明るい内に写真を撮りたかった。
逃亡者、『小鉄』の元(犬の散歩のおばさんの所)へ急いだ。
が、 『小鉄』の姿は無い。
仕方なく帰ろうとしていると、犬の散歩のおばさんが仲間を引き連れて帰って来た。
「小鉄やろ、さっき一本裏の通りの駐車場におったよ。」
と、一つ裏の通り迄聞こえる声で『小鉄』の名を呼んでくれた。
なかなか出て来ない。
暫くして、私も『小鉄』の名を呼んだ。
一本裏の通りから、家と家の隙間を抜けて『小鉄』が姿を現した。
「やっぱり、貴方の声は聞き分けるとよ。出てきたやん。」
関心しながらおばさんは言う。
一週間振りの再会に撫でていたら、ザラっとした感触が手に残った。
怪我をしている。
「最近ね~、小鉄は怪我ばっかりよ。喧嘩して帰って来るけんね。
…それに、猫嫌いの人に虐待されとるみたいでね…可哀想に。」
そう言えば、川沿いに居た頃も散歩の人達から聞いた事がある。
納骨堂の裏で煙草を吸うおじさんの中には猫嫌いが居て、
皆に可愛がられる『小鉄』を目の敵にしている輩が居るらしい。
歳を取り、家族に相手にもされないので小動物をいじめて憂さを晴らしているのだ。
小さな命を傷つける権利は誰にもない。
下等動物と彼らが言う猫達ですら、自らの子供では無くとも幼い命を傷付ける行為はしない。
もしかしたら、『小鉄』は虐待が嫌で川沿いから逃亡したのかもしれない。
犬の散歩のおばさんのお向かいさんは大の猫嫌いで有名だ。
逃亡先でも試練の道が待っている。
まるで、「逃げても同じ」と神に言われている気がした。
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居て欲しく無い人間は確かに存在します。
何処にいても、何時でも。
負けて欲しくありません。人も猫も。
許す事は他にありそうですよね。事態は結構深刻です。
小さな生き物を傷つけるなんて人間としてみとめません。なにが楽しいんですかねぇ。 そんな人間に生きる資格なんてありません。同じ生き物として認めません。