大阪市の橋下市長は区長や小中学校長を民間から公募して採用していますが、どうもいろいろと問題を起こしています。その中で女性職員や保護者の母親に対するセクハラ行為もあります。職場で女性に対して性的にいかがわしい言動をすればセクハラということになりますが、これが電車の中や街中ですると「チカン行為」ということになります。チカン行為というのはどうにも理解できません。男性は異性に対して興味を持つのは正常で、時には女性の姿態を見てあらぬ妄想をするのも正常の範囲でしょうが、それが女性の体に触ったり、ましてや下着の中に手を入れたりするのは、どう考えても異常で、時には病気の一種なのではないかと思うことがあります。
こういう異常な性的行為をする者をよく「チカン」とカタカナ表記しますが、漢字で書くと「痴漢」で、これについて漢語学者の一海知義氏が、筧文生編著『幽黙と風流』(日中出版)の中で書いてあるものを抜粋します。
痴漢の痴は「愚かな」という意味を持つ。したがって痴漢はもともとエッチな男という意味ではなく、「おろかもの」「たわけもの」である。日本ではそれがもっぱら下のほうに転化したのであろう。ただし日本でも、むかしは「おろかもの」の意味だけで使われた。たとえば森鴎外訳の『即興詩人』に「さはあれ一個の婦人にのみ心を傾くるは痴漢の事なり」というのも、いわゆるチカンではなく「おろかもの」である。チカンは「一個の婦人にのみ心を傾け」はしない。
中国では痴漢をチカンの意味で使ったりはしないようで、一海氏は明代の詩人の唐寅(とういん)の詩を引用しています。
駿馬は常に痴漢を駄(の)せて走り 巧妻は常に拙夫に伴いて眠る
第一句は「俊足の馬はいつも愚かな男をのせて走り」、第二句は「賢い妻はいつもダメな亭主と一緒である」ということで、天の不公平であることを嘆いていますが、この2句は中国では古くからことわざのように使われているようです。
大阪の橋下市長は弁が立ついわば才人ですが、大阪市という馬に乗りながらの独りよがりなその言動を見聞きすると、この第一句を連想します。
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感情は誰に教わることなく自発的に生じるもので学ぶものではありません。つまり動物的感覚です。これを野放しに表現することは、悔いを残さないカッコいい生き方だと吹聴する輩もいますが、もっての外です。
理性を持った思慮深い、そしてやさしい人、これは理想の人間の姿ですが、残念ながら決まった形式はありません。一人一人が生活を通して考え学習するしかありません。人生は楽しいですが、・・・