穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

感想「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス」

2009年04月30日 | 小説・本
「なかよし」か「ちゃお」の感想記事を書こうと思ってたら、まだ売ってなかった。
拍子抜けしたので、穴埋め的に最近読んだ本の紹介記事にしてみる。
「プリキュア」さんはバランス栄養食だけど、ただ一点、活字成分だけは補給できないのが玉に瑕。

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

有名なフェルミのパラドックスの話。

 (1)宇宙は物凄く広いし、物凄く古い
 (2)だから宇宙のどこかには高度な文明をもった宇宙人がいてもいいはずだ
 (3)なのに、どうして見つからないのだろう?

『みんなどこにいるの?』という極めて素朴で有名で、そして凶悪なパラドックス。
現在、地球人はこの問いに答える術を持っていない。
これを提唱した(その前からも言われてたそうですが)フェルミの名を冠して「フェルミのパラドックス」と呼ばれます。

ちなみにフェルミはすげぇレベルの物理学者さんです。
私ごときが揶揄できない感じのハイレベル。
それだけにこのパラドックスの抱える暗い闇がひときわ光る。

この本では必死になってひねり出された50の回答が紹介されてます。
個人的に痛快だったのが、ありきたりな「既に来ているが政府が隠している」「高度すぎて人間には理解できない」「遠くにいすぎてやってこれない」あたりをノルマの如くとっとと論破し一笑に付し、先に進んで行ってるあたり。
まぁ正直、その手の「真とも偽とも証明できない」類の論は辟易というか、単純過ぎて飽きたというか。

一番気に入った回答は「みんな家から出ない」でした。宇宙人はみんなひきこもり。だから地球にやってこない。
間抜けなようだけど、それなりに説得力はあります。
ていうか私らもネットやテレビ漬けじゃないですか。もしも「マトリックス」の超々超々超々劣化版クラスでも仮想現実が作れるようになった日には、誰も外に出ませんよ。
火星旅行が実現するよりも先に、火星の3D体験ができるようになったら、その時点で宇宙開発の道は断たれる気がする。

まずいことに、仮想現実の分野は性産業と強力に結びつくので、1回臨界を越えたらとんでもない勢いで技術革新と普及が進みそう。
プリキュアさんと戯れる仮想現実と、岩だらけの火星を目指すのと、どちらに金払うかといえば前者ですよ。
これは歴史が証明してる。悲しいくらいに証明してる。

他の似た回答だと「みんな連絡を待っている」。
自分から宇宙に出かけたり通信を飛ばすのはコストがかかるので、向こうからやってくるのを待っている。
そしてどこからも連絡がないので、みんなで「フェルミのパラドックス」に首を傾げてる。どんだけネガティブなんだこの宇宙。でも地球を見る限り、一概に否定できないのが侘しかったり。

どちらの回答も「全ての文明がひきこもりであってたまるか」という至極もっともな著者の反論で終了してるのですが、しょうもなさすぎて逆に真理を突いてるようで気に入りました。
広い宇宙にはアクティブな宇宙人さんがいることを願うばかりです。
少なくとも地球人はひきこもりの傾向を示しつつあるので、こっちから出かけていくのはあてにしないでください。

「宇宙人がいるかいないか」は与太話としては面白いものの、パラドックス(ひいては背理法)を突き詰めるネタはあまり聞かなかったので、新鮮でした。
宇宙人はいるよ派の最大の拠り所である「宇宙は広いから色んな可能性があるはずだ」が、逆にパラドックスの首を絞めてしまうあたりは、安易に感覚だけで判断する危険性すら感じた。
「色んな可能性がある」⇒「では何故、彼らの姿が見えないのか」。誰もそれには答えられない。
仕方がないので逆に「意外と宇宙は厳しく可能性は狭い。おかげでたまたまやってきていない」という視点で見始めると、今度はあまりに絶望的な仮定が浮き彫りになってくる。
「ちょうどいい塩梅に多くの可能性と厳しい条件で成り立っている」という都合がよすぎる仮定を持ち出さねば矛盾を説明できないとき、背理法に基づいてとても悲しい結論が…。

あと作者さんの構成が上手いと思った。
序段がフェルミの略歴紹介なのですが、そこでさりげなく「フェルミ推定」の説明を入れてきてる。
(フェルミ推定=答えようのない問題を、それでもどうにか『それっぽい』数字をひねり出すこと。
私も言葉としては初めて知ったのですが、例えば「仙台市にピアノの調律師は何人いるか?」といったどうしようもない問題に答えようとすると、
「仙台は政令都市だから人口100万くらいだろう」
⇒「とりあえず音楽教室等は除外するとして、普通ピアノは1世帯に1台だ」
⇒「1世帯3人とすれば、仙台の世帯数は約35万」
⇒「直観的に学校1クラスにつき1人くらいはピアノを持ってた=20~30世帯に1台のピアノがある」
⇒「よって仙台にあるピアノは約1万台」
⇒「全てのピアノが1年に1回の調律を必要とすると仮定し」
⇒「一人の調律師が1日に調律できるピアノは2台くらい?」
⇒「そうすると約5000日分の仕事が発生する」
⇒「一人の調律師の年間営業日を200日とすると、25人分」
⇒「よって切りのいいところで30人」
といった感じ。実際は300人かもしれないし3人かもしれないけど、3000人とかじゃないだろう、くらいの予測は立ちます。そしてその程度の概算でも結構役立つ。ちなみに正解は知りません)

最初にその説明をしてるおかげで、その後の本論での様々な推論に対する「そんな数字当てにならない」という安い反論を事前に封じ込めてるのは上手いと思った。
他には(一見すると幼稚にすら思える)「フェルミのパラドックス」を考えることにどんな意味があるかを、これまた有名な「オルバースのパラドックス」(宇宙が無限に広く、無限に星があるのならば、何故夜空は星の光で埋め尽くされないのか)で説明して見せてるとか。
実際のところ、科学的にどの程度信憑性がある本なのかは判断できませんが、読み物としてはなかなか楽しかったです。

