■(第48話)ひろがるスカイ!プリキュア「守れヒーロー!みんなの街!」感想
残り2話。
皆で力を合わせて戦って、カイゼリンさんも抑え込んで浄化し、ようやく会話ができるように。
ソラさんも嬉しそう。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第48話より)
とはいえ、画面のこちら側にいる視聴者的には大きな謎が二つ残ってる。
(1) ソラの言葉の真意が分からない
ソラさんは「やっとお話ができる」とおっしゃっている。何をお話して、それで何がどう解決するおつもりなんだろう?
カイゼリン視点では、エルレインが裏切って父親を殺したのは事実です。
お互いに持っている情報は全て出していますから、会話をしても疑いは晴れません。
ご丁寧なことに一番星さんは成仏なさっているので、エルレインに問いただすこともできない。
せめて悩みを吐き出せば楽になる…といった類のことでもないでしょう。
そもそもソラさん達は部外者です。エルちゃんはまだしも。
しかもこれまでの展開が、会話を重要視しているようには見えません。
むしろ会話の無意味さを描いているように思える。
例えば今回にしても、
・深く会話を交わしたわけでもないカバトンらが、自発的に助けに来てくれた
・バタフライは語らずに困難を引き受け、ウィングも言葉を交わさずにそれを察して自分の役目に注力した
・カイゼリンの心を折ったのは、スカイの言葉ではなく、バリア修復という現実
・会話しようとした隙を突かれて、カイゼリンが倒れた
等々、会話よりも行動などを重視している。
それにも関わらず、ソラさんは会話に拘っている。ここの説明がつかない。
次回語られる「最強の力」は、「F」やこれまでの描写を見るに「繋ぐ」(一人一人は弱くても、様々な個性を持つものがお互いに影響しあって自発的に立ち上がり、後に続くこと)かなと思うのですが、これも「会話」とは縁遠い。どう着地するんだろう?
(2) ツバサの役割が分からない
ソラ以上の主人公として位置づけられていた(20周年アニバーサリーブックでの対談インタビュー等より)彼ですが、行動と描写が不可解です。
今回だけを見ても、
・青の護衛隊に付与したキラキラエナジーは、ミノトン曰く鍛えれば得られるもの
・バリアが壊れたのでカバトンらは助けに来れた(バリアのせいで援軍が遅れた)
と、わざわざ言及させています。
どちらもテーマに関わる大きなポイントなので、重箱の隅をつつくような話ではないと思う。
前者は、ハグプリでいうところの全人類プリキュア化に通じます。
キラキラエナジー(≒プリキュア化)は、人から与えられるものではなく、自身の心意気でなるもの。
後者の「バリア」は比喩的には対話の拒絶ですから、ソラさんが拘る「会話しましょう」に反している。
実際、カイゼリンが対話すべきはスカイランド国王や国民であってソラたちではなく(マジェスティはまだしも)、バリアで断絶させるのは矛盾している。
元々怪しかったこれらに、しっかり言及して案の定ネガティブに扱っている。
この種の「わざわざネガティブに否定する」ことが、これまでにも何度もありました。
・飛べない竜族を道具を使って空を飛ばした後、(ツバサくんが果たせなかった)自力飛行をさせる
・エルちゃんのナイトを自称しているのに、扱いが雑(クルニクルン登場時の「そんなこと」発言や、成長した姿に納得しなかった等々)
どれもこれも避けようと思えば簡単にできます。
「バリアが壊れたから」ではなく、「様子を見てたらヤバそうだったから」などで何の問題もない。
更には今回の夢への語り。
ツバサくんが空を飛びたいと思ったのは、転落した自分を助けるために父鳥が決死で飛んだことです。
「飛ぶこと」そのものではなく、「子を助ける姿」に憧れたんだ…が私の理解。
この文脈なら「エルちゃんを守るナイト」「民衆を守る賢者」は、表面的な実現手段が違うだけで根底は一貫しています。
ソラさんが語った「ヒーローは泣いている子供を見捨てない」とも合致し、本作のモチーフ「ヒーロー」とも整合します。
子供番組である「プリキュア」的にも、「子供を守る」という動機は伏せる理由がない。
しかしどういうわけか、「飛びたかったのは父の姿に憧れたから」「その想いは今も一貫している」といった説明は、本編中でしていません。
