店主敬白(悪魔の囁き)

栄進大飯店の店主さがみやがおくる日々の悪魔の囁き。競馬予想や文学・音楽・仕事のグチやちくりまでいろいろ。

超魔王唐辛子

2018-10-22 08:08:50 | 激辛
 さて、この話の第一号は、とりあえず買ってみたものから。
 小袋タイプのスナックで、食感と見た目は一口タイプで細めの、リング型のプレッチェルというカンジである。
 口の中に入れてみると、最初に花椒系の辛さがきて、次に唐辛子の辛さがやってくる。
 ひりつき感は少ないけれど、ひと粒でかなり口の中が辛くなってくる。
 唐辛子より花椒のほうが強いカンジだ。
 

その日⑤外には出たけれど

2018-10-22 08:01:05 | 熊本地震
 駐車場には、町内会り同じ班の方の他にもいろんな方が逃げてきていた。
 屋根がなく土がむきだしのかなり広い駐車場なので、車でここに来ている人も見うけられた。
 とはいっても、四月のまだ気温の低い夜である。
 ほとんどの人が座るところもなく立っているのだが、ご高齢の方も多く、立ちっぱなしというのはかなりキツイだろう。
 たっている間にも、余震がばんばんやってくる。
 周りにはほとんど障害物はないが、電柱がいくつかあるので電柱の近くを避けて、家族ごとに固まっていても、かなり大きな揺れがくるのでそのたびに悲鳴があがったりする。

 足が、ヒリヒリと痛む。
 火傷の箇所を確認しようにも、痛みで足を触りたくもなくなった。

 猫は・・・どうしているか。
 家にいる6匹の猫たちは、無事に逃げたのだろうか?
 数十分おきに起こる地震と、足の痛みのせいで、家に戻ることもできない。
 戻っても、ゲージがどこにあるのかもわからない状態なので、連れ出すこともできなかった。
 猫は危険を察知すると、逃げ足は速いというが・・・。

 着のみ着のままスリッパ履き、持ってるものはタオル一本なので、携帯電話もなく、家族に連絡を取ることもできない。

なんたる不覚だ。不覚だらけじゃん!

 そんなことを考えているうちに、空き地の向こうから火の手があがった。
 火事だ!

最初の避難①

2018-10-21 19:55:14 | 熊本地震
 みんなが集合している避難所の隣の地域で、火災が起きた。
 幸い、何軒か先の場所なので、すぐこちらに火がやってくることはないようだ。
 しかし、火の勢いが強い。
 高く、もうもうと煙があがり、火の粉が舞い上がる。

 どうやら電線か何かのトラブルで空き家からの出火らしく、ケガ人等は出なかったが、火事現場の道路は通行止めになった。
 その近くに、町内の集会所があるのだが。

 一時は、集会所で夜を明かそうという話も、これで中止になった。

 消防団の方々は火事の前後もずっと駆け回り、避難してくる人を誘導したり、町内の人たちの安否を確認したりと、忙しくしている。
 親切な人が携帯を貸してくれたので、夫に連絡もついた。
 だが・・・なかなか夫はこの場には現れなかった。
 いつもなら30分で会社から戻れるところを、どの道も避難民でごったがえし、2時間近くかかってしまったようだ。
 (夫の会社もこのときはまだ、被害が少なかった。)
 とにかく医者に、ということで夫に救急車を呼んでもらった。

 だが、どこも怪我人や病人でいっぱいなのか、なかなか救急車は来ない。
 寒気がひどくなり、震えている私に、近所の人が毛布を貸してくれた。
 毛布にくるまってだいぶ楽になったが、痛みと、続く余震と・・・。
 そしてこの世の終わりかと思うような、赤い火と・・・。
 なんでこんなことなったのか?
 皆呆然として、立ちすくむしかないのだった。

消防車に続いて、機動隊の車両も来た。
 火事現場の近くの家が倒壊し、中に人がとじこめられているという。
 事故現場は車一台がやっと通る道で、大型車両がダイレクトに侵入できないということで、とりあえずこの駐車場から、救助活動を行うらしい。
 避難していた人たちは、ひとまず空き地の隅に移動した。
 早く、救出されて欲しい。
 だが・・・。

 

その日④家から脱出する

2018-10-20 08:17:58 | 熊本地震
 玄関のそばの窓に近寄ると、人の声がした。
 若い男性が何か叫んでいる。

 地元の消防団の人たちだった。
 各家を回って無事かどうかを確認し、避難誘導しているらしい。
 もう、ここまできては避難をしなくてはいけないレベルのことが起こったのだ。
 
