行くことになってしまいました。我慢できなさすぎ!
しかも、その日の2D版の上映はすべて終わっていたため、割高な4Dに生まれて初めて挑戦するハメに……
あの、作品のおもしろさとはまったく別の話なんですが、わたくし個人の意見といたしましては、この作品に関しては、特に4D版で観なければ損しちゃう、ってことはないかな、と思います。たぶん4D版のアトラクションの内容とかタイミングを考える演出家の方っていると思うんですが、この作品は苦労したと思いますよ、たぶん……中盤なんか小一時間くらい、座席が揺れたり水が掛かったりする余地、入りようがなかったもんね。嶋田久作さんの臨時外務大臣が、アメリカ中心の国連安保理からの理不尽すぎる要求に悲憤慷慨してドンッて机を叩いた時に座席も揺れたらおもしろかったんですけど、深刻すぎる内容だったので揺れるわけもありませんでした。そりゃそうだよなぁ、平泉成さんがため息ついてるんだぜ? 4Dやってる場合じゃないだろう。
それで内容なんですが、まさしく本作のプロデューサーの方がおっしゃる通り、「完成した映画でファンタジーなのはゴジラだけ」という、作り手が極限まで「好きなようにやっている」作品だなぁ、と感じました。まずこれに感動ですよね。その点でいうと、作った人がよっぽどこの作品を愛しているんだなぁと思わせるその「愛情の深さ」に関しては、井口昇監督の映画『電人ザボーガー』(2011年)に通じる熱量があると強く感じました。作品としてのサイズもテイストもまるで違うんですが、要するに製作スタッフ間の「みんなでこれを映像化させよう」というヴィジョンに共通理解が多くてブレが少ないというか。意思の固さとそこから生まれる映像の説得力があるんですよね。ゴジラがファンタジーで、日本伝統の着ぐるみでもないフルCG だったのだとしても。
ただ、私としましては、ゴジラとおんなじくらいに石原さとみさんのルー大柴さんみたいな2ヶ国語チャンポンもファンタジーだと感じました。お汗を流す温泉地に「ZAO 」をご指名いただき、まことにありがとうございます!! ただ、身体がめちゃくちゃ硫黄くさくなるんですけど、かまいませんでしょうか!?
この伝統あるゴジラシリーズにおける「意思の固さ」を考える時に、私がどうしても即座に連想してしまうのは、あのシリーズ第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)であります。
この作品は、時系列的にはいちおうミレニアムシリーズ(1999~2004年)の一環でありながらも、ゴジラのデザインがまるで違う「白目ゴジラ」となり、「愛嬌のかけらもなくひたすら怖いゴジラ」の久々の登場という設定でした。「人類の敵・ゴジラ」という構図はけっこうどのシリーズ作品にもあるわけですが、敵(ゲスト怪獣)の敵は味方ということで間接的にゴジラが人類の味方になっちゃったり、単純にデザインがかっこいいということでヒーローっぽくなるケースも多かった歴代作品に対して、この「総攻撃ゴジ」は本当に悪役に徹していて、ゲスト怪獣が(間接的ながら)人類の味方という構図が明確でした。しかもこのゴジラは人をバンバン殺してしまうし、その異常すぎる「正体」からして、むしろ平和にのうのうと暮らしている人類を滅ぼすのが目的なんじゃないのかという恐ろしさ。ただ歩いているから被害が増えるという消極的な災害ではないんですね。個々のゴジラの能力値の比較は別として「動機」の点で考えれば、この総攻撃ゴジは明らかに今回の「シン・ゴジ」よりも恐ろしいゴジラであったことは間違いありません。
しかし、いかんせんこの作品の、「異端作」となったばかりで「傑作」にはならなかった(と、私が考える)理由は、その「邪魔な夾雑物の多さ」。これに尽きると思うのです。
そりゃもう何と言っても、「日本列島」を守護するという設定の「護国聖獣」のエントリーメンバーに、なんでモスラとキングギドラが入っとんねん!! これですよね。これは私も本当に理解に苦しみました。そりゃ関西弁にもなろうってもんです。
モスラとキングギドラってあーた、完全に「ネームバリュー先行の出来レース編成」じゃありませんか……モスラは日本的イメージまるでないし、さらにおギドラ様なんか、「人類の味方」イメージがない上にそもそも地球のイメージすらねぇし!! そんなんあんた、「カットよっちゃん」のイメージキャラクターにサミュエル・L・ジャクソンが選ばれるようなもんですよ。え、なんで!? みたいな。
