皆さんは、突然記憶が“なくなる”…ではなく、
“蘇る”ことはありませんか?
秋田市に引っ越ししてからしばらくたったころ、
いつも行っている100円ショップの帰り、
混雑している道路を避けて、いつもと違う道を通ったときのこと。
信号待ちをしていて、フト目にした古い家。
急に胸にこみ上げる思いが…。
??? なんだろうこの思い
次の瞬間、鮮やかに記憶が蘇りました。
実家の母の末妹(私の叔母ですね)が新婚時代に暮らした家なのです。
たった一度だけ、この家を訪れたことがあります。
まだ小学校低学年だった私が、母に連れられて、
2時間かけて秋田市まで出かけ、
旦那さんの転勤で甲府に行ってしまう叔母に別れを告げるため、
一泊して、楽しい時間を過ごした家だったのです。
叔母たちの中でも、私とは一番年が近く、
スタイルもよく美人で、スチュワーデスを目指していて、
私の自慢の叔母でした。
その叔母は、50歳という若さで亡くなりました。
母と叔母の間には、もう一人の叔母がいましたが、
その叔母は40歳で亡くなっています。
二人の妹を亡くした時、母の悲嘆は大変なものでした。
今の母は子供帰りしてしまい、聞き分けのないことを言ったり…。
そんな母に少しイライラしていたのですが、
母は、叔母たちが亡くなったとき、さぞかしつらかったんだろうな、と。
そんなにもつらいことを母は乗り越えてきたんだな、と思うと、
母の偉大さに頭が下がる思いです。
急に蘇った記憶と、母と叔母に対する熱い思いを抱きながら、
その家の周りを車で何周かして帰ったのでした。
“蘇る”ことはありませんか?
秋田市に引っ越ししてからしばらくたったころ、
いつも行っている100円ショップの帰り、
混雑している道路を避けて、いつもと違う道を通ったときのこと。
信号待ちをしていて、フト目にした古い家。
急に胸にこみ上げる思いが…。
??? なんだろうこの思い
次の瞬間、鮮やかに記憶が蘇りました。
実家の母の末妹(私の叔母ですね)が新婚時代に暮らした家なのです。
たった一度だけ、この家を訪れたことがあります。
まだ小学校低学年だった私が、母に連れられて、
2時間かけて秋田市まで出かけ、
旦那さんの転勤で甲府に行ってしまう叔母に別れを告げるため、
一泊して、楽しい時間を過ごした家だったのです。
叔母たちの中でも、私とは一番年が近く、
スタイルもよく美人で、スチュワーデスを目指していて、
私の自慢の叔母でした。
その叔母は、50歳という若さで亡くなりました。
母と叔母の間には、もう一人の叔母がいましたが、
その叔母は40歳で亡くなっています。
二人の妹を亡くした時、母の悲嘆は大変なものでした。
今の母は子供帰りしてしまい、聞き分けのないことを言ったり…。
そんな母に少しイライラしていたのですが、
母は、叔母たちが亡くなったとき、さぞかしつらかったんだろうな、と。
そんなにもつらいことを母は乗り越えてきたんだな、と思うと、
母の偉大さに頭が下がる思いです。
急に蘇った記憶と、母と叔母に対する熱い思いを抱きながら、
その家の周りを車で何周かして帰ったのでした。
でも、そのままの姿で家が残っていたのは、幸いでしたね。
どんなに懐かしかっただろうと、想像がつきました。
叔母様二人若くしてお亡くなりになったのですね。お母様のお嘆きは如何ばかりだったでしょう。
歳を取ってきましたら、私も昔のことが懐かしく思い出される回数が多くなった気がします。
不便で、お金にもものにも不自由をしていたころの方が、なぜか気持ちは充実していた気がします。今が忙しすぎる世の中だからでしょうか。
お写真に写っていらっしゃる老人の姿が、なぜか妙に懐かしい気がしました。
写真に写っている方は、現在お住まいの方でした。
余りにも懐かしく、声をかけてしまいました。
母が精神的に病んでから、元の母に戻ってほしいという気持ちばかりが強く、
母の気持ちに寄り添ってあげられなかったのですが、
最近は、母の歩んできた歴史を否定してはいけないということに気づきました。
今は車で玄関から玄関まで簡単に行き来できますが、
当時は、バスと汽車を乗り継いで、タクシーに住所を告げて、
暗くなってから叔母の家に到着したのでした。
そんなことも懐かしく、不便な生活の中で私たちを育ててくれた私たちの親の世代には、
もっともっと感謝しなければいけないのかもしれませんね。
私たちには何気ない一軒の家としか映りませんが、モヤコさんにとってはとても感慨深い風景だったのですね。
叔母様との思い出からお母さんに対するモヤコさんの思いが理解できるような気がしました。
私も震災で家を失い一人暮らしの母がおりますが、「やっぱり娘じゃないと…」と言います。
モヤコさんのお母様も頼りになる娘さんがいらして安心ですね。お互い頑張りましょう!
冷静な時は、優しくしなきゃ…と思っていても、
現実にはなかなか難しく、感情的になってしまいます。
hosikoさんもお母さんのお世話をしてらっしゃるようですので、
同じような悩みもお持ちかもしれないですね。
いつまで親の世話ができるかわかりませんが、
母にも私たちにも、悔いのない日々を重ねていければと思っています。
“たった一度の人生だもの、しかめっ面して生きてるよりも、面白おかしく生きまっしょ”
~私があこがれている女性の言葉~
モヤコさんは、お母様と会われた時はどんなお話をしていらしゃるんでしょうか?
悔いのないように♪ホントにそうですね。
昨年から 実家の断捨離をしています。
その時の母は、何十年前の物を見ては色々思い出しては、懐かしそうに話してくれます。
片づけものをするって、そんな意味でいいことなのかも知れないです。
先ほど、実家から帰ってきました。
母は元気ですが、いよいよ体力的に仕事を続けるのが困難になり、
店を閉める時期を考え始めたようです。
それでも、まだ決心がつかない様子。
母は、どうも“こだわり”が強い性格のようで、
仕事の仕方、人との接し方なども、自分の思い通りにならないと気が済まない性分です。
持ち物に対しても、私たちにとっては“不要”なものでも、
「それは、こんなときに使う、あれはこんなとき便利」と、
どうしても物を捨てられない人です。
なので、家も店も物であふれています。
yuuyuuさんのように、お母さんのお話を聞いてあげながら断舎離をしていけたらな…。
物を片付けると、心の整理もつくといわれてますから、
母の気持ちの整理もできればいいと思っています。
御実家の断舎離の様子なども、ときどき教えてくださいな!