行きつけの医院で、首や肩に電気を当てる治療を受けていると幼い子供の泣き声がしました。見ると看護師さんの一人が2歳くらいの男の子を抱き、その子はやはり治療を受けている母親のそばに行きたいとせがんで泣いているようでした、看護師さんは何とかしようとあやしていましたが泣き止まず、諦めて子どもを離しますと、子どもは母親の膝に乗りました。しばらくして泣き声が収まりかけたので見ると、男の子は母親の襟の前から手を突っ込んでおっぱいを触っていました。結局受付で支払いを済ませるまで触り続けていましたが、その時にはすっかり泣き止んでいました。おかあさんのおっぱいの効果抜群のようでした。この子はおっぱいに触りたくて泣いていたのではなく、母親と離れるのが嫌だったので、母親に抱かれておっぱいを触っていると落ち着いたのでしょう、普段からよく触っていたのではないかと思いました。
私の次男もよく妻のおっぱいを触っていました。2、3歳の頃は、夜寝る前に妻が添い寝して、眠たくなるといつも「バーン、寝よん」と言って妻におっぱいを触らせるようにせがみ、触らせると安心して眠ってしまいました。「バーン」はおっぱいを意味する次男の造語ですが、なぜ「バーン」なのかは分かりません。次男が言うので、私も妻もそう言っていました。次男はよほど妻の「バーン」が好きだったようで、幼稚園に入った5歳になっても、幼稚園から帰ると座っている妻の後ろか抱きついておっぱいを触っていたようで、妻は「この子、大丈夫かしら」と心配もしていましたが、幼稚園の生活に慣れてくるとしなくなりました。
私は7人きょうだいの一番上で、下には年子の妹がいましたし、その後も弟妹が続きましたから、母のおっぱいの記憶はありません。何かにつけて「おにいちゃんだから」でしたから、妹が生まれたらおっぱいからは離されたのではないかとい思います。記憶に残る母の胸はいわゆる「鳩胸」で豊かで、当時の母は恥ずかしがっていましたが、40歳近くになってから生まれた末妹にも母乳を与えていました。
幼い子どもにとっては母親のおっぱいは授乳の時にも手を添えていた、懐かしく安心感のあるものなのだろうと思います。医院での幼い男の子の様子を見て、次男の「バーン」を思い出し、思わず微笑んでしまいました。その次男ももう47歳、妻が心配していたことは杞憂でしたが、今でもあの頃のことを覚えているか、今度会った時に聞いてみようかと思っています。
(朝の散歩から)
春の花の盛りの時期は少し過ぎて、目新しいものはあまり目につかなくなりました。名前のわからないものも多くあります。
アマリリス
ラン
カイヅカイブキの垣根
ヤグルマソウ
死んだと思ったら、なんじゃ沢山夢を見て、いつの間にか退院しておった。おかげでアラヒャクになった。周りの御人達は「やっぱり悪いやつは中々死なん」といって大騒ぎ、毎日入れ替わり立ち替わり酒を持ってくる。
わしも夢の中の陽だまりの中で、母親が引く乳母車の中で、ぷちょぷちょ言っている自分を見た。いつになっても母への憧憬は残っている者じゃなあ。
写真が素晴らしい!
夢の中からそのまま中有に入り、そのまま昇ることが理想で、またこの世に舞い戻ったりしないのが求道者の目指す理想だわな。失敗の一つじゃ、浮き世への執着が残っていたのじゃ、まことに残念至極。
そんなことより、死んだはずで、どうせ直ぐに死ぬ96歳のこの身が、一時しのぎに舞い戻ってきては、周囲の人達に迷惑至極とは思わんか?社寺の跡継ぎも決め、遺言も書き残し、それで舞い戻った、なさけないこと至極。また何にか考えんといかんがな。