この際、『とっとこハム太郎』と同時上映だったなんてことは、どうでもいいんです。致命的な問題は、ある意味ではシリーズの偉大なる始祖『ゴジラ』(1954年)以上に積極的に太平洋戦争の惨禍を作品に取り込んだ『総攻撃』が、肝心の「ゴジラを鎮める存在」に「商業的に見栄えのするポップなアイドル怪獣」を無理矢理ねじこんでしまったという不真面目極まりないブレブレ感なんです。だからこそ、そんな理不尽すぎる「どっかからの圧力」を受ける中でも押し通したゴジラの陰惨さとバラゴンとの対決シーンはおもしろく、それ以後の乱戦はパッとしない、TVでも見られるようなありきたりなビーム合戦になってしまっているのでしょう。そこはやっぱり、アンギラスとバランと三つ巴でひたすら噛み合いみたいな泥臭さにしてほしかった……
ホントに、ゴジラファンや特撮ファン以前に、一己の宇宙大怪獣キングギドラさまファンであるわたくしとしましては、平成のおギドラさまはひどい扱いばっか。ペット怪獣が合体しただけのなんちゃってギドラだったり、モスラにすら負ける子ども誘拐犯だったり、ここでは幼体のヨチヨチ状態でよりにもよって総攻撃ゴジにぶつけられるしまつ。モスラだって、なんか結果的に人殺しみたいなイメージを持たれちゃう描かれ方をしてるし……この『大怪獣総攻撃』は、キングギドラもモスラも篠原ともえさんも出て損しかしてない不幸な映画ですよ。
話が『総攻撃』だけになってしまいましたが、それを最たるものとして、ゴジラシリーズはその東宝の伝統あるシリーズとしての宿命なのか、常に作り手と「諸事情」とのせめぎ合いに悩まされ、その結果が作品全体の評価に直結するという性質から逃れられないものになっていると思います。
シェーをするゴジラ、息子を教育するゴジラ、マンガみたいなフキダシで子分怪獣と会話をするゴジラ、放射能火炎を後ろ向きに吐いて空を飛ぶゴジラ、急に顔がかわいくなるゴジラ、流血をするゴジラ、平成になって久しぶりに怖くなったと思ったらまたベビーができるゴジラ……初代の恐怖から見ればブレにしか見えない変容であるわけですが、全てが本物のゴジラなわけです。
私個人の勝手な解釈で言わせてもらえば、昭和ミニラもベビー~ゴジラジュニアも FINALミニラもジラもゴジラザウルスもスペースゴジラもビオランテもみ~んなゴジラです! ジラースもゴジラの範疇なんですが、さすがにゴメスは違うかな……あと、『ゴジラ VS ビオランテ』のタイアップで『仮面ノリダー』に出てきた「ヒゲゴジラ男」(演・石橋貴明)も立派なゴジラでしたよ。ゴジゴジ!
しかしそんな混沌のゴジラ史の中でも、どうやら今回の『シン・ゴジラ』は相当に初代ゴジラを意識した恐怖のゴジラの復活になるらしいと聞いたとき、私の脳裏によぎったのは『総攻撃』の中途半端な結果であり、新たな歴史の始まりとなるはずだったミレニアムシリーズの筆頭『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)やハリウッドのギャレス版『GODZILLA』(2014年)に、オルガとかムートーとかいう役者不足にも程のある新怪獣をのこのこ登場させる「ゴジラ一匹で勝負しないヘタレさ」がまた繰り返されるのではないかという大きな不安だったのでした。私はほんとにギャレス監督のそこが気に食わなかったのです……なんでカマキラスに毛が生えたみたいなやつがギャレゴジの相手になるんだと! その点に関しては、ゴジラ(に見えなくもない怪獣)だけしか出さなかったエメリッヒ版(1998年)の方がよっぽど根性がすわってる! いや、あれもミニラがいっぱい出てたけど。
ですからね、『シン・ゴジラ』ごときで「こんなのゴジラじゃない!」なんて、なんつうあさはかな料簡と言いたいわけなんですね、ホントに。あの程度でショックを受けてるなんて……およそ10年ものゴジラロスは、こんな文化的弊害も生んでしまっているのですね。
……とまぁ、そんなこんなで私は不安と期待がまぜこぜになった状態で『シン・ゴジラ』を観たわけだったのですが。
んまぁ~、ものすごい作品だったわけ!!
