熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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日野原重明講演会(於いて熊谷会館)

2009-09-30 06:56:00 | 日記
 今日は9月30日上期の最終日、明日からは下期の始まりです。こいう感覚も来年は無くなって、単なる通過点という感じになっているかもしれません。
昨日の記事に講演会を聴いたことは書きましたが、時間の関係で内容には一切触れませんでしたので、改めてUPします。演題は
「強い心で自分らしい生き方を」

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 読売新聞の創刊135周年記念スペシャルフォーラムです。講演は対談形式で行われました。お相手は読売新聞編集委員の南砂さんです。南砂って江東区にありますがその読み方ではありません。<みなみ まさご>さんです。日本医科大医学部の出身ですからお医者さんふたりの対談ということですね。
 日野原先生は聖路加国際病院の理事長で10月4日に98歳の誕生日を迎えられます。とてもそんな風には見えません。70代前半という感じです。
 講演は南砂さんが聞き役で、タイムキーパー兼横道に逸れた話を本題に戻す役でした。書きたい事は山ほどありますが、詳細は主催者の読売新聞に譲って、ハイジャック事件に絞って書いてみます。まさかよど号に先生が乗客として乗っていたとは思いもよりませんでした。

 1970年に日航「よど号」が日本赤軍にハイジャックされ、乗客131人が韓国の金浦空港に着陸するという衝撃的な事件で、さー坊も固唾を飲んで見守った記憶があります。
 この時に先生は59歳よど号でハイジャックされて、あぁだめだと思ったらまたよど号も助かったから、残りはもう
みんなのボランティアで、人のために何でもやろうという気持ちになったそうです。その機内では両手を縛られても読みたい本があるか聞かれ、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読んだそうです。そんな危機的状況の中で、父親殺しの殺人事件の本を読めるということが凄いとしか云いようがありません。こういう体験の中から強い心が醸成されていくのかもしれませんね。
 またこんなエピソードも
 犯人達は乗客からハイジャックの意味を聞かれ、「これがハイジャックなんだ」と答えればいいものをリーダーに聞いても分からなかったのだそうです。このことで機内の雰囲気が大分和んだ感じがしたとも仰っていました。
 最終的には身代わり新治郎が人質になって先生も開放されたのですが、金浦空港に4日目に降りた時は地球に帰ってきたという感覚を足の裏に受けたのだそうです。だからここから人のためになる人生を始めようと思ったとも。
皆さんはご存知かもしれませんが身代わりになった山村新治郎さんはそれから22年後、精神疾患の次女に殺害されるという悲劇的な結末が待っていました。この山村さんの銅像が香取神宮にあります。数年前伺ったとき立派な銅像があるのにビックリしました。
 生と死何かカラマーゾフの兄弟を連想させるような出来事とも思えてしまいました。

 講演は15:30に終了、読売新聞の記事では1300人の入場者だったそうです。確かに空席を探すのが大変な満席状態でした。これからもこういう講演会をお願いしたいものです。


渋谷らいぶステージ公開録画

2009-09-29 05:31:24 | 演奏会
 ここのところNHKの公開録画にはまっています。昨日は渋谷らいぶステージでした。この放送はBS2とBShiで放送される番組です。さー坊はこの番組を見たことがありませんでした。たまたま先月の思い出のメロディーに応募した時に、この公開録画が目に止まりました。出演者が八代亜紀さんだったので、当たったら観に行ってみようとハガキを送ったら本当に当たってしまいました。この番組を良く見ているというカラオケが大好きな陸上部の先輩Iさんをお誘いすると二つ返事でOK。なにしろ当選通知が来るのは、公開録画の10日前くらいですからお相手探しも大変です。昨日はお休みを頂いて、午前中免許の更新、午後は日野原重明先生の講演会、夜は公開録画というハードなスケジュールでした。
 この番組はNHKふれあいホールが会場です。NHKホールに比べたら座席数は車イススペースを入れても285席しかありません。名前のとおり出演者の方を間近に見て歌を楽しめます。(ハガキが当たれば・・・)
参考にNHKのサイトからお借りしたイラストを貼っておきます。
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 これから行ってみようと思った方のために入場方法を書いておきます。当選した入場整理券を持って開場の1時間前(この番組の場合は17:30)にふれあいホールに行き、入場の順番を決める抽選を行います。その番号順にホールに入場しますから、良い席で観るためにはくじ運も必要です。最初の20組以内が超良席ゲットという感じですね。我々もちょうどその時刻に間に合ってくじを引いたのですが、既にかなりの方が行列しています。残り物に福を願って引いた番号は・・・
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 お判りになりますか? 2番じゃないかって、ブブー。②とあるのは二人の意味で順番は6番です!!!
Iさんと一緒にちょっと興奮してしまいました。これから18時15分までに戻ってくればいいので、腹ごしらえです。前回の「思い出のメロディー」に行った時のお店、パスタの「五右衛門」が近くて味もまあまあなのでそちらに直行。席も空いていましたので、15分で食事すぐ戻って入場です。どこに座るか迷いましたが、ステージと客席があまり段差も無いので最前列のセンターブロックに余裕で陣取りました。カメラのすぐ脇で出演者の方とアイコンタクトが出来るような席です。
 1本目の録画撮りは神野美伽さん。オープニングは「春夏秋冬屋形船」です。ここでちょっとしたハプニングが・・・。
(放送前なのでシー!) さー坊は村田英雄の無法松の一生(度胸千両入り)が大好きなのですが、あるゲストを迎えてちょっと変わったバージョンで聴かせてくれます。続きは10月19日(月)18:00~BS2でお聴き下さい。
 2本目は八代亜紀さん。司会の水前寺清子さんとは同郷熊本なので息もピッタリです。この放送は11月16日(月)18:00~BS2です。チータの格好もちょっと肌寒さを感じさせるような衣装で登場です。こちらにも驚くような特別ゲストが登場します。普段では聴けない八代さんのステージでした。
 
