先日の「ジョーカーがピーターパン説」に派生して、劇場版のゲストヒロイン・ニコ様について考えてみた。
大前提として、プリキュアさんの映画はテレビ本編のリメイク風味になってます。
その年1年にやってたことが、映画にはぎゅっと詰まってる。
今年のテーマの大筋は「メルヘンは怠惰なのか」という所にかかっていそうなので、映画もそれに準じたお話になることが予想されます。
ジョーカー(やバッドエンド王国)がピーターパン(およびネバーランド)であり、星空さんがウェンディというのは、結構しっくりきます。
「ピーターパンとウェンディ」は、「ネバーランドに移住して、ずっと幸せに暮らしました」という話ではなく、「ネバーランドに遊びに行ったが、そこから卒業して現実に戻る。そして次の世代がまた遊びに行く」話。
「ピーターパン」以外で、劇中で星空さんが言及した「赤毛のアン」も同様の構造です。
かつて空想世界を楽しんでいたアンは、やがてそこから卒業し、娘のリラたちを見守る側に回る。
アンは想像力豊かな娘さんだけど、想像力で現実を変えていくような、そんなお話ではありません。
むしろ「想像と現実は違う」ことのネタふりとして、アンの空想は描写されることが多い。
かといって「だから想像がダメ」というのでもない。
手放しで無条件に称賛したり美化したりはしないけど、夢見ることは大事だし、辛い現実を明るくしてくれる。
この辺の絶妙のバランスが「赤毛のアン」の魅力だと思ってます。
といった流れで、ニコさんの正体はケイティ・モーリスだと予想してみる。
ケイティはアン・シャーリーの幼少時代の空想上のお友達。
辛い生活を送っていたアンは、戸棚のガラスに映った自分の影を、理想の友人「ケイティ」に見立てます。
ガラスに向かって話しかける姿は異常以外の何物でもありませんが、そのおかげでアンは孤独な日々をどうにか乗り切りました。
星空さんが転校前にどんな生活をしていたかは、はっきりとした描写はありません。
が、あんまり楽しい毎日ではなかったと思われます。
というのも、第7話の「星空さんが昔使っていた秘密の場所」を訪れたエピソードで、「場所」に関する話題は出たのに、「誰と一緒にいたのか」は完全にスルーされている。
そもそも中学2年生にして、「現実は厳しい」と悟っておられるあたり、何かがあったとしか思えない。
勉強やスポーツで挫折感を持ってる様子はないのですし。
「赤毛のアン」を読んだ彼女が、理想の友に憧れたとしても不思議はありません。
むしろ「おばけの森」や「恋人の小径」を想像したのに、「腹心の友」を想像しない方が変。
従って「ケイティ・モーリス」や「ヴィオレッタ」(同じく空想上の友人)を作り上げていた公算は高い。
今のところ、ニコさんについて分かっているのは
・「みゆきとはどこかで会ったことがあるようだが…?」(公式サイトのキャラ紹介より)
・声優が林原めぐみさん
林原さんと言えば、私らの世代からすれば避けて通れないと言うか、いやもう説明不要でしょという大ヒロインのお方。
その林原さんが担当で「どこかで会ったことがあるような」と来たら、「過去の友人」である可能性は高そう。
要は、星空さんが(逃避として)憧れていたメルヘンや空想上の友人の象徴がニコさん。
何らかの事情で、疑似メルヘン王国に遊びに行った一行が、メルヘンから卒業するお話なのかと。
そしてアンが現実の友人であるダイアナやフィリパと出会い、ケイティと別れたように、星空さんがニコさんに別れを告げるとかかな。
(ケイティは自己の分身でもあるので、表面的には闇夢さんの立ち位置に似そう。なので、「闇夢の焼き直しだ」と批判を受けることも、ついでに予想)
この手の予想を当てた試しがないですが、ハンドルネームが「赤毛のアン」由来の身としては、そちら方面の話題をスルーするのも勿体なかったので。
当たってたら28夢原ください。
【蛇足】
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」(映画題「ネバーエンディングストーリー」)も、「メルヘンからの卒業」がテーマ。
本が大好きなバスチアン少年が、空想世界・ファンタージェンにトリップして大冒険するものの、実はファンタージェンは堕落の世界と判明、現実世界に戻るために四苦八苦するお話。