 では、とにかく家から出ようにも・・・
 玄関は、作り付けだったでかい下駄箱が倒れて、いた。
 ドアは半分しか開かない。
「●●(おいらの苗字)です!家から出られません!助けてください」

 ここは田舎の町だけれど畑の中に家があるというより、住宅地の中に畑が点在するような場所なので、町内の同じ班には10軒以上の家があり、道路を挟んで別の班がいくつかある。
 消防団の方々がそこを順番に回って、中の人を救助しているようだ。
 救助には高齢者も多いから、時間がかかるし大変なのだろう。
 しばらくして、二人の男性が玄関先までやってきた。
「火傷をしています。なんとか外に出してください」
 いちおうそう現状を報告すると、外から男性が手をさしのべてくれた。

 下駄箱の隙間からやっと、外に出ることができた。
 歩いて数十メートル先にある、葬儀屋さんの駐車場に誘導された。
(このときはまだ、道路の被害があまりなく、道路を歩いて避難できた)
 四月の夜は寒いのに、長袖シャツに半ズボン、そして足元はスリッパのままだ。
 防災用品?
そんなのどこ行ったかわからない。
 きっと吹き飛んでるだろう。靴さえないし、玄関先に置いてあった蝋燭、ランタン、懐中電灯もない。
 持ち出そうにも、探しているうちに(地震のちきに油を使っていたから)出火したら・・・。

その日③で、どうするよ?

2018-10-20 07:44:17 | 熊本地震
起き上がって家の中を確認しようにも、お尻が痛くてなかなか起き上がれない。
 火は?ネコは?
今家は、どうなってんのか?

手探りで周囲を確認すると、体は、ちょうど家具のすきまにすっぽり入っているらしい。
 足の上にモノが落ちてきたり、頭の上が何かで覆われているわけではなさそうだ。
 (リビングは、食器棚2台とキャビネット、テレビ台、ダイニングテーブルセットがあった)
 目の前になんの家具が倒れているのかわからないけれど、どかせようと思ってもかなり重く、ビクともしなかった。
 このままではまずいので、立ち上がらなくては。
 そうだっ!!!

 こんちくしょー!!!

めいっぱい腹に力を入れ、大きな声でそう叫びながら、私は立ち上がった。
 腹に力を入れたせいか、スッと立ち上がることができた。
 でも、あたりは真っ暗で何も見えない。

 左足が熱い。
 太ももの部分とおなかの一部が、焼けるように痛い。
 そういえば、揺れたときに鍋が飛んできて、全部ではないけれど、バシャッと油がかかったような気がする。
 カツを揚げていたときの煮立った鍋の油だ。
 火傷をしているらしいけれど、それをどうにかすることはできなかった。
 とりあえず手探りでガスの栓を閉め、水で冷やすために風呂場に行こうとしたが、風呂の入り口の戸は、少ししか開かない。
 どうやら脱衣場にあるタオルストッカーが倒れて、戸を塞いでいるらしい。
 しかたないので、なんとかタオル一本だけ持ち出して、外の様子をうかがった。





 


ずんだい

2018-10-19 20:00:38 | ネコ
 意外と仲良くくっついているずんとだいもん。
 二階で寝ているときは、兄さん&ロン、ずん&だいもんで寝ているときが多いです。
 毛色で分かれるのはなんでですかね?
ずんは、ときどきしかたなそうに、すり寄ってくるだいもんを舐めてやったり、腹で休ませてあげたりしています。
 

その日②はじまり

2018-10-17 08:01:33 | 熊本地震
 その日は、いつもとまったく変わらない一日だった。
 朝バスで会社まで出勤し、夜七時に仕事が終わって帰宅して風呂。
 夫はこの日遅番の仕事なので、仕事が終わるのは夜の十二時である。
 夫の会社は車で30分ほどの、阿蘇地方にある。
 夫の帰宅に間に合うように、食事の準備にかかる。
 今日は、名古屋の「矢場とん」のみそだれをかけた、ひれかつ丼にしよう。

 下ごしらえが終り、カツを揚げはじめた。
 そのとき・・・

 ガンッ!
という音と、下に沈みこむようなカンジで、家が大きく揺れた。
 右に左に、ガラガラというよりドスドスという音とともに体が揺れる。
揺れがはじまってすぐ、停電で真っ暗になり、コンロの火もとまった。
 やばい・・・これ・・・・