(左画像)
広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス


こういう一種のアカデミックジョークは楽しいです。
知識は悪ノリして遊ぶためにある。
久々に色々勉強したくなってきた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説「モダンタイムス」(伊坂 幸太郎) 感想

2009年02月23日 | 小説・本
例によってサンデー連載中の漫画「魔王」の原作本を読みました。

■モダンタイムス - 伊坂 幸太郎

誤解を避けるために(?)最初に書きますが、この人の小説自体がお勧めかというと私的には微妙です。
ただ漫画版「魔王」のアレンジぶりはかなり上手いと思う。
「魔王」「グラスホッパー」「モダンタイムス」等々、この作者さんの小説を組み合わせ、独自のストーリーを展開しておられる。
きっちり原作を活かしつつ、漫画としても面白いというのはかなり凄いと思うので、その側面から応援したいです。
オールスターズもの大好きですし。

ストーリー。
「魔王」でお馴染みの安藤くんの遠縁に当たる主人公さんは、ある時唐突に酷い目に。
いったい何でこんな目に合わないといけないのか。
けれど返ってくるのは「あんたを痛めつけるのが仕事だから」「よく分からんがそういうシステムになってるらしい」。
そんな答えばかり。

世の中には明確な「悪の親玉」や「悪の組織」なんてない。
誰もが自分の仕事や領分の中で行動してるだけ。
その行動の結果が全体としてどんな意味を持ってるのかなんて誰も分からないけれど、とにかく世の中そうなってる。

…というお話。

扱ってるテーマ自体は特に違和感はないです。
こういった「個々人は社会というシステムの一部であって、全体を理解している人はいない」というのは、社会に出ると実感します。
いわゆる「社会の歯車」とはちょっと違う。なんというか「何でそうなってるのか分からないけど、とにかく長年そうなってる」ことばかりというか。

お話の展開上、それが怖いことかのように小説内では表現されてましたが、私の考えは「世の中適当だなぁ」「だから私も適当でいいや」。
学生さんの中には「社会は厳しい」と思ってる方もいるかもしれませんが、はっきり言ってぬるいです。
何故そんなので上手く行くのか皆目不明ですが、まぁ適当でいいというのは良いことだと思う。

微妙に本筋とは無関係ながら、劇中で「赤信号」の話が出てました。
「明らかに車が来ない状況で、赤信号に従うべきか」。
小説中では特に強調して主張はされませんでしたが、「ルールにやみくもに従うのではなく自分で考えよう」という方向でした。

で、個人的には「赤信号に従え」がポリシーです。根拠は三つ。

一つ。現実に交通事故の最も多いケースは、高齢者の信号無視や勝手な道路横断です。当然その人たちも「安全だ」と思ったから渡ったわけで、つまりは「明らかに車が来なくて安全」という個人の判断自体があてにならない。

二つ目。「守る意味がない」と思えるほどの些細なルールすら守れない人間は、重要なルールを守れるわけがない。個人の裁量でルールを曲げ始めると、際限がなくなります。

三つ目。単純にプライドの問題。大したメリットもないのにわざわざリスクを抱えるのは格好悪い。(ここでいうリスクには交通事故の他、信号無視を目撃した他者からの評価の低下とか、そういうことも含む)

…まぁそういうことも含めて「まず考えよう」というのが、作者さんの「魔王」から一貫した主張なので「反論」したいわけではないですけれど。
「結論がどうなるかは別として、まずは考えろ」というのには共感してます。
他にもネットやら何やらに対する作者さんの主張にも思うところはあるけれど、長文になりそうだったので省略。


(左画像)
モダンタイムス (Morning NOVELS)

(右画像)
魔王 4―JUVENILE REMIX (4) (少年サンデーコミックス)


小説の感想だか何だか分からない駄文になりましたが、最後に一つだけ気がかりなこと。
漫画版「魔王」は上手い具合にあちこちからネタを引っ張ってきてるのですが、「モダンタイムス」のヒロインさんがまだ未登場です。
もしも彼女の設定が詩織さんに引き継がれたら…!と思うとドキドキが止まりません。安藤弟さんの最大の武器は、実は真横に潜んでる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説「グラスホッパー」(伊坂 幸太郎) 感想

2008年11月29日 | 小説・本
最近、「サンデー」連載中の漫画「魔王 JUVENILE REMIX」を推してるのですが、小説「魔王」以外にも原作があると教えてもらったので読んでみました。
果たしてネタバレをしていいものか、そもそも「魔王」を知ってる人がここをどれほど読んでるのか。
全く見当がつかないので、「小説も漫画も読んでる」という人にしか分からないような適当な感想を書いてみる。

■グラスホッパー ‐ 伊坂 幸太郎

バッタさん。もしゃもしゃ草を食べる。そんな話。

妻を殺され復讐を誓った鈴木さん、対面した相手を自殺に追い込む特殊能力者の鯨さん、ナイフ大好き殺人者の蝉さんが、「押し屋」と呼ばれる殺し屋さんを巡る話です。
いわゆるハードボイルド系。
ストーリー的にはそれなりにオチもあり、そこそこ楽しんで読めました。

ところで、普段あんまり日本人原作の小説を読むことがないので今ひとつピンと来ないのですが、「魔王」や「グラスホッパー」等の小説も「読書」の範疇に含まれるもんなんでしょうか。
私の感覚だと漫画やライトノベルと同じ括りのジャンルなのですが…。
貶す意図はないのですが、後書きの解説に直木賞候補だったと書いてあって、ちょっと意表を突かれました。
まぁ直木賞自体、そんなもんなのかもしれない。
正直、「漫画ばっかり読んでるとダメになる。活字を読め」と言われてこの手の小説を差し出されたら、かなり戸惑う。え?同じじゃ?