「想像力は大事だけど、そればっかりだと人生詰むよ」というなかなかにありがたいシナリオです。
これも「卒業した後、次の世代に渡す」要素があった気がする。
「スマイル」さんがこのお話をベースにしてたら、なかなか怖いです。
不思議世界を維持するために、娘さんはプリキュアに任命される。
プリキュアとして戦うことは楽しいけれど、いつまでも続けていると社会復帰できなくなり、壊れてしまう。
そこから抜け出すには、莫大な労力が必要etc。
「はてしない物語」では、「条件を満たせば願いが叶う」力を与えられた少年が、「女王様に会う」ことを望んで旅することがキーになります。
が、実はどんなに条件を揃えても、「女王に会う」願いだけは叶わないように設定されている。
かくして叶わない願いを叶えるために、そうとは知らないままコストばかり支払わされていく。
そこまでストレートな展開にはならないとしても、「デコルを集めても女王様は復活しない」とかは、案外あってもおかしくない気はする。
【蛇足2】
「赤毛のアン」は第1巻ばかりが有名ですが、私的には1巻はプロローグみたいなもので、真骨頂は2巻以降だと思うのですよ。
空想と幻想に守られた少女時代が終わり、それぞれの理想を指針に現実に挑むかつての「腹心の友たち」。
アン(当時の「先進的な女性」である「教師をしつつ結婚」)、ダイアナ(当時の「一般的な古い女性」である「家庭重視」)、ジェーン(まずは金。資産家を口説いて結婚)、ルビー(恋愛至上主義)。
結果からいえば、何か一人だけ脱落したりもするんですけど、そういうとこも含めて楽しいです。
田舎村の「頼れる親友たち」の持つ全ての長所を、たった一人で軽く凌駕する天才・フィリパの登場とか、妙に「ああ、あるなぁ」と思います。
「友人」に限ったことではなく、子供時代の「憧れ」が、実は狭い世界の話だったと知ることはままある。
が、だからといってそれらは価値がないのでない。
「アン」の最終巻では、第一次世界大戦が勃発します。
もはや想像力で解決できる状況ではない。とはいえ、想像力をなくしたらそれこそやっていけない。
最近読んでないので詳細は忘れつつありますけど、現実が厳しい今、改めて読んだらまた色々と違った発見がありそうだなぁ。
大前提として、プリキュアさんの映画はテレビ本編のリメイク風味になってます。
その年1年にやってたことが、映画にはぎゅっと詰まってる。
今年のテーマの大筋は「メルヘンは怠惰なのか」という所にかかっていそうなので、映画もそれに準じたお話になることが予想されます。
ジョーカー(やバッドエンド王国)がピーターパン(およびネバーランド)であり、星空さんがウェンディというのは、結構しっくりきます。
「ピーターパンとウェンディ」は、「ネバーランドに移住して、ずっと幸せに暮らしました」という話ではなく、「ネバーランドに遊びに行ったが、そこから卒業して現実に戻る。そして次の世代がまた遊びに行く」話。
「ピーターパン」以外で、劇中で星空さんが言及した「赤毛のアン」も同様の構造です。
かつて空想世界を楽しんでいたアンは、やがてそこから卒業し、娘のリラたちを見守る側に回る。
アンは想像力豊かな娘さんだけど、想像力で現実を変えていくような、そんなお話ではありません。
むしろ「想像と現実は違う」ことのネタふりとして、アンの空想は描写されることが多い。
かといって「だから想像がダメ」というのでもない。
手放しで無条件に称賛したり美化したりはしないけど、夢見ることは大事だし、辛い現実を明るくしてくれる。
この辺の絶妙のバランスが「赤毛のアン」の魅力だと思ってます。
といった流れで、ニコさんの正体はケイティ・モーリスだと予想してみる。
ケイティはアン・シャーリーの幼少時代の空想上のお友達。
辛い生活を送っていたアンは、戸棚のガラスに映った自分の影を、理想の友人「ケイティ」に見立てます。
ガラスに向かって話しかける姿は異常以外の何物でもありませんが、そのおかげでアンは孤独な日々をどうにか乗り切りました。
星空さんが転校前にどんな生活をしていたかは、はっきりとした描写はありません。
が、あんまり楽しい毎日ではなかったと思われます。
というのも、第7話の「星空さんが昔使っていた秘密の場所」を訪れたエピソードで、「場所」に関する話題は出たのに、「誰と一緒にいたのか」は完全にスルーされている。
