日記のようなもの

不思議に思うこと、思いついたことを記録しています。

第9の感想

2017-12-31 09:17:10 | 日記
  昨日は、第9を聴きに行ってきた。妻と上の子と3人。私はクラシックファンなのだが、妻と子はそうでもない。だが、妻も子も第9だけは好きなようだ。さすが、万人受けするだけのことはある。名曲なのは間違いないのだが、私は第4楽章が冗長で、テナー独唱前のプ、プっとふざけた笛の音が入るところからが、私は嫌いなので普段は聴かない。
  二人に感想を訊いてみると、よく聴いているじゃないということを言ったのでびっくりした。前日に、フルトヴェングラーのCDを十数年ぶりくらいだろうか、取り出してかけていたのだが、、、聴いていたのと違うとのこと。
 そら、色々、違うだろうと思ったが、黙っていた。昨日は、もっと軽快で、抑制のとれた演奏をしていたと思うのだが、そういう演奏の緩急もよく理解しているようだった。
  毎年、第9に行くのがいつまで続くか分からないが、行けるだけいこうと思う。オーケストラ存続のための支援にもなるし、クラシックの演奏を聴く機会も、そうそうないだろう。一つは、妻や子やの財産になるだろうと思う。何の役に立つというものでもないのだが。これも、私の勝手な期待というか、思いたいということだけかもしれないが。
  昨日は、3人で上着を取りにクロークで待っていると、中肉中背に立派な顎鬚、暴れたような髪型に頭頂が少し薄くなった男が前にいた。妻に、「ブラームスがいるよ」と、そっと言うと妻も分かったようで笑っていた。つまらないことだが、少しのおまけもあったので良い演奏会だったと思う。

  

プリンを作る。

2017-12-29 16:35:15 | 日記
  今日は、朝からプリンを焼いた。これまでにも何度か焼いているので、簡単と考えていたが、湯煎のケースの変更と、作る量を増やしたことで焼き加減がきまらず、焼き直しをして何とかおさまった。
  子どもの頃、プリンは憧れで給食のメニューで食べるくらいで、そうそう家では買っていなかった。今では買うこともできるし、作ることもできる。
  私が子どもに残してやれるものは少ない。そう尊敬できるような人格者でなし、出世をしているのでなし、まあ、味の記憶だけでも残してやりたい、何か私を思いだすこともあるだろう。

因果関係について めも

2017-12-28 17:23:26 | 日記
  上の子は塾で講師のバイトをしているのだが、入試試験の国語の問題に因果関係についての評論があり、この評論の一部について分からないところがあるということだった。
  読んでみると、因果関係は二つの連続する出来事であるが経験的に同じ現象が何度か続くとそこに次も同じことが起きると習慣としてみるようになるという理解、一方では連続する出来事同士の関係とみるのではなく、出来事それ自体の関係性でなく、出来事の認識とそれに続く出来事の認識との間の関係とみる。そのようなことが書いてあった。
  大学の入試でこれを読んで理解できる高校生がいるのだろうか。出来事それ自体と、出来事についての認識を区別するような考えについていける人は少ないのではないかと思う。
  ここを突き詰めると、出来事それ自体(実在)と、認識が異なる可能性を認めることになるのだから、見ているものが実在と考えると、到底、理解できないことだと思う。
  出来事と出来事があって、実在と実在の間に関係性があるのか、それとも人間の意識の中で関係性が生じているのか。
  どちらであるのかは、結局、判別できないだろう、実在と意識は連続するもの、実在の裏づけ若しくは反映のない意識は存在し得ないし、意識が関与しない実在というものも認知しえないもの。実在と意識の境界がどこにあるのかは、ぼんやりとした雲のように境界そのものが線を引くようにできるものではないのだろうと思う。
  私が生きていく上で、実在が反映した世界が自分の今見ている世界そのように思うしかないのだろうと思う。そういう意味では、これまでの実在した出来事の反映が今の自分の世界だろう。そしてその世界は実在だろうし、その上で過去が因果的に存在したのであろうと思う。