現代日本を代表する詩人の谷川俊太郎さんが亡くなった。10代から92歳の今年まで、平易ながら選び抜いた言葉で「命」と「世界」を問い、詩という分野を超えて活躍した。戦後の現代詩が難解になり、人々の関心が薄れゆく中で、なおも読む者の心を捉える力強い創作を続けた人の逝去を悼む。
谷川さんは10代で詩作を始め、1952年に初詩集「二十億光年の孤独」で注目を集めた。以来、人の心の機微から、生きることの重みや喜び、この世界のあり方までをも映し出す創作を続け、国際的にも高い評価を得てきた。
「本当の事を云(い)おうか/詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない」(詩集「旅」から「鳥羽1」)
書斎にはこもらず、他の分野の芸術家と盛んな共同作業を行い、数々の傑作を残した。盟友の故武満徹さんとつくった歌曲「死んだ男の残したものは」は、この国の音楽史を彩る反戦歌の名曲だ。
その活動で特筆したいのは、各地で講演や対談、朗読の会などに参加し、多くの読者と対話をしてきたことだ=写真、2016年、富山県射水市。そこで特に聞き手の耳を奪ったのは、独特の言葉遊び。この詩人の、何よりも大きな魅力だろう。
「かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった」(絵本「ことばあそびうた」から「かっぱ」)
また、全国の学校の校歌も多く作詞。その歌詞を口ずさんで成長した人は、数知れない。日本には子どもが相手の仕事を低く見なす残念な傾向があるが、谷川さんはそうした態度とは無縁だった。この国のアニメ史に輝く「鉄腕アトム」の主題歌の作詞も、そんな姿勢が生んだ成果の一つだろう。
晩年を迎えて発表した絵本「へいわとせんそう」(19年)では、戦争の愚かしさを幼い子にも分かるやさしい表現で伝えた。まさに得がたい表現者だった。
近年はノーベル文学賞の候補としても名が挙げられた。残念ながら受賞には至らなかったものの、その作品は時代を超えて読まれ、歌い継がれていくであろうし、それこそがこの不世出の詩人に贈られる最高の栄誉だと思いたい。
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