『小鉄』が長い旅に出てから
殆ど川沿いの路は通らなくなっていた。
ふと、違う用事でその道を通り気付いた事がある。
納骨堂の裏のベンチの上に
こっそりと置かれた一握りの炒り子の山だ。
『小鉄』が来るのを楽しみにしていたおばあちゃんは
今でも、納骨堂の裏で煙草を吸うのが日課らしいのだが
毎日ベンチに炒り子を一握り置いて帰る。
多分『小鉄』が自分と違う時間にココへやって来て
お腹が空いていたら可哀想だからと
こっそりと置いていくのだ。
すると不思議な事に
翌日には綺麗になくなっているという。
勿論、『小鉄』が食べてなくなっている訳ではない。
近所に住む他の野良猫が平らげているだけなのだが
おばあちゃんは『小鉄』が食べたと思っている。
何だか切ない話だが
多分、
おばあちゃんにはそんな事はどうでも良いのだ。
こっそり積まれた炒り子の山は、
家を長く離れている者が無事でいるようにと
留守の者がそなえる「陰膳」のようで
河原の夕日が眩しく少し歪んで見えた。
おばあちゃんの煙草の煙が
少しだけ
目に沁みたのかも知れない。
昨日は40位
←おばあちゃんの優しさに、クリック一つ。
昨日は16位
←『小鉄』が無事でいる事を願って、クリックもう一つ。
普段忙しく動き回っている私にとって
rojinekoさんのストーリーは
私に特別な時間を与えてくれます。
映像が目の前に見えるようです。
【rojinekoお姉ちゃま の 文言すべて】に、アタシゃ最初っから、啓蒙なの!
其れに付随して、ニャンコちゃん映像に癒されてるのよン!
(小鉄っちゃん、長い旅って..放浪なの!?)
(それともぉ ォォォォォ お空へ ???)
十人十色な人生があるように、猫にも
十猫十色な猫生があるようです。
私が感じた何かを「特別な時間」と
呼んで貰える事は感激です。
「啓蒙」とは、恐縮です。笑。
『小鉄』の長旅は多分放浪…、もしくは
飼われていて戻らない幸せな旅だと思われます。人懐こい子だったので。
この話読んで 少しうちのおばさん(母)に似てるようでした。
エサを出して置いておくと 朝には無くなっているんですよね、食べたんだと思わせるわけですが、見かけない猫が増えてきたそうです^^;
旅に出た猫っていつか帰ってくるんでしょうか?
帰ってきてほしいですよね
存在はしてても警戒心の強い野良猫さんだけに
日中はあまり見掛けないですね。。
多分、何処かで寝ているんでしょうが…。
良く三日で恩を忘れる薄情猫なんて言われますが、意外とであった人の顔は憶えているようです。でも、幸せな理由(何処かで飼われているとか)で帰って来られないなら
もう会えない方が良いのかも知れません。