連日ソチ五輪のテレビ中継を観ていると、ここぞという
重大な局面で、痛恨のミスが出るシーンをたびたび目撃
します。
選手にとっては、四年に一度のオリンピックのために、
例えばメダルを目指して注いできたエネルギーが行き場
を失う、残酷な瞬間かもしれません。
人間の視点で観てしまうと、そんな選手たちの胸中を思
うことが、本当に辛くてなりません。
ただそれは、あくまで人間としての視点で観てのこと。
宇宙の、即ち私たちの本質である「大いなる源」の視点
で観れば、「金メダル獲得の歓喜」も「痛恨のミスによる
予選敗退」も、価値は同じです。
「大いなる源」の欲することは、ありとあらゆる経験を通
して、自分自身の本質を知ること。
だから、成功を手にした者にも、失敗をおかした者にも
もちろん、宇宙の「愛」は等しく注がれるのです。
さらに言うと、ある「失敗」が、その人にとって必須の、
予め起こることが決められている、そういう特別な意味
を持つ「失敗」もある。
そう感じたことがあります。
例えば、私自身のことを振り返ってみると、大学受験で
第一志望の4年制私大に合格できず、第二志望の短大
に行き、卒業後は7年間、会社勤め(洋書を扱う書店の
事務の仕事)をしたのですが……
当時の自分としては、大学で4年間勉強したいという
気持ちが強く、短大へ行くのは正直残念な気持ちがあ
りました。
でも、今から考えると、あの時の私には、4年間大学
にいるよりも、むしろ早く社会に出て、社会人としての
自分を確立させることのほうが必要だったのだと思
います(何せ、大のつく「あまちゃん」でしたから)。
その後、結婚・離婚を経験し、日本語教師を目指そう
と一念発起、第一志望だった大学への編入を果たす
ことになるのですが……
日本語教師の職に就いた今も、大学からストレート
に教職というコースを歩むよりも、一般社会を見ること
ができたことは、得がたい経験になったのではと思っ
ています。
もともと短大の2年間だけでは物足りず、もう少し勉
強したかったので、編入後はもう楽しくて楽しくて…
…現役で合格して入るより、ずっと熱を入れて勉強
できたのではないか、とも思うのです。
まあ、そもそも実力不足で不合格になったのだろうと
言われてしまうと、何とも言いようがないのですが…
…
短大に入ってすぐの頃、私が行きたかった大学のある
新入生の人が、私が受かった短大に落ちたという話を
聞いて、実力以外の、何かこう、「見えない力」という
ものも働いているのかなあ、なんて思ったことを覚え
ています。
そうそう、こんなこともありましたっけ。
非常勤の日本語教師として働き始めた頃、ある時、大
学の指導教官へ個人的な内容のメールを送る際、うっ
かりして、同じ科の関係者のアドレスが何十人分も連
なっている宛先へ送信してしまったのです!
これは大失敗ですよね。
でも、幸い、誰に読まれても特に差し障りのある内容
ではなかったし、おまけに、予想外のことが起こりまし
た。
それは……
この失敗がきっかけになって、新しく非常勤として働
く職場を紹介してもらえたのです。
紹介してくれた人は、同じ科出身の「つぼつぼさん」。
(「つぼつぼさん」については、以前にもブログに書い
ています。2009年2月2日、2010年3月28日、2010年
11月6日、 2013年2月12 日付の記事をご覧ください。)
彼女は当時すでにその職場で教師をしていて、私が
誤って送ってしまったメールを見て、連絡をくれたの
です。
とんだ失敗をやらかしたはずが、なんと新しい仕事へ
の道が開けるとは……
「こんな有難い失敗もあるんだなあ……。」
そう思ったものです。
こんな、私の卑近な例と、五輪のメダルを目指すアス
リートの失敗とを並べて論じるのはおこがましいよう
ですが、私たちがおかすさまざまな失敗の中にはきっ
と、「大いなる源」の意志によって「仕組まれた失敗」
というのがあるに違いないと、私は感じています。
だから……
今回、ソチ五輪中継で目撃したアスリートたちの「失
敗」が、今後どんな展開をみせるのか、しっかりこの
目で見ていきたいと思うのでした。
重大な局面で、痛恨のミスが出るシーンをたびたび目撃
