ブックレビュー:
『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』(鈴木博之著、ちくま学芸文庫)
(カバー写真は東京大学赤門。)
この本のタイトルにある「地霊」という言葉、日本語としては耳
なれない感じですよね。
これはもともと、「ゲニウス・ロキ」というラテン語の訳語で、「土
地に対する守護の霊」(本書、11頁)という意味なのだそうです。
もう少し詳しい言い方をすれば、「ゲニウス・ロキ」とは、「ある土
地から引き出される霊感とか、土地に結びついた連想性、ある
いは土地がもつ可能性といった概念」(同上)ということになりま
す。
本書では、この概念を切り口に、江戸から明治、現代へと変貌
を遂げていく都市「東京」の歴史が描かれています。
それではなぜ著者は、この書き方にこだわったのでしょう?
それは……
一般に、都市の歴史の研究というのは、その大半が、その制度
や都市計画、ヴィジョンの研究であることに、飽き足りなさを感じ
ていたからだといいます。
つまり、それは為政者や権力者たちの視点なのだと。
著者が描きたかったのは、「現実に都市に暮らし、都市の一部分
を所有する人たちが、さまざまな可能性を求めて行動する行為の
集積」(同書、10頁)としての都市、その歴史なのだというのです。
それはまさに、土地そのものの歴史だと言えます。そして、この
視点にこそ「地霊」という言葉がふさわしいでしょう。
さて、著者がこの本の中で取り上げている「東京」の土地は全部
で13箇所あります。その中からいくつか拾ってみると……
第一章 港区六本木の林野庁宿舎跡地(「悲劇の女主人」皇女
和宮が生涯を閉じた賜邸地)
第二章 千代田区紀尾井町の司法研修所跡地(暗殺された大
久保利通の怨霊鎮魂のための清水谷公園)
第四章 台東区―上野公園(江戸の鬼門を鎮護する寛永寺:
江戸における延暦寺)
第八章 文京区―椿山荘(目白の「将軍」山縣有朋の本邸)
第十一章 文京区本郷(東大キャンパスに並存した様々な建築
様式)
※( )内はロージーによる補足。
これらの土地はそれぞれ、江戸から明治にかけての時代の変貌
のなかで、濃密な時を経験し、今もなおその跡をとどめている場
所なのです。
例えば、第一章の皇女和宮ゆかりの土地は、江戸時代には武
家屋敷があったのですが、明治維新とともに皇族賜邸地となり、
将軍家茂と死別した和宮が静閑院としてここで余生を過ごすこ
とになりました。
そして、薄幸のイメージがつきまとう和宮の棲家となったことが
影響したのか、この邸地もまた時代の流れに翻弄されることに
なります。
静閑院の死後は東久邇宮家の邸地であったこの土地は、戦後
間もなく国有地化され、林野庁の管理下におかれます。そして、
日本の山林の弱体化の中で林野庁もその力を弱め、中曽根政
権下の民活路線の口火を切る形で民間に払い下げられたので
した。
こうしたことから著者はこの土地を、日本の国土行政の影の側
面、すなわち「地方の過疎化する山林地域の弱体化」と「東京
の地価高騰を生む無策ぶり」(同書、28頁)を象徴するものと捉
えています。
そして筆者は、国有地払い下げの標的になったこの土地の幸
薄さの奥にひそむもの、それを「地霊」(「ゲニウス・ロキ」)と呼
ぶのです。
建築史学者としての著者の議論は以上のように締めくくられて
いますが、さらにここからウィリアム・W・アトキンソン的に話を
展開してみれば、こんなふうになるでしょうか。
すなわち、「薄幸のヒロイン和宮」という存在が、その邸地の行
く末までを幸薄いものにしてしまったのだとすれば……
それは、世の人々が和宮に対してそうしたイメージを抱くことこ
そが、その土地にそのようなイメージの通りのエネルギーを持
つ念の微粒子を引き寄せ、集積させることになった、ということ
です。
これはまさに、アトキンソンのいう、「精神的空気」形成のメカ
ニズムではありませんか。
アトキンソンはこのことに関して、こう述べています。
この念の微粒子は、発した人が死んでも振動し続けます。それ
は太古に死滅した星の光が今も目に見えるのと同じです。臭い
の原因を取り除いても室内に臭いが残るように、ストーブを取り
除いても熱がこもるように、念の微粒子は人の死後も振動し続け、
他人の心に影響を与えるのです。
同じように、家や場所も昔の人の思いで振動し、今生きている人
に多かれ少なかれ影響を与えています。(中略)
このように発せられた念は、振動数の合う他人の念と一つになる
傾向があります。本人の周囲に留まる念もあれば、「引き寄せの
法則」に従って、雲のように流れ、同じ線で思考する人に引き寄
せられる念もあります。
都市の性格はこうして形成されます。住む人の思い全体が、そ
れに合った「精神的空気」を作り出しているのです。(後略)
(ウィリアム・W・アトキンソン『引き寄せの法則 オーラ篇』
徳間書店、20~22頁)
