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感想:映画 プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち(3周目)

2012年04月12日 | プリキュア映画シリーズ
せっかくなので、最後にもう1回くらい感想。

■映画 プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち(3周目)

何度見ても、プリキュアさんが駆け付けてくるOPシーンは泣けます。
前にも書いたように、すこぶるに格好いい。
この9年間、プリキュアさんを見続けて良かったと、本当に思った。

と、同時に、とんでもなく悲しくもなった。
前回は書けなかったので、今回はそちら方面のことを書いてみる。

あのシーン、私達視点では、プリキュアさんを地上から見上げている。
伝説の戦士たる彼女達の正体は分からないものの、助けが来たことは分かるので、とにかく応援する。
頑張れプリキュアさん!頑張れ…!

…でも、結局は応援してるだけ。

最近仕事をしていて、とても疑問に思うことがあります。
お偉いさんはよく、著名なビジネス書や業界人の名言を引き合いに出し、「かくあるべきだ」論を唱えてくる。
でもその度に不思議です。

 「その立派な思想には誰も反対しない」
 「貴方もそれが大事だと認識している」
 「では、どうして実践しないのか?」

「嵐の伝説」という漫画の中で、こんな一節が出てきます。

 「あの不良は、どうしてカツアゲした金で、(仁義溢れる)ヤンキー漫画を買えるんだろう?」

言ってることとやってることが違う。意味が分からない。

例えば、熱血サラリーマン漫画を読んだ翌日、「面倒くせーな」とボヤきながら仕事をしたり。
古き良きノスタルジー映画を見た次の日、レトロな不便さに文句を言ったり。
悪に立ち向かうヒーロー番組に感動してるのに、不正や横暴に下を向いたり。

どう考えてもおかしい。
現実には実行できないからこそ、フィクションで代替している面は確かにある。その言いわけはできる。
でも疑問は沸きます。

 『私達はプリキュアになれないのか?』

ミラクルライトを振って、プリキュアさんを応援するのは結構。
プリキュアさんだって、それが力になってる。
でも「感動したね~」「凄いね~」と言ってる私ら自身はどうなのか?

ちょうど「MaxHeart」が再放送をやってますけど、今見るとそれなりに粗が目立ちます。
もちろん「つまらない」という意味でも、今の「スマイル」の方が優れてると言いたいわけでもないです。
10年近く前のことなのだから、商品レベルに差があるのは当然のこと。

EDの3D技術を初め、毎回毎回プリキュアさんには驚かされます。
進化のスピードが凄まじい。
でも振り返ってみれば、じゃあ自分は同じ期間にどれだけの成長をしたのか。

思えばプリキュアさんが始まって約10年ですよ。
初代を見ていた幼稚園児が、プリキュア適齢期になるほどの時間です。
そんな長い間、では自分は何をしていて、どう成長したのか。

「プリキュア」シリーズは、根底のテーマに「変化」があると思う。
基本的に「永遠不変」よりも、「世代交代」や「過去からの変化」を肯定してる。
(故にたまに出てくる「永遠」ワードは熱い)

で、変化を肯定しようとすると、当然出てくる疑問がある。

「どうして変わらないといけないのか?」

変わるにはエネルギーがいるし、ずっと同じことをしてても楽しいじゃないか。
それなのに、どうして苦労して変わろうとするのか。
劇中で色んな形で回答がされてるけど、一番好きなのは「鏡の国」のレモネの言葉。



レモネ:
 「私、そろそろ失礼します。ドリームが呼んでいますから」

「どうして苦労してまで夢を叶えようとするのか」という闇檸檬に対するこの返答。
「そんなことすら分からない人の相手をしている暇は無い」。
だって夢が呼んでいる。くだらないことを言ってる人たちの相手をしてやる義理はない。

問答無用です。ぐうの音も出ない。

「プリキュア」さんは毎年毎年、物凄い勢いで成長して変化していく。
変化が早すぎて、もはや完全に置いていかれてる感がする。
じゃあそこで「別に変わる必要なんてないよ」と言えるかというと…。

クラスメイトに話しかける勇気が持てず、後ろ向きな逃避をしてしまう坂上さんの姿は、見ていて非常につらい。
確かに、ミラクルライトを振って応援するのは楽しいし、それで多分、プリキュアさんは敵を倒してくれる。
でもそれでいいのか?