します。
選手にとっては、四年に一度のオリンピックのために、
例えばメダルを目指して注いできたエネルギーが行き場
を失う、残酷な瞬間かもしれません。
人間の視点で観てしまうと、そんな選手たちの胸中を思
うことが、本当に辛くてなりません。
ただそれは、あくまで人間としての視点で観てのこと。
宇宙の、即ち私たちの本質である「大いなる源」の視点
で観れば、「金メダル獲得の歓喜」も「痛恨のミスによる
予選敗退」も、価値は同じです。
「大いなる源」の欲することは、ありとあらゆる経験を通
して、自分自身の本質を知ること。
だから、成功を手にした者にも、失敗をおかした者にも
もちろん、宇宙の「愛」は等しく注がれるのです。
さらに言うと、ある「失敗」が、その人にとって必須の、
予め起こることが決められている、そういう特別な意味
を持つ「失敗」もある。
そう感じたことがあります。
例えば、私自身のことを振り返ってみると、大学受験で
第一志望の4年制私大に合格できず、第二志望の短大
に行き、卒業後は7年間、会社勤め(洋書を扱う書店の
事務の仕事)をしたのですが……
当時の自分としては、大学で4年間勉強したいという
気持ちが強く、短大へ行くのは正直残念な気持ちがあ
りました。
でも、今から考えると、あの時の私には、4年間大学
にいるよりも、むしろ早く社会に出て、社会人としての
自分を確立させることのほうが必要だったのだと思
います(何せ、大のつく「あまちゃん」でしたから)。
その後、結婚・離婚を経験し、日本語教師を目指そう
と一念発起、第一志望だった大学への編入を果たす
ことになるのですが……
日本語教師の職に就いた今も、大学からストレート
に教職というコースを歩むよりも、一般社会を見ること
ができたことは、得がたい経験になったのではと思っ
ています。
もともと短大の2年間だけでは物足りず、もう少し勉
強したかったので、編入後はもう楽しくて楽しくて…
…現役で合格して入るより、ずっと熱を入れて勉強
できたのではないか、とも思うのです。
まあ、そもそも実力不足で不合格になったのだろうと
言われてしまうと、何とも言いようがないのですが…
…
短大に入ってすぐの頃、私が行きたかった大学のある
新入生の人が、私が受かった短大に落ちたという話を
聞いて、実力以外の、何かこう、「見えない力」という
ものも働いているのかなあ、なんて思ったことを覚え
ています。
そうそう、こんなこともありましたっけ。
非常勤の日本語教師として働き始めた頃、ある時、大
学の指導教官へ個人的な内容のメールを送る際、うっ
かりして、同じ科の関係者のアドレスが何十人分も連
なっている宛先へ送信してしまったのです!
これは大失敗ですよね。
でも、幸い、誰に読まれても特に差し障りのある内容
ではなかったし、おまけに、予想外のことが起こりまし
た。
それは……
この失敗がきっかけになって、新しく非常勤として働
く職場を紹介してもらえたのです。
紹介してくれた人は、同じ科出身の「つぼつぼさん」。
(「つぼつぼさん」については、以前にもブログに書い
ています。2009年2月2日、2010年3月28日、2010年
11月6日、 2013年2月12 日付の記事をご覧ください。)
彼女は当時すでにその職場で教師をしていて、私が
誤って送ってしまったメールを見て、連絡をくれたの
です。
とんだ失敗をやらかしたはずが、なんと新しい仕事へ
の道が開けるとは……
「こんな有難い失敗もあるんだなあ……。」
そう思ったものです。
こんな、私の卑近な例と、五輪のメダルを目指すアス
リートの失敗とを並べて論じるのはおこがましいよう
ですが、私たちがおかすさまざまな失敗の中にはきっ
と、「大いなる源」の意志によって「仕組まれた失敗」
というのがあるに違いないと、私は感じています。
だから……
今回、ソチ五輪中継で目撃したアスリートたちの「失
敗」が、今後どんな展開をみせるのか、しっかりこの
目で見ていきたいと思うのでした。
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