「2011 諏訪二葉高校体操部のつどい」
今回は第18回卒業の私たち5名の元体操部員が幹事でした。
2年毎に開催ということになっていて前回が2008年でしたので、本来ならば昨年のはずなのですが、
昨年は諏訪の大祭「御柱祭」の年で延期いたしました。
私は前回欠席で、幹事を引き受けたことは後で聞かされ、しかもその時すでに私達にダンスを踊らせることをもくろんでいたようです。
初めて故郷で踊るのに、この年になってからではと何回も拒否したのですが、結局躍ることになってしまいました。
上諏訪出身で伊那市在住の幹事があちらこちら会場を当たったのですが、諏訪には御柱祭の年には挙式をしない風習があり、
今年は結婚ブーム、フロアーを取れるホテルはすべて予約で埋まっていました。
そんな中、養命酒が信州の食とコラボレーションした新提案のショップ&レストランの「くらすわ」にイベントホールがあるという
情報が入り、2月13日に一度打ち合わせに参りました。
ホールは踊るのには狭く、フロアの材質はざらつきがある石のような床でしかも目地が凹んでいました。
踊ってはみませんでしたが、プロならば臨機応変にできなければ、ということでここで頑張ることに決定しました。
そして私たちは、最近1週間前からスタジオのフロアーを椅子で仕切って狭くしてリハーサルしておきました。
動きをセーブしながら踊ることって結構疲れますね。。
前日の土曜日、仕事の後、美容院へ行き髪をセット、新宿夜8時の「あずさ」に乗りました。
これにはちょっとトラブルがありました。
1週間前の土曜日に関内駅の「みどりの窓口」で「21日夜8時発で、上諏訪10時ごろ到着のあずさありますよね」と尋ねた私、
係りの男性が「はいありますよ」と言って、翌日の帰りのチケットと二人分、乗車券、特急券、指定券の6枚を渡してくれた。
私はそれを受け取り封筒に入れて持ち帰り安心していました。
そして前日の金曜日、8時までに行くには夕方何時の電車に乗ろうかと、チケットを見たら、
「えっ!」私は青くなってしまいました。
チケットには朝8時のあずさ5号になっていたのです。
もう深夜です、仕方が無いので当日とにかく朝8時前にキャンセルしなければ、と6時半に起き7時からの開店を待って
夜の8時に変更しに行ってきました。
焦りました。20時と言うべきでした。鉄道の係りの方は8時と言ったら朝8時と入力しちゃうのでしょうね、
確認しなかったのも間違いの元、あの時は息子夫婦と食事に行く時間が迫っていて急いでいました。。
そんなこんなで、ともかくは前日の土曜日、上諏訪に夜10時過ぎに着き、姉の家に泊まりました。
姉は日本舞踊の発表会で、朝、私が髪の仕上げをしてあげたり、自分の化粧をしたりと大忙しでしたが、甥の嫁さんに送ってもらい
9時過ぎには会場に入りました。
ここが「くらすわ」のイベントホール
ショップで買った食品や飲み物をここでいただくことができます。
この分ではまだリハーサルはできません。
リハーサルのスペースが用意できるまでちょっと2階へ上がってみました。
3階に上がる外階段へのスペースには坪庭がありぼたんが咲いていました。
ここへ向かう時から小雨が降りだしていましたが、いま上がっています。
ここでは今がぼたんの見頃です。
この日の「くらすわ」のイベントは体操部との共催で私達のダンスと講習だったので一般の方も入りました。
会場は狭く一列で立見の形で、始めに3曲踊りその後ダンスの講習でした。
ワルツは私が高校時代に良く耳にした大好きな曲
「まほろばの国」 (岩谷時子 作詞、広瀬健次郎 作曲、ペギー葉山 唄)で踊りました。
これは信州の美しい四季を歌った曲なので、ご存知ない方のために歌詞と四季の風景を入れてプリントを用意して行きました。
始めのタンゴで回転している時、リーダーのひじが壁にガーンと当たり、ちょっとヒヤッとしました。
私のヒールも何回か目地をなぞりましたが事無きを得ました。
ごめん!
講習の前に私たちは着替えがあるので、その間「まほろばの国」をみんなで歌っていてもらいました。
私の兄も写真を撮ったり、講習を手伝ったり。
この日は中央本線が事故で列車が遅れ、東京方面からこの会に参加の方が何人か遅れました。
デモを楽しみにしてきたのに残念でした、とお聞きしました。
講習を先にしてデモンストレーションを後にすれば間に合ったかもしれませんが、着替えの時間を長くお待ちいただくように
なるので、デモを先にしました。
イベントの役目を果たし着替えてから、すでに先に始まっている「体操部のつどい」へ移動。
私たち幹事が第18回卒業ですが、第1回卒業の先輩の方々から、第38回卒業の方々まで48名がご参加くださいました。
そして、私たち18回生と同時に赴任された清水先生始め恩師の先生方も4人ご出席くださいました。
窓からは諏訪湖が一望の景観
現在は男子生徒がいる共学ですが、昔は女子高だったので女性ばかりの中に男性がひとり。
てれながら挨拶をしています。
進行係は年代代表の方々にご挨拶や思い出話などをお願いするのにマイクを回したり、司会をしたり、食事もそこそこに
頑張ってくれました。
懐かしい思い出話は尽きることがありませんが、お開きの時間が迫ってきました。
予定では外階段で記念撮影のはずでしたが、雨がかなり降っていたので、テーブルや椅子を寄せて室内で。
えっ!幹事は前に正座、ちょ、ちょっと待って、痛っ、膝が。
天井から下がっている灯りと、手前のテーブルを避けるために斜めにせざるを得ませんでした。
右奥の方々すみません、ちょっと暗くなってしまいました。。
えっ、俺も入るのぉ、
くらすわの支配人が押してくれました。
このまま押せばいいですか?と言われたので、一応始め半押ししてピント合わせをしてくださいと私、
「そのくらいは心得ています」と支配人、失礼いたしました。。。
撮影が終って三々五々と帰り始めてから、あっこの横断幕入れれば良かったね、もう時遅し。
これはいつかわかりませんが何年か前に先輩が書いてくださったもので、次の幹事さんにバトンタッチすることになっています。
幹事は私たちが着替えに使った部屋で、収支を計算し、始めから会費の一部を東日本大震災の義捐金として贈ることにしていたので
5万5千円を諏訪市役所を通して贈ることにしました。
その後、次回幹事を引き受けてくれた1歳年下の後輩を交えて近況を語りながら1階のラウンジでお茶をいただきました。
時間が刻々と過ぎて、私の列車の時間もあるので名残惜しみながら、くらすわを出て同窓会から借りたCDを返しに母校へ。
雨は上がっていました。
学校は高台にあるので諏訪の町並みが良く見えます。
昭和30年から学生たちの登下校を見守っているブロンズ像「すこやか」
幹事一同、一人は都合で先に帰りました。
上諏訪駅前でみんなと別れ、5時いや17時22分の「スーパーあずさ」で帰路に着きました。
車内はほぼ満席。指定席とっておいて正解でした。
車窓から雨上がりの新緑や早苗の植わった田んぼを眺めながら、うとうととする気持ちが安らぐ時間でした。