熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

シーサーブログから引越したばかりでいいね、応援などをいただいてもリアクションが出来ませんので、悪しからずご了承願います。

第26回上高地音楽祭

2010-06-14 04:45:00 | 演奏会
 一昨日(6月12日・土)は上高地音楽祭でした。「熱いぞ!熊谷」を脱走して、小生にとっては4回目の音楽祭を聴いて来ました。熊谷を6:40に出発、花園IC→松本ICと高速を使い、沢渡の駐車場に10:40着。高速代1000円の日なので混むかと思ったのですが、さほどでもありませんでした。沢渡からはマイカーでは入れないため、バスに乗換え大正池に11:00着。今日泊まる予定の大正池ホテルに荷物を預け、自然研究路を河童橋まで向かいます。
 大正池から見た穂高連峰、この時期これだけハッキリ見えることは滅多にありません。
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 30数年前、北穂・奥穂・前穂と縦走したことがありますが、この体型ではもう無理ですね。約1時間で河童橋に到着。この河童橋も今年で100年を迎えたのだそうです。1910年に木製の吊橋が架けられ、以降4回架け替えられて現在の橋になっているとのこと。知りませんでした。お土産のお酒のラベルで初めて知りました。
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 小梨平キャンプ場の近くに来ると音楽祭の案内が掲示されています。
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 プログラムの配布も。今年は山本潤子さんがゲストです。小生は8年前の森山良子さんの時に初めて聴かせていただき、以降、第22回さとう宗幸さん 第23回トワエモアさんと聴かせていただきました。その後の2回はパスさせていただきましたが、今年は大正池に泊まって、ゆっくり上高地の自然とともに楽しませていただきました。
コンサートの写真も載せたいのですが、著作権や肖像権がやかましい時代なので、TV放映でお楽しみ下さい。
 TV放映を見ていただければ分かると思いますが、この日の上高地は熊谷に負けないほど暑かったです。炎天下の野外ステージで唄う山本さんが可哀想なくらいの暑さでした。ハイファイセットのときに一度出演されているそうなので今回が2回目だそうですが、この時期こんな暑さになることは稀ですので、これに懲りず3度目の出演を期待しています。いつもは雨か梅雨空を見上げながらというステージですから。

プログラムと放映予定はこちらです。
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 最後に日の出前の大正池と穂高連峰の写真を載せておきます。最初の写真とほぼ同じ位置から撮っているのですが雰囲気はかなり変わります。
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 それと上高地を散策する時は大正池でバスを降りて自然研究路を歩くことをお薦めします。逆から(河童橋)大正池の方に歩いてくると、常に穂高連峰を後に見ることになってしまいます。


ムサシ ロンドン・NYバージョン 千秋楽

2010-06-12 05:01:02 | 日記
 約1年ぶりで観劇に出掛けました。三越劇場で「女の一生」を観てから舞台を観るのは久しぶりです。
故郷秩父第二中学校の後輩藤原竜也君ももう27歳になったんですね。良い役者に成長しました。
 このチケットはオークションで入手したのですが、バルコニー席RA-9・10(S席)¥10,500が手数料等を入れて¥8,500でした。井上ひさし追悼公演で千秋楽ですからとてもこんな値段では落札出来ると思っていなかったのでラッキーでした。この公演を知ったのは友人の母上からチケットを取って欲しいと頼まれたことからでした。たまたまスケジュールが合わなくなったということでしたので、それではと家内と出掛けることにしました。6月10日は真夏のような暑い日だったのですが、お昼は与野駅前のサムシング・トレで真夜中のスパゲッティ(デザート飲み物付き¥900)をいただき入場。さいたま芸術劇場は満席でしたが女性が90%以上でそれも若い女性が目につきます。宮本武蔵と佐々木小次郎を扱った公演がこんなに若い女性に人気があるとは不思議ですが、出演者目当てのファンが多いのでしょう。
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以下一部ネタバレあり。