それどころか、「一貫している」ことより「夢が変わる」ことを強調して説明している。
もちろん「夢は変わっていいんだよ」もテーマとしてはありえるのですが、だったらもっと全然違う夢を設定した方が分かりやすい(ハグプリの薬師寺さんの、役者→医者のような)。
それに「変わる」を重視するなら、ナイトを捨ててないと半端に見える。その機会(結婚式回)も、動機(10代に成長するエルちゃんの世話を男子がするのは不穏)もあったのに、エルちゃんの傍を離れるでもない。
率直に言ってお手上げなんですが、それでも無理に解釈すると、今の私の理解ではこういうのしか出てこない。
仮説『ツバサは未熟な半端者として描かれている。但し、未熟ではあっても悪いことではなく、子供の成長を温かく見守ろうというメッセージ』
例えば幼稚園児が棒を振り回しながら「僕はヒーローだ!ママを守るんだ!」とはしゃいでいたとして。
「お前はヒーローの肩書に酔ってるだけ。馬鹿なガキだ」と責めはしないはずです。
いずれ「ヒーロー」が何か、求められている「助け」が何なのかを学ぶだろうと、微笑ましく見守ると思います。
ツバサくんにはこの役割が与えられている…のかもしれない。そういえばソラさんの弟も似た感じです。
この解釈なら、ツバサくんの行動が一々否定されることや、ナイトや賢者といった形式ばった肩書の説明もつきます。彼は舞い上がってゴッコ遊びに興じている。
あげはさんの「少年」呼びとも整合してしまう。
ついでに言うなら、男子プリキュアの意味も見いだせてくる。
「男子プリキュアの歴史は浅いので、女子プリキュアと違いまだまだ未熟者であることを表現した」とか「(ある意味コケにされる役割なので)男子に割り当てた方が無難」とか。
※「F」のシュプリームにも通じる。
「プリキュア」を名乗ってはいるものの、シュプリームは本質を理解せず、表面を真似ているだけ。
ウィングも同様で、今回の話で「世界を守る」に言及し、ようやくプリキュアになった。とか。
あるいは「キュアを冠してはいるが、シュプリームと同様にプリキュアではない」ともとれる。さすがにこれを大真面目に主張する気はないし、自分でも賛同はしませんが。
自分で書いておいてなんですが、この一連の解釈は個人的には不快なので外れてて欲しい。
もうちょっと言葉を選べば、「的外れの背伸びをする少年」と「間違いを知りつつも優しく見守るお姉さん」という王道といえば王道のフォーマットになりそうには思うものの、あんまり深入りはしたくない。
残り2話。
皆で力を合わせて戦って、カイゼリンさんも抑え込んで浄化し、ようやく会話ができるように。
ソラさんも嬉しそう。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第48話より)
とはいえ、画面のこちら側にいる視聴者的には大きな謎が二つ残ってる。
(1) ソラの言葉の真意が分からない
ソラさんは「やっとお話ができる」とおっしゃっている。何をお話して、それで何がどう解決するおつもりなんだろう?
カイゼリン視点では、エルレインが裏切って父親を殺したのは事実です。
お互いに持っている情報は全て出していますから、会話をしても疑いは晴れません。
ご丁寧なことに一番星さんは成仏なさっているので、エルレインに問いただすこともできない。
せめて悩みを吐き出せば楽になる…といった類のことでもないでしょう。
そもそもソラさん達は部外者です。エルちゃんはまだしも。
しかもこれまでの展開が、会話を重要視しているようには見えません。
むしろ会話の無意味さを描いているように思える。
例えば今回にしても、
・深く会話を交わしたわけでもないカバトンらが、自発的に助けに来てくれた
・バタフライは語らずに困難を引き受け、ウィングも言葉を交わさずにそれを察して自分の役目に注力した
・カイゼリンの心を折ったのは、スカイの言葉ではなく、バリア修復という現実
・会話しようとした隙を突かれて、カイゼリンが倒れた
等々、会話よりも行動などを重視している。
それにも関わらず、ソラさんは会話に拘っている。ここの説明がつかない。
次回語られる「最強の力」は、「F」やこれまでの描写を見るに「繋ぐ」(一人一人は弱くても、様々な個性を持つものがお互いに影響しあって自発的に立ち上がり、後に続くこと)かなと思うのですが、これも「会話」とは縁遠い。どう着地するんだろう?
