山形の奥のほそみちを訪ねる旅も今回が最終回、今日も良い天気です。
ルートインホテル鶴岡駅前を8:00に出発し、最初に出羽三山神社に向かいました。40分くらいで羽黒山の麓の出羽三山神社に到着。
最初に国宝の五重塔に下って行きます。
途中、小さい社が幾つもありますが、そこを通り過ぎると祓川をはさんで流れ落ちる須賀の滝が見えます。
この滝は江戸時代、当時の天宥別当が遠く月山より8kmの水路をひいて作ったもので不動の滝と名づけられていたとのこと。
祓川に架かる神橋を渡ると天然記念物「爺杉」の前に出ます。
樹齢1,000年以上と云われる古木で、根元周囲11m50cm、目通り周囲8m30cm、樹高48m30cmもあるそうです。確かに見上げる程の巨木で圧倒されます。
この辺りから杉並木になりさらに進むと、白木造りの国宝五重塔です。
案内板によると承平年間(平安時代)平将門の建立だとのこと。詳しい説明は写真をクリックしてご覧ください。
杉の木立の中に静謐という感覚を味わいました。本来ならここから羽黒山まで歩いて上るのですが、先を急ぐこともあり一旦車に戻って、羽黒山神社に向かいました。駐車場に戻って来ると、姫路から一人旅で来たというご婦人(kさん)に声を掛けられました。二年前にご主人を亡くされ、そのご主人が俳句を嗜んでいて、果たせなかった奥のほそみちを一人旅で巡っているのだそうです。最上川の舟下りと銀山温泉にも泊まってみたいと仰っていましたが、無事姫路にお帰りになったのでしょう。
さて本題に戻って有料道路を通って、出羽三山神社に到着しました。こちらも午歳のご縁年ということで、蜂子皇子(はちこのおうじ)」の木像を、開山以来初めて一般公開しています。期間は4月29日から9月30日まで。
以下は山形県庁のHPからの転載です。
>かつて人々のあらゆる苦悩を救ったといわれる出羽三山の開祖蜂子皇子。その御尊像が明治以降初めて、一般に公開されることになりました。公開を後押ししたのは、関係者の東日本大震災の復興への思いでした。
羽黒山の信仰区域は関東以北。震災直後から青森、岩手、宮城、福島、茨城などから、何千人という方が羽黒山へ来られました。助かった方々は、車を乗り継ぎ、又相乗りして来られ感謝の祈りを捧げました。また、痛ましくもご家族を亡くされたという方は、鎮魂のため羽黒山霊祭殿れいさいでん(亡くなった人の霊は山に上ると云われている)を訪ねられたといいます。
震災2年後の昨年は、一向に進まない復興と、仮設住宅暮しの辛さに、この先どうなっていくのかという不安が参拝者に見え隠れしていたそうです。
「震災以降、出羽三山神社では毎日、震災復興を祈っています。しかし、復旧作業が進まない現況にあって3年目の今年は、かつて民衆に手を差しのべ救ってくださった開祖蜂子皇子に、全国の皆さんにも祈っていただくために御尊像を公開することに致しました。」と出羽三山神社の吉住さん。
人々の苦悩を一身に引き受けた蜂子皇子。その尊いお姿を拝観していただき、被災者の方の心の平安と被災地の一日も早い復興を共に祈るための旅に出かけみてはいかがでしょうか。
という趣旨なので我々一行もその趣旨に賛同して、お祓い料500円を納め、特別参拝をしてきました。
蜂子神社の中は外からは見えないように白い幕が張られています。
順路どおりに次は出羽三山神社三神合祭殿、左から湯殿山・月山・出羽神社の順にお参りできます。
境内には芭蕉が出羽三山で詠んだ句碑も建てられています。
左から「涼しさやほの三日月の羽黒山、加多羅禮努湯登廼仁奴良須當毛東迦奈(かたられぬゆどのにぬらすたもとかな)、雲の峯いくつくづれて月の山」真ん中の句は何故漢字だけで読ませようとしたのでしょうか。湯殿山の事は語ってはいけないという言い伝えに起因するのかも知れません。
しかし陸奥のこの地にスケールの大きな神社を良く造りましたね。
次に庄内映画村を訪ねる予定でしたが、ナビの案内した場所には無かったので、藤沢周平記念館に向かいました。鶴ケ岡城の跡が大きな公園になりその一角に記念館はあります。
着いたのは12:00を少し回っていました。
花のあと、たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪などなど、藤沢文学は映画でしか観たことがありませんが、下級武士の悲哀をよく描いていますね。略歴をみると山形師範を卒業後、中学校の教師になるも肺結核になり休職、6年間の闘病後業界紙の記者になり、その後小説家デビューを果たしたのだそうです。苦労された経験が読者の共感を呼ぶもとになっているのでしょう。今度は原作を読むつもりです。
ここの公園内には見るところがいっぱいありますが、残念ながら時間です。帰りは日本海東北自動車道経由関越道で新潟回りで帰って来ました。熊谷の自宅到着は19:30、往復の走行距離は約1,050kmでした。
余談ですが現在NHKラジオ第二古典講読(毎週土17:00~17:45、再放送毎週日6:00~6:45)「奥の細道~名句でたどるみちのくの旅」を放送しています。講師は佐藤 勝明(和洋女子大学 副学長)さん、語りはNHK元アナ加賀美幸子さん、先週は第11回那須湯本温泉の殺生石の場面でした。1年間かけて芭蕉の旅を取り上げるそうですので、毎回楽しく聴いています。
