尖閣諸島の核心ー日本固有の領土と見るか、日中間の係争地と見るか
尖閣諸島の核心は何かー日本固有の領土と見るか、日中間の係争地と見るかである。その中で最も重要な点は、ポツダム宣言、カイロ宣言という歴史的背景を知ることである。尖閣諸島の問題は複雑である。様々な要因を考慮しなければならない。この中で、尖閣諸島問題の最大のポイントは、①尖閣諸島は日本固有の領土であり領土問題はない。従って日本は自己の領有権を更に強固なものにするために粛々と国内法を適用するという立場を取るか、②尖閣諸島を日中間の係争地と認識し、この地を基点にしての紛争を避ける道を探るかのいずれかをとるかにある。日本では、領土問題は「固有の島」という論理が展開される。そして断固これを守る論が主流になりつつある。2012年10月16日日経新聞は「1ミリたりとも中国に譲らず」との標題で次のように報じている。「自民党の安倍晋三総裁は15日バーンズ米国務副長官と会談し、領有権を主張する中国と“話合いの余地はない。尖閣については領土問題がないのだから、我々は1ミリたりとも中国に譲るつもりはない”と述べた」これらの論には、極めて重要な視点が抜けている。日本の領土問題は、日本が第二次大戦で敗れた戦後処理の問題が深く関与している。日本は1945年8月14日、米国、英国、ソ連、中国に対し「天皇陛下ニオカレテハ“ポツダム”宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ」との通告を関連在外公館に発出した。“ポツダム”宣言受諾が戦後日本の出発点である。かつ1945年9月2日の降伏文書において、「ポツダム宣言ノ条項ヲ受諾ス」としている。領土問題に入る前に整理しておこう。「我々はポツダム宣言や9月2日の降伏文書を順守すべきか。」戦後体制はポツダム宣言の受諾から始まっている。日本が国際社会で生きていく以上、その順守は不可欠である。日本国民の多くはこの考えに異論はない。ではそのポツダム宣言は、領土問題をどう記載しているか。ポツダム宣言第8項は「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と記載している。
ここには3つのポイントが含まれている。
① カイロ宣言は履行する
② 日本が問題なく主権を及ぼすのは本州、北海道、九州、四国である、
③ その他は連合国側が決めるものとなっている。
つまり、本州、北海道、九州、四国以外の地域について、「固有の島であるから日本のもの」という主張が通用しないことに合意しているのである。勿論歴史的な背景は、連合国側が決定する際の一要件にはなる。しかし、それ以上のものではない。次にここに言及されているカイロ宣言に如何なる規定があるか見て見たい。「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト( all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and The Pescadores, shall be restored to the Republic of China)となっている。2012年9月27日楊中国外相は国連で演説し、尖閣諸島(中国名・釣魚島)について中国固有の領土と主張し、「日清戦争末期に日本が中国から釣魚島を盗んだ歴史的事実は変えられない」と異例の表現で日本を非難した(9月28日付日経 新聞等)。多くの国民は「日本が中国から釣魚島を盗んだ歴史的事実は変えられない」との激しい表現に驚いたが、「盗取シタル(has stolen)」はカイロ宣言で使われた文言である。日本が尖閣諸島を自国領とした経緯は次のようになっている。「日本は明治18年(1885年)以降沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,これらの島々が単に無人島であるだけでなく,清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で,沖縄県編入を行ったものです。この行為は,国際法上,正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。」(外務省「尖閣諸島に関するQ&A」)。では中国側はどう言っているか。北京週報1996年no.34「釣魚島に対する中国の主権は弁駁を許さない」を見てみたい。「中国が最初に釣魚島を発見し中国の版図に入れた。15世紀から中国の歴史的文献にはすでに釣魚島についての記載がある。(中略)1556年明は胡宗憲を倭寇討伐総督に任命したあと、彼はその編纂した『籌海図編』の中で釣魚島などを中国福建省海防区域に入れている。