(2) ツバサの役割が分からない
ソラ以上の主人公として位置づけられていた(20周年アニバーサリーブックでの対談インタビュー等より)彼ですが、行動と描写が不可解です。
今回だけを見ても、
・青の護衛隊に付与したキラキラエナジーは、ミノトン曰く鍛えれば得られるもの
・バリアが壊れたのでカバトンらは助けに来れた(バリアのせいで援軍が遅れた)
と、わざわざ言及させています。
どちらもテーマに関わる大きなポイントなので、重箱の隅をつつくような話ではないと思う。
前者は、ハグプリでいうところの全人類プリキュア化に通じます。
キラキラエナジー(≒プリキュア化)は、人から与えられるものではなく、自身の心意気でなるもの。
後者の「バリア」は比喩的には対話の拒絶ですから、ソラさんが拘る「会話しましょう」に反している。
実際、カイゼリンが対話すべきはスカイランド国王や国民であってソラたちではなく(マジェスティはまだしも)、バリアで断絶させるのは矛盾している。
元々怪しかったこれらに、しっかり言及して案の定ネガティブに扱っている。
この種の「わざわざネガティブに否定する」ことが、これまでにも何度もありました。
・飛べない竜族を道具を使って空を飛ばした後、(ツバサくんが果たせなかった)自力飛行をさせる
・エルちゃんのナイトを自称しているのに、扱いが雑(クルニクルン登場時の「そんなこと」発言や、成長した姿に納得しなかった等々)
どれもこれも避けようと思えば簡単にできます。
「バリアが壊れたから」ではなく、「様子を見てたらヤバそうだったから」などで何の問題もない。
更には今回の夢への語り。
ツバサくんが空を飛びたいと思ったのは、転落した自分を助けるために父鳥が決死で飛んだことです。
「飛ぶこと」そのものではなく、「子を助ける姿」に憧れたんだ…が私の理解。
この文脈なら「エルちゃんを守るナイト」「民衆を守る賢者」は、表面的な実現手段が違うだけで根底は一貫しています。
ソラさんが語った「ヒーローは泣いている子供を見捨てない」とも合致し、本作のモチーフ「ヒーロー」とも整合します。
子供番組である「プリキュア」的にも、「子供を守る」という動機は伏せる理由がない。
しかしどういうわけか、「飛びたかったのは父の姿に憧れたから」「その想いは今も一貫している」といった説明は、本編中でしていません。
それどころか、「一貫している」ことより「夢が変わる」ことを強調して説明している。
もちろん「夢は変わっていいんだよ」もテーマとしてはありえるのですが、だったらもっと全然違う夢を設定した方が分かりやすい(ハグプリの薬師寺さんの、役者→医者のような)。
それに「変わる」を重視するなら、ナイトを捨ててないと半端に見える。その機会(結婚式回)も、動機(10代に成長するエルちゃんの世話を男子がするのは不穏)もあったのに、エルちゃんの傍を離れるでもない。
率直に言ってお手上げなんですが、それでも無理に解釈すると、今の私の理解ではこういうのしか出てこない。
仮説『ツバサは未熟な半端者として描かれている。但し、未熟ではあっても悪いことではなく、子供の成長を温かく見守ろうというメッセージ』
例えば幼稚園児が棒を振り回しながら「僕はヒーローだ!ママを守るんだ!」とはしゃいでいたとして。
「お前はヒーローの肩書に酔ってるだけ。馬鹿なガキだ」と責めはしないはずです。
いずれ「ヒーロー」が何か、求められている「助け」が何なのかを学ぶだろうと、微笑ましく見守ると思います。
ツバサくんにはこの役割が与えられている…のかもしれない。そういえばソラさんの弟も似た感じです。
この解釈なら、ツバサくんの行動が一々否定されることや、ナイトや賢者といった形式ばった肩書の説明もつきます。彼は舞い上がってゴッコ遊びに興じている。
あげはさんの「少年」呼びとも整合してしまう。
