昨日、日曜日は、娘の就職で、1人暮らしにアパートに、引っ越し荷物を運んできました。
場所は、阪神競馬場の北にある、住宅街、宝塚医療生協の良元診療所の近くです。駅でいえば 小林(おばやし)です。
エレベータのない、3階のアパートまで、イヴォークにのるくらいの荷物ですから、大したことなく、
段ボール6個分ぐらいでした。ワンルームに毛が生えた程度の新築アパートに荷物おいて、「そいじゃね」とかえってきましたが、
先日から、なんやら、病気かで休診にしている?もと灘区医師会長の徳井の大林せんせいは、
ここの所長より、3歳ぐらい年上ですが、、、おおばやし先生で
おばやし は、わすれられない思い出の地でした。
長男が、生まれたのは1986年、、、おはやしで、この映画の上映がったのは2000年でした、、
まあいつだったかまでおぼえていないくらい、暗い闇のなかでした。家のマンションの壁にはたくさんの穴が開いてます、
、今はその穴に、額縁風の飾り棚を埋め込むように創作して、からくりおもちゃなどを飾っています。その後の父の息抜きの時間です、、
当時は 出口のみえない、息子のこもりっきりの毎日、
あのころ、「デコトラ」っていうテレビゲームにあけくれたりはしていました。
うちの子には、なんとなく、学童の影響でしょうか?ずっとゲームを買い与えていませんでした。親の身勝手かもしれませんが、、、
そんな折に、この映画、だれにすすめられたのかは知らなかったのですが、つれられて、おばやしに、出向きました。
まあ、すぐに、目の前がひらけたというようなことはないのですが、、
子供自身が苦しんでいるということは、わかってあげないといけないと思うようになった、、ようなきがします。
中学生のほとんどを学校にいかず、知り合いの天城通の吉田酒店で仕事みたいなことをさせてもらって、
通信制の青雲高校にはいって、なんとか、難関?の落ちては受け落ちては受けの保育専門学校にはいれましたが、
たくさんの入試のなかで、国語のハードルが高かったみたい、、、
今頃は、不登校と思われる中学高校生がたまに、診療所に体調不良ということでこられますが、
多くは、親が、なにか身体的な異常がないか、そのせいにしたいような気分でこられます。
不登校と認めたくないし、なんとか学校へいかせたいという一心です。
それは昔の自分をみているような気もしますが、でも、この映画を見た時からというか、
この時期から、こうあるべきだということは親がいうことではなくて、
自分でどうしたいかを決めれるようになるまでは、味方になって、まってあげることがすべてだと、
思い知らされたわけで、なんとなく、患者さんとしてきた子の親御さんにもそんな、言い方をしてきました。
なんとなく、さみしい、けど、祝福せんとあかん、末娘の門出でした
場所は、阪神競馬場の北にある、住宅街、宝塚医療生協の良元診療所の近くです。駅でいえば 小林(おばやし)です。
エレベータのない、3階のアパートまで、イヴォークにのるくらいの荷物ですから、大したことなく、
段ボール6個分ぐらいでした。ワンルームに毛が生えた程度の新築アパートに荷物おいて、「そいじゃね」とかえってきましたが、
先日から、なんやら、病気かで休診にしている?もと灘区医師会長の徳井の大林せんせいは、
ここの所長より、3歳ぐらい年上ですが、、、おおばやし先生で
おばやし は、わすれられない思い出の地でした。
長男が、生まれたのは1986年、、、おはやしで、この映画の上映がったのは2000年でした、、
まあいつだったかまでおぼえていないくらい、暗い闇のなかでした。家のマンションの壁にはたくさんの穴が開いてます、
、今はその穴に、額縁風の飾り棚を埋め込むように創作して、からくりおもちゃなどを飾っています。その後の父の息抜きの時間です、、
当時は 出口のみえない、息子のこもりっきりの毎日、
あのころ、「デコトラ」っていうテレビゲームにあけくれたりはしていました。
うちの子には、なんとなく、学童の影響でしょうか?ずっとゲームを買い与えていませんでした。親の身勝手かもしれませんが、、、
そんな折に、この映画、だれにすすめられたのかは知らなかったのですが、つれられて、おばやしに、出向きました。
まあ、すぐに、目の前がひらけたというようなことはないのですが、、
子供自身が苦しんでいるということは、わかってあげないといけないと思うようになった、、ようなきがします。
中学生のほとんどを学校にいかず、知り合いの天城通の吉田酒店で仕事みたいなことをさせてもらって、
通信制の青雲高校にはいって、なんとか、難関?の落ちては受け落ちては受けの保育専門学校にはいれましたが、
たくさんの入試のなかで、国語のハードルが高かったみたい、、、
今頃は、不登校と思われる中学高校生がたまに、診療所に体調不良ということでこられますが、
多くは、親が、なにか身体的な異常がないか、そのせいにしたいような気分でこられます。
不登校と認めたくないし、なんとか学校へいかせたいという一心です。
それは昔の自分をみているような気もしますが、でも、この映画を見た時からというか、
この時期から、こうあるべきだということは親がいうことではなくて、
自分でどうしたいかを決めれるようになるまでは、味方になって、まってあげることがすべてだと、
思い知らされたわけで、なんとなく、患者さんとしてきた子の親御さんにもそんな、言い方をしてきました。
なんとなく、さみしい、けど、祝福せんとあかん、末娘の門出でした
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