1893年西太后は盛宣懐に釣魚島を下賜する詔書を出した。」こうしてみると、中国側は清時代尖閣諸島を領有しており、「「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」の中に入っているとみなす可能性が高い。次いで、サンフランシスコ条約を見て見たい。尖閣諸島の問題に関しては、「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」としている。 ここで、尖閣諸島が台湾に属するのか、沖縄に属するかの論点が浮かび上がる。後、言及するが、今日国際司法裁判所で最も重要視するのは、領土問題が条約との関係でどうなっているかである。しかし、「尖閣諸島は日本固有の島である」の論を主張される人はほとんど、ポツダム宣言、カイロ宣言、サンフランシスコ条約に言及していない。尖閣問題についての米国の対応が何故重要か。それはポツダム宣言で「その他の島々は連合国が決める」としていることによる。そして米国は沖縄返還時に、領有権問題に中立の立場を表明した。日中間に楔を打ち込む意図が見える。ポツダム宣言では① 日本が問題なく主権を及ぼすのは本州、北海道、九州、四国である、②その他は連合国側が決めるものとなっている。連合国の中心は米国である。従って、米国の態度は、日本の領土の範囲を決める重要な役割を占めている。ではこの米国はどの様な対応をしているか。多くの日本国民は当然米国は「日本の領土である」という立場と思っている。しかし違う。米国は中立である。米国は沖縄を施政下においていた時には、尖閣諸島を管轄していた。しかし、「1971年6月17日、沖縄返還協定が調印されたが、プレイ国務省スポークスマンは、当日の会見で、尖閣諸島の『施政権』は沖縄返還にともなって日本に返還されるが『主権』の帰属については中立の立場をとるという態度を明らかにした(尾崎重義著論評「尖閣諸島の帰属について」。外務省図書館に保管)。
では何故、米国は、施政下の方針と異なり、敢えて、「中立」の立場をとったのであろうか。原喜美恵著『サンフランシスコ平和条約の盲点』は次を指摘している。・国務省の通信文に頻繁に出てくる説明は、米国が「板挟みにならないように」というものであるが、これは恐らく両方の中国政府に配慮しての事であろう。最初は明らかに北京の共産主義政権である。折しもグローバル・デタントの最盛期、アジア太平洋の国際関係にも劇的な構造変化が起こりつつあった時代であった。1969年ニクソン政権は中国との関係正常化を外交の最優先課題に挙げて発足した。ニクソン政権は沖縄返還合意を前のジョンソン政権から受け継いだものの、その優先すべき中国政策を尖閣というちっぽけな島のために台無しにする気はなかったと思われる。・米国の配慮はもう一つの中国、台湾の中華民国政府にも向けられていたと思われる。(省略)沖縄に現在格納されている戦術核兵器の幾つかを、台湾をその一つとする他の格納場所に移すという提案に国務省が同意したという報告があります。これが本当であれば、米国は台湾の協力が必要だったはずであり、尖閣列島はそれを危険にさらしてまで立ち入る問題ではなかったのであろう。・米国の尖閣列島に対する政策については、日中間、とりわけ沖縄近辺に、係争地が存在すれば、「米国の防衛」のための米軍駐留はより正当化される。・尖閣問題はおそらく、時代の文脈に合わせて「最も好ましい結果を生じさせるためのインセンティブと懲罰との組み合わせを作り出す」のに使い得る、一つの「現実」にすぎなかったのであろう。・一九五〇年代、日本の「四島返還論」と共に北方領土問題という楔が日本とソ連の間に固定されたのと同様に、沖縄が日本に返還された1970年代には、尖閣列島というもう一つの楔が日本と中国の間に固定されたのである。原喜美恵氏は、尖閣諸島を日中間に埋め込まれた楔とみなしている。こうした論は、よくみると他の学者も展開している。五百旗頭真教授は2012年『選択10月号』に「領土問題は米国が埋め込んだ『氷塊』」の標題の下、次の記述をしている。「自助努力なしに、領土問題をプレイアップすることなど、愚かにも氷塊を大きくして自ら凍死しそうになっているようなものだ」。「尖閣列島というもう一つの楔が日本と中国の間に固定された」や「領土問題は米国が埋め込んだ『氷塊』」という発想は通常、日本人には出て来ない。よく吟味する必要がある。
☆日本は、先人の紳士協定を厳守した方が国益だと思慮する(^^)。
○孫崎享ツイッター
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