近くの喫茶店でそこの女主人と話していますと、ひとりの高年の女性が入ってきて、女主人と親しそうに話しだしました。古い付き合いのようでした。私と同じように連れ合いを亡くしてもうだいぶになるようでしたが、私も加わって、そんなことや私の妻のことなども話しました。
そのうちにその女性は両方の手のひらを両目のそばで顔を挟むような仕草をして、「奥さんはこれだったでしょう」と言いました。すぐにその仕草が、物事を見る視野が狭く猪突猛進タイプを示したのだと分かり、即座に否定しました。それまで話しているうちに妻が私より2歳年下の亥年であることを言っていましたから、その干支で性格判断したつもりだったのでしょう。妻は視野の狭い猪突猛進型ではなく、至っておっとりした性格でした。やはりおとなしく優しかった私の母も、陽気で皆に可愛がられていた末の妹も亥年でした。十二種類しかない干支で人の性格を云々するのはあまりにも単純で、時には失礼なことになります。初対面の人から妻をそのように評されて、いささか気分は良くありませんでした。
その女性は続いて妻の血液型を尋ねましたからABだと答えますと、今度は何も言いませんでしたが、心の中では判断しているようでした。血液型もよく占いに使われるようで、タレントやスポーツ選手などの紹介には必ず血液型が記されていますが、救急時の輸血のためならともかく、これもまことにばかばかしいと思います。私はO型ですがそれがどんな性格なのか知りませんし、知ろうとも思いません。卒業生などに時々○型でしょうと聞かれて、いやO型だと答えると、あれ、おかしいなと言います。要するに主観で私の性格を類推し、それを適当な血液型に当てはめているのです。人の性格などは専門家ならいざ知らず普通の者には簡単に分かるはずがありません。
中国西安の李真に聞いてみますと、中国でも血液型で性格を占うことはあるようで、例えば夏の羊は良いが、冬の羊はよくないというそうです。つまり、未年でも夏に生まれた者は食べ物たくさん食べられる、裕福になるということです。謝俊麗は性格と言うよりは運勢だろうと言いました。中国でも占いや迷信を信じる者は多く、俊麗も少しは信じる、女性が多いと言っていました。 寅年は人気があって、そのときは出産が増えて病院の産科は大混雑だそうです。
さらに妻の星座も聞かれました。生まれた月日で星座が決まるとされているようですが、私は自分の星座などは知りませんし、もちろん妻のものも知りません。奥さんは何月何日生まれかと聞かれましたから答えると、それだったら何とか座だねと言われました。占いに使われる星座がいくつあるのか、それぞれがどんな運勢を示しているのかも知りません。星座と言ってもしょせんは互いに何万光年、何百万光年と離れて存在するいくつかの星が地球から見たら平面的につながって、何かの形に見えているのに過ぎません。こんな中世ヨーロッパ的な迷信が今だにもてはやされているのは滑稽ですが、欧米でも結構人気があるようです。自分の運勢を知りたいという欲望は洋の東西を問わないようです。
しょせん遊びじゃないか、目に角を立てるほどのものじゃない、面白みがないなどと言われるかも知れませんが、遊びにしてもあなたの性格がどうの、運勢がどうのと言われるのは好きではありません。場合によっては失礼なことにもなりかねません。ですからあまりよく知らない人にあなたの性格はなどと言うのは慎むのがマナーでしょう。
干支などに限らず、性格や運勢を占う本はずいぶん出ているようです。書店に行くとそのためのコーナーもあります。手に取ったこともありませんが、買う人は少なくないのでしょう。テレビでもやっているようです。一般的に女性に信奉者が多いと聞いたこともあります。こんなことからオカルトや超自然現象などスピリチュアルなものを信じたりしていく人も多いと聞きます。こういう傾向が大きくなる社会はあまり健全とは言えないでしょう。
迷信ではありませんが、李真によると中国では最近は宗教を信じる者がだんだん多くなっているようで、不安を抱えている人が多いのではないかと言っていました。李真もバドミントンをして腰をひどく痛めてから、仏教系の宗教を信じているようで、座禅のように、座ったまま何も考えずに、深く息をするとかするもので、心や体がリラックスして、次第に信じるようになったと言っていました。こういうことは占いなどを信じるよりも積極的だと思います。
(朝の散歩から)
ある公園
毎日の朝の散歩は、その時の気分しだいでいろいろ道筋を変えますが、あるところに小さな公園があります。
3年ほど前にはこのあたりの一角は、何百年もたっているかろ思われる手つかずの古い土地で、そこに樹齢200年程のムクロジ(無患子)の巨木がありました。ムクロジとしては兵庫県内でも有数の古木だったようです。この土地の背後に大阪の府か市の職員の保養所があったのですが、それを大阪市のある開発業者に売り払いました。ムクロジのある土地もそれに付随したものですから、業者はムクロジやその他の桜などの古木を伐採し更地にしてマンションを建てようとし、その付近の住民が保存運動をして市に陳情し、新聞にも載るというちょっとした騒ぎになりました。この土地のすぐそばに「自然」を標榜する幼稚園がありましたが、そこの女性園長は開発とムクロジの伐採に賛成しました。当時は業者が裏から手をまわしたのだろうという噂もありました。
結局ムクロジは切り倒されマンションが建てられました。そのムクロジのあった場所が公園になったのです。誰の発想かは分かりません。業者の妥協だったのかも知れませんが、ここに来ると、あのいかめしくもあった古木を思い出し、「開発」とは一体何なのだろうと改めて思います。近辺の人の中には、今も「たたり」があると言っている人もいます。
実際に五十年前の科学と現在の科学はかなり異なってしまっている、原因は量子物理学と電磁気学の登場じゃな、つまりニュートン物理学が通用しない世界が発見されたのじゃ。新しい世界ができたわけではなく、元からあるが人間が知らなかっただけじゃがな。一つの電子が同時に二つの場所に現れたり、視線を向けると消え、視線を外すと存在が確認される。これはお化けか四次元を想定しないと説明できないとか言われておる。じゃからアインシュタインも最後は宗教家になったが、その気持ちは分かるわな。
12星座は十二支とまったく同じゃ、あれは30度づつ12の方向に分けて、たまたまそこに見える星の集まりに名前をつけただけで、12方位のことじゃが、あれは確かに意味が深く人間の性向にかなり影響力があると感じるが、現在証明はできんな。占いと観天望気とは違うし、科学には直観力というものがないのが問題じゃし、座禅をして観想するものは単なる呼吸鎮静ではなく、科学ではまだ見えていない科学であるぞ。
血液型はなあ、つまり同じ形の物質は似ていて、違う形の物質は違うのが自然であたりまえじゃから、それが性格に現れるのがあたりまえで自然じゃろうと思うが?個人差が大きいだけじゃろ。
わしは「たたり」はある例外を除いて信じない。つまりネガティブなものは信じない、だから檀家の人達には「呪いの手紙」や「たたる物」があれば、いつでもわしのところに持ってきなさい、食えれば食べてやるし、燃えるなら燃やしてやろう、誰かの名前を書く「呪いの手紙」なら、わしの名前を書けと言っている。
わしは誰よりも「たたり」を多く食べて96歳まで生きているのが自慢じゃよ、はは。
①私は暇なのです、 ②短い簡潔な文を書くのが下手なのです。 そんなことで、つい長いものになります。「短絡すれば」は意味がちょっと分かりませんでしたから勝手に「短くすれば」と解釈しておきました。