ということで、字数もかさんできたので、続きはまた次回!
結局、本編のことロクに話さないうちに1回ぶん終わっちゃったよ! これぞまさに、我が『長岡京エイリアン』構成。ひどいったらありゃしません。
みなさま、暑い日が続きますがご機嫌いかがでございますでしょうか? そうだいでございます~。山形もぜんっぜん暑いです。東北地方だな~、と感じられるのは朝方の涼しさだけです、ハイ。
さっそく本題! 昨日7月30日はわたくし土曜出勤だったのですが、夜8時30分に仕事が終わった後、上映時間も確かめないで思い立つままにあちこちの映画館を駆けずり回り、その日の最終上映回だった9時40分開始の「4D」版のこの作品を勢いで観てしまいました。
もォ~ほんとに思い立って観に行っちゃった! のんびり寝て翌日の日曜日にでも観りゃいいのに、それも我慢できなかったという!
しかも、仕事の関係で浴衣を着たまんま観ちゃったよ! よりにもよって4D版を浴衣で観るとは、どんだけおのぼりさんなのでありましょうか。しかもそれなのに男1人という不可解な状況……もうこれは完全に、「内容は知らないけど、『野村萬斎さんが主人公らしい』という情報だけを頼りに来てしまったにわか古典芸能ファン気取り」としか解釈しようのない有様であります。こうなったらもう、上映終了後には「萬斎さま、どこに出てらしたのかしらねェ~。」とかつぶやきながら扇子片手に映画館を後にせねばなるまいて!!
というわけで、突発的に『夏ダカラ!』(Buono!12thシングル)の精神でわたくしが観に行った作品は、こちら。
映画『シン・ゴジラ』(2016年7月29日公開 119分 東宝)
『シン・ゴジラ』は、映画『ゴジラ』シリーズ第29作である。前作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)以来12年ぶりの日本製作によるゴジラ作品となる。
2014年公開のハリウッド版『GODZILLA』(ギャレス=エドワーズ監督)の世界的な大ヒットを受け、日本でもゴジラ最新作の製作が決定した。総監督・脚本には庵野秀明、監督・特技監督には樋口真嗣がそれぞれ起用され、彼らがタッグを組んだ短編映画『巨神兵東京に現わる』(2012年)が起用の決め手になったという。当初、庵野は自身が総監督を務めるアニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)の制作後から精神的に不安定な状況におちいっていたために一度は断ったが、東宝の誠意と樋口の説得を受けて「一度きりの挑戦」として承諾した。
日本の『ゴジラ』シリーズでは初となるフルCG で制作されるゴジラのデザインには、『巨神兵東京に現わる』で巨神兵の造型を担当した竹谷隆之が起用された。デザインの詳細は前田真宏のコンセプトスケッチを基に庵野、樋口、竹谷、尾上克郎が打ち合わせを行い、「完全生物」、「生物として突き抜けた存在」という方針が決まった。また、庵野の命名したタイトルである『シン・ゴジラ』には、「新」、「真」、「神」などの意味が含まれているという。
庵野は脚本の執筆段階から防衛省・自衛隊に協力を依頼し、「実際にゴジラが現れた場合、自衛隊はどのように対処するのか」、「ゴジラに対して武器の使用が認められるのか」などミーティングを繰り返し行い、事実に即した脚本に仕上げていった。ちなみに机上研究では、ゴジラが出現した場合には「災害派遣を根拠とした出動及び有害鳥獣駆除による武器使用が可能」という結論が出されているという。
音楽には、庵野が監督を務めた『ふしぎの海のナディア』(1990~91年)、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(1995年~)で音楽を担当した鷺巣詩郎が起用された。劇中では『エヴァンゲリオン』の使用音楽が使用された他に、伊福部昭の音楽も使用されている。庵野は脚本執筆の段階で伊福部音楽を使用することを決めており、オリジナルのモノラル音源が使用された。
