熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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特集わが人生の歌語り 第55回

2009-10-25 14:15:00 | 日記
 今日は雨模様の肌寒い日になりました。だんだんお酒と演歌と人肌が恋しい季節になります。五木寛之さんの「わが人生の歌語り」も今日で55回目となりました。今日は1970年代の五木さんが作詞した曲が中心でした。安田講堂立てこもり事件やカルテェラタンが収束して70年代は転向の時代というふうに形容されていました。
 2曲目に紹介された曲は「旅の終わりに」ご存知秩父出身の冠二郎さんの歌です。テレビ映画海峡物語の中の挿入歌です。ここで冠さんが歌うことになったエピソードが披露されていましたので、そのことに絞って書いておきます。
 このドラマの中で「旅の終わりに」をまだ売れていなかった冠さんに陰唄(かげうた)で、歌ってもらったのだそうです。ドラマのタイトルにも冠さんの名前は出なかった程売れていなかったようです。
 そういえばこんな話を先輩から聞いたことがあります。先輩がバレーボールの実業団大会で九州に遠征して、場末のキャバレーで飲んでいたら、たまたま冠さんが出演していたのだそうです。秩父の同郷で学校時代から冠さんを良く知っている先輩は、「堀口ー!」と本名で声を掛けたところ、冠さんはビックリして唄えなくなってしまったとか。その後は意気投合して九州の夜を楽しんだそうです。
 このドラマの挿入歌は3社の競作になったのですが、五木さんは陰唄を歌ってくれた冠さんを指名して、是非冠さんに歌って欲しいとレコード会社に注文をつけたと仰っていました。陰でドラマを支えてくれたお礼と仰っていましたが.良い話ですよね。そういえば「さらばモスクワ愚連隊」で加山雄三さんの陰でトランペットを吹いていたのは、若き日の日野皓正さんだったとも。NHKで北に転勤になる方はこの歌をお気に入りにしていたとも。
 お話変わって、秩父の話題になりましたので、方言のクイズが載っているサイトを偶然みつけました。結構難問もありますが、我こそはと思われる方はチャレンジしてみてください。
http://www.canon-elec.co.jp/chichibu/tayori/index.html
 キャノン電子さんのサイトに載っていますが、リンク禁止の注意書きもありませんでしたので、フリーと判断してURLを記載しました。
 
 これからは一雨毎に寒くなりますので風邪などひかないようにご自愛を!


訃報 南田洋子さん

2009-10-21 21:53:00 | 日記
 今日、南田洋子さんがお亡くなりになりました。くも膜下出血で人工呼吸器を装着したと報じられていましたので、可哀想だけど時間の問題だろうと思っていました。彼女は私が物心ついてから初めて知った女優さんでした。
 私の生まれ故郷(大滝村今では秩父市大滝)に初めて映画のロケに彼女が来ました。Webで調べると1955年作品となっていましたから今から54年前、南田さんがまだ22歳の時です。私が小学校1年の時でした。日活に移って初めての作品で主演でした。映画は無医村をテーマにした映画で、私の家族もエキストラで参加したと記憶しています。
 題名は「沙羅の花の峠」、私は「沙羅の花咲く峠」と覚えていたのですが、今日、日本映画のデータベースを調べていたらこうなっていましたのでこちらが正解でしょう。確かロケ用に白い花を折り紙で作った記憶もあります。当時の大滝村は正に無医村で、風邪をこじらせれば「ムルチン」肺炎が心配になれば「ペニシリン」下痢がひどければ「クロマイ」と亡くなった父が医者がわりでした。医師法に触れていましたが、幸い大きな事故も無く必要悪として黙認されていたのだと思います。小さい頃はよく注射器で遊んだものです。
 現在の医療制度も様々な難問を抱え診療科を閉鎖する病院も多くなっていますが、こんな時代には戻らないで欲しいものです。
 映画の詳しい内容はこちらのリンクをご覧下さい。
沙羅の花の峠(1955) - goo 映画
沙羅の花の峠(1955) - goo 映画

 話を戻します。

 彼女は数年前に認知症を発症、夫の長門裕之さんが懸命に看病されるところが話題になっていました。
私の中では女優さんは最後まで女優さんで居て欲しいという気持ちも無いわけではありませんでしたが、別の意味での役を演じられたのだと思います。ご冥福をお祈りします。 合掌


