「なかよし」か「ちゃお」の感想記事を書こうと思ってたら、まだ売ってなかった。
拍子抜けしたので、穴埋め的に最近読んだ本の紹介記事にしてみる。
「プリキュア」さんはバランス栄養食だけど、ただ一点、活字成分だけは補給できないのが玉に瑕。
■広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス
有名なフェルミのパラドックスの話。
(1)宇宙は物凄く広いし、物凄く古い
(2)だから宇宙のどこかには高度な文明をもった宇宙人がいてもいいはずだ
(3)なのに、どうして見つからないのだろう?
『みんなどこにいるの?』という極めて素朴で有名で、そして凶悪なパラドックス。
現在、地球人はこの問いに答える術を持っていない。
これを提唱した(その前からも言われてたそうですが)フェルミの名を冠して「フェルミのパラドックス」と呼ばれます。
ちなみにフェルミはすげぇレベルの物理学者さんです。
私ごときが揶揄できない感じのハイレベル。
それだけにこのパラドックスの抱える暗い闇がひときわ光る。
この本では必死になってひねり出された50の回答が紹介されてます。
個人的に痛快だったのが、ありきたりな「既に来ているが政府が隠している」「高度すぎて人間には理解できない」「遠くにいすぎてやってこれない」あたりをノルマの如くとっとと論破し一笑に付し、先に進んで行ってるあたり。
まぁ正直、その手の「真とも偽とも証明できない」類の論は辟易というか、単純過ぎて飽きたというか。
一番気に入った回答は「みんな家から出ない」でした。宇宙人はみんなひきこもり。だから地球にやってこない。
間抜けなようだけど、それなりに説得力はあります。
ていうか私らもネットやテレビ漬けじゃないですか。もしも「マトリックス」の超々超々超々劣化版クラスでも仮想現実が作れるようになった日には、誰も外に出ませんよ。
火星旅行が実現するよりも先に、火星の3D体験ができるようになったら、その時点で宇宙開発の道は断たれる気がする。
まずいことに、仮想現実の分野は性産業と強力に結びつくので、1回臨界を越えたらとんでもない勢いで技術革新と普及が進みそう。
プリキュアさんと戯れる仮想現実と、岩だらけの火星を目指すのと、どちらに金払うかといえば前者ですよ。
これは歴史が証明してる。悲しいくらいに証明してる。
他の似た回答だと「みんな連絡を待っている」。
自分から宇宙に出かけたり通信を飛ばすのはコストがかかるので、向こうからやってくるのを待っている。
そしてどこからも連絡がないので、みんなで「フェルミのパラドックス」に首を傾げてる。どんだけネガティブなんだこの宇宙。でも地球を見る限り、一概に否定できないのが侘しかったり。
どちらの回答も「全ての文明がひきこもりであってたまるか」という至極もっともな著者の反論で終了してるのですが、しょうもなさすぎて逆に真理を突いてるようで気に入りました。
広い宇宙にはアクティブな宇宙人さんがいることを願うばかりです。
少なくとも地球人はひきこもりの傾向を示しつつあるので、こっちから出かけていくのはあてにしないでください。
「宇宙人がいるかいないか」は与太話としては面白いものの、パラドックス(ひいては背理法)を突き詰めるネタはあまり聞かなかったので、新鮮でした。
宇宙人はいるよ派の最大の拠り所である「宇宙は広いから色んな可能性があるはずだ」が、逆にパラドックスの首を絞めてしまうあたりは、安易に感覚だけで判断する危険性すら感じた。
「色んな可能性がある」⇒「では何故、彼らの姿が見えないのか」。誰もそれには答えられない。
仕方がないので逆に「意外と宇宙は厳しく可能性は狭い。おかげでたまたまやってきていない」という視点で見始めると、今度はあまりに絶望的な仮定が浮き彫りになってくる。
「ちょうどいい塩梅に多くの可能性と厳しい条件で成り立っている」という都合がよすぎる仮定を持ち出さねば矛盾を説明できないとき、背理法に基づいてとても悲しい結論が…。
あと作者さんの構成が上手いと思った。