俳優の役作りについては、ミーティングの際に実際の政治家や官僚の会話の録音を俳優に聞かせたうえで、「早口で、普段は使わない専門用語の多い言葉を流暢にかつ説得力を持って喋る」政治家や官僚のイメージを作るようにしたという。
あらすじ
東京湾羽田沖で漂流中のプレジャーボートが発見されるが生存者は確認されず、残されたのはわずかな遺留品だけであった。その直後、海面が変色すると同時に激しい揺れが発生、大量の水蒸気が噴出する。直下の東京湾アクアラインの海底トンネルにて崩落事故が発生し、数台の車が巻き込まれた事態を受け、大河内清次内閣総理大臣以下、閣僚と関連省庁関係者が招集され、緊急会議が開かれた。会議参加者の多くは海底火山の噴火か熱水の噴出によるものとの仮説を支持し、その方向で対応を協議しようとする。しかし矢口蘭堂内閣官房副長官はこの仮説に疑問を呈したうえで、「海底に未知の巨大生物が潜んでいるのではないか」と主張。赤坂秀樹総理大臣補佐官らはそんなものがいるはずはないと矢口の主張を一笑に付すが、その直後、長大な尻尾を持つ巨大生物が海面に浮上し、陸地に向けて移動を開始する。
想定外の事態に混乱する日本政府は有効な対策を打ち出せない。そうこうする内に巨大生物は東京湾から呑川に入って遡上、さらに水中生物だと思われた怪物は大田区の蒲田に上陸し、地面を這いながら内陸に侵攻する。やがて巨大生物は市街地に突入、建物が破壊され、市民に犠牲者が続出する。今まで決断を先延ばしにしていた大河内総理も、花森麗子防衛大臣に促されて「巨大生物の駆除」を自衛隊に命令し、対戦車ヘリコプターの編隊が飛び立つ。しかし近隣住民の避難が完全に行われておらず攻撃は中止され、その隙に巨大生物は海に戻っていった。
海上自衛隊が捜索を行うが巨大生物の位置はつかめず、矢口率いる対策チームの調べで巨大生物はまだ進化する兆候を見せていることが分かる。その巨大さからどうやってエネルギーを得ているのかという疑問に対して、巨大生物の通った地域の放射線量が増加していることから核物質による核分裂をエネルギーにしているという推測がなされ、海に戻ったのは自身を冷却するためであるという仮説がなされる。そこにアメリカ合衆国大統領特使である日系アメリカ人のカヨコが来日し、ある生物学者を捜索してほしいという依頼をする。その学者は巨大生物事件の直前に発見されたプレジャーボートの持ち主・牧悟郎であった。牧は古代生物の研究を行っており、アメリカはその古代生物がかつて海底に投棄した核廃棄物を吸収して未知の新生物に進化したという見立てを行っていた。牧がそれを自身の故郷・大戸島に伝わる海の神「呉爾羅」と呼称していたことから、政府は以後、巨大生物を「ゴジラ」と呼称するようになる。
『シン・ゴジラ』におけるゴジラ
身長 …… 118.5メートル
総監督の庵野秀明からは「完全生物」という指示を受け、地球上の生態系の頂点として造形された。初代ゴジラをリスペクトした造形を主軸に、「生態系の頂点に位置する生物であるため警戒する必要がない」として瞼や耳介がなく、何かを捕食して生きるわけでもないため歯の噛み合わせは乱杭歯である。小さい目は「生き物の中で一番恐い」人間の眼を参考にした他、皮膚の質感はゴーヤ、頭部はキノコ雲をイメージして造形されている。さらに「自己分裂を繰り返す」、「すべての生物の要素が入った完全生物」といったコンセプトから、尻尾の先端には形成が不完全な人の歯や肋骨といったパーツが埋め込まれた。
プロポーションとしては皮膚が垂れ下がっているどっしりとした下半身と、体高を軽く上回るほど長大かつ強靭な尻尾を特徴としたシルエットが特徴。瞼がなく見開いた小さい眼球と、無数の細い牙が不揃いに並んだ頭部に加え、全身は膠原線維束が縦横に錯綜したような黒い外皮と、心臓部の生体原子炉のエネルギーで各部が真っ赤に発光(熱線放射時は紫に変わる)する内皮、さらに両腕は極端に小さく、長大な尻尾の先端には肋骨、歯、頭、腕といった生き物のパーツが生えているなど、不気味さを前面に押し出した禍々しいデザインとなっている。尻尾は操演でも動かせないというほどの長さで、腕も着ぐるみにするには大人が腕を通せないほど細く、足もかかとが浮いており爪の先端も体重を支える角度をなしていない。
