日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

好みの問題

2015-03-23 07:09:28 | 日記
子 パパって変わってるよね。
父 みんな変わってそれでいい。って、もみ上げの手話アナウンサーが言ってたよ。
子 それって、みんな違って、みんないい。で金子みすずさんの詩じゃないの。
父 そうかな。みんな違ってみんないいと言って、済ますのも問題はあるね。好みの問題とか、価値観の違いで、皆が違っていいと、普遍的な価値観ってできないよね。みんな違っていいなら、道徳が成立しなくなってくるから。好みの問題で、物事を還元してしまうと、みんな違ってみんないいになっちゃうから。
子 人に迷惑をかけないなら、みんな違ってみんないいんじゃない。
父 人に迷惑をかけないという点で道徳を作ると、困っている人を助ける必要はないし、イジメは見てみぬふりをしていいし、大きく言ったら大量虐殺があっても助ける必要はないよね。
子 人を殺したらダメじゃない。
父 殺すのはダメだけど、それを見ているのは人に迷惑をかけていないからね。どこかで、みんなと同じところがないと、人と違っていいとも言えないよ。金子さんは、そこを分かってみんな一緒の風潮に対してのアンチテーゼとして、一つのレトリックとして言っているんだけど。みんな違っていい、かつどこかでみんな一緒でいいと解釈しないと
子 詩を解釈するのはナンセンスなんだけど。
父 みんな違って、みんないいんじゃない。そういう詩の解釈についての問題も、解釈を許さない排他性を排除する規則が、みんな違ってみんないいになるんだと思うけど。ナンセンスが成立するには、あんたの価値観を押し付ける必要があるからね。そこは、ナンセンスの共通理解が必要なんだと思うけど。




河川敷で思うこと。

2015-03-21 19:38:56 | 日記
今日、久々に自転車で、河川敷を走ってきた。

多くの人が、それぞれに過ごしている。対岸では、少年野球、こちらではサッカー、大人達が集まって宴会をやっている。
皆、それぞれの思いをもって生きているのが分かる。それぞれに生活があり、休日を過ごしている。
川べりに、自転車を止めて川の流れを見ていると、あきがこない。水の音があり、同じ風景に見えるが、水の流れが見える。
何をするわけでもなく、ただ川をながめる。それだけで、いい。考えることがないからいいのだろうか。

毎年、スキーにこの時期、行っていたのだが、今年は断念した。お金がないというのが理由だ。景気が良いのは、投資ができるような金持ち層だけだ。毎年、物価は上がるが、賃金は上がらない。
楽しみは、川を眺めるくらいになってしまった。

あの自信満々の笑顔は、世間知らずだからこそできるのだろう。子供もいなければ、汗を流して働いたこともない。
そういう人が、国を左右しているのだから。これを選ぶ人々もバカだと思うが。




仕事のこと

2015-03-20 06:45:22 | 日記
駅まで原付で通っているのだが、ここの駐輪場の係りの人がいつも声をかけてくれる。
おはよう、とか、行ってらっしゃい、お帰り、気をつけてとか。
何も言わなくても、仕事にはなると思うのだが、気持ちよく声をかけて仕事をされている。
お金がどうこうということではないのだろう。仕事をしていて、楽しく仕事を、気分よく仕事をしようとしていると、自然とそうなるのかと思う。黙っていても誰も文句は言わないと思うのだが。
仕事には、人に感謝される仕事と、ほとんど気付かれない、努力さえほとんどかえりみられない仕事が多くある。
コンビニにしろ、スーパーにしろレジの人間を気にして見ていることはほとんどない。
やりたい仕事ばかりしている人ばかりではない。そこで働くことしかできない人、そういう環境というものは存在する。
皆、気分よく仕事ができるわけではない。
ただ、そこで小さな善意というのだろうか。強制されない行為というものが人間らしさになるのだろうと思う。
仕事にやりがいとか、魅力ということを求める人がいるが、皆がそんなことを仕事に求めているわけではないし、そんな見栄えの良い仕事ばかりではない、実際にそんなものは存在しないという仕事もある。その中での、よりどころがこんなことなのだろうと思う。

何が存在するのか。

2015-03-07 11:02:08 | 日記
何が存在するのか。実在するものが何かを考えている。世界には、実在するものがあると、考える。その実在するものとは、なんだろう。
世界の全てが実在するというのが、シンプルな答えだが、世界の全てが実在すると考えると、世界全体が一つのもの、世界を区切る、個物、例えば珈琲カップや、本、パソコン、富士山、色んなものの区別というものがない。
この区別をして、世界の中に実在するものと、そうでないものを考えると、難しい。例えば、学校や会社なんかは実在すると言えるだろうか。確かに建物はあると言えるかもしれない。その建物は学校とか会社と呼ばれているが、その建物が、学校や会社だろうか。富士山にしても、山のてっぺんが富士山なのはいい。裾野はどこまでが富士山なのか。私達は、実在と言えないものが存在すると、普段、日常では思っている。社会が存在するということは、どういう意味あいで存在するのか。
社会とは、関係だが、関係は実在と言えるのか、実在に入れると、実在とはどういう意味になるのか。
世界に何が存在するのかを考えると、実際には存在しないものがいっぱいあることに気が付く。
よく、腹を立てたりすることがあるが、実在するものに腹を立てているのだろうか。
私の空想の世界で腹を立てているのか、腹を立てることができるのは、観想上の世界でしか腹を立てることはできないのではないか。物を壊したり、八つ当たりすることはできるけど、それは表現にすぎない。
関係が意味するものは何のなのか。AとBが関係するとは、どういことを意味しているのか、実在から見るとAとBは関係ができるのだろうか。