父系のご先祖様探しで明治2年に分家した鳥取県東伯郡舎人村大字白石村出身まで遡れました。
そこから先はちょっと素人では遡れないように思いますが、興味はあります。
鳥取県東伯郡舎人村大字白石村は現在の鳥取県湯梨浜町舎人地区白石集落のようです。
舎人地区には野方集落、白石集落、方地集落、漆原集落、北福集落の五集落ある。
湯梨浜町川上集落や舎人邑は伯耆国河村郡であり、三朝町も河村郡であった。三朝町ではたたら跡が204か所見つかっており(「三朝のたたら」より)、河村郡内で多くの刀を作ることができた。
茅渟の菟砥の河上とは鳥取県湯梨浜町川上集落と思われる。川上集落には鍛冶屋谷という地名もある。川上集落の北側にあるのが舎人地区の五集落である。十種の品部とものみやつこらが居たのは湯梨浜町舎人地区の五集落と思われる。川上集落の鍛冶屋谷で太刀一千口を作り、忍坂邑(三朝町片柴)に預け、のちに石上神宮(倉吉市大原)に保管した。すべて、伯耆国河村郡に属していた集落である。
舎人地区の五集落は、垂仁天皇の皇居の川上宮(川上集落)から頼まれての作刀、東郷池周辺の古墳造り、長瀬高浜での玉作り、長瀬高浜での埴輪作り、漆器の製作、楯作り、弓矢作り、和紙作り、測量などの役割を集落が分担してやっていたと思われる。
【「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦】のブログより拝借
ysaino11.at.webry.info/201807/article_94.html