日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

悪について

2020-07-24 14:14:49 | 日記
    最近、「神は悪の問題に答えられるか」という本を読んでいる。だいぶ前に買って置いていたのだが読み始めると面白い。
    日本人の感覚で仏教的に言うと、悪は存在するもので受け入れるものだ。仏教では、蓮が象徴であるように、汚濁した世の中でも独り歩めというのが、基本的な態度で世の悪は前提である。
    一方で西洋的には、悪は二元論だと善と悪の戦い、一元論だと善の欠如として考えられている。世の前提として善が存在して、何故だか分からないが悪が存在している。
    この本のテーマだが、神は全能である。神は完全な善である。悪が存在する。これを同時に考えると、どうして悪が存在するのか、となる。    
    人の中で暮らしていると、悪に出会う。自身が知らずに悪であることもある。
    私が思うには、悪は認識的な存在で、物はそれ自体は善悪を持たない。物体の色のようなもので、赤色や黄色をした物はあるが、それは光線があたり人の目で見て初めて赤や黄色と映る。原爆やアウシュヴィッツという出来事は悪だが、悪は人の判断の側にある。
    出来事が存在するか、歴史的事実が存在するかというと、物として存在するという人は、少ないだろう。(4次元世界で、過去の出来事が全て実在すると考える人は、物同様に存在すると言うかもしれないが。)
     悪魔が物のように存在すると考える人は、悪も物としての実在と考えているように思う。
  私は、物レベルで悪は存在しないとは思うが、世の中に悪はあふれている。毎日、悪いニュースが流れるし、身の周りでも悪があふれている。
 気が付いていない人もいるが、格差社会と言われる中で裕福な人、そうでない人、資産のある人、ない人、何故、そのような違いがあるのか考えると合理的な理由はない。親から受け継いだ環境、それが大きくものを言っている。努力とかそういうものも含めて環境要因は大きい。人は、生まれた時に其処に投げ込まれるのだ。この社会システムも、見方によれば悪である。
 社会システムの悪の中に生きていると考え、仏教的な汚濁の世の中に生きていると考える方が、納得はしやすい。捨てる神あれば拾う神ありだ。これが、一神教だと世界を作ったのが神で、汚濁にしたのが人間だと言っても、放置している神は善なのかという疑問が起こる。
    原爆は、最も大きな悪だと思うが、原爆投下をした機の随伴機はネセサリーイービル、必要悪という名が付いている。アメリカは、原爆投下は、必要悪だと主張している。日本政府でさえ、1963年判決の東京原爆裁判で同様の主張をしている。
    この様な必要悪の主張が、神が、悪を許しているのは最終的には悪よりも善が多くなる。損益計算書や、貸借対照表のようなソロバン勘定で善が多くなるから良い。というような言説を生み出す土壌になっているのだろうと思う。
    この本でも、絶対悪の代表としてアウシュヴィッツが度々あげられるが、アメリカでの議論のためか原爆には言及がない。
    議論は、何故、悪が存在しているのかと考えているのだが、そもそもキリストを信じない者は救われない考え、これは悪でも善でもないのだろうか。
    この手の議論は、性質上、正解は分からないのだが、悪が何かというところは、また別の議論として考える必要があるのだろう。
    
    

格差社会について

2020-07-05 10:15:15 | 日記
    利便性の良いシステム、車社会がそうだが、一定確率で人が死ぬ。母数が大きいと、毎年人が死ぬ。日本では2019年で3215人が死んでいる。車を全廃すればこの死者は無くなるが、利便性は失われ社会が享受しているものも失われる。予め死者を見込めるシステムであるが許容される。
    格差社会でも、同じ構図がある。貧困率は、日本では2015年で15パーセント程度、これは月収が10万円程度の世帯だ。金持ちが金持ちである理由は、他人を使って働かせ、自分が払う以上の仕事をさせて其処に利益、旨味が生じる。労働者の仕事が、払う賃金以下であれば利益は生じない。本質的に搾取が利益の前提となる。
    格差がない社会が理想だが、人件費の抑制、利益の発生、これらを考えると、使用者の利益の源泉が搾取構造にある以上、人間の社会は本質的に格差社会が前提されているのだろう。楽して暮らすには他人に働いてもらう。古代ギリシャの奴隷制の時代から、今は経済的な奴隷、保護の必要がない首切り自由な非正規労働者、正規労働者とソフトな社畜制度へと変わっているが根は同じ。
   この社会で、搾取されながら働くことは、社会システム上、必要条件となる。自分が搾取する側に巧く回る事が出来ても、誰かが必ず搾取される。自分は、出来るだけ搾取率が低くなるように、立ち回って生きていくのが正解。
   自営業であっても、この問題は同じ、搾取構造で生み出される商品を買い営業し、生活する以上、この構造上に生きているのは同じだ。
    自分の労働が搾取されることを知りながら働いて、またその搾取の構造で生み出される商品、流行りの低価格高品質を謳う商品を買いに行く。
    この世界は、本質的に、格差社会であり搾取ありきであり、イデオロギーが違っても変わるところはない。イデオロギーが違えば、より残酷な支配者というだけ。
    搾取されるという意識がなければ気が付かず、スーパーで週末買い物をして、夜は焼き肉を食べ発泡酒でなくビールが飲めれば幸せなうちに暮らせるのだろうか。
   こんなことを、ずっと漠然と感じているのだが、何か解決があるわけではない。
   皮肉なこの世界を受容し諦念のもとに暮らしていくしかないのだろう。搾取する側に回る事が出来れば、肯定的な態度をこのシステムに取れるのだろうが。