関東大震災発生直後に虐殺された朝鮮人犠牲者の慰霊式に、自治体の首長が追悼文を送る動きが広がっている。「負の歴史」を教訓として後世に伝えるため、こうした取り組みを後押ししたい。
1923年9月1日の大震災直後、朝鮮人による暴動が起きたとのデマが拡大。各地で官憲や民間の自警団が朝鮮人らを殺害した。内閣府の中央防災会議が2009年にまとめた報告書によると犠牲者数は震災死者の「1~数%」。千~数千人に当たる計算だ。
大規模な殺りくとして記憶にとどめ、後世に伝える責任が、今を生きる私たちにはある。
千葉県の熊谷俊人知事は、1日に船橋市で開かれた民間式典に追悼文を送付。埼玉県の大野元裕知事も、4日にさいたま市で行われた民間式典=写真=に追悼文を送った。いずれも今回が初めてで、主催者から案内状を受け取ったことがきっかけだという。
一方、東京都の小池百合子知事は今年も、1日の墨田区での民間式典に追悼文を送らなかった。歴代都知事が1974年から続けていた追悼文の送付を、小池氏が2017年に取りやめた。
小池氏は「別の法要で全ての震災犠牲者を慰霊している」などと釈明するが、虐殺は家屋倒壊や火災による死と意味合いが違う。追悼文の送付中止は不適切だ。
小池氏は朝鮮人虐殺を巡り「さまざまな研究がある」と明言を避け続ける。虐殺が「なかった」とも「あった」とも言わない。
ドイツなどでは、ユダヤ人の大量殺りく(ホロコースト)を公に否定する行為を処罰対象とし、歴史の修正は許されない。
日本に同様の法律はなく、政府も近年、朝鮮人虐殺を巡り「記録が見当たらない」と事実認定を避ける見解を繰り返している。
受け止めがたい「負の歴史」でも、事実を把握し、後世に正しく伝えていくことが、過ちを再び起こさないためには欠かせない。
特に、選挙で選ばれた政治家には、その責任を強く自覚する必要がある。私たちメディアも、記憶や教訓を風化させないための報道を続けたい。
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