序段がフェルミの略歴紹介なのですが、そこでさりげなく「フェルミ推定」の説明を入れてきてる。
(フェルミ推定=答えようのない問題を、それでもどうにか『それっぽい』数字をひねり出すこと。
私も言葉としては初めて知ったのですが、例えば「仙台市にピアノの調律師は何人いるか?」といったどうしようもない問題に答えようとすると、
「仙台は政令都市だから人口100万くらいだろう」
⇒「とりあえず音楽教室等は除外するとして、普通ピアノは1世帯に1台だ」
⇒「1世帯3人とすれば、仙台の世帯数は約35万」
⇒「直観的に学校1クラスにつき1人くらいはピアノを持ってた=20~30世帯に1台のピアノがある」
⇒「よって仙台にあるピアノは約1万台」
⇒「全てのピアノが1年に1回の調律を必要とすると仮定し」
⇒「一人の調律師が1日に調律できるピアノは2台くらい?」
⇒「そうすると約5000日分の仕事が発生する」
⇒「一人の調律師の年間営業日を200日とすると、25人分」
⇒「よって切りのいいところで30人」
といった感じ。実際は300人かもしれないし3人かもしれないけど、3000人とかじゃないだろう、くらいの予測は立ちます。そしてその程度の概算でも結構役立つ。ちなみに正解は知りません)
最初にその説明をしてるおかげで、その後の本論での様々な推論に対する「そんな数字当てにならない」という安い反論を事前に封じ込めてるのは上手いと思った。
他には(一見すると幼稚にすら思える)「フェルミのパラドックス」を考えることにどんな意味があるかを、これまた有名な「オルバースのパラドックス」(宇宙が無限に広く、無限に星があるのならば、何故夜空は星の光で埋め尽くされないのか)で説明して見せてるとか。
実際のところ、科学的にどの程度信憑性がある本なのかは判断できませんが、読み物としてはなかなか楽しかったです。
こういう一種のアカデミックジョークは楽しいです。
知識は悪ノリして遊ぶためにある。
久々に色々勉強したくなってきた。
拍子抜けしたので、穴埋め的に最近読んだ本の紹介記事にしてみる。
「プリキュア」さんはバランス栄養食だけど、ただ一点、活字成分だけは補給できないのが玉に瑕。
■広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス
有名なフェルミのパラドックスの話。
(1)宇宙は物凄く広いし、物凄く古い
(2)だから宇宙のどこかには高度な文明をもった宇宙人がいてもいいはずだ
(3)なのに、どうして見つからないのだろう?
『みんなどこにいるの?』という極めて素朴で有名で、そして凶悪なパラドックス。
現在、地球人はこの問いに答える術を持っていない。
これを提唱した(その前からも言われてたそうですが)フェルミの名を冠して「フェルミのパラドックス」と呼ばれます。
ちなみにフェルミはすげぇレベルの物理学者さんです。
私ごときが揶揄できない感じのハイレベル。
それだけにこのパラドックスの抱える暗い闇がひときわ光る。
この本では必死になってひねり出された50の回答が紹介されてます。
個人的に痛快だったのが、ありきたりな「既に来ているが政府が隠している」「高度すぎて人間には理解できない」「遠くにいすぎてやってこれない」あたりをノルマの如くとっとと論破し一笑に付し、先に進んで行ってるあたり。
まぁ正直、その手の「真とも偽とも証明できない」類の論は辟易というか、単純過ぎて飽きたというか。
一番気に入った回答は「みんな家から出ない」でした。宇宙人はみんなひきこもり。だから地球にやってこない。
間抜けなようだけど、それなりに説得力はあります。
ていうか私らもネットやテレビ漬けじゃないですか。もしも「マトリックス」の超々超々超々劣化版クラスでも仮想現実が作れるようになった日には、誰も外に出ませんよ。
火星旅行が実現するよりも先に、火星の3D体験ができるようになったら、その時点で宇宙開発の道は断たれる気がする。
まずいことに、仮想現実の分野は性産業と強力に結びつくので、1回臨界を越えたらとんでもない勢いで技術革新と普及が進みそう。