なんかネガティブっぽいこと書きましたが、小説自体は面白かったです。
小説単体でもですが、特にこれを下敷きにした漫画版の存在がとても良い。
この「グラスホッパー」と「魔王」から、あの漫画にアレンジした大須賀さんは偉い。

「自分は上司の操り人形なのでは」と神経病んでる蝉さんと、「考えろ」がモットーの安藤くんを組ませたのは素敵だし、復讐に燃える鈴木さんと安藤弟の置き換えも上手い。
使い方が上手いだけに、先に「グラスホッパー」を読んでればとんでもなく熱かったんだろうなぁ。
不用意に横断歩道の前にいるマスターとか、やべぇ。

これから先の展開も楽しみです。
大須賀さんはかなり丁寧に原作小説の展開を使ってくれてるので、まだ未出のアレやコレが出てくるのにも期待できそう。
そのくせ、「今の話の流れでは原作のあのシーンは無理」みたいなものもある。でも今までの傾向を見るに、絶対ねじ込んでくるはずだ。どうする気なんだろう。
原作に忠実な漫画の今後の展開を、原作読んだのに予想できないってのも凄い話だと思う。

小説で一番好きだったシーンは、岩西さんが蝉さんに最後のエールを送るところ。
これも今現在の漫画の展開だと起こりそうにないのですが、めちゃくちゃ盛り上がりそうです。
それに続く話も漫画的にどうする気なのか。色々楽しみな場面ばっかりだ。

別の小説の登場人物たちが絡み合ってるので、スパロボ的面白さも。
変態蜂娘VSマスターとか、変態蜂娘VS犬養さんとか、頭おかしいです。
よく思いついたなそんな構図。

他にも、薬で朦朧とする変態蜂娘とか。
確かに原作にもそんな一節はありますが、そこからああいう展開は普通発想できません。
ていうか原作小説ではほとんど描写もされてない変態蜂娘を、ああも変態に仕立て上げた大須賀さんは変態。今後の展開にも期待しています。



(左画像)
グラスホッパー (角川文庫)

(右画像)
魔王 (講談社文庫 い 111-2)


実は漫画版「魔王」の最初の方はろくに読んでませんでした。
ぶっちゃけ地味だし野郎ばっかりだったので。
ええ、真面目に読もうと思ったきっかけは、変態蜂娘です。もしかしたら私も変態なのかもしれないとちょっとだけ思った。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説「魔王」(伊坂 幸太郎) 感想

2008年10月21日 | 小説・本
読み終わったんで感想です。

■魔王 ‐ 伊坂 幸太郎

現在、「サンデー」で絶賛連載中の「魔王 JUVENILE REMIX」の原作小説です。
ネタバレ前提で感想書きますので、漫画の方で追いかけてて先を知りたくない方は、以下は読み飛ばしてください。
ただ、漫画の方はアレンジ要素がかなり強いので、ネタバレによって面白さを損なうことはあまり気にしないでもいいかも。


とりあえず、あらすじ。
構成は「魔王」と「呼吸」の2章形式。

『魔王』
 不景気やら対外情勢やらでいろいろ不満と諦観が満ち満ちてるそんな日本。
 そこにやたらに確固たる信念で物事を断言する政治家・犬養さんが登場。
 彼の非常に前向きで強硬な言動に国民は熱狂し、流されていく。

 そんな流れやムードに対し、どうにも不安が消えない安藤兄。
 犬養さんの言ってることややってることに不安があるのではなく、それに流されている民衆がとてもとても不安。
 そこで、折しも授かった「他人に自分の思うことを話させる能力=腹話術」を用いて、その流れに抗ってみるが…。

『呼吸』
 犬養さんの公開演説の場で、安藤兄は謎の死を遂げる。
 残された弟さん、兄さんの不可解な死と民衆のムードに漠然とした不安を抱きます。
 弟さんは思った。敵と対決しようとか、この世界を変えようとは思わない。でもいざ何かをしたいと思ったとき、周囲に流されることなく、それを自分の考えと行動でもって実行に移せるだろうか。

 そう思うのと前後して、弟さんにも超常能力「10分の1の確率勝負に必ず勝つ」が発現。
 とんでもない能力ですが、弟さんはそれで表立って何かをしようとは思わず。
 ただ「自分が何かをしたいと思ったとき」「それを実行できるだけの力が欲しい」。そのためには「何はなくとも金だ」と考えた弟さんは、黙々と競馬で金を増やしていく。ひたすらに黙々と。

そんな話。文庫本で300ページ程度の話なので、筋自体は短いです。
テーマとしては「周囲のムードに流されず、自分の考えで行動する」。
兄と弟ではアプローチの姿勢も方法も結論も違いますが、とにかく「自分で決めて行動する」ということに重きが置かれています。

劇中で、犬養さんは憲法改正案を出します。
が、同時に「改正しないと個々人が決めたのなら、その通りに投票すべきだ」とも述べます。
憲法を改正しようが、改正しまいが、そんなことは本質的にはどちらでもよい。どちらが正しいかなんて分かりません。
ただ「自分で考えて決めろ」というのが犬養さんの(そして安藤兄弟の)主張。
決めたその結果が正しいかどうかは(テーマ的には)どうでもいい。

厄介なのは、自分で考えたつもりになってるけど、実際は適当に流されてるだけの人が案外多いことですね。
例えばニュースに対するmixiや掲示板の書き込みを見てると、脊髄反射や思い込みで(得てして、もっともらしいが根拠のない数字を伴って)書かれてるものがある。
具体的なところでいえば、前にちょっと取り上げた「若者レジャー「貧困化」 遊びの種類減少」の元ニュースへの安直な批判とか。

で、これはその道の専門家や熟練者でないと意見を述べてはいけない、という意味では当然ない。
要は「考えたり調べてから物を言え」と。結果的に間違っててもそれ自体は問題なし。
また、適当な意見ならば、そうと自覚した上で行うべきであって、専門家や調査結果に一定の敬意を持つべき。
(ちなみに言うまでもないですが私の書いてる記事自体、確たる根拠で以って書いてるわけではなく、「適当な意見」です)

もちろん、どれだけ調べようがどれだけ考えようが、他者からの情報は必要不可欠なので、究極的には「自分の考え」なんてものは存在しない。
肝心なことは、そういったことを覚悟を持って行うということ。
考えた結果、「分からんから他人に任せる」も当然あり。ただ、どういう結論に至るにせよ、1回立ち止って考えて、その結果には覚悟を持たないといけない。