ついでに言うなら、男子プリキュアの意味も見いだせてくる。
「男子プリキュアの歴史は浅いので、女子プリキュアと違いまだまだ未熟者であることを表現した」とか「(ある意味コケにされる役割なので)男子に割り当てた方が無難」とか。
※「F」のシュプリームにも通じる。
「プリキュア」を名乗ってはいるものの、シュプリームは本質を理解せず、表面を真似ているだけ。
ウィングも同様で、今回の話で「世界を守る」に言及し、ようやくプリキュアになった。とか。
あるいは「キュアを冠してはいるが、シュプリームと同様にプリキュアではない」ともとれる。さすがにこれを大真面目に主張する気はないし、自分でも賛同はしませんが。
自分で書いておいてなんですが、この一連の解釈は個人的には不快なので外れてて欲しい。
もうちょっと言葉を選べば、「的外れの背伸びをする少年」と「間違いを知りつつも優しく見守るお姉さん」という王道といえば王道のフォーマットになりそうには思うものの、あんまり深入りはしたくない。
対話はカバトンとの決着直前や、カイゼリンとエルレインが戦いをやめるきっかけを作ったものではあるので無駄とは限らない。言葉を交わさず通じ合える関係になる前に言葉は必要に思える
ソラは「何が大事なのか=どう生きていくのか」を話したがっているがそこはよくわからない この状況でスキアヘッドが大半を握っているであろうというのがなんとも
護衛隊やカバミノはプリキュア化ではなくキラキラエナジーが使えるだけなので、「プリキュア=浄化できる存在」以外の意義を持たせたがっているように思う
鍛えたら光ったを意図的にスルーしてるので、助太刀させる為以上の深掘りはなさそうな気もするが。浄化されたことがキッカケという程度の認識か、単に「力は使いよう」という話か
ツバサは主人公っぽいというか、エルやあげはとの関係性で考えた時主人公はツバサ側(ソラましろは両者均等)という印象
「夢が広がる」という表現をしてるので、全く無関係のものに変わると言うよりツリー状の繋がりの意識を持っていそう
ヒーローは完成しない(成長し続けるもの)というのもやってるし、ソラは未熟を肯定もしてるので合ってそうだけど、明確に王に認められてるって所からしてもツバサの行動が特別否定されがちにも思えないような
ソラも含め皆未熟であるという感じ。あげはさんの「少年」呼びもその一環かと思ったけれど、ましろさんはよくわからない 精神的支柱という意味ではあげはさん以上として描かれているのかも
カイザーには再三の説得は全く響かず、変えたのはカイゼリンが身を挺したことです。
ハグプリのラストでプリキュアになれない人が明示されたら異質かと思います。キラキラエナジーの描写はこれと同じですから、些細なことには見えません。
ツバサが主人公らしいことは公式が明示していますから、描写には意図があると思いたいです。
「夢が広がる」の言葉からは一貫性を想像はできるものの、起点や何が軸に広がったのかが語られていないので、「やりたいことが増えたので手広くやりました」「1人で満足してたけど外に出て人に認められたくなった」のようなニュアンスにも取れてしまいます。現に「夢がコロコロ変わるやつ」として批判的にも見られています。
肝心要の説明を避けていることが、疑問の発端です。
「未熟からの成長」とも相性が悪いです。子を守るために飛んだ父親は、賢者の息子より未熟かといえば、そうではないはずです。いわば「専業主婦は未熟、社長や大臣は立派」にも繋がりますから、子供番組たるプリキュアとしては譲れない部分のはず。
「否定」とは「劇中人物が否定的に見ている」の意味ではなく、描写として否定されているかです。
ただ国王からの評価については、適当な肩書を与えておだてておこうといった思惑は感じます(愛娘のナイトから引き剥がしたい、といった人間的な打算も含めて)
一連の疑問は、「制作陣は何も考なかった」「ただの描写ミス」もありえそうなのが、またきついです
プリキュアがキラキラエナジーを生み出せる訳でなく浄化時やスカイジュエルから発生するものであることからしても、何か別物に思える スカイトーンから出てるとかですらない
hugと繋げて考えるならわざわざhugと同じことをする意味もあまり無いように思えるし、プリキュアではなくヒーロー目指してるのでプリキュア自体意味がないとするのは極端すぎるか
21話でのヨヨの台詞からして「それまで育てたもの」を重視してるので「全然違う夢を追う」はテーマとしてあり得ない 21話では知識の話だったが想いであっても同じこと
割とキャラ目線(というか、一市民目線)に拘って描いてしまっているので、最後の最後まで想像の域は出ない部分は多いかも ツバサが自覚していない少年なのであれば我々も知る術がない、というような感じで
ツバサが主人公らしいという一部メディアでの発言以前に、ひろプリ主人公がソラであることは間違いない
「ツバサを主人公のつもりで描いている」のであれば、公式はそれ以上に触れ回っている「ソラが主人公だ」という嘘を撤回してほしい所
キラキラエナジー
→追い詰められた青の護衛隊が発揮する、ヨヨさんが開発して渡す等
夢
→それまで育てたこととの一貫性を掲げたいなら「子供を守るのが原点」等を述べる等
大筋を変えることなく、簡単に分かりやすくできます。
それをしないからには何らかの意図があるはずだ、との前提で書きました。
敵の情報を隠して終盤に混乱させるのも意図的にやっていますし(ある意味ワザと批判されに行ってることになる?)
夢に関しては、「正しい在り方」として直接的に述べると他方の否定になってしまう可能性があり 過程を見せてテーマは考えさせるようにしたとも取れる
それとあげはやソラの主張と印象が被るのを避けたかったとか
あえて男として古く見るなら「言葉(周囲とのコミュニケーション)より行動(仕事)」もある 最初ソラ達に夢を語りたがらなかったのも関係あり
まぁ、最終回辺りにポッと一言でまとめる可能性もなくはないですが
エナジーはメタ(制作都合)的に見れば、カバミノと違い護衛隊は最初から味方なのだから急に浄化できるようになる理由付けが必要
作中設定的に見ればキラキラエナジーは浄化したアンダーグエナジーから発生するとも説明されており、2人はアンダーグエナジーを纏った時直接浄化されているから使えるように(キラキラエナジーを纏えるように)なった
テーマ的にはアンダーグエナジーでの治癒やバリアも含め「力自体の善悪や(強さ、借り物かどうか、等の)貴賤ではなく、何に使うかの意識が大事」か 力が全てではないなら何を信じれば良いのか
テーマソングで言ってることにも繋がりそう
・それをやりたいなら、もっと簡単な表現がある
・伏せるだけならまだしも、ミスリードを図るのは不自然
などが引っかかっています。
描写と解釈が一致しないならば、素直に受け止めると、
・こちらの理解が間違っていて、逆をやりたがっている
・制作陣の手抜きやミス
のどちらかで、後者はないと信じるなら前者を疑うしかなく、今回の記事に至っています
後、男プリキュアを描いてほしいと言った人と描いている人は厳密には別であるのでそこも少しややこしい
じゃあ何を描けばいいのかってなる時に「ツバサという人間(鳥)はこう」で極力“自然体”を描こうとする他ないと思うんですけど、最近はそれを「こう描かなきゃおかしい・正義ではない」と制限されてるような感じがあってしんどそう で色々と誤魔化し逃げることになる(それも含めてツバサの自然体として基礎付けられてはいるが)
あげはさんの少年呼びなんかも本人達の関係を無視して「正義」から叩かれるし
人との関係なんて、一般論とかじゃなく自分達なりの正しさを積み重ねていくしかないのに
例えば「あだ名はいじめに繋がるから禁止」みたいな、わからんでもないけど狭苦しい理論に押しつぶされそうな感じ
ひろプリは「多様性は当たり前だから描かない」と構成の人が言ってたけど、あえて描いていると仮定するなら「多様性とは論ではなくそれぞれの自然体の事」だと思うんですよね
テーマには勿論ある程度沿うけど、作品(キャラ)作りの根本は自然体であるって感じ なので「自然に世界を描こうとしたら自然にこうなった」もあるかなと
とはいえ色々と誤魔化しつつそれをやってるので、ある意味中途半端に見えたりとか 自然体を言い訳にしてるように見えてしまう、とか
人を見てどう捉えるかは捉える人次第というか
恐らく「(理想では誰も傷つけたくないから)話がしたいと思った」ソラがこれから出す答えもあくまでソラの答えであり絶対の正解ではないだろうけど、ソラなりの成長を感じるものであれば良いのかな
そういえば対話はツバサが持ち出した方法だったが、8話「相手の事情を知らないで攻撃してしまい、その後話し合ってから和解」を意識したりしてるんだろうか 結構構図が似てるような気もする
普通に考えたら言葉も行動もどっちも大事、って話ではある どちらも「別ベクトルの力」でもあるし片方に頼るのは勿体無い
ひろプリはあんま言葉に頼れてない感じもあるけど
特に序盤ソラはよく強い言葉を使ってしまってたし、ツバサとあげはの関係や23話の手紙辺りも結果的に上手くいったが全く安全が保障された橋ではない 絵本も最初エルちゃんに伝わってたかどうかはわからなかったし…赤ちゃんを中心に据えてたこと考えてもやっぱり会話が不必要ってのは、どうなんだろう
主が言われていたアンダーグとの和平の話もそうですね
まあ、なので行動で補強してあげないと、という話になるのでしょうかね 言葉は電気で行動は電線みたいな
女子で考えると分かりやすくて、「女の子なのに戦うの!?」と露骨に繰り返さなくても、「女の子だって暴れたい」を表現できていますよね
自然体についても、「何が自然体なのか」を公式側は自由に設定できますから、「なぜ自然体をそれにしたのか」「表現したいのがこれなら、もっと誤解を招かないやり方があるのに」となります。テーマに沿った自然体のキャラクターにすれば良いんですから。
作中で出してる範囲としては、「女の子なのに暴れたいの?」→「別に暴れたくない、敵はとっとと帰ってほしい」が自然体と描かれている
製作者は暴れさせたいけど、作中の女の子は暴れたいと思ってない でも子供から見たらカッコいい(なぜなら自然体だから)
なので自然体であることがテーマ以上(というか、テーマ以前)に何よりも重要と考えているのかなと 「普通」と言い換えた方が分かりやすいですかね
大人はテーマを対比させるとか色々考えるけど、アニメの根源は憧れであると思うので
作中の子は元々はプリキュアなんて知らないし、なんか知らないけど成り行きでなってるだけ、その上でただ生きているだけ それが何より大事なことです
ファンタジー要素もあるとはいえ「幼い頃“空を飛ぶ”ようなスーパーマン(ないし、いつかの父)に憧れ勉強した」「色々旅してその頃とは違うけど憧れてたのは変わらない。勉強は無駄になってない、今は現実の夢(“街を守る”)に向かって頑張ってる」そんな普通の男の子の思考上の憧れラインであることが前提条件
ひろのメンバーは、リアリティのクオリティも年齢と共に上がっていってるので尚更そう感じられる
「どこにでも居そうな」は子供向けアニメの主人公の才でもある のび太が普通の男の子だからこそ、ドラえもんが自分の近くにもいる気がするような
「普通の」ってのはある種偏見でもあるけど、子供にとっての憧れを描く上で大事なポイントであるのは間違いない
ちょっと真面目すぎる気もしますけどね
あくまで製作者はこう考えてるんじゃないかな、という所感です。