暦が戻ってから今日はちょうど2歳の誕生日です。この間二度向こう側に行きかけたことがありました。
一度目は小学校入学前に、父の魚釣りの後を追いかけ、魚道から転落してあと一歩のところで岩に引っかかって助かった事、二度目は二年前の人工心肺を使った心臓手術から生還した事。他にひやりハットは数々ありましたが何とか今のところ生かされています。
先日、北陸方面を旅行した時はからずも「吉崎御坊 蓮如上人記念館」を訪れました。蓮如についてはその人となりを良く知らなかったのですが、東京新聞に連載された五木寛之の親鸞を読んでいて興味がありました。親鸞から数えて第八代目の浄土真宗の継承者です。生涯5人の奥さんと27人の子供があり、27番目の子供は上人が84歳の時に生まれたとのこと。布教のために後継者を増やすという意味合いもあったのでしょうが正直ビックリしました。蓮如さんの名誉のために書いておきますが、子作りばかりに専念した訳ではなく、ここ吉崎で「南無阿弥陀仏」という名号を多くの方に付与して、浄土真宗の発展に大いに貢献したのだそうです。
この先のことは分かりませんが、生かされているということをたまには思い出しながら、歩いていくことが必要かもしれません。
それと大事な事はラジオ深夜便の受け売りになりますが、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という生き方なんだと思います。
一度目は小学校入学前に、父の魚釣りの後を追いかけ、魚道から転落してあと一歩のところで岩に引っかかって助かった事、二度目は二年前の人工心肺を使った心臓手術から生還した事。他にひやりハットは数々ありましたが何とか今のところ生かされています。
先日、北陸方面を旅行した時はからずも「吉崎御坊 蓮如上人記念館」を訪れました。蓮如についてはその人となりを良く知らなかったのですが、東京新聞に連載された五木寛之の親鸞を読んでいて興味がありました。親鸞から数えて第八代目の浄土真宗の継承者です。生涯5人の奥さんと27人の子供があり、27番目の子供は上人が84歳の時に生まれたとのこと。布教のために後継者を増やすという意味合いもあったのでしょうが正直ビックリしました。蓮如さんの名誉のために書いておきますが、子作りばかりに専念した訳ではなく、ここ吉崎で「南無阿弥陀仏」という名号を多くの方に付与して、浄土真宗の発展に大いに貢献したのだそうです。
この先のことは分かりませんが、生かされているということをたまには思い出しながら、歩いていくことが必要かもしれません。
それと大事な事はラジオ深夜便の受け売りになりますが、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という生き方なんだと思います。