※アトキンソンのこの本に関しては、当ブログの4月5日・8日
付でも紹介しています。
アトキンソンの言っていることが本当だとしたら……
都市にはそれぞれ、その都市ならではの「雰囲気」というものが
ありますが、その正体こそまさに、人の念の微粒子が作り出した
「精神的空気」なのではないでしょうか。
そして、私たちはその「精神的空気」を、その都市の持つ個性とし
て、無意識のうちに感じ取っているのだと思われるのです。
今、この文章を読んでくださっているあなたも、きっと街の醸し出
す独特の空気感というものを感じたことがおありでしょう。
このことに関して、最近、テレビで興味深いものを見ました。5月
30日放映の「オーラの泉」(テレビ朝日系列)の中に「街のオーラ」
というコーナーがあり、その日は東京の神楽坂が取り上げられてい
たのですが、そこにある、一軒の古い旅館は、多くの作家・脚本家
が執筆のために利用してきたそうです。(作家の野坂昭如さん、映
画監督の山田洋次さん、脚本家の早坂暁さんなど。)
出演者の江原啓之さんが実際にその旅館の部屋を見て、こんなこ
とをおっしゃっていました。この部屋からは、神楽坂という街が見え
てくる感じがすると。(表現は一字一句そのままではありませんが、
そんな意味のことだったと思います。)
その部屋は、はっきり言って眺めはよくなく、そういう意味で「見え
る」わけではないのですが、おそらくそこは、気の流れが特別いい
場所なのではないかと思われます。だからこそ、「精神的空気」を
うまくキャッチして、執筆のための着想を得るのにはもってこいなの
でしょう。
よく、作家が新作の執筆のためにホテルに缶詰になったり、お気に
入りの宿に籠もったりするというのを聞いては、「そんな贅沢な。自
宅に書斎があるんでしょ。そこで書けばいいのに」と思ったりしたも
のですが、今回、この本(『東京の地霊』)と江原さんの言葉のおか
げで、「そういうわけがあったのか」と気づいたのでした。
あなたが別段の理由もなく好きな街、なんとなく自然に足が向いて
しまう街があるとしたら……
それはきっとその街の「精神的空気」に引き寄せられているに違い
ありません。
『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』(鈴木博之著、ちくま学芸文庫)
(カバー写真は東京大学赤門。)
この本のタイトルにある「地霊」という言葉、日本語としては耳
なれない感じですよね。
これはもともと、「ゲニウス・ロキ」というラテン語の訳語で、「土
地に対する守護の霊」(本書、11頁)という意味なのだそうです。
もう少し詳しい言い方をすれば、「ゲニウス・ロキ」とは、「ある土
地から引き出される霊感とか、土地に結びついた連想性、ある
いは土地がもつ可能性といった概念」(同上)ということになりま
す。
本書では、この概念を切り口に、江戸から明治、現代へと変貌
を遂げていく都市「東京」の歴史が描かれています。
それではなぜ著者は、この書き方にこだわったのでしょう?
それは……
一般に、都市の歴史の研究というのは、その大半が、その制度
や都市計画、ヴィジョンの研究であることに、飽き足りなさを感じ
ていたからだといいます。
つまり、それは為政者や権力者たちの視点なのだと。
著者が描きたかったのは、「現実に都市に暮らし、都市の一部分
を所有する人たちが、さまざまな可能性を求めて行動する行為の
集積」(同書、10頁)としての都市、その歴史なのだというのです。
それはまさに、土地そのものの歴史だと言えます。そして、この
視点にこそ「地霊」という言葉がふさわしいでしょう。
さて、著者がこの本の中で取り上げている「東京」の土地は全部
で13箇所あります。その中からいくつか拾ってみると……
第一章 港区六本木の林野庁宿舎跡地(「悲劇の女主人」皇女
和宮が生涯を閉じた賜邸地)
第二章 千代田区紀尾井町の司法研修所跡地(暗殺された大
久保利通の怨霊鎮魂のための清水谷公園)
第四章 台東区―上野公園(江戸の鬼門を鎮護する寛永寺:
江戸における延暦寺)
第八章 文京区―椿山荘(目白の「将軍」山縣有朋の本邸)
第十一章 文京区本郷(東大キャンパスに並存した様々な建築
様式)
※( )内はロージーによる補足。
これらの土地はそれぞれ、江戸から明治にかけての時代の変貌
のなかで、濃密な時を経験し、今もなおその跡をとどめている場
所なのです。
例えば、第一章の皇女和宮ゆかりの土地は、江戸時代には武
家屋敷があったのですが、明治維新とともに皇族賜邸地となり、
将軍家茂と死別した和宮が静閑院としてここで余生を過ごすこ
とになりました。
そして、薄幸のイメージがつきまとう和宮の棲家となったことが
影響したのか、この邸地もまた時代の流れに翻弄されることに
なります。
静閑院の死後は東久邇宮家の邸地であったこの土地は、戦後
間もなく国有地化され、林野庁の管理下におかれます。そして、
日本の山林の弱体化の中で林野庁もその力を弱め、中曽根政