そもそも中学2年生にして、「現実は厳しい」と悟っておられるあたり、何かがあったとしか思えない。
勉強やスポーツで挫折感を持ってる様子はないのですし。
「赤毛のアン」を読んだ彼女が、理想の友に憧れたとしても不思議はありません。
むしろ「おばけの森」や「恋人の小径」を想像したのに、「腹心の友」を想像しない方が変。
従って「ケイティ・モーリス」や「ヴィオレッタ」(同じく空想上の友人)を作り上げていた公算は高い。
今のところ、ニコさんについて分かっているのは
・「みゆきとはどこかで会ったことがあるようだが…?」(公式サイトのキャラ紹介より)
・声優が林原めぐみさん
林原さんと言えば、私らの世代からすれば避けて通れないと言うか、いやもう説明不要でしょという大ヒロインのお方。
その林原さんが担当で「どこかで会ったことがあるような」と来たら、「過去の友人」である可能性は高そう。
要は、星空さんが(逃避として)憧れていたメルヘンや空想上の友人の象徴がニコさん。
何らかの事情で、疑似メルヘン王国に遊びに行った一行が、メルヘンから卒業するお話なのかと。
そしてアンが現実の友人であるダイアナやフィリパと出会い、ケイティと別れたように、星空さんがニコさんに別れを告げるとかかな。
(ケイティは自己の分身でもあるので、表面的には闇夢さんの立ち位置に似そう。なので、「闇夢の焼き直しだ」と批判を受けることも、ついでに予想)
この手の予想を当てた試しがないですが、ハンドルネームが「赤毛のアン」由来の身としては、そちら方面の話題をスルーするのも勿体なかったので。
当たってたら28夢原ください。
【蛇足】
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」(映画題「ネバーエンディングストーリー」)も、「メルヘンからの卒業」がテーマ。
本が大好きなバスチアン少年が、空想世界・ファンタージェンにトリップして大冒険するものの、実はファンタージェンは堕落の世界と判明、現実世界に戻るために四苦八苦するお話。
「想像力は大事だけど、そればっかりだと人生詰むよ」というなかなかにありがたいシナリオです。
これも「卒業した後、次の世代に渡す」要素があった気がする。
「スマイル」さんがこのお話をベースにしてたら、なかなか怖いです。
不思議世界を維持するために、娘さんはプリキュアに任命される。
プリキュアとして戦うことは楽しいけれど、いつまでも続けていると社会復帰できなくなり、壊れてしまう。
そこから抜け出すには、莫大な労力が必要etc。
「はてしない物語」では、「条件を満たせば願いが叶う」力を与えられた少年が、「女王様に会う」ことを望んで旅することがキーになります。
が、実はどんなに条件を揃えても、「女王に会う」願いだけは叶わないように設定されている。
かくして叶わない願いを叶えるために、そうとは知らないままコストばかり支払わされていく。
そこまでストレートな展開にはならないとしても、「デコルを集めても女王様は復活しない」とかは、案外あってもおかしくない気はする。
【蛇足2】
「赤毛のアン」は第1巻ばかりが有名ですが、私的には1巻はプロローグみたいなもので、真骨頂は2巻以降だと思うのですよ。
空想と幻想に守られた少女時代が終わり、それぞれの理想を指針に現実に挑むかつての「腹心の友たち」。
アン(当時の「先進的な女性」である「教師をしつつ結婚」)、ダイアナ(当時の「一般的な古い女性」である「家庭重視」)、ジェーン(まずは金。資産家を口説いて結婚)、ルビー(恋愛至上主義)。
結果からいえば、何か一人だけ脱落したりもするんですけど、そういうとこも含めて楽しいです。
田舎村の「頼れる親友たち」の持つ全ての長所を、たった一人で軽く凌駕する天才・フィリパの登場とか、妙に「ああ、あるなぁ」と思います。
「友人」に限ったことではなく、子供時代の「憧れ」が、実は狭い世界の話だったと知ることはままある。
が、だからといってそれらは価値がないのでない。
「アン」の最終巻では、第一次世界大戦が勃発します。
もはや想像力で解決できる状況ではない。とはいえ、想像力をなくしたらそれこそやっていけない。
最近読んでないので詳細は忘れつつありますけど、現実が厳しい今、改めて読んだらまた色々と違った発見がありそうだなぁ。