 皆さんも是非一度お出掛け下さい。番組は皆さまの受信料で作られているのですから。


特集わが人生の歌語り 第54回

2009-09-28 06:17:34 | 日記
 昨日の番組でも最初に須磨アンカーが、新聞連載小説「親鸞」の連載が終わったことへの労いと、後編の期待を込めてお話されていました。この番組も今年度で終わりになるとも話していましたから、来年の3月の放送まで総集編的になるのでしょう。最初から聴いていなかったリスナー(私を含め)には有難いお話です。
 番組の中でジャスラックに登録できるペンネームは3つまで許可されているとお話しされていました。
 五木さんも
童謡・CMソングは「のぶひろし」、ちょっと照れくさい歌を書く時は立原岬というように使い分けたのだとか。立原岬でヒットした歌は冠二朗さんの「旅の終わりに」だそうです。
トップに紹介された歌は童謡「雪が溶けたら」次は北原謙二さんが歌った「星をさがそう」続いてザ・フォーク・クルセダーズの「青年は荒野をめざす」でした。おまけでオリジナル・ラブの田島貴男さんバージョンも。
  最後のコーナーで紹介された歌が須磨アンカーが大好きな「鳩のいない村」作曲木下忠司、歌藤野ひろ子1969年でした。木下忠司さんは木下恵介監督の弟さんで「喜びも悲しみも幾年月」なども作曲されています。
藤野さんとは先日講演会で40年ぶりに再会されたのだとか。最初の録音の時よりもアルバムに吹き込まれた「鳩のいない村」が円熟されて数段良くなっているということでアルバムバージョンで放送されました。歌詞を載せたいのですが、著作権保護の関係でクレームになるとまずいので興味のある方はWebで検索してみてください。
 この歌が発表された当時はベトナム戦争が泥沼化していた時で、反戦をイメージした歌がヒットした時代でした。
 40年経った今でもイラク、アフガンなど紛争が続きこの歌の
<いつになったら平和な村に、いつになったら鳩は帰るの、帰ってくるの>というフレーズのとおりですね。
残念なのはアマゾンでもアイチューンでも藤野さんバージョンでダウンロードが出来ないことです。CDも販売・レンタルも無さそうなので、番組をiPodに転送して聴いています。
 次回は1970年代の歌を中心に放送されるそうです。


夏の北アルプス あぁ絶景!雲上のアドベンチャー

2009-09-26 14:02:12 | 日記
 シルバーウィーク最終日9月23日(水)8:35~9:50に放送された標記の番組を見た方も多かったのではと思います。小生もBDに録画して2度見ました。というのもこの番組は登山経験1年のアナウンサーが、立山を出発して最終目的地ジャンダルムに向かうという3週間の縦走だったからです。
 その上、9月11日には山岳遭難者救出の防災ヘリが墜落して3名の方が亡くなり、64歳の遭難者も死亡した事故があったの、でした。遭難現場は奥穂高岳と西穂高岳との縦走路付近で、ジャンダルム(3163メートル)近くの「ロバの耳」と呼ばれる岩場の斜面ということでした。遭難者は10人のパーティーで入山していたそうです。どの程度の登山経験があったのかは分かりませんが、結果論から云えば無謀だったということでしょう。
 この事故の関係から地元名古屋放送局で当日放送予定だった「北アルプス大縦走・後編」は放送延期になりました。
 もう一つ興味があったのは小生も30数年前このルートに挑戦しようとして挫折した経験があったからです。独身時代最後のイベントとして、北穂高から槍ヶ岳に縦走する計画を立てました。小生の山行きの動機はちょっと不純で北穂高岳に登りたかったのは、山小屋で出る焼肉定食が食べたかったからです。当時、くいしん坊!万才という番組でくいしん坊の竜崎勝さんが紹介していたのをテレビで見て、どうしても食べてみたいと思ったのでした。
 さて北穂高までは登れる自信があったのですが、槍ヶ岳に向かう大キレットをひとりで行く決心がつきませんでした。同じように奥穂高岳には行けてもジャンダルムに行くコースには自信が持てませんでした。結局真ん中だけをとって、北穂→涸沢岳→奥穂→前穂と縦走して下山するルートを選択したのです。このコースでも結構厳しかったと記憶しています。ただブロッケン現象が見られ北穂高岳の美味しい焼肉定食も頂け、さらに3000m以上の山を4座も登るという達成感を味わうことが出来ました。
 話が大分脱線しましたが、この番組では、槍ヶ岳から北穂高岳さらにはジャンダルムへのルートには専門の山岳ガイドがついて、難所は田部井さんと内田アナとガイドをザイルで結んで踏破していました。登山歴1年のアナも専門的な訓練をしてOKが出てから挑んだということが番組のブログに書いてありました。
 是非、再放送の際にはその辺の苦労話を交えて、山を侮ってはいけないことを団塊の世代に発信していただきたいと思いました。小生も来週ツアーで千畳敷に行きますので自戒をかねてUPしました。
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シルバーウィークも後半に