テーマとしてはそんな感じかなと思いました。
安藤兄の「腹話術」能力は、まさに「流される民衆」の端的な現象ですね。
本人は自分で喋ってるようだけれど(そして周囲も彼の意志で喋ってるように見えてるけど)、実際は内容を全く理解もせず、受け売りなだけ。(劇中では『コピペ』と表現)
そしてそんな適当な言葉でも、民衆はあっさりと扇動され、ムードも変えられてしまう。

そんな話なので、「悪の犬養さんを倒す」とかそういった内容ではないです。
あえて「敵」を言うなら、敵は「安易に流されてる民衆」。
安藤くんとしては、結果的に犬養さんが民衆から支持されてもそれ自体は良し。ただし、それぞれが自分で考えるべきというスタンス。

まぁ犬養さんの主張は「憲法9条の改正」だとかの上、劇中でムッソリーニと評されてるので、「犬養支持=悪」のような誤解を招きかねない構成になってますが…。
しつこく「犬養さんの主張の内容自体は悪ではない」という説明はなされてるのですが、ちょっと題材を誤った気がしないでもないです。
当然ながら、憲法9条を変えるべきかどうかについて、「どちらが正しい」ということは示唆されないし、登場人物たちの議論も「一見もっともらしいけど、どっちも流されてるだけ」「絶対的な真実や正解はない。そしてそれ自体は問題ではない」の表現として使われてるだけで、議論それ自体には特に意味を持たされてません。
(蛇足&失礼ですけど、Amazonさんのレビューにある批判意見は、見事にここを取り違えて薄い思考にハマっていて、逆説的にこの小説のテーマを証明してるようで面白いです)


(左画像)
魔王 (講談社文庫 い 111-2)

(右画像)
魔王 1―JUVENILE REMIX (1) (少年サンデーコミックス)



漫画版との違いですが。
設定はかなり大きく変わってます。
安藤くんは社会人です。犬養さんも政治家です。二人は直接会話をすることもありません。
マスターの能力は具体的には描写されませんし、派手にバトルをしたりもしません。
舞台は国や政治であって、町興しの話ではありません。アンダーソングループやグラスホッパーも出てきません。
岩西さんも登場せず。蝉さんもおらず。当然ながら変態蜂娘も居ません。がっかり。

でも原作の場面場面は上手く取り込んでるし、見せ方が上手い。
原作小説は内省的な話で漫画向きとは思えないのですが、ちゃんとテーマを活かしたまま、少年漫画に翻訳してるのが素直に凄い。
ポジション的に物凄く地味な漫画ですけど、「小説を漫画化した成功例」としてもっと評価されていいと思った。

…まぁ「成功」というには、現在連載中の第2部の成り行き次第ですけれど。
原作と似た方向で行くなら、この後、弟さんはギャンブルに全力投球し、稼いだ金でアンダーソングループおよび犬養さんと(ひいてはそれらに流されてる民衆と)対決することになりそうですが、少年漫画的にはそんなんでいいんだろうか。
ていうか弟さん、小説では成人なので問題なく競馬をやりまくってましたが、漫画だと高校生です。捕まります。どうしよう。か、株式投資とか?(上がるか下がるかだけなら1/2だから、当てられる?)

そんな薄い予想しかできない私なだけに、この原作を少年漫画化してる大須賀めぐみさんは本当に凄いと思った。この後、どうする気なんだろう…。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日立 世界ふしぎ発見! 「赤毛のアン誕生100年 カナダからの贈り物」

2008年08月26日 | 小説・本
先週、「世界ふしぎ発見!」で「赤毛のアン」が特集されました。
100周年記念絡みのようです。
アン姐さんも必死です。いまいち観光客を呼べてないみたい。頑張れー。

おかげでうちのブログにも「赤毛のアン」や「こんにちはアン」、「アン・シャーリー」で検索してこられる方が増えました。
まぁ「ルビーギリス」で検索される方はゼロですが。これだからルビーは…。
極めて少数の人にしか通じませんが、自己紹介するとルビーが一番のお気に入りです。後はフェイスとかリラとか。夢見る少女とか。

ミステリーハンターさん:
 「今から100年前、日本人なら誰でも知っている小説が生まれました!」

実際のところ知名度はどの程度なんでしょう。
「若草物語」とかと比べてかなり低いと思うのですが…。
極めて少数の人にしか通じませんが、自己紹介するとジョゼフィンが一番のお気に入りです。ベアではなくブルックの方。

で、「ふしぎ発見!」さんの内容ですが、映像がいっぱい見れたのはとても良かったです。
解説やナレーションが間違いだらけなのは、多分、確信犯。(誤用にあらず)
まぁテレビでやる以上、色々意識的に変更するのは当然です。(大事なのは、自分がよく知らない分野の番組を見たとき、「細かい嘘演出がいっぱいあるんだろうなー」という意識を忘れないこと)

「ふしぎ発見!」さんは一応クイズ番組。
電化製品番組と言いたい気がしないでもないですが、一応、クイズ番組です。
テーマと関係の無いクイズを無理くりひねり出すことで有名な番組ですが、今回の問題は意外と直球でした。

問1:
 「赤毛のアン第7巻に登場した日本の日用品とは?」

「アン」には結構日本の話が出てきます。
何せ「夢見る少女」ことプリシラ・グラントは宣教師と結婚して日本に移住しています。
番組中では「宣教師も日本に渡った」とだけ紹介されて、プリシラのことはガン無視でしたけれど。プ、プリシラクラスでも名前を出してもらえないのか。

ところでこれに「熊手」と答えていた回答者の方、せめてテーマが「赤毛のアン」と分かっていたのなら、1巻くらいは読んできてもいいんじゃなかろうかと思った。
1巻読んでたらこの回答はありえない。

