京恋し

頑張った時のご褒美は京都。ずっと憧れ。

東日本大震災

2011-03-12 20:59:12 | ちょっと立ち話
一夜明けて悲惨な被害状況です。

        
        昨日は山の上ホテルでの清川先生の古典教室でした。講義後、山の上ホテル
        でランチをし、その後、すぐ近くの中央大学会館の1Fのカフェでお茶を
        飲み始めたところ、ぐらぐら 長い大揺れに久々に恐怖を感じました。
        
        お茶の水駅聖橋口に向かうと交通機関は全て止まり、駅、その周辺には途方に
        くれて立ち尽くす人々が。そんな様子見の人々に強い余震が何度も。

 
御茶ノ水橋口の方が大きい改札口なので、移動してみたが、こちらの方が人垣がすごい。
駅の屋根の継ぎ目にひびが入り、壁の一部が落下、駅にはシャッターが降りてトイレ以外は
出入りできなくなっていました。

        
        携帯電話は一切繋がらなくなり、数少なくなった公衆電話にも人が殺到。
        長い行列に私達も40分位並び家に電話、実家にも自宅にも繋がりませんでした。
        駅のそばの古書店

        
        タクシーは200人くらい並び、たまに来る東京駅行きのバスは並んでいる
        人を積み残してもギュウギュウの乗客。
        友人と避難を選択、部屋があれば泊まろうと山の上ホテルに戻りました。
        勿論空いている部屋はありませんが、ホテルはロビーと本館地下の宴会場を
        帰宅困難者のために開放してくれました。
        日付けが変わる頃からぽつりぽつりと復旧し始めた交通機関がホワイト
        ボードに書き込まれていきますが、すぐに乗れるとは思えません、誰もが
        焦っても仕方ないと覚悟を決めてソファで仮眠をしていました。
        ミニ毛布もお茶も提供されていましたし。

        私の場合は教室の仲間3人と、ロビーの椅子で夜明かしの予定でしたが、
        時折ヒョンと通じるメールを見て、OTTOがとにかくと車を走らせてきたのです。
        常は首都高で30分ほどの所、8時間かかりました。ホテルでちょっと休んで、
        自宅に帰り着いたのは今朝の5時でした。
        今日になって、埼玉に帰った友人は混み合う電車を尺取虫のように乗り継いで、
        大宮まで家人に迎えに来て貰い、家に着いたのが午後3時とか。

        奇しくも帰宅困難者体験をしてしまいましたが、その中ではラッキーな一晩を
        過ごしたのではないかと思いますが、友人もいたのですからもっと慌てず
        対処すればOTTOを走らせることはなかったと反省。OTTOも、進むも地獄、
        帰るも地獄状態、だったら目的地まで行くか とヤケ気味に
        ひたすらハンドルを握っていたそうです。

        それにしても、津波が街を飲み込む映像は何度見てもそのむごさに
        心臓がバクバクします。

        被災された方々の生活が一日も早く復興しますように願うばかりです。