フルCG とモーションキャプチャで描写されている。モーションアクターが狂言師の野村萬斎であることは劇場公開まで伏せられていた。野村は演じる際、実際にゴジラの面も着けて顎を動かす面の使い方を意識したという。
主なキャスティング
矢口 蘭堂(内閣官房副長官) …… 長谷川 博己(39歳)
赤坂 秀樹(内閣総理大臣補佐官) …… 竹野内 豊(45歳)
カヨコ=アン=パタースン(アメリカ合衆国大統領特使) …… 石原 さとみ(29歳)
志村 祐介(内閣官房副長官秘書官) …… 高良 健吾(28歳)
泉 修一(保守第一党政調副会長) …… 松尾 諭(40歳)
尾頭 ヒロミ(環境省自然環境局野生生物課課長補佐) …… 市川 実日子(38歳)
森 文哉(厚生労働省医政局研究開発振興課長) …… 津田 寛治(50歳)
安田 龍彦(文部科学省研究振興局基礎研究振興課長) …… 高橋 一生(35歳)
立川 始(資源エネルギー庁電力ガス事業部原子力政策課長)…… 野間口 徹(42歳)
間 邦夫(生物圏科学研究科准教授) …… 塚本 晋也(56歳)
根岸 達也(原子力規制庁監視情報課長) …… 黒田 大輔(38歳)
袖原 泰司(自衛隊統合幕僚運用第一課長)…… 谷口 翔太(30歳)
大河内 清次(内閣総理大臣) …… 大杉 漣(64歳)
東 竜太(内閣官房長官) …… 柄本 明(67歳)
花森 麗子(防衛大臣) …… 余 貴美子(60歳)
里見 祐介(農林水産大臣) …… 平泉 成(72歳)
財前 正夫(自衛隊統合幕僚長) …… 國村 隼(60歳)
西郷戦闘団長 …… ピエール瀧(49歳)
柳原国土交通大臣 …… 矢島 健一(60歳)
河野総務大臣 …… 浜田 晃(74歳)
関口文部科学大臣 …… 手塚 とおる(54歳)
郡山内閣危機管理監 …… 渡辺 哲(66歳)
金井防災大臣 …… 中村 育二(62歳)
片山臨時外務大臣 …… 嶋田 久作(61歳)
風越内閣総理大臣秘書官 …… 神尾 佑(46歳)
矢島統合幕僚副長 …… 鶴見 辰吾(51歳)
三木東部方面総監幹部幕僚長 …… 橋本 じゅん(52歳)
山岡統合部隊指揮官 …… 小林 隆(56歳)
官邸職員のおばさん …… 片桐 はいり(53歳)
早船(ジャーナリスト) …… 松尾 スズキ(53歳)
牧 悟郎 …… 岡本 喜八(写真出演)
ゴジラ(モーションキャプチャ) …… 二世 野村 萬斎(50歳)
主なスタッフ
総監督・脚本・編集 …… 庵野 秀明(56歳)
監督・特技監督 …… 樋口 真嗣(50歳)
※ゴジラシリーズでの「特技監督」という役職表記は、『ゴジラ VS デストロイア』(1995年)の川北紘一(2014年没)以来21年ぶりである。
准監督・特技総括 …… 尾上 克郎(56歳)
撮影 …… 山田 康介(40歳)
VFX スーパーバイザー …… 佐藤 敦紀(55歳)
音楽 …… 鷺巣 詩郎(59歳)、伊福部 昭
美術 …… 林田 裕至(55歳)、佐久嶋 依里(39歳)
ゴジライメージデザイン …… 前田 真宏(53歳)
キャラクターデザイン …… 竹谷 隆之(52歳)
特殊造型プロデューサー …… 西村 喜廣(49歳)
製作・配給 …… 東宝
うん。すごい作品でした、うん。
当初、私も公開からしばらく経って映画館の客席も落ち着いた頃にゆっくり観ようかなと思っていたのですが、公開初日からあふれ出た作品を観た方々の大絶賛や、「第一形態、第二形態!」とかいう気になりすぎるワードの噴出に、これはもういてもたつもたともたんまらず(剛州さん語録より)、公開2日目で観に行くことになってしまいました。我慢できなさすぎ!