権下の民活路線の口火を切る形で民間に払い下げられたので
した。
こうしたことから著者はこの土地を、日本の国土行政の影の側
面、すなわち「地方の過疎化する山林地域の弱体化」と「東京
の地価高騰を生む無策ぶり」(同書、28頁)を象徴するものと捉
えています。
そして筆者は、国有地払い下げの標的になったこの土地の幸
薄さの奥にひそむもの、それを「地霊」(「ゲニウス・ロキ」)と呼
ぶのです。
建築史学者としての著者の議論は以上のように締めくくられて
いますが、さらにここからウィリアム・W・アトキンソン的に話を
展開してみれば、こんなふうになるでしょうか。
すなわち、「薄幸のヒロイン和宮」という存在が、その邸地の行
く末までを幸薄いものにしてしまったのだとすれば……
それは、世の人々が和宮に対してそうしたイメージを抱くことこ
そが、その土地にそのようなイメージの通りのエネルギーを持
つ念の微粒子を引き寄せ、集積させることになった、ということ
です。
これはまさに、アトキンソンのいう、「精神的空気」形成のメカ
ニズムではありませんか。
アトキンソンはこのことに関して、こう述べています。
この念の微粒子は、発した人が死んでも振動し続けます。それ
は太古に死滅した星の光が今も目に見えるのと同じです。臭い
の原因を取り除いても室内に臭いが残るように、ストーブを取り
除いても熱がこもるように、念の微粒子は人の死後も振動し続け、
他人の心に影響を与えるのです。
同じように、家や場所も昔の人の思いで振動し、今生きている人
に多かれ少なかれ影響を与えています。(中略)
このように発せられた念は、振動数の合う他人の念と一つになる
傾向があります。本人の周囲に留まる念もあれば、「引き寄せの
法則」に従って、雲のように流れ、同じ線で思考する人に引き寄
せられる念もあります。
都市の性格はこうして形成されます。住む人の思い全体が、そ
れに合った「精神的空気」を作り出しているのです。(後略)
(ウィリアム・W・アトキンソン『引き寄せの法則 オーラ篇』
徳間書店、20~22頁)
※アトキンソンのこの本に関しては、当ブログの4月5日・8日
付でも紹介しています。
アトキンソンの言っていることが本当だとしたら……
都市にはそれぞれ、その都市ならではの「雰囲気」というものが
ありますが、その正体こそまさに、人の念の微粒子が作り出した
「精神的空気」なのではないでしょうか。
そして、私たちはその「精神的空気」を、その都市の持つ個性とし
て、無意識のうちに感じ取っているのだと思われるのです。
今、この文章を読んでくださっているあなたも、きっと街の醸し出
す独特の空気感というものを感じたことがおありでしょう。
このことに関して、最近、テレビで興味深いものを見ました。5月
30日放映の「オーラの泉」(テレビ朝日系列)の中に「街のオーラ」
というコーナーがあり、その日は東京の神楽坂が取り上げられてい
たのですが、そこにある、一軒の古い旅館は、多くの作家・脚本家
が執筆のために利用してきたそうです。(作家の野坂昭如さん、映
画監督の山田洋次さん、脚本家の早坂暁さんなど。)
出演者の江原啓之さんが実際にその旅館の部屋を見て、こんなこ
とをおっしゃっていました。この部屋からは、神楽坂という街が見え
てくる感じがすると。(表現は一字一句そのままではありませんが、
そんな意味のことだったと思います。)
その部屋は、はっきり言って眺めはよくなく、そういう意味で「見え
る」わけではないのですが、おそらくそこは、気の流れが特別いい
場所なのではないかと思われます。だからこそ、「精神的空気」を
うまくキャッチして、執筆のための着想を得るのにはもってこいなの
でしょう。
よく、作家が新作の執筆のためにホテルに缶詰になったり、お気に
入りの宿に籠もったりするというのを聞いては、「そんな贅沢な。自
宅に書斎があるんでしょ。そこで書けばいいのに」と思ったりしたも
のですが、今回、この本(『東京の地霊』)と江原さんの言葉のおか
げで、「そういうわけがあったのか」と気づいたのでした。
あなたが別段の理由もなく好きな街、なんとなく自然に足が向いて
しまう街があるとしたら……
それはきっとその街の「精神的空気」に引き寄せられているに違い
ありません。
ございました。
里誉さんのおっしゃる通り、人と土地とのつ
ながりも宇宙意志(神)によってコントロー
ルされているのでしょうね。
あるいは、自分が今生うまれてくる前に、あ
らかじめ自らの人生の設計図に書き入れてい
るという場合もあるかもしれませんね。
たとえば、うちに先日あるヒーラーさんが来て下さったのですが、彼女は偶然私の住む街に用事があり、そのことをまたまた偶然私が知り、お招きしたという経緯があったのですが、
これはもちろん、偶然ではないわけです。。我が家という土地に彼女の波動が必要だったと思うのです
土地とひとの関係、とっても興味深い記事をありがとうございました