朝 長男を迎えに行き義母の施設へ向かった。
10時少し前に着きました。
受付に面会を申し入れると、やはり部屋へは2人までと言われたので、
私と長男が、防護服、ヘアキャップ、手袋、マスク取り換えて、部屋へ。
義母はやはり眠っていました。
私は何回も、何回も、長男の名前を言って、側にいることを聞かせましたが、目を開くことはありませんでした。
長男は手袋越しの手でしたが、義母の手が微かに握り返してきていると感じていました。
長男は、生後ずっと、私たちが仕事に出ている間、同居している祖父母のお世話になりました。
私たちの帰宅時間が遅いときは、祖父母と川の字で寝ていました。
義母は保育園の迎えも、ピアノ教室への送り迎えもしてくれました。
私たちがダンススタジオを開設したのは長男が6歳の年でしたが、祖父母のお陰で経営者としての仕事に
専念することができました。
2010年12月の長男の結婚式は、義父はもう他界していましたが、義母は脳梗塞で不自由な体になってはいましたが、
車椅子で出席し、とても嬉しそうでした。
それからは長男も3人の子供の父親になり、ひ孫たちと会う楽しみもできました。
施設に入所してからはあまり会っていませんが、ひ孫たちの事は話はしていました。
ですから長男は義母がこういう状態になったことを知り、直ぐに今日の面会を決めました。
義母は苦しい様子もなくスヤスヤと眠っている状態でも、孫が来たことを認識できていたと思います。
義母の命の灯火が消えるまで、私たちは苦しまないことを祈りながら、心で見守っています。
10時少し前に着きました。
受付に面会を申し入れると、やはり部屋へは2人までと言われたので、
私と長男が、防護服、ヘアキャップ、手袋、マスク取り換えて、部屋へ。
義母はやはり眠っていました。
私は何回も、何回も、長男の名前を言って、側にいることを聞かせましたが、目を開くことはありませんでした。
長男は手袋越しの手でしたが、義母の手が微かに握り返してきていると感じていました。
長男は、生後ずっと、私たちが仕事に出ている間、同居している祖父母のお世話になりました。
私たちの帰宅時間が遅いときは、祖父母と川の字で寝ていました。
義母は保育園の迎えも、ピアノ教室への送り迎えもしてくれました。
私たちがダンススタジオを開設したのは長男が6歳の年でしたが、祖父母のお陰で経営者としての仕事に
専念することができました。
2010年12月の長男の結婚式は、義父はもう他界していましたが、義母は脳梗塞で不自由な体になってはいましたが、
車椅子で出席し、とても嬉しそうでした。
それからは長男も3人の子供の父親になり、ひ孫たちと会う楽しみもできました。
施設に入所してからはあまり会っていませんが、ひ孫たちの事は話はしていました。
ですから長男は義母がこういう状態になったことを知り、直ぐに今日の面会を決めました。
義母は苦しい様子もなくスヤスヤと眠っている状態でも、孫が来たことを認識できていたと思います。
義母の命の灯火が消えるまで、私たちは苦しまないことを祈りながら、心で見守っています。
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