まやの部屋

過ぎていく一瞬 
心に浮かんだことや気になることを書きとめる日記

沈黙博物館 小川洋子

2020-06-16 09:17:52 | 読書
 今年のお正月、大学時代の親友を誘ってランチした。中華料理はとても美味しかった。コロナが中国で話題になりつつある頃だったので少し躊躇したけど。その後、神戸の街を歩いた。トンボ玉ミュージアムというところに行った。何せ真冬で港の近くを歩くのはとても寒いので、どこか建物の中へ入りたかった。
 たいへんこじんまりした博物館。しかしながら、たいそう昔のトンボ玉(確かアフリカかどこかの数千年前のものだったかなあ)から展示してあり、興味深かった。現代のトンボ玉のコーナーが実に充実していて、今の技術でこんなものができるのかと感心した次第。
 さて、本題。博物館に普段行くことは正直あまりない。しかし、旅に出たときは寄ることが多い。東京・大阪・京都などの国内の大型博物館を始め、大英博物館、スミソニアンなど海外の博物館にもずいぶん行ったなあ。昔のものを見てみたい、人はどうやって生きてきたのか、生き延びてきたのか、コロナの今となっては確かに興味はある。今ある私たちは昔からの積み重ね。数千年、もしかしたら数万年前から延々と細々と生き延びてきたから。
 小川洋子さんのほとんど全ての本に流れる共通のテーマの一つ。それが人の死。この本でも人が死んだときに残した、その人を表すのに一番適切なものを盗って展示する、私設博物館の話が語られる。ヨーロッパのどこかの街にある由緒正しいと思わせるだだっ広い洋館の持ち主(高齢お婆さん)の依頼で、そのお屋敷を博物館にする仕事を引き受けた男のお話。出てくる人も場面設定も現実にはあり得ないファンタジーの話だけど、いつの間にかその話に引き込まれて読まされる。ふと気づくと自分ならどうだろうか、と考えさせられる。
 市井の人が死んだときに何を残すか、ではなく、その人が生きた証は何か。素晴らしい彫刻でもヒエログリフでもなければ、キラキラ黄金のお面でもない。沢山の名もなき人たちのどこにでもありそうなもの。
 一人一人の人生が積み重なって歴史は作られていくのでしょうか。