2009-09-22 05:19:05 | 日記
 シルバーウィークというネーミングは言い得て妙だと思いますが、名付け親はと探してみました。
以下フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用です。
<2008年11月に「9月の連休を命名するとすれば?」というアンケート結果がテレビなどで放送された(三菱電機ビルテクノサービス調査)。1位となったのがシルバーウィークで、国内外ツアーを企画する旅行代理店などがこの言葉を使い始め一気に定着した。命名の理由としては、金に対しての銀のほか、連休の中に敬老の日が含まれているため、高齢者を象徴する和製英語のシルバー(シルバーシート、シルバーパス、シルバー人材センターなど)という意味も含まれている>
 管理人のシルバーウィークは1日目が上期決算の関係で休日出勤、2日目が熊谷能鑑賞、3日目が初孫送迎でした。比較的好天に恵まれて過しやすい連休ですね。
 今日は熊谷能のお話です。演目は舞囃子「高砂」狂言「膏薬練」能「安達原」でした。高砂は結婚式などでも披露される「高砂やこの浦舟に帆を上げて・・・」の舞いです。
 膏薬練は
 都に住む膏薬煉は鎌倉に腕のいい膏薬煉がいると聞き、鎌倉へと向かう。一方鎌倉に住む膏薬煉も都に腕のいい膏薬煉がいると聞き、都へと向かう。途中二人は出くわすが、互いに名人を自認する二人は自分の膏薬の方が優れていると言って譲らない。二人はそこで互いの膏薬を比べあうことにする。まずは系図比べ。鎌倉の膏薬煉は先祖が走る馬を吸い寄せたと語ると、都の膏薬煉は数千人で運んだ石を吸い寄せたと言う。次に薬種を比べあうが、こちらも互いに珍しい薬種で両者は一歩も譲らない。そこで二人は実際に吸い比べをして、優劣を決めることにする。
 双方の吸い比べによって優劣を決める場面が、ユーモラスで動きのある舞台で面白かったですね。
 安達原は能の傑作のひとつにあげられるものだそうです。
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あらすじを「さくらめいと」のページから引用させていただきます。
 熊野の山伏祐慶一行は巡礼廻国の旅の途中人里離れた荒野、陸奥国安達原へと着く。
 やがて日が暮れ、行き暮れた祐慶一行が荒涼たる野中の一軒家に宿を乞うと、庵に一人ひっそりと暮らす女は一度は断るものの一行を庵に招き入れる。
 庵の内にふと見慣れぬものが祐慶の目に留まった。その名を問うと、女はこれは賎が女が繰る枠桛輪だと答え、賎が業を人目に触れさせることを恥じつつも、祐慶に乞われるまま糸を繰る。月の光が庵の内へ静かに差し込む中、女はかつての生活を懐かしみ、儚いこの世に浅ましくも糸を繰って明け暮らす憂き身を嘆いて、糸尽しの唄を歌い、なおも糸を繰る。
 やがて秋の夜寒が身に沁みてきた。女は暖をとるため山へ薪を取りに行くというが、決して自分の留守中に閨の内を覗かないようにと固く言い置いて山へ向う。
 山伏に同行していた能力が、好奇心を抑えきれず、祐慶の目を盗んで閨の内を覗き見ると、そこには夥しい数の死体が山と積まれていた。驚き慌てた能力が祐慶に報告すると、祐慶は此処こそが鬼が出るという安達原の黒塚であったかと驚き、一目散に逃げ去る。
 裏切られたと知った女は鬼女となり、鬼一口に喰おうと鉄杖を振り上げ、山伏たちに襲い掛かる。山伏と鬼女は激しく死闘を繰り広げるが、ついには鬼女は山伏の法力に祈り伏せられるのだった。
 人間が潜在的、普遍的に持つ孤独感や二面性、あるいは罪業といった心の闇の部分を前シテが繰る枠桛輪を象徴的に使って描いた傑作能。前半の身に染み入るような秋の夜の静寂さと後半の激しい動き、鬼女の怒りと悲しみとが対照的である。
 能を観るのは初めてでしたが、人間のもつ業の深さを非常に簡潔に凝縮して表現していたのではと思いました。毎週かかさずNHKの「日本の伝統芸能」を録画して見ていますが、今度は幽玄な世界を演じる薪能で観てみたいものです。