2ステージ目は「アン」だと必ず話題に出る料理ネタから。

ミステリーお姉さん:
 「当時の料理は、とっても健康に良いものばかりなんです!」

ほほぅ。
健康に良い、と。
では試しに作ってもらいましょう。

材料:
 ルバーブ 4カップ
 小麦粉 1/4カップ+2/4カップ
 砂糖 1カップ
 ショートニング 2/3カップ
 水 適量

(画面テロップ)
 注意:
  健康のためショートニングはカナダ厚生省の指針に合ったトランス脂肪酸2%以下のものを使用

ミステリーお姉さんが…懸命に現実と油脂を見ないようにしておられる。。

当時の料理を真面目に再現すると恐ろしいことになったりします。
ダイアナの飲んだ「いちご水」なんて砂糖の塊ですよ。
ていうか、健康に良い質素な食事ばかりなら、ダイアナのように健やかに肥えたりしないですよ。

問2:
 「町の環境を守るため、ハリファックスで2000年に制定された条例で禁じられたことは?」
 「1.香水」「2.イルミネーション」「3.携帯音楽プレーヤー」

先ほど「熊手」と回答された方、「赤毛のアンの時代は自然にしたがって、暗くなったら寝て…」ということを話されてました。
いや、いたって普通に夜も出歩いてます。中世のイメージなんだろうか。
当時は既に洗濯機や冷蔵庫がある時代。意外とこの辺の歴史感覚は狂いがちですよね。

最後の特集枠はケルトネタでした。
ミステリーお姉さんは、アン・シャーリーで1時間も番組を引っ張るのは無理だと判断されたようです。
そんなにミステリーをハントするほどの場所もないですしね…。アン姐さんは一瞬で狩りつくされた。パーン!

問3:
 「ハロウィンの夜 恋占いに使われていた野菜とは?」

昔、真面目に全力でハロウィンをやってる地域に住んでました。
今思えば、ろくに知らない人の家をよく訪問できてたもんだ。
あと、ハロウィンと聞いてキティ御大の誕生日を連想する人は敵とみなすことにしてます。


とりあえず情報量としては大したことのない内容でしたが、限られた時間と視聴者層を考えれば、そこそこ良い出来でした。
これで観光客が少しでも増えると良いですね、アン姐さん。
私も旅行の予定、どうしよう…。


【回答一覧】
 「ちょうちん」
 「香水」(これ、ツアーで行く人がハマる可能性があるのでは)
 「キャベツ」

今回のパーフェクト賞はプリンスエドワード島への旅行…ではなくバンクーバーでした。
私はジェーン・アンドリュースも好きです。
そして当たり前のようにパーフェクト達成してる黒柳さんは妖怪の仲間だと思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「赤毛のアン」100周年記念小説「こんにちはアン」(バッジ・ウィルソン) 感想

2008年07月29日 | 小説・本
「こんにちはアン」を読み終わりました。
私の脳内副題「マリラとマシュウが神に見える本」。
なんだかお腹がむずむずしてくる話です。

アンの境遇は分かっていたことではあるのでそれ自体はいいのですが、単純に「不幸な子供」が胸に刺さる。
昔、保育園で働いてた頃のことを思い出して、ちょっと泣いた。
精神のバランスを保つために、ぜひ同じノリで「幼少時のルビーがいかにして耳年増になったのか」とかも出してください。

■こんにちはアン - バッジ・ウィルソン

初めに大前提。
本小説は「赤毛のアン」(原作:ルーシー・モード・モンゴメリ)のエピソード・ゼロ話。
主人公のアン・シャーリーの誕生~幼少時からグリーンゲイブルズにやって来るまでの物語です。
「赤毛のアン」出版100周年を記念し、バッジ・ウィルソンにより執筆されました。

「赤毛のアン」自体の知名度がどの程度のものか判断に悩みますが…。
多分、「世界名作劇場」の放送年代の影響で、「あしながおじさん」や「若草物語」の方が知名度は高い気がします。
(「赤毛のアン」の名作劇場でのアニメ化は1979年。「フランダースの犬」「三千里」「ラスカル」「ペリーヌ」の次作にあたる)

まぁそれでも、なんとなくのイメージは沸くかとは思います。
「100年前に書かれた、カナダの田舎を舞台にした、空想力豊かな孤児の物語」。
麦藁帽子と赤毛を三つ編にした、カントリーガール的なビジュアルが、多分一般的な絵だと思う。
(余談ですが、「オズの魔法使い」のドロシーのビジュアルイメージと混同されてる気もする)

 
 名作劇場31話より。中央の赤い子がアン。
 ちなみにその横にいる、やる気のない顔してるのがルビーギリス。

書かれたのが100年前で、世界『名作』劇場でのアニメ化や、小説という媒体、おまけにアンの魅力や舞台となった自然の美しさが強調されることが多いので、お堅いイメージを持たれがちですが、「赤毛のアン」自体はコメディです。
現代のコンテンツでいうなら、(先日終わった)「スクールランブル」が物凄く近い。あとは高橋留美子作品とか。
「若草物語」等のように教育書として書かれた話と違い、娯楽小説なので、性質としてはライトノベルであり、アンを初めとしたキャラクター造形は、基本的にギャグです。

それを踏まえた上で。
主人公のアン・シャーリーは、ファン(特に年配の女性ファン)からは、一種の理想像として絶賛される傾向がありますが、冷静に見るとかなり酷い性格をしています。

 ・コミュニケーション力に難あり
  独り言同様の勢いでしゃべり続ける上、白昼夢が激しい。

 ・基本的に性格が悪い
  言いつけは守らず、それどころか「でも結果的にはその方が良かったでしょ」と自己肯定する。
  
 ・容姿コンプレックスが極端
  自分の容姿を批判されると激昂するくせに、他人の容姿にはやたら厳しい。
 「赤毛」を馬鹿にされてキレるシーンは有名ですが、その割りには告ってきた男には「鏡見て出直せ」くらいのことを平気で言い放つ。

 ・気分屋
  思い込みとそのときの気分で行動指針がころころ変わる。
  「歯が痛くてイライラしてたから」という理由で、教え子を殴り倒すシーンは圧巻。

うん、ダメな子だ。
でもだからって駄作といいたいわけではないし、アンに魅力がないというわけでもない。
というか、学園ラブコメのヒロインだと考えれば、至極納得のいく配役ですよね。
多分、ここを納得できるかどうかが、「赤毛のアン」を楽しめるかどうかの境目です。

