日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

旅の仲間

2017-02-27 21:16:55 | 日記
  下の子の大学受験の付き添いと、住まい探しで2泊3日の旅行をした。旅行と言っても、大学の受験会場の下見に、受験日の保護者説明会、翌日は住まい探し、自分が遊ぶ要素はない。子と3日間一緒にいたのだが、こういう機会はもうないかもしれない。とかく疲れる旅だったのだが、毎日の予定があり、充実をしていたと言えばしていた。
  旅には、始まりがあって、終りが必ずくる。その時は、何か寂しいものだ。いつも旅の終りになるとそう思う。この旅の仲間もここで解散。いつまでも続く旅はない。どこかで終わる。 
  今の家族は、私の旅の仲間なのだが、下の子が家を出れば、また違う形になる。そしていつかは、本当に家を出ることになるだろう。今は、家にいる上の子も、いつかはこの家をでる。私と妻も、一緒にいるのが当たり前だが。これからも二人の関係を大切にしたい。
  下の子は、受験がうまくいっていれば、また違う旅の仲間を大学で、今住んでいるこことは違う旅の仲間を見つけるだろう。もう私の旅と重なるところは、大分減ることだろう。
  私との旅は終り、そういう意味では、下の子にとってひとつの新しい旅の始まりでもあるのだろう。

下の子の大学受験

2017-02-26 20:56:24 | 日記
  下の子の大学受験、前期試験が終わった。地方大学を受けたので、付き添いに行った。もう付き添いがいるのもこの歳までだろう。後は自分でやっていくだろうと思う。これは受かっていればだが。
  現地で、合格した時の住まいを確保してきた。これは大学生協を利用したのだが、これも疲れた。子が少なくとも4年、院へいけば6年を過ごすことになるかもしれない部屋なので出来るだけ選べるところは選んだ。してやれるところはここまでくらいだろう。後は、自分で切り開いて行く世界。もう親がどうこうする世界とは変わっていくのだろうと思う。 
  今日、怪盗ゾロリをTVでやっていた。少しだけ見ることができたが、子が小さかったころに、映画館で一緒に見たやつだった。当事は、子はポップコーンを買ってもらいジュースを飲むのが楽しみ。ポップコーンを私が食べ過ぎると早く無くなってしまうと注意されたりもした。もうゾロリとか言う歳でもなくなった。このブログを書き始めた頃のことだろうか。もう高校を卒業しようとしているのだから、自分も歳をとるはずだ。
  この後、どうなるのかは今の時点では分からない。合格していれば準備をして、だめなら後期試験だがこれは難しい様子。
  
  

私達が知ることができるのは、私達は何も知らないということだけだ。

2017-02-05 07:52:21 | 日記
  最近読んだ本(言語哲学入門から中級まで・ライガン)に、自分が言ったことは含めないということが書かれていたのだが、その中に「私達が知ることができるのは、私達は何も知らないということだけだ。」という一節があった。考えてみて少し面白かったので、ここにメモしよう。
  
  「私達は何も知らないということ」を知っている。
  「「私達は何も知らないということ」を知っている。」ということも私は知っている。私は、この時点で二つのことを知っているわけだ。
    この時以後、私は二つのことを知っているということも知っているので、私は三つのことを知っている。
  「三つのことを知っているということも知っているので、以下、延々と知っていることが4つ、5つに増えていく。」ということも知っている。
  「私達は何も知らないということ」を知るだけで、その知識は1が2に、3にとなる。
  何が言いたいかというと、知識が一つあれば、その知識を元に知識は無限増殖していくということ。

  この文には、突っ込みどころが他にもあるのだが、知っているということはどうして知っていると言えるのか、については知らないとしか言えないところ、このためこの文の成否、真偽は検証できない。
  また、「私達」、「知る」という概念や言葉は知っているのではないか。また、文法的に正しく発言しているのは文法を正しく知っているのではないか。
  この言葉は、多くの前提、知識が成立して初めて言える。また理解できる言葉でしかない。その前提条件は知っているのではないか。
  私達の知識というのは、言葉の基礎、ネットワークがあって初めて成立している。そのことには、この言葉は気がついていないというか、知っていての言であれば確信的に「何も知らないということ」意外も知っているじゃないかと言いたい。ソクラテスはどこまで本気で言っていたのだろうかと思う。
  高校の倫理の時間では、こんな話はせず、「無知の知」とか言ってさらっと流してしまうのだが、今から思うとけっこう突っ込みどころが満載で、好きな人には面白い話になっただろうと思うが理屈っぽい人以外はこういう話は興味がないのだろうと思う。そういう意味では、さらっと流した高校の時の先生は正解なのか。