プリキュアさんと戯れる仮想現実と、岩だらけの火星を目指すのと、どちらに金払うかといえば前者ですよ。
これは歴史が証明してる。悲しいくらいに証明してる。
他の似た回答だと「みんな連絡を待っている」。
自分から宇宙に出かけたり通信を飛ばすのはコストがかかるので、向こうからやってくるのを待っている。
そしてどこからも連絡がないので、みんなで「フェルミのパラドックス」に首を傾げてる。どんだけネガティブなんだこの宇宙。でも地球を見る限り、一概に否定できないのが侘しかったり。
どちらの回答も「全ての文明がひきこもりであってたまるか」という至極もっともな著者の反論で終了してるのですが、しょうもなさすぎて逆に真理を突いてるようで気に入りました。
広い宇宙にはアクティブな宇宙人さんがいることを願うばかりです。
少なくとも地球人はひきこもりの傾向を示しつつあるので、こっちから出かけていくのはあてにしないでください。
「宇宙人がいるかいないか」は与太話としては面白いものの、パラドックス(ひいては背理法)を突き詰めるネタはあまり聞かなかったので、新鮮でした。
宇宙人はいるよ派の最大の拠り所である「宇宙は広いから色んな可能性があるはずだ」が、逆にパラドックスの首を絞めてしまうあたりは、安易に感覚だけで判断する危険性すら感じた。
「色んな可能性がある」⇒「では何故、彼らの姿が見えないのか」。誰もそれには答えられない。
仕方がないので逆に「意外と宇宙は厳しく可能性は狭い。おかげでたまたまやってきていない」という視点で見始めると、今度はあまりに絶望的な仮定が浮き彫りになってくる。
「ちょうどいい塩梅に多くの可能性と厳しい条件で成り立っている」という都合がよすぎる仮定を持ち出さねば矛盾を説明できないとき、背理法に基づいてとても悲しい結論が…。
あと作者さんの構成が上手いと思った。
序段がフェルミの略歴紹介なのですが、そこでさりげなく「フェルミ推定」の説明を入れてきてる。
(フェルミ推定=答えようのない問題を、それでもどうにか『それっぽい』数字をひねり出すこと。
私も言葉としては初めて知ったのですが、例えば「仙台市にピアノの調律師は何人いるか?」といったどうしようもない問題に答えようとすると、
「仙台は政令都市だから人口100万くらいだろう」
⇒「とりあえず音楽教室等は除外するとして、普通ピアノは1世帯に1台だ」
⇒「1世帯3人とすれば、仙台の世帯数は約35万」
⇒「直観的に学校1クラスにつき1人くらいはピアノを持ってた=20~30世帯に1台のピアノがある」
⇒「よって仙台にあるピアノは約1万台」
⇒「全てのピアノが1年に1回の調律を必要とすると仮定し」
⇒「一人の調律師が1日に調律できるピアノは2台くらい?」
⇒「そうすると約5000日分の仕事が発生する」
⇒「一人の調律師の年間営業日を200日とすると、25人分」
⇒「よって切りのいいところで30人」
といった感じ。実際は300人かもしれないし3人かもしれないけど、3000人とかじゃないだろう、くらいの予測は立ちます。そしてその程度の概算でも結構役立つ。ちなみに正解は知りません)
最初にその説明をしてるおかげで、その後の本論での様々な推論に対する「そんな数字当てにならない」という安い反論を事前に封じ込めてるのは上手いと思った。
他には(一見すると幼稚にすら思える)「フェルミのパラドックス」を考えることにどんな意味があるかを、これまた有名な「オルバースのパラドックス」(宇宙が無限に広く、無限に星があるのならば、何故夜空は星の光で埋め尽くされないのか)で説明して見せてるとか。
実際のところ、科学的にどの程度信憑性がある本なのかは判断できませんが、読み物としてはなかなか楽しかったです。
(左画像) 広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス |
こういう一種のアカデミックジョークは楽しいです。
知識は悪ノリして遊ぶためにある。
久々に色々勉強したくなってきた。