 
 名作劇場14話より。アン・シャーリー、容姿をからかった男子の頭蓋を砕くの図。
 でも自分は平気で他人の容姿を嘲笑する。恐るべきダブルスタンダード。


で、やっと「こんにちはアン」の感想ですが、二次小説として結構いい線を行ってると思います。
アンが大変な幼児期を過ごしたことは、「赤毛のアン」にてアン自身がほんのちょっぴり(1頁程度)語っているのですが、そこと上記の破綻した性格の説明として、面白かったです。

ただ、あとがきにあった、翻訳者の方の解説はちょっと外してたような…。

 (引用)
  アンのリアリティのなさは、意識するしないにかかわらず、やはり読者には心のどこかに引っかかるのではないだろうか。
  引っかかりの一つ目は、悲惨な幼児期を過ごしながら、その影がどこにもないということ、二つ目は学校すらまともに通わせてもらえないほど働かされていたのにもかかわらず、彼女が披露する、あっけにとられるほど豊富な語彙と、文学作品に対する薀蓄の多さである。
 (引用終わり)


「リアリティのなさ」は当たり前であって、気にする部分ではないと思うのですが…。
だってコメディなんだから、極端な性格設定は当然です。
アンにリアリティ云々とか言い出したら、ルビーやフィリパみたいな、より壊れたキャラはどうなるんだ。

それでもあえて答えるのなら、一つ目の「引っかかり」の回答は単純です。
「悲惨な幼児期の影は明らかに『ある』」。
アンの空想力は現実逃避ですし、会話にならない一方的なおしゃべりは人との交流に慣れていないから。
孤独に耐えかねて生み出した、空想上の友達「ケティ・モーリス」や「ヴィオレッタ」は、「素敵な空想」ではなく「哀しいエピソード」だと思います。

二つ目の「引っかかり」もほぼ同じ。
初期のアンは芝居がかった言動が目立ちます。
多分、モンゴメリとしてはギャグ演出なのですけれど(現代の漫画やアニメでも、ませた話し方をするお子様キャラとか、いますよね)、真面目に「そうなった原因」を突き詰めていけば、コミュニケーション不全にたどり着く。

「こんにちはアン」の作者のバッジ・ウィルソンも恐らくそう考えたんだと思う。
この小説のアンは、それはそれはしんどい生活を送ります。

幼い頃に両親は病死(これは原作で言及されているとおり)。
もらわれていった先はアル中の小父さんと厳しい小母さん(原作どおり)、そして美形ぞろいでいじわるな子供たち(オリジナル。アンが容姿コンプレックスになった原因としてかなり説得力がある。アンが異常にルビーに冷たいのも妙に納得)。
その次に行った先での子守生活(原作どおり)や、孤児院での友人の裏切り(オリジナル。アンの『親友』に対する極度の執着はこうして生まれた)。

 (「アル中のおじさんが失職し、経済的理由で家事奴隷扱いされ、遊び倒してる子供の面倒を見るために学校を断念した」シーンより、一部引用)

 「あたしも逃げ出して森の中に暮らしたい。永遠に」そしてこれまでのいきさつを話した。アンはこぶしでテーブルをたたいた。
 「学校に行けないの!本もないわ!新しいすばらしいことも勉強できない!サディもいないわ!ヘンダーソン先生もいない!トマスおじさんは酔っ払って、あたしにいじわるなの!あたしは働いて、働いて、働いている!もう二度としあわせになれないわ。二度と!」

 (引用終わり)


アンの慟哭がとんでもなく胸に刺さる。
この後の「新しい住み込み先には、子守をすべき相手が沢山いる」と聞いたシーンも熱い。
(参考までに、この時のアンは9歳です)

 新しい家には双子が二組もいる。それもまだ赤ん坊。
 子守担当としては絶望したくもなります。
 でも孤児院に行くよりは…と前向きに頑張るアン・シャーリー。

 アン:「四人も赤ちゃんがいたら大変ですよね」
 引取先のおばさん:「六人よ」

 アン、絶句。「六人?そう言ったんですか?六人って?」
 引取先のおばさん:「ええ、二組の双子の上に、娘がふたりいるの」

 子供が六人!しかも全員4歳未満!
 絶望です。酷すぎます。少しは家族計画を考えてもらわないと…。
 しかも家の周囲には気分転換になるものが何もないときた。

 アン:「き、近所には人は住んでいないんですか?」
 おばさん:「ひとりで住んでるおばあさんがいるだけよ」
      「あの人には長生きしてもらわなくちゃ」
 アン:「どうして?」
 おばさん:「お産婆さんだから」

 何故、産婆が必要なのか。思わず視線が小母さんのお腹に向かう。
 『七人』。
 真実に思い至ってしまい、絶望の更なるどん底に叩き落されるアン。

 ふと思い出す、昨夜したお祈り。
 『どうぞもうすこし生活が良くなりますように……楽になりますように』。
 そうお祈りしたのに。お祈りしたのに!


…その後、生まれてきた赤ん坊はまたもや双子で、総勢八人になった赤ん坊に絶望を通り越してどうしようもなくなるアンに、危うく惚れかけました。

総じて満足したのですが、演出のために犠牲になった原作設定があるのは、ちょっと残念。
原作では家事が不得手のはずのアンが、コキ使われる描写のせいでいつの間にか家事万能になってしまっていたり、お祈りを知らないはずなのに明確に祈っていたり。
でも二次小説としては、非常に出来は良いです。
「赤毛のアン」ファンの方は読んでみる価値はあります。


(左画像)
こんにちは アン(上)/バッジ・ウィルソン

(右画像)
こんにちは アン(下)/バッジ・ウィルソン


それにしてもこの話、原作ファンならともかく、「赤毛のアン」を知らない人が読んだら恐ろしく消化不良のまま終わるんじゃないだろうか。
この悲惨な境遇の後、グリーンゲイブルズやレドモント大学が訪れることを知ってるか知らないか、更に言えば「基本、ギャグでコメディ」という前提があるかどうかで全然違う感想を抱きそう。
アニメ化もするそうですが、特にアニメだとターゲット視聴者の幅的に「『赤毛のアン』を知っている」という前提が使えないので、違うものが見えそうです。