皇室の名宝展

2009-10-21 05:55:03 | 美術館
 昨日は2歳と1日の記念に雄ちゃんと歌謡コンサートを聴いてきました。テーマは「一曲入魂!迫力の名舞台」幕開きは細川たかしの「望郷じょんから」テーマに相応しい唄いっぷりでした。円天問題でからか暫くNHKに顔を見せていなかったので熱唱でした。続いて中村美津子の歌謡浪曲「瞼の母」、吉幾三「津軽平野」と続きます。いずれも実力者の熱唱でした。時代の歌こころの歌には曽根史朗79歳の「若いおまわりさん」が登場。とても79歳とは思えない唄いっぷりでした。座席は2階C15列30番でしたが結構興奮しました。
 歌謡コンサートの入場は18:30からでしたので、まず皇室の名宝第1期を国立博物館で鑑賞。この展示も狩野永徳・伊藤若冲・横山大観等々錚々たる顔ぶれの屏風、軸が並び一見の価値があります。第2期には有名な聖徳太子の像も展示されますので、11月12日からも楽しみです。
 さらに昨日Webを見ていて分かったのですが、昨日から「秋の庭園開放」でした。寛永寺の境内だった庭園に五つの茶室が移築されています。この中には小堀遠州の転合庵も。さー坊の伯母さんは遠州のお子さんに嫁いでいますのでこの茶室を中心に写真をUPします。
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参考に案内図と説明文もUPします。
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 名宝と名園で癒されますので皆さん是非お出掛け下さい。阿修羅展ほどは混雑していませんので。

 歌謡コンサートが終わって帰路についた時のトラブルはまた改めてUPします。


NHK歌謡コンサート

2009-10-20 05:24:15 | 演奏会
 昨日は9月28日(月)に公開録画した「渋谷らいぶステージ」の神野美伽の放送でした。小生の満2歳の誕生日に放送されたのです。実は9月29日のブログには書きませんでしたが、この録画録りの最初にハプニングがあったのです。それはチータが神野美伽を紹介し、春夏秋冬屋形船の1コーラス唄ったとき、突然舞台の電源が落ちて曲が出なくなってしまったのです。当然録画は中止になり、最初から録り直しです。でもこのことを知らなければ何にも違和感を感じさせない舞台でしたね。さすがに場数を踏んでいる歌い手さんです。
 小生は村田英雄の「無法松の一生・度胸千両入り」が大好きなので、この歌をアントニオ古賀のフラメンコギターバージョンで聴けたのが最高でした。この日は二本録りでしたので、11月17日(月)には八代亜紀がこれもスペシャルゲストを迎えて、ちょっと違った雰囲気の歌を聞かせてくれますのでお楽しみに。
 さて今日の本題です。火曜の夜は「NHK歌謡コンサート」です。3回の挑戦で初めて当たりました。
今日のテーマは「一曲入魂迫力の名舞台」です。どんな歌を聴かせてくれるのでしょうか。
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 演歌の好きな雄ちゃんと楽しんできますが、どこの席が当たるでしょうか。早く並べば良い席とは限らないと書いてありますが、どうしても心理で時間前に並びたくなりますね。この前「渋谷らいぶステージ」を最前列で見ていますから、今日は3階席でもいいでしょう。その時は録画したBDで後でゆっくりUPで見せていただきましょう。


満2歳の誕生日

2009-10-19 05:48:39 | 日記
 暦が戻ってから今日はちょうど2歳の誕生日です。この間二度向こう側に行きかけたことがありました。
一度目は小学校入学前に、父の魚釣りの後を追いかけ、魚道から転落してあと一歩のところで岩に引っかかって助かった事、二度目は二年前の人工心肺を使った心臓手術から生還した事。他にひやりハットは数々ありましたが何とか今のところ生かされています。
 先日、北陸方面を旅行した時はからずも「吉崎御坊 蓮如上人記念館」を訪れました。蓮如についてはその人となりを良く知らなかったのですが、東京新聞に連載された五木寛之の親鸞を読んでいて興味がありました。親鸞から数えて第八代目の浄土真宗の継承者です。生涯5人の奥さんと27人の子供があり、27番目の子供は上人が84歳の時に生まれたとのこと。布教のために後継者を増やすという意味合いもあったのでしょうが正直ビックリしました。蓮如さんの名誉のために書いておきますが、子作りばかりに専念した訳ではなく、ここ吉崎で「南無阿弥陀仏」という名号を多くの方に付与して、浄土真宗の発展に大いに貢献したのだそうです。

 この先のことは分かりませんが、生かされているということをたまには思い出しながら、歩いていくことが必要かもしれません。
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 それと大事な事はラジオ深夜便の受け売りになりますが、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という生き方なんだと思います。