 (職場の地震避難訓練のときに、揺れを模したガラガラ音が流れるが、それよりも、もっと重くて腹にガシッとしみ込んでくるような音だった)

 真っ暗ななかで、バン!っと体が吹き飛んだ。

 (私は申し訳ないが「デブ」のカテゴリーに属する体だ。決して痩せていたり、身長が小柄だったりするわけではない)

 揺れがおさまったときには、頭の中は真っ白だった。
 一体何が起きたのか・・・。
 
 頭がまわり始めて、あたりを見回そうにも真っ暗だった。
 そして、家具のすきまらしいところに、私は尻餅をついて転がっていた。

 このデブが、1メートル半ぐらい吹き飛ばされて、台所の隣のリビングにいた。



その日①予兆

2018-10-16 11:10:10 | 熊本地震
 その日の何日か前、庭にあるキンカンの木の上部が、葉を落として枯れはじめた。
 朝、出勤時にそれに気がついた。

 私には・・・植物にまつわる不思議な予兆の体験が、いくつかある。
 子供の頃、母と花瓶にバラの花を活けてるとき、まだ硬いつぼみのバラの花が、触ってもいないのにポロリと落ちた。
「これは・・・田舎のおばあちゃんが死んだのかも」
 母がそう言ったのは、母方の祖母が病気で入院中だったからだ。
 そしてその夜、親せきから母方の祖母が亡くなったという電話があった。
 奇しくも、あのバラを活けている時間帯に。
 そのあとも、庭のユズの木が夏なのに突然枯れたときにも、伯母の死がやってきた。

 まずい・・・木が、こんなふうに枯れていくのは、誰かが亡くなるんじゃないか・・・。
 親戚には高齢の方も多く、中には百歳を超えている方もいるのだから、気になってくる。
 だが、誰からも何の知らせもないまま、数日か過ぎた。

益城町ってどんなところか、勝手に書いてみる

2018-10-16 11:09:55 | 熊本地震
 私の住んでいた益城町は、熊本市の中心から車で30分、バスで40分。
 市内から通勤圏内だけあって、いつもどこかしらに新しい住宅が建ち、地震の前にも若い子育て世代中心の新しい住宅地ができていた。
 もともとそこにいる地元の人たちは、農家の方が多く、米、野菜、果物、お茶・・・地元の農協にある物産館の地図の表では、ビックリするほど多種多様な農産物があり、林業、養鶏、牧畜をしている方もいる。
 また、阿蘇の山々の麓の熊本空港から、市内の東区のすぐ隣まで、面積は広い。
 町めぐりとかしていたら、車でぐるっと回らないと多分無理だ。
 史跡は戦国時代の木山城跡のほか、明治時代から造られた「石橋」がけっこうある。
 もちろんその石橋が今でも利用されているし、しっくりと風景に溶け込んでいるのだ。
 山の自然も住まいもこの町だけで足りてしまう、けっこう楽しい住環境だ。

 街の中心部を流れる川の土手には、春には土手に野草の素朴な花が咲き、カルガモがゆうゆうと泳いでいる。夏には深い緑に包まれ、黄色い花しょうぶが川を彩り、秋には遠くに見る山々が紅葉していく。冬には平野部にはあまり雪が降らないので、そんなに寒さを感じないでさざんかや椿、キンカンや柚子などの実もの果実の色を楽しみ、また春がやってくる・・・。
 そんな「そこそこ田園、でも街に近いから便利」な場所だった。
 仕事でくたびれてバスで帰ってくると、夏の日だと夜でも日が沈まない時間は、まだ坂の上から緑の山々が見えて、その美しい山々を見ると、やっと家にたどり着いたと、なんかホッとしたものだ。
 そしてたまにしかない春の休みの日、家の近くの土手にスミレの花を見つけた。
 スミレなんて・・・子供の頃には確かに私の生まれた町にも生えていたけど、それがなくなってからは、20年前以上前のハイキングとかのときにしか見なかった。
 平和だった。
 よくネットで聞く、「田舎暮らしの束縛や、習慣の違いによるストレス」などあまりなく、お金をかけなくても小さな自然に囲まれ、穏やかに暮らせるいい町だと思う。
 そういう町だった。それでよかったのに・・・。