 舞台の設定は「巌流島の決闘」から6年後、鎌倉の宝蓮寺で寺開きの参籠禅が行われようとしている。そこには宮本武蔵、大徳寺の沢庵和尚、将軍家兵法指南役 柳生宗矩も同席している。そこへ復讐の鬼と化した佐々木小次郎が現れる。今度こそ決着を付けようと果たし状を突きつける小次郎。
 いかにも涼しそうな竹の林に囲まれたお寺の舞台が印象的です。
 この物語に流れる一貫したものは「人の命を大切にする」「復讐の連鎖を断ち切る」という徹底した平和主義なのだと思いました。それを武蔵や小次郎、カチカチ山の兎と狸になぞらえて、面白可笑しく説いていきます。

 去年も自殺者が3万人を超え12年連続して3万人を上回ったとのことです。人の命が粗末に扱われる傾向が強くなっている現在、若い方がこういう警鐘に気付いてくれればと思います。

 最後のカーテンコールには蜷川さんも舞台に立ち、井上ひさしさんの遺影と一緒に盛んな拍手に応えてくれました。ニューヨーク公演は7月7日~7月10日だそうです。皆さんのご活躍をお祈りし、あわせて井上ひさしさんのご冥福をお祈りします。  合掌


湯西川温泉 平家武者行列 続き

2010-06-11 05:15:29 | 日記
 前回のブログの続きです。
 建礼門院徳子に扮した女性には皆さんご興味が無いようですので、簡単に書いておきます。

 2010年度ミス日本グランプリに輝いた林 史乃(はやし みな)さんでした。以下彼女のブログより転載
 ニックネーム:みなちゃん、みなちん
 誕生日:1986年7月14日
 血液型:A型
 出身地:香川県
 趣味:映画鑑賞、読書
 特技:テニス、声楽、ピアノ
 上智大学4年生(受賞時)
因みに第1回のグランプリは山本富士子24回には藤原紀香の名前も。3月15日には前鳩山総理大臣とのツーショットも新聞に載りましたのでご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。

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 その首相も久しからずでしたね。
 
 この後平家の里では縁の方の神事が行われていました。

帰りは土呂部経由はやめて川治鬼怒川ルートで帰ってきました。

帰ってきてから、そうだ友達の雄ちゃんがBSフジで録画した「新温泉へ行こう!」のDVDがあったので、湯西川もあるかなぁと見てみたらありましたね。それも本家伴久萬久旅館でした。今度は日帰りはやめて一泊して温泉につかってのんびり楽しんできましょう。


湯西川温泉 平家武者行列

2010-06-07 06:27:00 | 日記
 昨日は天気も良かったので家内が勧める湯西川温泉の武者行列を見学することにしました。ドライブルートをチェックしたところ、日光までは足尾経由で行き鬼怒川を経由するルートと、霧降高原を経由して林道を行くルートの二つがあります。以前先輩の勧めで瀬戸合峡の紅葉を見に行ったことがあり、霧降ルートは道が狭くカーブが連続するルートだとは承知していましたが、全線舗装されているそうなのでこちらを選択しました。
 霧降高原は新緑が目にまぶしいほどです。

 旧栗山村から249号線に入り土呂部を通って湯西川に向かいます。山道の運転に慣れているドライバーにも結構きついカーブが連続します。しかし対向車は数えるほどです。霧降高原道路で悩まされたバイクもほとんど通りません。山菜取りと魚釣りが目的の車の専用道路みたいなところです。ここの新緑も緑滴るといった感じです。家を出てから4時間で湯西川温泉に到着しました。お祭りの臨時駐車場に案内されましたが駐車料金はタダです。今時タダの駐車場はほとんどありませんのでビックリです。

 武者行列は湯殿山神社から平家の里まで来て、平家の里に平家縁の皆さんが集まり神事が行われます。
11時半過ぎにお目当ての行列がやってきました。
先頭は平家の家紋アゲハ蝶の幟旗
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順不同ですが、日光市長が扮する平清盛
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輿に乗るのは安徳天皇と建礼門院徳子
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さて徳子に扮している女性は誰でしょうか?お分りになった方は相当博学な方です。