【余談】
本小説で、最もアン・シャーリーっぽいと感じたのは以下の場面でした。

 (殺風景な部屋に飾るため、薄汚れたゴミのようなマットレスを数枚貰い受け、幻想に浸りながら必死に洗濯。願いは叶って1枚目が綺麗になった、そのシーンより引用)

 (およそ4頁に及ぶ妄想語りの後)
 「一枚でじゅうぶんだわ」と、大喜びでいった。「それに、こするのに疲れちゃったし」。

 (引用終わり)


あんだけ熱狂しておいて、同時に「疲れたから、もういい」。
空想力万歳のアンですが、「まぁそれはそれとして」な言動も目立つのが可愛いです。
だからアンの空想はギャグとしての前振りなんだってば。決して、「理想の少女の美しい語り」とかではなくてさ。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんにちはアン - バッジ・ウィルソン

2008年07月24日 | 小説・本
いつもお世話になってるミルフィーユさんに教えていただきました。ありがとうございます。



「こんにちはアン」上下巻。
内容は「グリーンゲイブルズに引き取られる前のアン」。
今度アニメ化されるそうです。

なぜ「アンの愛情」ではなく、過去をアニメ化するのか。
疑問符を投げつけたいところですが、放送してくれるのは嬉しいです。
『一方その頃ルビーギリスはヒステリーの発作を起こしていた』とか、脈絡無く場転してくれたりしないかしら。(しません)

とりあえず急いで注文したので、到着したら読もう。
個人的には「赤毛のアン」シリーズはアンよりも周囲の人物劇が好きなので、「アンの過去」というのはちょいと違う気がしないでもないですが…。
アンの想像力は、実際のところ逃避能力なわけで真面目にそこを突き詰めてもなぁという気がするし、過去の設定を語るのは「アン」っぽくないなぁとも。
とはいえ、読むのが楽しみです。この際、「アンの村の人々」も探してみよう。


ところで、Amazon様は、なんで「上巻(1)」「下巻(3)」なんて記載をしてるんですか。
「中巻(2)」があるのかと思ってしばらく探してしまったじゃないか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりあえずルビーギリスを問い詰めよう

2008年07月21日 | 小説・本
ちょろちょろとネタにしてましたが、今秋カナダに行こうと思ってるので、その相談に代理店さんに行ってきました。
目的地はプリンスエドワード島。
「赤毛のアン」の舞台になった場所です。ルビー万歳。フェイス万歳。

代理店さんは祝日ということで大変繁盛していました。
おめでたいことです。
えらく待たされそうでしたが、こういう景気のいい話は大好きです。従業員さん頑張れ。

混んでることもあって、カウンターに呼ばれる前に来店理由を聞かれることに。
行き先はプリンスエドワード。時期は秋。
極めて限定的というか、もう行くのが確定してる物言いに店員さんはすばやく対応してくれました。
カウンター空いてないので…と奥の部屋に即座に案内。まぁ最近、海外旅行客減ってるそうですしね。。
代理店さんも苦労されてるらしい。

とりあえず私の行きたいところはプリンスエドワードとハリファックス。
前者はいくらでもツアーが組まれてるのですが、後者が厳しく。
私は「赤毛のアン」のファンですが、特に「アンの愛情」が好き。
その「アンの愛情」の舞台になったのが、ハリファックスのダウハルジー大学で、個人的には外せません。
行ったところで単に普通の大学なんですけど、そういう無駄金と時間を使うからこそ旅行には意味がある。

このプランを満たすにはどうすればいいか、という方向で相談してみた結果。
ハリファックスに立ち寄るツアー自体はあった。ただ全然興味のない工程の観光が強制的に組まれてた。
この観光の権利を放棄するんで、自由行動はありですか?

店員さん:
 「……できますが。。」

あ、微妙な顔された。でもOKって言った。
よし、それにしよう。早速、空き状況を確認してもらいます。
このツアー、「最低開催人数:2名」となってますが、まぁそれは大丈夫でしょう。
今年は「赤毛のアン」100周年。大々的に宣伝もされてますし、お客さんは結構多いはず。
むしろ一杯で参加できない可能性の方が…

店員さん:
 「今のところ、9月・10月の申込者はゼロですね。ツアー自体が開催されない可能性があります」

大したことねぇなアン・シャーリー。

思わず口をついて出ました。店員さんが胡散臭い目をしてます。
ミス・シャーリーといえば世界的ヒロイン様だと思ってたのに。
あちこちで宣伝もしてたし、カナダの観光局の人も期待してたみたいなのに…。この売れない娘、売れない娘…っ!

…まさかアンお嬢さんを棒でつつく日が来るとは思いませんでした。ルビー姉さんならともかく。

気を取り直して次の策を考えます。
もうこの際、飛行機とホテルだけ押さえてもらって、自力で観光した方が早そうだ。
が、出された工程表を見て心がぼっきり。何回乗り換えるんだ、これ。そりゃ簡単な英会話くらいはできますが、疲れるんです。
絶対途中でフライト変更とかホテル交渉とか発生するだろうし、その度に頭使うの嫌なんです。

即行で諦めて、次に考えたのは自由行動中に別の都市からハリファックスまで往復するプラン。
前述のツアーの他に、シャーロットタウン(「赤毛のアン」の舞台になった村の近くの都市)に2,3日滞在するツアーはありました。
このツアーは開催最低人数:一人。開催自体は問題なし。
シャーロットタウンからハリファックスまでは片道飛行機で1時間。これなら行って帰ってこれる!