ルートインホテル鶴岡駅前を8:00に出発し、最初に出羽三山神社に向かいました。40分くらいで羽黒山の麓の出羽三山神社に到着。
最初に国宝の五重塔に下って行きます。
途中、小さい社が幾つもありますが、そこを通り過ぎると祓川をはさんで流れ落ちる須賀の滝が見えます。
この滝は江戸時代、当時の天宥別当が遠く月山より8kmの水路をひいて作ったもので不動の滝と名づけられていたとのこと。
祓川に架かる神橋を渡ると天然記念物「爺杉」の前に出ます。
樹齢1,000年以上と云われる古木で、根元周囲11m50cm、目通り周囲8m30cm、樹高48m30cmもあるそうです。確かに見上げる程の巨木で圧倒されます。
この辺りから杉並木になりさらに進むと、白木造りの国宝五重塔です。
案内板によると承平年間(平安時代)平将門の建立だとのこと。詳しい説明は写真をクリックしてご覧ください。
杉の木立の中に静謐という感覚を味わいました。本来ならここから羽黒山まで歩いて上るのですが、先を急ぐこともあり一旦車に戻って、羽黒山神社に向かいました。駐車場に戻って来ると、姫路から一人旅で来たというご婦人(kさん)に声を掛けられました。二年前にご主人を亡くされ、そのご主人が俳句を嗜んでいて、果たせなかった奥のほそみちを一人旅で巡っているのだそうです。最上川の舟下りと銀山温泉にも泊まってみたいと仰っていましたが、無事姫路にお帰りになったのでしょう。
さて本題に戻って有料道路を通って、出羽三山神社に到着しました。こちらも午歳のご縁年ということで、蜂子皇子(はちこのおうじ)」の木像を、開山以来初めて一般公開しています。期間は4月29日から9月30日まで。
以下は山形県庁のHPからの転載です。
>かつて人々のあらゆる苦悩を救ったといわれる出羽三山の開祖蜂子皇子。その御尊像が明治以降初めて、一般に公開されることになりました。公開を後押ししたのは、関係者の東日本大震災の復興への思いでした。
羽黒山の信仰区域は関東以北。震災直後から青森、岩手、宮城、福島、茨城などから、何千人という方が羽黒山へ来られました。助かった方々は、車を乗り継ぎ、又相乗りして来られ感謝の祈りを捧げました。また、痛ましくもご家族を亡くされたという方は、鎮魂のため羽黒山霊祭殿れいさいでん(亡くなった人の霊は山に上ると云われている)を訪ねられたといいます。
震災2年後の昨年は、一向に進まない復興と、仮設住宅暮しの辛さに、この先どうなっていくのかという不安が参拝者に見え隠れしていたそうです。
「震災以降、出羽三山神社では毎日、震災復興を祈っています。しかし、復旧作業が進まない現況にあって3年目の今年は、かつて民衆に手を差しのべ救ってくださった開祖蜂子皇子に、全国の皆さんにも祈っていただくために御尊像を公開することに致しました。」と出羽三山神社の吉住さん。
人々の苦悩を一身に引き受けた蜂子皇子。その尊いお姿を拝観していただき、被災者の方の心の平安と被災地の一日も早い復興を共に祈るための旅に出かけみてはいかがでしょうか。
という趣旨なので我々一行もその趣旨に賛同して、お祓い料500円を納め、特別参拝をしてきました。
蜂子神社の中は外からは見えないように白い幕が張られています。
順路どおりに次は出羽三山神社三神合祭殿、左から湯殿山・月山・出羽神社の順にお参りできます。
境内には芭蕉が出羽三山で詠んだ句碑も建てられています。
左から「涼しさやほの三日月の羽黒山、加多羅禮努湯登廼仁奴良須當毛東迦奈(かたられぬゆどのにぬらすたもとかな)、雲の峯いくつくづれて月の山」真ん中の句は何故漢字だけで読ませようとしたのでしょうか。湯殿山の事は語ってはいけないという言い伝えに起因するのかも知れません。
しかし陸奥のこの地にスケールの大きな神社を良く造りましたね。
次に庄内映画村を訪ねる予定でしたが、ナビの案内した場所には無かったので、藤沢周平記念館に向かいました。鶴ケ岡城の跡が大きな公園になりその一角に記念館はあります。
着いたのは12:00を少し回っていました。
花のあと、たそがれ清兵衛、隠し剣鬼の爪などなど、藤沢文学は映画でしか観たことがありませんが、下級武士の悲哀をよく描いていますね。略歴をみると山形師範を卒業後、中学校の教師になるも肺結核になり休職、6年間の闘病後業界紙の記者になり、その後小説家デビューを果たしたのだそうです。苦労された経験が読者の共感を呼ぶもとになっているのでしょう。今度は原作を読むつもりです。
ここの公園内には見るところがいっぱいありますが、残念ながら時間です。帰りは日本海東北自動車道経由関越道で新潟回りで帰って来ました。熊谷の自宅到着は19:30、往復の走行距離は約1,050kmでした。
余談ですが現在NHKラジオ第二古典講読(毎週土17:00~17:45、再放送毎週日6:00~6:45)「奥の細道~名句でたどるみちのくの旅」を放送しています。講師は佐藤 勝明(和洋女子大学 副学長)さん、語りはNHK元アナ加賀美幸子さん、先週は第11回那須湯本温泉の殺生石の場面でした。1年間かけて芭蕉の旅を取り上げるそうですので、毎回楽しく聴いています。