しかも、その日の2D版の上映はすべて終わっていたため、割高な4Dに生まれて初めて挑戦するハメに……
あの、作品のおもしろさとはまったく別の話なんですが、わたくし個人の意見といたしましては、この作品に関しては、特に4D版で観なければ損しちゃう、ってことはないかな、と思います。たぶん4D版のアトラクションの内容とかタイミングを考える演出家の方っていると思うんですが、この作品は苦労したと思いますよ、たぶん……中盤なんか小一時間くらい、座席が揺れたり水が掛かったりする余地、入りようがなかったもんね。嶋田久作さんの臨時外務大臣が、アメリカ中心の国連安保理からの理不尽すぎる要求に悲憤慷慨してドンッて机を叩いた時に座席も揺れたらおもしろかったんですけど、深刻すぎる内容だったので揺れるわけもありませんでした。そりゃそうだよなぁ、平泉成さんがため息ついてるんだぜ? 4Dやってる場合じゃないだろう。
それで内容なんですが、まさしく本作のプロデューサーの方がおっしゃる通り、「完成した映画でファンタジーなのはゴジラだけ」という、作り手が極限まで「好きなようにやっている」作品だなぁ、と感じました。まずこれに感動ですよね。その点でいうと、作った人がよっぽどこの作品を愛しているんだなぁと思わせるその「愛情の深さ」に関しては、井口昇監督の映画『電人ザボーガー』(2011年)に通じる熱量があると強く感じました。作品としてのサイズもテイストもまるで違うんですが、要するに製作スタッフ間の「みんなでこれを映像化させよう」というヴィジョンに共通理解が多くてブレが少ないというか。意思の固さとそこから生まれる映像の説得力があるんですよね。ゴジラがファンタジーで、日本伝統の着ぐるみでもないフルCG だったのだとしても。
ただ、私としましては、ゴジラとおんなじくらいに石原さとみさんのルー大柴さんみたいな2ヶ国語チャンポンもファンタジーだと感じました。お汗を流す温泉地に「ZAO 」をご指名いただき、まことにありがとうございます!! ただ、身体がめちゃくちゃ硫黄くさくなるんですけど、かまいませんでしょうか!?
この伝統あるゴジラシリーズにおける「意思の固さ」を考える時に、私がどうしても即座に連想してしまうのは、あのシリーズ第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)であります。
この作品は、時系列的にはいちおうミレニアムシリーズ(1999~2004年)の一環でありながらも、ゴジラのデザインがまるで違う「白目ゴジラ」となり、「愛嬌のかけらもなくひたすら怖いゴジラ」の久々の登場という設定でした。「人類の敵・ゴジラ」という構図はけっこうどのシリーズ作品にもあるわけですが、敵(ゲスト怪獣)の敵は味方ということで間接的にゴジラが人類の味方になっちゃったり、単純にデザインがかっこいいということでヒーローっぽくなるケースも多かった歴代作品に対して、この「総攻撃ゴジ」は本当に悪役に徹していて、ゲスト怪獣が(間接的ながら)人類の味方という構図が明確でした。しかもこのゴジラは人をバンバン殺してしまうし、その異常すぎる「正体」からして、むしろ平和にのうのうと暮らしている人類を滅ぼすのが目的なんじゃないのかという恐ろしさ。ただ歩いているから被害が増えるという消極的な災害ではないんですね。個々のゴジラの能力値の比較は別として「動機」の点で考えれば、この総攻撃ゴジは明らかに今回の「シン・ゴジ」よりも恐ろしいゴジラであったことは間違いありません。
しかし、いかんせんこの作品の、「異端作」となったばかりで「傑作」にはならなかった(と、私が考える)理由は、その「邪魔な夾雑物の多さ」。これに尽きると思うのです。
そりゃもう何と言っても、「日本列島」を守護するという設定の「護国聖獣」のエントリーメンバーに、なんでモスラとキングギドラが入っとんねん!! これですよね。これは私も本当に理解に苦しみました。そりゃ関西弁にもなろうってもんです。
モスラとキングギドラってあーた、完全に「ネームバリュー先行の出来レース編成」じゃありませんか……モスラは日本的イメージまるでないし、さらにおギドラ様なんか、「人類の味方」イメージがない上にそもそも地球のイメージすらねぇし!! そんなんあんた、「カットよっちゃん」のイメージキャラクターにサミュエル・L・ジャクソンが選ばれるようなもんですよ。え、なんで!? みたいな。