「二次元の世界に行きたい」的なネタはたまに見ます。
だけどいざ二次元に行ったところで、多分、憧れているような展開にはならない。
何せ今この現実を見る限り、プリキュアさん側どころか、むしろナイトメアや砂漠の使徒側ですよ。

だから坂上さんの台詞は、とても胸に突き刺さる。

坂上さん:
 「どうしよう。私、プリキュアの敵になっちゃった」

どうしてこうなった。
プリキュアさんのことが好きで、プリキュアさんに憧れてるのに、どうして敵になってんだ。
全くもって分からない。だけど、現実に、自分がプリキュア側の生活を送れているとは、到底思えない。

冒頭のシーンは、そんなことが去来して、むちゃくちゃに胸が締め付けられます。
私はプリキュアさんを応援したいわけでも、仲良しのお友達になりたいのでもないんです。
一緒に!あのゴンドラの上に並んで!「絶対に諦めない」とか叫びながら共に戦いたいんですよ!

プリキュアさんの「普段は愉快な娘さんだけど、いざとなったら決めるときは決める」姿は、おそらく多くの人が思い描く「格好いい社会人」と同じだろうと思います。
文字通りプリキュアにはなれないだろうし(なってどうする)、プリキュア関連の仕事をしたいわけでもない。
そういった表面的なことではなく、自分自身の仕事や領分において、ああいう姿勢で戦えていないことが、どうにももどかしい。

「仕事なんて所詮はそんなものだ」「現実とフィクションは違う」と嘯くことはできる。
でも、あの素晴らしい「プリキュア」シリーズを作っている人たちは、現実に存在している。
いちごをもしゃもしゃ食べながら、夜を徹して「プリキュア」さんを作りあげている人たちが、いるわけですよ。

自分自身が「プリキュア」さんに感動しているだけに、この部分は否定できない。
実際に、あんな凄い仕事が出来る人たちがいて、実際に、その人たちを凄いと認めている。
それなのに、どうして自分は同じように戦おうとしないのか。

前の感想で「プリキュアさんが喋らない」ことについてポジティブに書きましたけど。
全く同じ理由で、物凄く悲しいことだとも思った。2回目の視聴以降、台詞がないことを認識してからは特に。
あの「伝説の戦士」たちの声は、こちら側には届いてこない。私たちは所詮、部外者だから。
友達だと思っていた人が、いつの間にか自分をぶっちぎって、遠くに行ってしまったような感覚。
誇らしいと同時に、とてもとても寂しい。

「スイート」映画で、心の音楽を聴きながら立ちあがるシーンがある。
その時の感想にも書きましたが、感動すると共に、軽い恐怖を覚えます。
もしもあの時自分があの場にいたとして、自分にも「心の音楽」が聴こえるのか…?

プリキュアさんは決して優しいだけのお話ではないと思う。
自分から前に進もうとしない相手は、とことんにリジェクトされてきた。
ブンビーさんがいつまでも名前で呼んでもらえなかったように、今回の坂上さんも自分からやってこなければ、おそらく無視されてた。

「私達はプリキュアになれるのか?」の問いに対する答えは、「なれる」。
これはある意味で非常に残酷です。「なれる」可能性がある以上、なれなければ、それはその人の責任です。
いっそ生まれ持った一部の人間しか「プリキュア」になれないのなら、「あの子たちは神」と割り切れるのに。
遠くから、名もない群衆の中の一人としてミラクルライトを振ってるだけで満足なのか。
「諦めない精神に感動した」と言いつつ、翌日の会社では「やってらんないよ」と愚痴る自己矛盾に目を伏せるのか。

「ハートキャッチ」のお披露目カーニバルで、初めてEDを見た時、感動しすぎて絶望しました。
これは勝てない。
同業他社でも近隣産業でもないので単純比較はしないですけど、そういったものを越えて、とにかく勝てる気がしない。