答えは次のブログに掲載しますがコメント欄に書き込みしていただいても結構です。特に賞品は用意していませんが。


斎藤政広写真展と庄内平野の旅 Part 5

2010-06-05 07:37:09 | 旅行
 楽しかった庄内平野巡りの旅も最終回です。
昼食は「さかた海鮮市場」の海鮮丼を頂きたかったのですが、ちょうど昼時だったため長蛇の列、諦めて「木鉢」というお蕎麦やさんで頂き最終の目的地「本間美術館」へやってきました。
酒田といえば本間様ですよね。
本間家は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌も詠まれるほどの栄華を誇った、農地解放による解体まで日本最大の地主だった家です。その別荘だったところが美術館として開放されています。
美術館の沿革をHPより転載
<戦後昭和22年、全国に先駆けて開館した本間美術館は、荒廃した人心を励まし芸術文化の向上に資することを目的として、本間家に伝わる庄内藩酒井家・米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に展示活動を始めました。当時、特に雛人形展では露天商も出るほどの賑わいを見せたといいます。以来、棟方志功や中川一政をはじめ優れた作家たちの展覧会を数多く催すとともに、昭和43年には、創立20周年を記念して伊藤喜三郎氏設計の新館を建設し、多くの篤志家からの美術品のご寄贈や蒐集活動を通して、近世から現代に至る美術作品の展示を充実させてまいりました。
 美術館の本館と庭園は、本間家四代光道が文化10年(1813)、丁持(ちょうもち、港湾労働者)たちの冬期失業対策事業として築造した別荘です。鳥海山を借景に、蓬莱石組を中心とする回遊式庭園は、島の松に鶴が飛んできたことから酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられました。北前船で運ばれた諸国の銘石と御影石の大小の灯籠が、時を経た木立の風情を引立たせています。本館「清遠閣」は、茶室「六明廬」を備え、藩主が領内巡視の折度々来臨された所、柱は檜の四方柾、床の間の脇床・違棚は欅の玉杢(たまもく)を用い、京風の精緻な造りとなっています。明治末、一部二階建てに改装、大正14年、東宮殿下(昭和帝)がご宿泊、以後、酒田の迎賓館として多くの貴賓・名士をお迎えしてきました。手漉きガラス窓や御座所のシャンデリアなどに大正ロマンが偲ばれます。
 先人が開拓し遺してくれた文化の風土を耕しながら、より多くのみなさま方に体感していただき、さらに次代のこどもたちへ引き継いでいくことが私たちの使命であると考えております。庄内の大地と海に育まれた豊かな文化の稔りをこころゆくまでご鑑賞ください。>

 鳥海山を借景にした「鶴舞園」には和服のご婦人が良く似合います。
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 別荘だった「清遠閣」には昭和天皇もご宿泊されたそうです。
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企画展は6月8日(火)まで伝来の茶道具、小生の縁の、小堀遠州の茶杓「銘浮雲」も展示されています。ガイドさんのお薦めは雛祭りの展示だそうです。期間は平成23年2月28日~4月3日(日)まで、庄内に伝わった各種古典人形を見られるとので奥様と是非お出掛け下さいとのことです。

 O氏のお薦めのお土産は酒田駅前の「清川屋」さんにありました。北川景子さんがTBSの「はなまるマーケット」で紹介した「ほわいとぱりろーる」です。何でも今お取り寄せスイーツのトップだとか。映画のロケで山形に来て出会ったとのことですが、「花のあと」という藤沢周平原作の時代劇のロケだったのでしょう。残念ながら小生は見逃しましたが、そのうちDVDを借りてみましょう。藤沢周平といえば鶴岡に今年記念館が出来ました。そこにも時間があれば寄りたかったのですが、またの機会にしました。
 酒田駅には斎藤御夫妻もお見送りにきてくれて再会を約していなほに乗り込みました。3日間の専属ガイド有難うございました。
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 最後の写真は車窓から見る月山です。
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今度は家内と出羽三山と立石寺を巡り、出来れば最上川の舟下りも体験したいものです。
皆さんも是非ゆっくりと時の流れる山形へお出掛け下さい。