若い頃からフアンだったハスキーボイスの桂銀淑さんの古い記事を日刊ゲンダイで見たのであげさせて下さい。
満期出所まで残り2カ月で母親が死んで…葬儀の費用もなく
NHK紅白に初出場した1988年当時の桂銀淑(C)共同通信社
私がこれまでの人生で最も後悔していることは覚醒剤事件もそうですが、唯一無二の母親の死に目に会えなかったことです。
覚醒剤服用の現行犯とポルシェ詐欺事件(執行猶予)が加重されて結局、懲役1年6月の実刑判決を受けて、水原刑務所に収監されました。女子房では7人の女囚との雑居房ですが、他の先輩の女囚から「あんた、歌を歌ってよ」なんて言われたこともあります。でも刑務所ではいじめられたりしたことはありません。私は女手一つで育てられたせいか、けっこう気が強く、口喧嘩には負けないタイプです。それに看守女性も私のファンで、たばこを差し入れてくれましたが、私は吸わないので断りました。
私が満期出所まであと2カ月残していた2016年4月、母親は92歳でこの世を去りました。若い頃から女手一つで私を育ててくれた母親は50代から糖尿病に悩み、合併症を併発して、腎臓、肝臓、そして認知症となり、最後は老人ホームで息を引き取りました。ソウル市内の葬儀会場に行くために法務部から2泊3日の特別外出許可を受けて喪主をつとめました。
ご恩返しと償い…私の夢はもう一度、日本に戻って歌うこと
桂銀淑(提供写真)
私にとって日本人以外の歌手で記憶に残っているのが、台湾の歌手テレサ・テンさんです。彼女は“アジアの歌姫”と呼ばれていました。91年末の紅白歌合戦では一緒に出場しました。私は「悲しみの訪問者」、テレサさんは「時の流れに身をまかせ」を歌いました。残念ながらテレサさんは95年、タイで亡くなりました。42歳の若さでした。
96年に個人事務所をつくった理由も、“アジアン・フューチャー”(アジアの未来)をテーマに日本だけでなく、アジアでも愛される歌手になりたいという目標を立てたからです。そのために完璧なステージを目指し、人一倍豪華な照明や舞台装置をつくろうとしました。有能なバックバンドを起用したり、他の歌手以上に衣装をたくさん購入したり、お金をかけました。ステージ(コンサート)では満足できましたが、経済的に独立事務所を圧迫する結果を招いたのです。第一印象・・老けたね~(笑)
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