この際、『とっとこハム太郎』と同時上映だったなんてことは、どうでもいいんです。致命的な問題は、ある意味ではシリーズの偉大なる始祖『ゴジラ』(1954年)以上に積極的に太平洋戦争の惨禍を作品に取り込んだ『総攻撃』が、肝心の「ゴジラを鎮める存在」に「商業的に見栄えのするポップなアイドル怪獣」を無理矢理ねじこんでしまったという不真面目極まりないブレブレ感なんです。だからこそ、そんな理不尽すぎる「どっかからの圧力」を受ける中でも押し通したゴジラの陰惨さとバラゴンとの対決シーンはおもしろく、それ以後の乱戦はパッとしない、TVでも見られるようなありきたりなビーム合戦になってしまっているのでしょう。そこはやっぱり、アンギラスとバランと三つ巴でひたすら噛み合いみたいな泥臭さにしてほしかった……
ホントに、ゴジラファンや特撮ファン以前に、一己の宇宙大怪獣キングギドラさまファンであるわたくしとしましては、平成のおギドラさまはひどい扱いばっか。ペット怪獣が合体しただけのなんちゃってギドラだったり、モスラにすら負ける子ども誘拐犯だったり、ここでは幼体のヨチヨチ状態でよりにもよって総攻撃ゴジにぶつけられるしまつ。モスラだって、なんか結果的に人殺しみたいなイメージを持たれちゃう描かれ方をしてるし……この『大怪獣総攻撃』は、キングギドラもモスラも篠原ともえさんも出て損しかしてない不幸な映画ですよ。
話が『総攻撃』だけになってしまいましたが、それを最たるものとして、ゴジラシリーズはその東宝の伝統あるシリーズとしての宿命なのか、常に作り手と「諸事情」とのせめぎ合いに悩まされ、その結果が作品全体の評価に直結するという性質から逃れられないものになっていると思います。
シェーをするゴジラ、息子を教育するゴジラ、マンガみたいなフキダシで子分怪獣と会話をするゴジラ、放射能火炎を後ろ向きに吐いて空を飛ぶゴジラ、急に顔がかわいくなるゴジラ、流血をするゴジラ、平成になって久しぶりに怖くなったと思ったらまたベビーができるゴジラ……初代の恐怖から見ればブレにしか見えない変容であるわけですが、全てが本物のゴジラなわけです。
私個人の勝手な解釈で言わせてもらえば、昭和ミニラもベビー~ゴジラジュニアも FINALミニラもジラもゴジラザウルスもスペースゴジラもビオランテもみ~んなゴジラです! ジラースもゴジラの範疇なんですが、さすがにゴメスは違うかな……あと、『ゴジラ VS ビオランテ』のタイアップで『仮面ノリダー』に出てきた「ヒゲゴジラ男」(演・石橋貴明)も立派なゴジラでしたよ。ゴジゴジ!
しかしそんな混沌のゴジラ史の中でも、どうやら今回の『シン・ゴジラ』は相当に初代ゴジラを意識した恐怖のゴジラの復活になるらしいと聞いたとき、私の脳裏によぎったのは『総攻撃』の中途半端な結果であり、新たな歴史の始まりとなるはずだったミレニアムシリーズの筆頭『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)やハリウッドのギャレス版『GODZILLA』(2014年)に、オルガとかムートーとかいう役者不足にも程のある新怪獣をのこのこ登場させる「ゴジラ一匹で勝負しないヘタレさ」がまた繰り返されるのではないかという大きな不安だったのでした。私はほんとにギャレス監督のそこが気に食わなかったのです……なんでカマキラスに毛が生えたみたいなやつがギャレゴジの相手になるんだと! その点に関しては、ゴジラ(に見えなくもない怪獣)だけしか出さなかったエメリッヒ版(1998年)の方がよっぽど根性がすわってる! いや、あれもミニラがいっぱい出てたけど。
ですからね、『シン・ゴジラ』ごときで「こんなのゴジラじゃない!」なんて、なんつうあさはかな料簡と言いたいわけなんですね、ホントに。あの程度でショックを受けてるなんて……およそ10年ものゴジラロスは、こんな文化的弊害も生んでしまっているのですね。
……とまぁ、そんなこんなで私は不安と期待がまぜこぜになった状態で『シン・ゴジラ』を観たわけだったのですが。
んまぁ~、ものすごい作品だったわけ!!
ということで、字数もかさんできたので、続きはまた次回!
結局、本編のことロクに話さないうちに1回ぶん終わっちゃったよ! これぞまさに、我が『長岡京エイリアン』構成。ひどいったらありゃしません。
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