確かその当時に、スタッフさんの誰かが語っておられた。
「番組が始まったら、裏方に出来ることは無い。だから始まる前に、ありったけの武器を持たせるんだ」。
そして始まったら「後は任せた」と応援する。生活をかけて戦ってるプリキュアさんを。あの「ハートキャッチ」EDのように。

同じくその頃の(東映アニメーション様かバンダイ様だったか忘れましたが)年初挨拶で語られてたことも印象的だった。

 「不景気により、我が社は苦しい戦いを強いられている」
 「だが今までにもピンチはあった」
 「しかしそのたびに、戦隊ヒーローが、仮面ライダーが、そしてプリキュアが助けてくれた」
 「ヒーローは必ず助けに来てくれる」
 「だから我々も、全力で戦おう」

名演説だと思う。
これに賛同できない奴は、会社を辞めろと言いたい。
こんなとんでもないマインドに支えられて「プリキュア」さんは作られてる。

そして思う。じゃあ、自分はどうなのか?
自分の仕事に対し、そこまでの熱意をもって取り組めるのか?

「現実は違う」と言うのは簡単なんです。
でも、現実にあんなとんでもない境地で戦ってる人たちがいる。
それに対し、「そこまでして変化や成長をする必要があるの?」と言うことはできる。
でも、「鏡の国」のレモネの言葉が聞こえてくる。

もちろん彼らも、実際には様々な愚痴を言ったり、手を抜いたりもしてはいるのだろうとは思う。
だけど「プリキュア」さんという番組の存在が、有無を言わさぬ説得力を持ってる。
世の中には、あんなすごい物を作れる人たちがいる。では、自分はどうなのか?

今回の映画は「オールスターズ」の名に恥じない、「オールスターズ」だからこそ出来た映画だと思う。
観覧車のゴンドラを見上げる人たち。聴こえぬ声を上げて、圧倒的な力で戦うプリキュアさんたち。
それだけといえばそれだけの場面だけど、これまでの9年があるからこそ、様々なことが思い浮かぶ。

感動するからこそ絶望する中、流れる主題歌は「永遠のともだち」。
変化を是とするプリキュアさんにおいて、凄まじく重い意味のある「永遠」。
サブタイトルの「未来のともだち」と併せて、最後の最後の一線での優しさに泣けます。

 『私達はプリキュアになれないのか?』

「プリキュア」になれる気は全くしないけど、「別になれなくてもいいよ」とは言えない。
だから結局のところ、あれこれ悩んでいても仕方がない。
「永遠のともだち」が「未来」に待っていてくれるのなら、せめてあの人たちに対して恥じない程度には、まともな人生を送りたい。


(左画像)
小説 プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち (つばさ文庫)

(右画像)
映画プリキュアオールスターズ New Stage みらいのともだち 主題歌シングル


【蛇足】

一つだけ、今回の映画で納得いかない部分があります。

坂上さんがフュージョンの元に行くために、逃げる群衆の流れに逆らって走ってくシーン。
私的には、「逃げるしかない多くの人」と「立ち向かえる人」の差=ただの人とプリキュアさんの分かれ目のように感じました。
だからあの「逃げる人」の中に、フレッシュさん達のゲストキャラがいるのは、どうにも落ちつかない。

例えば桃園母とか蒼乃弟とか、身内がプリキュアなことを知ってるのだから、娘や姉が化け物相手に特攻していくだろうことも分かってるはず。
それなのに、自分たちだけ我先にと逃げるんだろうか?
「DX2」や「DX3」では、遠巻きに見守り続けてるだけに、妙に引っかかります。この場面に関しては、「無理に登場させる必要はないんじゃ」と思った。

まぁ残っていたところで足手まといにしかならないのだから、正しいと言えば正しい行動なのだけど。
上に書いたようなことは、ある意味、他人だからこそ感じることなのかもしれない。
警察官の身内がわざわざ大げさに心配したりしないように、プリキュアさんの御家族は、それはそれで違う心境に到達してるんだ、きっと。

感想1周目
感想2周目

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