「こまかな点まで行き届く」の謂で、実際、痒いことは体のどこにでもあって、反射的にそこへ手をやって掻くが、それが背中の真ん中くらいだと手が届かずいらいらする。妻がいた頃にはシャツの下に手を入れて掻いてもらった。実際に痒いところはほんの点くらいなのだが、そこに指の爪先が当たると「あ、そこ、そこ」などと言う、何とも言えない気持ちの良いもので、まさにこまかな点まで行き届くと言う感じのものだった。
独りではそういうわけにいかない。シャツを動かしてゴシゴシしたりするのだが、どうもぴったりせず物足りない。そこで百均ショップで「孫の手」を買うことになる。竹で作ったものだが、シャツの下や首のところから突っ込んで掻く。手で掻いてもらった方が、「そこだ」というポイントに当たって気持ちがよいのだが、それでもかなりいいものだ。考えだした人は偉いと思うが、おそらくは中国辺りで発生したものだろう。欧米にも昔からあるようで、象牙や銀で作ったものもあるそうだ。英語ではBackscratcherと言うが、日本語由来のmagonoteという言葉もあるそうだ。
「孫の手」という言葉は「麻姑(まこ)の手」が転訛したもので。麻姑は中国の西晋時代の書である『神仙伝』に出てくる仙女で、爪を長く鳥の爪のように伸ばしていた。あるとき後漢の蔡経が、その長い爪で自分の痒いところを掻いてもらうと気持ちがいいだろうと言ったことに因むと言う。爪を長く伸ばした仙女などと言うと何となく薄気味悪いが、それでもその爪で掻いてもらったら気持ちは良いだろう。「麻姑の手」はともかく、「孫の手」と言うと幼い孫が祖父母の背中を掻いてやり、老人が気持ちよさそうに目をつぶっている情景が想像されてほほえましい。 前に中国のある町に行ったときに、観光バスの周囲に土産物売りが群がり、つまらないものを売りつけようとする。その中に「孫の手」を抱えているのがいて「十本千円」と呼ばわっていた。中国独特のものでもないし、十本も買ってどうするのかと思ったが、さすがに買う者はいなかった。
猫も痒さを感じるのだろう、時々せわしなく手足を動かして掻いているが、目をつぶって気持ちよさそうだ。痒みは痛みと違って掻くと気持ちがいいが、痛みは触るとかえって痛い。痛みは体の中にもあり、私には経験はないが、かなり苦しいこともあるらしい。痒みは体内では感じない。
(朝の散歩から)
モクレンにはハクモクレン(白木蓮)とシモクレン(紫木蓮)とがあるが、このあたりではハクモクレンは終りに近く、シモクレンはこれからだというのが多いようだ。モクレン葉語化でき品もあってなかなか良い。シモクレンんのいろいろな姿を見た。
蕾。毛のシャツを着ているようだ。
シャツを脱ぎ棄てて