Risa’s 音楽雑記

ピアニスト 山形リサのブログです。
音楽の話を中心に、日常の出来事などを気ままに綴っています。

回帰

2007-04-10 20:10:52 | Weblog
ずいぶん前の写真が出てきました。

ピース姿が世代を感じさせて痛いところですが、顔はとってもいい表情をしています。

この写真は

「日本に帰ってもう一度やる。」

と、人生の覚悟を決めた時のものです。


後ろの風景が寒々しいように写っているかと思いますが、これはタイの津波があった数ヵ月後のプーケットです。



私はタイ国内でもっとも被害の酷かったカオラックという町で、タイの津波を体験しました。

生きて無傷で帰れたのは奇跡的なことでした。


この津波で、身近の大切な方を亡くしもしました。


私も被災者の例に漏れず、生き残ってしまったことの罪悪感、漠然とした恐怖におそわれ、その後、食をほとんど受け付けず、夜も眠れない日が長い期間続きました。

(今は元気ですよ!過去の話です。)


本物の死を間近に見たとき、私は

「このまま死ぬのはいやだな・・・・。」

と思いました。

どうせ死ぬなら、自分の人生に自信を持って死にたいと思ったのです。


この言葉だけを聞いたら親は悲しむと思いますが、自分の人生に満足していなかったということではなくて、私が望む唯一のことを諦めたまま死ぬのは嫌だと思ったのです。


若い時分、私も欲がたくさんあって、才能、地位、名誉、お金、仕事、キャリア・・・・と、いろいろなものを手に入れたいと思っていました。

でも、当然、それはとても難しいことで、私には過ぎたる望みでしたし、音楽的にも行き詰まり、悩んで悩んで、ピアノをやめようと思うようになりました。

音楽に携わる仕事をしながら、演奏も細々と続けられれば・・・。

そう思ったけれど、その生活は自分にとっては、決して満足のいくものではなかったのです。


「このままでは死ねない。」


どんなに苦労しようとも、やらずに死ぬことを考えれば、全然たいしたことではありません。
毎回のように恥をかいて、悔し涙を流しても、石にかじりついてだって演奏し続けてやる!という気持ちで、ピアノで生きていくことを決めました。


私の周りには、アメリカNYの飛行機テロ、奥尻地震、阪神大震災などの実体験者が何人もいます。

私は、津波の他にも、ハイジャックされた飛行機に予約をとっていたけれど、たまたま空港に早く着いて、前の便に空席があったので、そちらに乗り換え、難を逃れたという経験があります。

本当に、いつなんどき、どんなことがあるかわからないものなのです。

一人の人間の人生なんて、歴史から見れば本当に些細な時間ですが、それでも人にとっては、生涯それが全てです。

どこまでできるのかわかりませんが、やり尽くした・・・と思える人生を送りたいものです。
おごることなく、卑下することも無く、自分に自信をもてる人生を。



映画「男たちの大和~YAMATO」を見たせいでしょうか。

ちょっとそんなことを再び思い返したりしています。