穴にハマったアリスたち

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スマイルプリキュア! 第17話…の蛇足

2012年05月31日 | プリキュア雑談・総合
芸人さんがゲスト出演したことに関して、ちょっと考えてみた。

まずありていに言って、あまりこの手の展開は好きじゃない。
ではなぜ好きではないのかといえば。
第一には、「ゲスト本人のことを全く知らないから」だと思う。

特にお笑いの方の場合、「その人のギャグは面白い」という前知識がないと、笑いとして成立しない。
(これは芸人さんの質の問題ではなく、手の込んだ笑いをやる余裕のない現在の産業に適応するとこうなるのだと思う)
劇中の青木さんの反応は、まさにリアルなんですよね。「これはギャグです。笑うのがマナーです」と説明されないと、笑えない。
おかげで、完全に蚊帳の外に置かれてる感がある。

ではそれが全ての原因なのかな?といえば、ちょっと違う気もする。
例えば、大変に馴染みのある方がゲストに来られたとして。
今回のような展開だったら納得するか…?と考えてみると…。

例:「スイートプリキュア」に工藤真由さん御出演!

 加音町に大人気歌手・工藤真由さんがやってきた!
 実は大ファンだった北条さんたち、楽屋まで押し掛けたりして大喜び。
 そこにやってくるマイナーさん。会場はたちまち不幸のメロディで陰鬱な空気に。
 でも、くどまゆさんは挫けない。颯爽と立ち上がると、朗々と歌い上げ、マイナーさんを撃破。
 凄いぞ、くどまゆ!プリキュアさんもびっくりだ!

…という展開だったとしたら。

やっぱり違和感はある。私的には。
ということは、否定的な感情を抱く根源は「よく知らない人だから」ではなく。
「なんか唐突にプリキュア以外の人が、プリキュアと関係なく活躍してるから」なんだと思う。

別の言い方をすると、せっかくゲストを呼んでいるのに、単にヨイショするだけで終わってしまい、こなれてないように見える。
他の要素(例えば玩具と物語の融合)に比べると、随分と差があるんじゃないかな。

じゃあどんなのなら自分的には喜べるのか、といえば。
「ハートキャッチ」のくどまゆさん出演が良い例だと思う。
限りなく本人役で出演したくどまゆさんと池田彩さんは、中身がそのお二人だと知らなくても、ちゃんと話として成立してる。知っていたら尚面白い。
単なる接待回ではなく、ちゃんとプリキュアさんも機能してる。
(「プリキュアは本質的解決をできない」という「ハートキャッチ」のテーマとの親和性が高かったのもあるでしょうけれど)

といったわけで。
ゲスト出演だからといって特別扱いするから、変な感触になるんじゃないかな。
例えばこんな風だったら、印象は違ったはず。

「七色ヶ丘市に売れない新人芸人さんがやってきた。
 コンテスト目指して練習するのも、結果は大すべり。
 そこにやってくるバッドエンドさん。会場はたちまちバッドエンド空間に。
 でもそれでも芸人さんは挫けなかった。
 練習とかなんとかで忘れていた初心を取り戻し、プリキュアさんと共に立ち上がる!
 後日、きっかけをつかんだ芸人さんの、テレビで活躍する姿が…」

スマイルさんのテーマ的にも納得はいくはず。
今回のゲストの方の芸の背景は存じませんが、実際の「お笑いを目指した動機」とか「ネタが生まれたきっかけ」とかと絡められれば、双方に深まりが生まれるんじゃないかな。

「ハートキャッチ」以外でも、「MH」映画の女王様や「5」映画のミギリンヒダリンは、別に嫌でも何でもなかった。
どうせ出演してもらうのなら、そういう方向を目指してほしいなと思ってみる。


【蛇足】

テーマに無理やり沿わせてみると、各シリーズだとこんな感じでしょうか。

「スイート」:
 ネタそのものが面白いかどうかが大事なのではなく、共有体験を積み重ねたことにより面白さを感じるんだ。(リアルにそうだと思う)

「ハートキャッチ」:
 深い事情は存じませんが、面白いんではないでしょうか。芸、頑張ってください。

「フレッシュ」:
 ……普通に笑って終わりそうだ。桃園さんは日常派。

「GoGo」:
 価値観が違う以上は笑えない!それでも続けるというなら、殴る!(え)

「SplashStar」:
 もしも売れなくて消えていったとしても、次の世代につながっていくんだ…。

「MH」:
 笑いも悲しみもふたりで一つ。どちらが欠けても世界は成り立たない。気がつけば、悲劇作家と手を組む展開に。

…やろうと思えば、いくらでも道がありそうな。

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