…冷静に考えたら、東京に宿を取って九州まで日帰りで観光に行くようなもんですが、あまり悩まないことにする。

しかしそうすると、肝心のプリンスエドワードでの滞在時間が気になります。
正規のスケジュールのままでも移動ばっかりで観光時間がほとんどなし。
これで更に自由行動時間も別都市への往復で削るとなると、ちゃんと全部見て回れるんだろうか。
「赤毛のアン」ファン以外にはピンと来ないかもしれませんが、プリンスエドワードは憧れの土地みたいなものです。
じっくりたっぷり、満喫したいところなのですが…

店員さん:
 「大丈夫でしょう。プリンスエドワードもそんなに見るところないですから」

大したことねぇなアン・シャーリー。

思わず、また口をついて出ました。店員さんも「せっかくの客に余計なこと言った」的顔してます。
どうも現地の観光自体は気合入れれば半日で踏破できるくらいのものしかないようです。
まぁテーマパークがあるわけじゃないので、「赤毛のアン」ファンかどうかで「見るべき場所」の量が全く違うんでしょう。そう信じよう。

結局、2時間近くかかって話を聞いて、概ねまとめました。
後は日付か。
ぼちぼち正確な日取りも考えよう…。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出版100周年企画「赤毛のアン」展(三越)

2008年06月14日 | 小説・本
気づく人にはバレバレだと思いますが、私は「赤毛のアン」のファンです。
ハンドルネームの「RubyGillis」は、その登場人物からつけました。
(元々捨てハンドルのつもりだったので適当につけたのですが…。今となっては、恐ろしく痛いHNだ。「美翔舞」とか「春日野檸檬」と名乗ってるのと同じだもの)

出版100周年企画「赤毛のアン」展(三越)

 

 開催期間:6月10日(火)~22日(日)
 場所:日本橋三越 新館7Fギャラリー

まぁそんなわけで。三越でやっている「赤毛のアン」展に行ってきました。
「赤毛のアン」出版100周年記念の一環です。
ちなみに三越さんの旅行部門が先導された模様。こういう前向きな商業姿勢は大好き。

目玉は犬の置物。原作者のモンゴメリさんが実際に所持していた現物です。「アンの愛情」にて登場。
正直、言われるまですっかり忘れてましたけど。(個人的には、プリシラがチョコレートケーキを押し潰すのに使ったクッションの方が印象に残ってる)
ご本人様の私物が見れるのはファンとしてはとても嬉しいです。

モンゴメリの直筆原稿や、村岡花子さん(「赤毛のアン」翻訳の第一人者)の原稿も拝めます。
モンゴメリの原稿、手書きなのですが達筆すぎて全く読めません。
しかも決して綺麗じゃない。それが逆に、生の勢いを伝えてくる。

その他、ペンのインクを拭き取る用のガラス器具だの洗濯機だのが面白かった。
アンの時代って今から100年前。これが600年前の中世までいけば逆に生活の様子も想像できるけど、100年前だと逆に難しい。
そうか、洗濯機はあったのかあの時代…。

で、上述のとおり旅行系の特集だったこともあり、大量にパンフレットがあったので、大量にもらって来た。密かに行く予定はあるのです。
ただ私は「赤毛のアン」(第1巻)というか「アンの愛情」(第3巻)のファン。
なので、(「アン」の舞台として有名な)プリンスエドワード島よりも、ハリファックスのダウハルジー大学(第3巻の舞台)に行ってみたい。

ちょろっとパンフレットを見た限りでは、ツアーでダウハルジー大を組み込んでるところはなかなか無さそうです。
一応、ハリファックス滞在のプランもあるようですが、「タイタニック」縁の地でもあるらしくてそっちが目的みたい。
残念だ。タイタニックには興味がない。大学やその近くにある墓地(※注)が見たいのに。
(※注:アンがフィリパという化け物に遭遇する場所。現存すると知って是が非でも見たくなった)

代わりにナイアガラやバンクーバー観光、ミュージカルオプションが多いみたいですけど、あんまり興味が…。
ナイアガラは既に行ったし、ミュージカルは現地で見る必要性を感じない。
バンクーバーには行ってみたいけど(憧れの大都会の一つ。ジェーン・アンドリュースの引越し先!)、そこまでの訴求力もなし。

カナダは治安も良いし英語圏なんで自力観光も不可能じゃないんですが、ツアーの方が楽は楽なんですよね。宿泊の手配とか。
何より、自動で案内がつくのがありがたい。
知識がないと楽しめないことって、たくさんあるから。

とりあえず片っ端からパンフは貰ったので、可能性がありそうなところに色々聞いてみよう。
「赤毛のアン」展に協力した旅行関係の皆様にも、これで少しは報いることができます。
展示の最後の方は、何とか「さりげなく」カナダ旅行につなげようとしてる気配がして、とてもとても微笑ましくなりました。この手の気合は、本当に大好きでしょうがない。

なお、その「赤毛のアン」展、たった一つだけ大きな不満点が。
結構でかいフロアを使って、結構がっつりした展示なのですが。
「ルビーギリス」の名は一言も出てきませんでした。ちくしょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盗まれた街(ジャック・フィニイ)

2008年05月22日 | 小説・本
移動時間の合間にたまたま読んでみた。

■盗まれた街(ジャック・フィニイ)



あらすじは古典の類なので省略。
「隣人は本当に人間なのか?」系のSF小説です。
知らない間に、家族や近所の人が宇宙人と入れ替わっていたとか、そういう感じの。

ストーリー自体は「古典」以外の特徴はないのですが、読んでて気になったのが2点。

一つ目。労働時間。

冒頭で主人公が自分の激務を嘆くシーンがあります。
他の人たちは今頃は家でゆっくり過ごしているのに、どうして自分ばかり遅くまで働いてるのか。
作者さんも、「遅くまで働いてる頑張ってる人」のイメージで書いてるようなんですが。

その時間、18時。

かつてのアメリカの裕福さがよく分かります。
週休7日制を強く推奨している私ですが、この記述には一瞬虚を付かれました。
なんて素晴らしい。この時代に生まれれば良かった。

二つ目。タバコ。

劇中では老若男女を問わず、勿論、路上だとか店内だとかも気にせず、四六時中タバコを吸っています。
人の家に行っても当然吸う…どころか、「お茶をどう?」の代わりに「タバコをどう?」と勧めてくる有様。
受動喫煙なんて概念すらなさそうだ。何せみんな吸ってるし。

人間に擬態している宇宙人までもが、(演技というわけでもなく)普通にタバコを吸っているのは笑うしかない。
当時はこれが普通だったんでしょうか。
なんておぞましい。この時代に生まれなくて良かった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする