機会があったら書こうと思ってたことを見かけたので。
●女の子よ銃を取れ 第12回 もう若くはない女の子 Miss Forever Teenager
これ、物凄く頭の悪い反論方法だと思う。
確かに辞書には「女子=女性一般」の意味が載っています。
しかし「辞書には別の意味も載っているから正しい」なんて理屈は成り立ちません。
実際にその意味で使ってなければ、全く関係がないのだから。
例えば「女子トイレ」や「女子サッカー」を、「婦人トイレ」「女性サッカー」と置き換えても意味は変わりません。
ですが「女子会」を、「婦人会」や「女性会」と言いかえると、ニュアンスが大きく変わります。
というかニュアンスが違うからこそ、わざわざ新語として「女子会」と言いだしたのですしね。
また論法としての欠点は、この言い分は相手も全く同じように使えてしまうところ。
使用されている文脈を考慮せずに「辞書に載っているから」を拠り所にしてしまったら、相手の「辞書に『少女』とあるのだからおかしい」を認めなければ矛盾してしまいます。
もちろん認めたら認めたで矛盾が発生するので、前提となる「辞書に載っているから」が不適切であることが明白になります。
よって「女子には女性の意味もあるから」は、全くもって見当違いの頭の悪い論法だと思う。
この手の「一見関係ありそうで、実際には全く関係ないことを、相手の誤りとして反論してしまう」「実は相手も全く同じ反撃法が使えてしまう」のは、結構やりがちなミスじゃなかろうか。
【補足】
比較として「日本男児」を挙げる例を見たことがあるので補足。
「日本男児」も成人男性に対しても使われます。
これを以て、「だから女子会もおかしくない」との弁も見ますが、上述の通りそもそもの成り立ちが違いますので比較になってません。
また仮に「男児=少年」の意味で使っているのだとしても、「日本という親の子供(まだ未熟な自分)」という謙遜の意が含まれてるだけに思われます。
これを受けて、同じように「女子会」や「30代女子」も、「何かに対する未熟な子供」の意で使っているのだと言い張ることも出来そうには思いますが、「女性」より「女子」にプラスイメージがあるからこそ、わざわざこれらの語が出来たことを思うと、ちょっと苦しいかなぁと。
【蛇足】
せっかくなので引用元の本文にもちょっとだけ。
筆者は「女性は」の主語で長々と書かれていますが、単に「価値基準を他人からの評価に頼っているから」というだけに思われます。
そういった人たちが、加齢や周辺環境の変化によってアイデンティティの危機に晒されるのは必然であって、男性なのか女性なのかは、ほとんど関係ないと思う。
(傾向として、異性からの評価を価値基準に置いている人が、女性に多いのかもしれませんが)
●女の子よ銃を取れ 第12回 もう若くはない女の子 Miss Forever Teenager
[引用] 「女子」という言葉があります。いつの間にか、「女子会」や「○○女子」など、さまざまな場面で気軽に使われるようになった言葉です。この「女子」という言葉が流行り始めてから、ずっと言われていることがあります。 「何歳まで、『女子』とか言ってるつもり?」 「大の大人が『女子』なんて、図々しいし見苦しい」 実は「女子」という言葉は、辞書にもある通り、少女のみを指す言葉ではなく、女性一般を指す言葉でもあります。ですから、このような非難はそもそも的外れだと言えます。 [引用終] |
これ、物凄く頭の悪い反論方法だと思う。
確かに辞書には「女子=女性一般」の意味が載っています。
しかし「辞書には別の意味も載っているから正しい」なんて理屈は成り立ちません。
実際にその意味で使ってなければ、全く関係がないのだから。
例えば「女子トイレ」や「女子サッカー」を、「婦人トイレ」「女性サッカー」と置き換えても意味は変わりません。
ですが「女子会」を、「婦人会」や「女性会」と言いかえると、ニュアンスが大きく変わります。
というかニュアンスが違うからこそ、わざわざ新語として「女子会」と言いだしたのですしね。
また論法としての欠点は、この言い分は相手も全く同じように使えてしまうところ。
使用されている文脈を考慮せずに「辞書に載っているから」を拠り所にしてしまったら、相手の「辞書に『少女』とあるのだからおかしい」を認めなければ矛盾してしまいます。
もちろん認めたら認めたで矛盾が発生するので、前提となる「辞書に載っているから」が不適切であることが明白になります。
よって「女子には女性の意味もあるから」は、全くもって見当違いの頭の悪い論法だと思う。
この手の「一見関係ありそうで、実際には全く関係ないことを、相手の誤りとして反論してしまう」「実は相手も全く同じ反撃法が使えてしまう」のは、結構やりがちなミスじゃなかろうか。
【補足】
比較として「日本男児」を挙げる例を見たことがあるので補足。
「日本男児」も成人男性に対しても使われます。
これを以て、「だから女子会もおかしくない」との弁も見ますが、上述の通りそもそもの成り立ちが違いますので比較になってません。
また仮に「男児=少年」の意味で使っているのだとしても、「日本という親の子供(まだ未熟な自分)」という謙遜の意が含まれてるだけに思われます。
これを受けて、同じように「女子会」や「30代女子」も、「何かに対する未熟な子供」の意で使っているのだと言い張ることも出来そうには思いますが、「女性」より「女子」にプラスイメージがあるからこそ、わざわざこれらの語が出来たことを思うと、ちょっと苦しいかなぁと。
【蛇足】
せっかくなので引用元の本文にもちょっとだけ。
筆者は「女性は」の主語で長々と書かれていますが、単に「価値基準を他人からの評価に頼っているから」というだけに思われます。
そういった人たちが、加齢や周辺環境の変化によってアイデンティティの危機に晒されるのは必然であって、男性なのか女性なのかは、ほとんど関係ないと思う。
(傾向として、異性からの評価を価値基準に置いている人が、女性に多いのかもしれませんが)